5-2 そして二匹のストレンジカメレオンは
翌日、俺は一人で登校して席に着いた。だが、登校時間はいつもとは異なり、チャイムが鳴る十五分前には席についた。種田が朝早めに登校して、誰かに絡まれたりしてはしないかと心配した結果である。
種田には家まで迎えに行こうかと提案したが、二秒で却下された。種田いわく、女子にとって男子が迎えに来て一緒に登校というのは、極めて神聖なものであり、その初めてを俺に捧げるのはいささか不満だという事。あいつ、俺が、「一緒に登校しようなんていったらキモいかな?」と思いつつも、勇気を振り絞って言った渾身のセリフを……。
……まあ、いつも通りの種田に戻っている何よりの証拠か。……キモがられてはないんだよね? 大丈夫だよね?
そんな肝心の種田だが、まだ登校はしていなかった。坂本や中村も俺と一緒でいつもギリギリに登校してくるので、まだ来てない。暇なので、秘技、人間観察で時間をつぶす。観察とはいっても、イヤホンしながら、携帯をいじるふりをして耳を済ませるだけなので、リスクヘッジもばっちりだ。
えーっと、周波数を「種田」に合わせてっと。
人間というものは、見たい物しか見ていないらしい。コンビニと歯医者どっちが多いかと質問した際、コンビニと答える人のほうが多いのが最たる例だ。ちなみに実際は歯医者らしい。まあ、それを耳に応用すると、必然的に種田に関しての周りの反応を聞きたい俺は、種田というワードに集中するという、なんでわざわざこんな長々と説明したのかっていう話。何はともあれ、どれどれ……。
「今度駅前のさー」、「ほんと最近暑いよねー」、「我々の見解として脇というのは」、「種田さん、あれから――」
あった。
「種田さん、結局今日も来ないのかなー」
「でも、喧嘩売ったの沢田さんの親友なんでしょ?それはヤバいって」
「ねー」
なるほどこの二人は基本的に噂話が好きなだけパターンのやつらだな。下手に首を突っ込んでくるタイプの奴よりよっぽどましだ。他には、
「種田、あいつさー。不登校になんのかな」
「なっちゃうのかな~。このままだといつか夕方のニュースとかに出るパターンじゃん」
「マジかよ、俺インタビューされちゃう感じ?」
なるほどね。本人がいないのをいいことに徹底的にいじるタイプか。このタイプはふざけ半分でやっていて罪の意識がないのが問題だ。言っていることのえげつなさを一度鑑みてほしい。
「え~。種田さんとはどういった関係だったんですか?」
「種田さんは~。クラスでも少し浮き気味で、アニメが好きだったみたいで~」
クオリティの低いボイスチェンジャーを当てた声の物まねに、その周囲の人間が各々笑い声をあげる。
……もしかして今か?
俺は種田と戦うと誓った。種田が不当な扱いを受けて傷つくことに憤りを感じた。
それならば、種田を守るためにいまこそが、動くべき時なんじゃないか。……というか、絶対にいまが動くときだろう。さらに言えば、種田のためとかまず何より、
「……俺自身が不愉快だ」
席を立ち上がり、騒いでいたグループの方に向かう。そして、俺が立ち止まるとそのグループの面々は心底不思議そうにこちらを見上げる。
「お。よう水谷、どした?」
緊張した。この言葉を放った瞬間、少なくとも、こいつらの中で俺は「あちら側の人間」と化す。そしてその後も多くの人間が「あちら側の人間」と烙印を心の中で押すことだろう。
状況が一瞬にして変わる。俺の描いていた未来予想図がすべて覆る。いまから放つ、たった一言で。
……だが、昨日決心は固まった。
いままでの種田の境遇、不当な扱い、そしてさっきの非常な彼らの言葉を思い出す。
……いまなら言える。
「お前らさ――」
その言葉の途中、がらがらと教室の扉の開く音が響いた。しかし、俺はその音によって言葉を止めたのではなく、突如訪れた教室の静寂さに違和感を覚え、言葉を止めた。
