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短文倉庫  作者: なち


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32/32

飴上がれば虹

あまやどり30分の続きです。



 予想通りの天気雨に、避難していたのは30分程度。

 雨の匂いと濡れたアスファルトを残して、空は青く澄み渡る。

「雨、止んだ」

そう言った野田くんは、しかしそのまま屋根の下から出て行かない。まあそれは、私も同じなんだけど。

 タイミングを逸した、と言い訳めいた事を考えても、中々足が踏み出せないのは少し、ほんーっとーに少しだけ、名残り惜しい気がする、から。

 眼前を小走りで駆けて行く学生が水溜りを蹴って、そこではた、と自分の逡巡に気付く。

 何を考えているのか。名残り惜しい、なんて。寂しい気がする、なんて。そんなの。

 電車の時間がある事を思い出して、髪の毛を整える仕草を経て振り仰ぐ。

「それじゃ、」

と、愛想笑いの挨拶は、手首を掴まれて途中で止まった。

「え、あの、」

「空」

野田くんは戸惑う私を見てはいない。上空を仰ぎ見たまま、一言を告げる。

 私もならうように空を見上げて。

「あ」

声の調子が喜悦に上がった。

「虹」

言葉少なに、しかし、感動を目一杯含んだ私の声に隣で頷く気配がした。

 綺麗な半円を描く、七色の虹。そうそうお目に掛かれない見事な虹は、くっきりと青空に輝く。

「すげぇな」

野田くんの感嘆符に頷いて、暫く二人並んで空を見上げていた。


 やがて薄れたそれが完全に消える頃、野田くんは私の手首を捕えたままだった事に気付いたらしい。

「悪い」

と謝罪をされて、私もそれに気づく。解放された手首を反対の手で撫でるようにしたのは、手持無沙汰と言うか落ち着かない気になったからで。

 おそらく初めて喋った、隣のクラスの同級生。

「……ああ、うん。大丈夫」

 その微妙な距離感のまま、気軽く触れ合うのもから揶揄い合うのも、躊躇われて。

「ええ、と、それじゃあ、私は帰るので」

 じゃ、と片手を挙げて、でも野田くんの顔は見られないまま早口に捲し立てて、今度こそ一歩を踏み出す。

 ――踏み出した筈だ。

 踵を返した私の、挙げたままだった手首をまたもや掴まれてしまう。

「相川!」

 咄嗟に振り返った私の目に、思いの外大きな声が出てしまったからだろうか、自分の口を押える野田くんが映って。

「……さん」

今更のように敬称をつけても、取ってつけた感があり過ぎる。

 この微妙な空気をどうしようと言うのだ。

「あー、その、相川さんは帰り電車?」

 そわ、と肩を上げるようにして項を掻く野田くんは、今更の敬称を繰り返す。

「あ、うん、そう」

「上り?」

「いや、下り」

そうそう。そう言う事も知らない間柄だ私達は。

「俺も」

「あ、そうなんだ?」

 雨も上がったと言うのに、未だに雨宿りの屋根から抜け出せない私達。掴まれた手はそのまま。交わす言葉は、なぜに今?と言っていいような、どうでも良い情報交換。

「でも、駅とかで見た事ないかも?」

「普段はチャリなんだけど、昨日帰りにパンクして。んで、帰って直す予定」

「あー、成程」

つまりそのたまたま電車で通っている今日に限って雨に降られ、偶然の雨宿り仲間とならなければ。お互いを認識する事もなかったのかなあ。なんて。

 虹の名残も失せた空を、もう一度見上げる。

 「そっか、そっかあ」と軽く相槌を打ちながら、この偶然はなかなかどうしてあれである、と上手く言語化出来ない感情を持て余す。

「つーわけで、俺も帰るから」

「あ、うん、はい」

 えーと?

 つまりこれは、一緒に帰るとかそう言う?

 促されるまま、隣に並んで、歩き出す。

「あ」

「あ?」

「いや、あの、手をね?」

「!」

 鞄を肩に掛け直そうとした側の手は、掴まれたままだった。

 直後、まるで痴漢の冤罪を訴えるかのように両手を挙げる野田が、顔を真っ赤にした。

「悪い!」

 その狼狽えっぷりったら。

 思わず吹き出すように破顔すると、野田はまた肩を竦めて項を掻いた。

 まあ、こう言う風にお互いを認識して、知り合う事もあるだろう。きっと。

 顔を合わせて挨拶をして。世間話をするような未来を想像する。

 隣のクラスの小野だか小田だかくんは、野田と言う一個人に変わって。同じ学校の女生徒だった私は、相川と言う一個人だと認識されて。

 駅までの道を歩調を合わせて歩きながら、お互いの理解を深くして行く。

「相川は部活入ってる?」

「いや、帰宅部」

「へー。なんで?」

「中学はテニス部だったんだけど、うちのテニス部ガチ過ぎるから、もういっかなって思って」

「テニスっていいよなー」

「……」

「おい、なんだその目は」

「いや、もうその手の話は聞き飽きてるんだよ。あれでしょ、チラ見せがどーとか言い出すんでしょ」

「……」

「うーわー」

「いやいや、だってよ?」」

「いや、いい。みなまで言うな。下手な言い訳、聞くだけ無駄だわ」

「……」

「何よ、その目は」

「相川さー」

下らない話。ありきたりな応酬。

敬称を放棄した模様の野田。

「下の名前、なんつーの?」


――少しだけ踏み込んで。

 僅かな時間で移り行った雨空みたいに、変わり行く友情模様のその先は――。





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