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5.敵と味方

 病み上がりで無理をさせたせいか、路上に映実がうずくまってしまった。商店街の裏路地は熱の逃げ場がなくかなり暑い。


 おれたちは近くにあった「米問屋もよし」の戸を叩いた。


「敵ってなんだよ」


 映実を支えながら怜子が言う。九十過ぎのじいさんが「座りや」と古びた椅子を出してくれたが、高見は頑なに座ろうとしない。


「おれと和真さんは遠い親戚なんや。始祖はナガスネビコらしい」


 怜子は眉をしかめた。おれは手のひらに青い膜を浮かべ、薄青く光っている映実の髪に触れてみる。もちろん何も起こらない。


「この青い光はナガスネビコの神力や。あの人に触れてから光の勢いが増した。押さえてるのもしんどいくらいな」


 じいちゃんすまん、そう断ってから気を解放した。狭い米屋に青い光が満ちて試合直前のように心がたぎる。


「お兄ちゃんと同じ……」


 映実はおれの腕に触れた。瞳に輝きが戻り、頬に赤みがさす。


「こんな風に光ってるのを見たことがあるの。ヒーローみたいだねって言ったら、お父さんには絶対言わないでほしいって言われた。ものすごく怖い顔をしてたな……」

「松谷にナガスネビコは見えてるんか?」

「誰?」

「髭を生やした彫りの深い古代人や」

「時々お兄ちゃんが話してるおじさんの幽霊かな」


 やっぱり気づいていたか。一つ屋根の下であの調子なら両親も知っているかもしれない。


「松谷は兄妹やし、神力に触れる機会があったんかもしれんな」


 丹田に意識を集中させて青い膜を取り込んだ。授けられたこの力はちょっとしたことで外に漏れ出てしまう。鍛錬のうちだと思うけれど出したり引っ込めたりは骨が折れる。


「あーっ疲れた。今日はこれで閉店ガラガラ」


 シャッターを下ろす格好をすると映実と怜子が笑った。そや、笑ってる方がええなと思いながらパイプ椅子に腰かける。


 ふと顔を上げると高見が目を輝かせていた。初めてヒーローショーに行った子供みたいだ。


「おまえ……すごいな」

「稽古を重ねればできることや。高見も道場に来たらええ。きっと体操競技にも活かされる」

「行く」


 なんて素直なんや。もう体操のことしか頭にない顔になっている。思わず笑い声を漏らすと「何がおかしい」と詰めよってきた。


「高見は体操のことだけ考えとったらええ。雅彦くんのことはおれらに任しとき」


 しまった忘れていたという苦い顔つきになり、おれは軽く背中を叩く。


「いちいちそういう顔せんでええんや。高見にはやらなあかんことが仰山ある。それが生きてる、前に進むってことやろ」


 な、と彼女たちに同意を求めるとうなずいてくれた。


「敵や言うからには雅彦くんが生きてる可能性はある。明日、沖間がどうしてるんか茂吉に聞いてみるわ。神社にも行ってくる。高見はジュニア選手権の練習に励んどけ」


 蚊の鳴くような声で、ありがとう、と言った気がした。「おれが格好いいて言うたかー」と大げさに耳を寄せると「言ってねーよ!」と肩を叩かれた。


「あんたナガスネさんの子孫なんかね」


 腰の曲がったじいさんが「映観ちゃん飲みや。ほらあんたらも」と言って冷たい麦茶を出してくれた。


「そうらしいですけど」

「ここら一帯は昔からナガスネさんの祠を御守りしてきたんや。商店街の道を挟んで東がナガスネさん、西がイツセさんいうて長いこといがみ合うたもんよ。最近の若いもんは関心が無いかと思うとったが、そうかそうか」


 満足げに縁側に座ったじいさんにおれは詰めよる。


「イツセさんって五瀬命イツセノミコトのことですか」

「そうや。正確には奥方の一族をお祀りしとるらしいがの」


 話がややこしくなってきた。妻がいるなんて初耳だ。


「あんたさんは高見、言うたけど、オリンピックに行った高見亮の息子かいな」

「あ……はい」

「先祖代々、雄山おやまさんとことイツセさんの御神体を御守りしてたはずやけど、跡取りなんか?」


 高見を見てギクリとした。背中から赤いものが揺らぎ始めている。「呼吸や」と腹を押さえたが筋肉は強張ったまま動かない。「跡取りてなんや」と聞いてみたが首を振るばかりだ。


「雄山さんとこの跡継ぎが亡くなった言うて西側はえらい騒ぎやったが、跡取りがおったんか。安心したわ」


 じいさんは空いたグラスを盆に乗せて下げようとした。跡取りて何のことや、と混乱していると映実が「まーくんのことかな」とつぶやいた。


「まーくんの名前、雄山雅彦っていうの」


 イツセ側の跡を継ぐ人間、高見も同じ立場なのか。おれはじいさんの曲がった背中に言葉を投げる。


「安心ってなんですか。あなたがナガスネさん側やったら敵とちゃうんですか」


 じいさんは急に腰を伸ばしてカラカラと笑った。

「そんなんいつの話や。同じ土地に住むもん同士、助け合うのが道理やろ」


 おれたちに背を向けたまま居間に上がり、「ほな気ぃつけて帰り」と引き戸を閉めてしまった。


「わかったような……わからんような」


 丸め込まれた気もする、と思いながら引き戸を見ていると、誰かの腹の虫が盛大に鳴り響いた。


「おなかすいた」


 顔を赤くしたのは映実だった。隣に立った高見の腹まで鳴り響く。


「俺も腹へった」

「ほな、前言うてたスイーツバイキングでも行くか。サトはどうする?」

「行くっ」


 怜子の瞳がキラキラと輝き出した。少女漫画のお星様が目の中に見えそうだ。


「私、お財布持ってきてなーい」

「俺らでおごったるで」

「やべ……金あんのかな」


 高見はバックパックをあさった。赤い靄のような光はすっかり消えている。

 あの色合いは三度目の時逆でも見た。ナガスネの強襲を受けた時、青い玉を打ち砕いたイツセの剱の切っ先と同じだ。


「サトコーいつから向井くんと名前で呼び合ってるの?」

「いつからって、別に」

「ずるい、私もサトって言いたい」

「映実の好きにしなよ」

「うーん、やっぱり向井くんと一緒とかやだ!」


 商店街を歩きながらきゃっきゃとスイーツの話を始めたのでおれは脱力した。


 この道を挟んだ手前がナガスネ、向こうはイツセ。おれはどこに立つべきなんや。


 高見は二人に羽交い締めにされていた。真っ赤になった高見をからかいながら、途方もなく高い夏雲を見上げた。

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