そこには、気まずそうに身を縮こませる種田がいた。
そして、一瞬生まれた静寂は、過ちを取り戻そうとするかのようなクラス内の結束で、すぐに消えた。
「……お前ら、何だよ」
「……いや、何でもない」
この場でこいつらを取り正して、悪口を言っていたことが種田にバレるのは避けたかった。聞かなくてもいい真実を知る必要はない。
種田の方に視線を寄せると、種田はこちらを一転に見つめていた。ちゃんと来たことが嬉しくて、思わず少し笑ってしまう。すると、種田も微笑み返してきた。キザな洋画のやりとりみたいで気恥ずかしかった。
視線を戻すと、そのグループの連中は一連の動きを見ていたのか、種田と俺の方を交互に見ていた。
こうなりゃあ、いっそさっきの洋画みたいなノリでいってみるか。俺は驚く連中の方を向かって微笑み、席に戻る。連中に背を見せながら、やらなきゃよかったと激しく後悔した。
「はーはは! でもあの振り付けはないよねー。……あ」
前方の扉付近から、大きな声がする。聞き慣れた声だ。強者の声、自己を守るため、鼓膜にきちんと認識されている声。声の主は沢田のものであった。そして、沢井は種田の存在に気づき会話を中断する。
「おっはよう、種田さん。元気だった?」
心にもない言葉を沢田が投げかける。
「うん」
種田は平然と鞄の中から教科書などを取り出す。沢田のことなど気にも止めないように。
「何か種田さんさ。真里奈とやりあったらしいじゃん」
単刀直入な質問にも、種田は平然さを保ったままだった。
「……別に、ちょっと意見が食い違っただけよ」
「あっそ。……まっ、何でもいいけどあんま調子乗ると、私、許さないから」
そう捨て台詞を吐いて、沢田が自分の席に戻る。
いつものクラス内の雰囲気を作り出そうとしていた教室内だったが、張りつめた空気は納まらず、皆どこか浮ついた様子であった。
……まあ、それは気まずいよな。俺も昨日までなら、そっち側だった。
俺は席を立つ。椅子の音がやけに響いたように感じた。それは恐らく、この張りつめた空気に感化された結果だ。種田と沢田が話す前の空気を取り戻そうと皆が躍起になる中、俺だけが異質な存在であった。……まあ、いいや。これから下手したら三年間、俺は異質な存在になるんだからな。
休んでいる間に溜まってしまった、プリント類の内容を確認している種田の前に立つ。そのプリントは俺が昨日持っていたものだ。気まずさから忙しいふりをしているのだろう。
種田の机の前に俺の影が落ちる。それを見て、種田は静かに顔を上げる。
こちらに向けられた種田の目は昨日のことを引きずってか、まだ少し赤い。
俺はゆっくり息を吸い、改めて種田を見つめて言った。
「おはよう」
普段、あまり声を上げる機会もないので、しっかり言えるか不安だったが、どうやら大丈夫のようだ。その証拠に、クラス中の視線をひしひしと感じる。
……久々だなあ。この感覚。やっぱり中学の時と同じで、悪目立ちの結果の視線だが。自然と気分は悪くない。
種田は俺を見て、少し目を開いた。意外な行動だったのだろうか。昨日ちゃんと約束したのに。
……なあ、種田。世間は偏見に満ちているよ。
だけど、俺たちも、多かれ少なかれ偏見や差別に近い感情は持っている。自分のことを棚に上げて、人を批判することなんてできないのかもしれない。
それなら、俺はお前を精一杯ひいきするよ。
正しいか、間違っているか。真実はわからないけど、俺はお前が悪い奴には思えないんだ。
だから、俺はただお前をひいきする。誰もひいきしないんだから、こういう代わり者が一人ぐらい居てもいいだろ?
俺はいつのまにか自分が笑っていたことに気付く。そんな俺を見据え、種田はしっかりと息を吸い、そして口を開く。
「おはよう!」
言葉と共に放たれた満面の笑みは、静寂に包まれた教室の中でえらく場違いだった。
だけど、その笑みは確かに一つ、ここにあった。
了




