第105話 真相
しかし、ヴィルホはそうして格納庫へ歩いていく道のりを全うできなかった。
「少佐殿」ノーラがその中ほどのところで足止めしたからだった。「お話があります」
「何、カネ?」
「何かね、ではないでしょう。分かっている癖に」
いつも冷静でおっとりとしている彼女にしては珍しく、その語気は強かった。ふん、とため息を一つ吐いて、ヴィルホは答えた。
「……ルヴァンドフスキ中尉のことデショウカ?」
「そうです。確かに彼は甘いところもあります。兵士としては不適格な面だって多くあるでしょう。もう民間人ではないのですから、それは直すべきだと私も思っています。だからといってアナタのしたようなやり方は間違っていると、一人の軍人として感じますが?」
ずい、と近づいてそう言う彼女は今にも告発する用意があるかのような様子すらあった。きっと小隊の誰も、見たことのない剣幕なのであろう、とヴィルホは思った。
しかし彼が返したのは微笑みだった。
「隊員思いなのデスネ、アナタは」
「? 茶化さないでいただきたい。私は小隊長として義務を果たそうとしているだけです」
「それは当然デショウ。そうでなくては、ネ」
そう言ってヴィルホはノーラの横を通って先へ行こうとした。それを彼女は振り返って声で制止する。
「ピリネン少佐……!」
「だから私は、アナタになら伝えてもいいと思ってイル。どうですか、待機室でお茶でも飲みナガラ?」
「伝える……何を?」
「彼への扱いの理由デスヨ。知りたいのデショウ?」
「それは、そうですが……」
……何だ?
突然人が変わったように優しくなったヴィルホに、ノーラは訝しまずにはいられなかった。振り返りもせず歩き始めた彼に彼女はついていきそう言った。
「どういうことなのです?」
「待機室で話すと言ったはずデスガ?」
「今ここで聞かせていただきたいですね。私はそれほど気が長い方ではない」
では移動しながらということにシマショウ、と言って、ヴィルホは口を開いた。
「まず、彼が強くなる以前にある、という話はしマシタネ?」
「はい。まず何故彼が選ばれたのか、そこから話を聞かせていただきたいです」
「アレ、嘘デス」
衝撃の一言に、ノーラは一秒立ち止まってしまった。
「……は?」
「デスカラ、彼が強くなる云々以前にあるというのは、彼を特別扱いするための方便デス。強いと真正面から言えば角が立ちますし、何より調子に乗るかもしれナイ。」
「それは……そうかもですが」
「そもそも私とて軍歴は長いつもりですが、エースパイロットではない。なのに彼はあの若さで何倍も落としてイル。強くなれないはずがナイ――というより私より強いデショウ、現時点デ」
「で、ですが」気を取り直して、ノーラは聞いた。「だとすればどうやって、何度も撃墜してみせたのですか? どうやって?」
「そこは単純に、経験の差デス。あとは機体に対する習熟度の差。より効果的な判断に従ってより効率的な動きをしているというだけのコト。反射速度では負けていマス。逆に言えば、その効果的な判断と効率的な動きをマスターさせれば、『白い十一番』は怪物になれる」
「そのために、敗北させる必要があった?」
「その通リ。敗北こそ、最高の教師デス。無論、どうして負けたのかを考えれば、の話デスガ」
なるほど、トップガン流の考え方だ。実戦では敗北はまず死を意味する。その前に死ぬ気で苦労しておけば、実戦で苦杯を舐めることにはならない。そういう考えなのだろう――。
「ですが、」が、ノーラは即座にそう言っていた。「それだけですか?」
「? どういう意味デスカ?」
「ですから、それだけのためなら、精神的に追い込む必要まではなかったでしょう。敗北が重なればただでさえキツくなるというのに、更にパワーハラスメントめいた物腰でやりとりする必要が、本当にあったのですか?」
ああ、そういう意味デシタカ、とヴィルホは納得したように答えた。
