執筆にあたって
「ラマダーン(断食月)を明かす」を公開するべきかどうか、一年以上悩んだ。ラマダーンはイスラムの男尊女卑の原因のひとつだ。また、非イスラムがイスラムの襲撃に備えるべき原因でもある。「ラマダーン」はむかしの話で、現代的ないまはやっていないんじゃないかという人もいるかもしれない。しかし、二十一世紀になってもやっていたのは確実である。2005年には盛んにやっていた。その後、世界的に誘拐婚を抑制する動きがあり、誘拐婚は減った。しかし、イスラムのラマダーンはなくならなかったと聞いている。
「ラマダーン」を黙っているか、公開するか、悩んだ。「ラマダーン」は国際的に認められたイスラムの正統な権利なのだから、黙らなければならないと思った。しかし、我が国からイスラムの男が美少女を誘拐していくのは確かなことだ。奪われてたまるか。抗議の声をあげなければならない。「ラマダーン」の誘拐に備えるには、共同体の協力が必要だ。そのためには「ラマダーン」の秘密を公開しなければならない。公開しないか、公開するか、その両者で思いは揺れ動き、悩んだ。こんなことで悩むのはとても勇者のすべきことではないと、イスラムは思うかもしれない。イスラムは第一に男が勇者であることを讃え、男が女をさらってくるのを喜ぶ文化圏だ。
しかし、イスラムは巧妙だ。国際連合の中で、「ラマダーン」に賛成する国が多数決で過半数をとるように、すでに国際的な準備ができている。国連に認められた「ラマダーン」の権利を削除することはできない。非イスラム諸国の現実として、「ラマダーン」と戦いつづける知恵がなければならないのだ。
そうだ。我々がイスラムの「ラマダーン」に無策でいてはいけない。やはり、この事実は公開しよう。しかも、「歴史の隠れ家」とは別の新しい小説を立ち上げて、そこに書こう。
イスラムにはたくさんの秘密がある。わたしは人生で偶然にいくつかを知りえたが、あまりにも影響力が大きいため、とてもうかつに話すわけにはいかない。しかし、「ラマダーン」は実際に我が国から美少女が誘拐されているのだ。
警察や外務省は、「ラマダーン」をかつては誘拐情勢ということばで扱っていた。しかし、最近は、誘拐情勢ということばは使えなくなったようだ。検索しても、見当ちがいな記事しか見つからない。
公開する。わたしは決めた。これを公開することで、国際連合の国際協定違反だということで、精神病院に閉じ込められるかもしれない。とても怖い。しかし、美少女が誘拐されることを黙っているわけにはいかない。
美少女の誘拐を肯定する国家が存在することは、人類の文化の多様性を知るうえで必要なことだと思う。これを理解できるくらいに頭が柔らかくなければならない。国家がそんなことを認めるわけがないだろうと、先入観でまちがえてしまってはいけない。国家はそんなことをすることもあるのである。これが人類の文化の多様性なのだ。
「ラマダーン」が存在することは、イスラムが永遠に異民族の女を誘拐に行くことを決定するものではない。イスラムが人間の営みとして、よく思索して、非イスラム諸国の抵抗との折り合いを考え、異民族の女を誘拐するのかどうかを決めなければならない。イスラム文化の面白さを讃えるとともに、我が国と非イスラム諸国の美少女の防衛の成功を願って、これを書く。