「それに関しては、また別の話デシテネ――確かに彼の腕前は確かなものでしたケレド、それだけではこの戦争を生き残れないと、そう考えたカラデス」
「仰る意味がよく分かりません」
「メンタル面の問題デスヨ。彼は未だ兵士のメンタリティーを有していない。それは、アナタも認めるところデショウ?」
「……それは、そうですが、だからといってやり方があると申しているのです」
「それは時間の関係上仕方のないことデシタ。何しろ一か月しかない。懇切丁寧に説明して一民間人にマインドセットさせる時間としてはあまりに足らナイ。徴兵された民間人でももっと時間があるというのに、たったの一か月デスカラネ」
ヴィルホは肩を竦める。ノーラはそのお道化た様な仕草がどうにも気に入らなかった。
「では、」だが、ぐっと堪えた、今はそれは重要なことではない。「兵士のメンタリティーというのは? そこまでして身につけなければならないものだったのですか?」
「私の考えでは」頷いてから、ヴィルホは言った。「兵士のメンタリティーというのは、義務感にあると思っていマス。例えば――国のために戦うという義務感。志願した兵隊は数か月の訓練期間の間に戦う技能と合わせてそれを嫌と言うほど植えつけられマス。それが私であり、アナタやマルコ少尉のような兵隊デショウ」
「…………」
「デスガ、民間人はそうではナイ。それぞれにそれぞれのしたいことがあって、本来戦争などという人殺し博覧会には参戦したくないはずデス。そこに戦争をしなくてはならないという義務感は本来ナイ――ここまではいいデスカ?」
ノーラは頷いた。ヴィルホは続ける。
「だから、それぞれにはある程度、折り合いをつけてもらう必要があるのデス。言うなれば、戦争をやってもいいかな、という気持ちになってモラウ。例えばアナタの隊のサンテ。彼は兵士になることによって出る報酬を以て戦争をする気になってイル。これは、私たちプロの兵隊からすれば確かに鼻につくものデスガ、しかし一端の理由にはなっているデショウ」
そう。
ユーリ少年だけなのデス。これがないのは。
「…………!」
「平時では開花することのない絶対的な才能を持ちナガラ、それを支えるに足る思想がナイ。それがどれだけ危険なコトかは、言うまでもありマセンネ? 彼はともすれば、途中で戦う理由を見失って、戦闘中に迷うかもしれナイ。それで彼だけが死ぬのなら話は簡単デスガ、そうとも限らナイ。ともすれば小隊の誰かを巻き込むか――あるいは小隊を全滅させておいて、一人だけおめおめと生き残るかもしれナイ。義務で人を殺せない人間は、戦場では危険すぎマス」
「だから、それを目覚めさせようと、アナタは?」
「そうデス。何だってイイ。私たちのように国家に忠誠を誓うのでもいいし、エンハンサーという兵器の美に目覚めてもイイ。重要なのは戦うことを迷わない、殺すことも厭わない理想的な兵士になることデス」
「それは、残酷なことではないですか」
「そうデス。残酷そのものデス。ですが戦争そのものがそうなのデス、そうしなければ生き残れない戦争ガ」
だから仕方がない、とはヴィルホは言わなかった。ノーラはそのとき一歩立ち止まった。すると彼のその背中は、パイロット向きの体格であるという以上に小さく見えた。きっとそこには見えているより大きなものを背負っているのだろう。
「? どうかしマシタカ?」
立ち止まったのに、ヴィルホはようやく気付いたらしかった。振り返って惚けたことを言う彼にノーラは思わず敬礼をしていた。
「失礼しました――自分が軽率でした。謹んでお詫び申し上げます。少佐殿」
「いいんデスヨ。教官とは理解されない仕事デス。アナタも戦後になったら分かるデショウ。だから気にしてマセン――それより、早くお茶を飲みに行きマショウ。私は喉が渇イタ」
そう言って、先を急ぐヴィルホに、ノーラはついていった。彼女もまた、お茶が飲みたい気分だったのだ。
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