第84話「譲れぬ条件」
北美濃工業高校の旧会議室。
須藤秀光が青木優真との交渉を終えてから、二日が経過していた。
机の上には、北美濃地区に所属する各校から提出された意見書が並んでいる。
その数は十一枚。
久我原宗一は一枚ずつ内容を確認しながら、眉間に皺を寄せていた。
「……予想以上だな」
向かい側に座っていた須藤が顔を上げる。
「何がだ?」
「要求がバラバラなんだよ。しかも、ほとんどが自分たちに有利な条件を求めている」
久我原は一枚の書類を差し出した。
「まず、北美濃商業。ここは各校の代表者に同じ一票を与えるよう求めている」
「小規模校だからな」
「ああ。ところが北美濃第二工業は、生徒数に応じて票数を増やせと言っている」
「……正反対だな」
「それだけじゃない。西美濃学園は連盟からの独立権を要求している。北陵商業は、救援要請を拒否した学校への処分を求めている」
須藤は書類を受け取った。
「処分?」
「仲間を助けなかった学校には、一定期間の発言権停止を課すべきだそうだ」
「それは認められない」
須藤は即座に答えた。
久我原が目を細める。
「理由は?」
「救援できない事情だってある。人数が少ない学校にまで同じ義務を課したら、弱い学校ほど不利になる」
「だが、助けてもらうだけで何もしない学校が出てきたら?」
「それも問題だ」
「だったら、どうする?」
須藤は言葉に詰まった。
久我原は書類を机に戻した。
「お前が青木に突きつけた問題と同じだ。公平な制度を作るのは、口で言うほど簡単じゃない」
「分かってる」
「本当に?」
須藤は久我原を見た。
「何が言いたい?」
「お前は全員の意見を聞こうとしている。だが、全員の要求を通すことはできない」
久我原の内側で、長井道利の声が響いた。
『よいか宗一。人をまとめる者には、情だけでなく、切り捨てる覚悟も要る』
(切り捨てる、か)
『誰の望みを退けるか。それを決められぬ者に、大勢は率いられぬ』
久我原は目の前の須藤を見つめた。
「秀光。お前は誰を優先する?」
「……」
「大きな学校か? 小さな学校か? それとも、自分に従う学校か?」
「どれでもない」
須藤は静かに答えた。
「俺が守りたいのは、美濃で普通に学校生活を送りたい連中だ」
「綺麗事だな」
「そうかもしれない」
「だが、その答えじゃ制度は作れないぞ」
須藤は意見書をもう一度読み始めた。
その胸の内で、斎藤義龍が語りかける。
『秀光よ。道三は力ある者を用い、美濃をまとめ上げた』
(ああ)
『されど、おぬしは異なる道を選ぼうとしておる』
(俺は青木のやり方を全部否定したいわけじゃない)
『ならば、何を残し、何を改めるか。それを定めよ』
須藤は一枚の白紙を取り出した。
「宗一。まず、連盟の目的を整理しよう」
「目的?」
「学校同士の無意味な抗争を防ぐこと。そして、外部から襲われた学校を守ること」
「それは青木も同じだろう」
「ああ。だから、そこは変えない」
須藤は紙に文字を書き込んだ。
「変えるのは、決定の仕組みだ」
久我原が身を乗り出す。
「具体的には?」
「重要な決定には、二つの条件を設ける」
「二つ?」
「賛成した学校の数。それと、賛成した学校に所属する生徒の数だ」
久我原は少し考え込んだ。
「なるほど。学校数だけでも、生徒数だけでも決められない仕組みか」
「そうだ」
「だが、両方を満たさなければ決められないとなると、今度は何も決まらなくなる可能性がある」
「だから、緊急時の救援だけは別にする」
「……続けろ」
「仲間が襲われたときは、各校の判断で救援に向かっていい。ただし、救援した側は後から事情を報告する。相手への報復を目的とした行動は認めない」
久我原は頷いた。
「悪くない。だが、救援と報復の境界は曖昧だ」
「そこは当事者以外の代表者が確認する」
「青木一人が判断するのではなく?」
「ああ」
久我原は腕を組んだ。
「少しは形になってきたな」
そのとき、会議室の扉が開いた。
「おい、二人とも。ちょっといいか?」
獅堂剛馬だった。
その後ろには、二人の男子生徒が立っている。
「こいつら、直接話があるらしい」
一人は北美濃第二工業の代表者。
もう一人は北美濃商業の代表者だった。
須藤は椅子から立ち上がった。
「何かあったのか?」
第二工業の代表者が口を開く。
「須藤。昨日提出した意見書、読んだよな?」
「ああ」
「だったら話は早い。俺たちは、生徒数に応じた発言権を要求する」
「それについては今、別の方法を考えている」
「別の方法?」
須藤が白紙に書いた案を説明すると、男は不満そうに顔を歪めた。
「それじゃ、小さな学校に反対されたら何も決められねえじゃねえか」
すると、商業高校の代表者が言い返した。
「俺たちだって、大きな学校に全部決められるのは嫌なんだよ」
「お前らはいつも守ってもらう側だろ!」
「だからって、何も言う権利がないのか?」
「そうは言ってねえ!」
二人の声が大きくなった。
獅堂が間に入る。
「おい。ここで喧嘩するなら外に出ろ」
「獅堂、お前はどっちの味方なんだよ?」
「は?」
「北美濃工業は人数が多い。俺たち第二工業と同じ立場だろ?」
獅堂は男を見つめた。
「だから何だ?」
「須藤を説得してくれよ。強い学校が中心にならなきゃ、連盟なんてまとまらねえ」
獅堂はしばらく黙っていた。
その内側で、日根野弘就が語りかける。
『剛馬。力ある者が先陣に立つのは道理じゃ』
(そうだな)
『されど、力ある者がすべてを決めれば、従う者の心は離れる』
(……分かってるよ)
獅堂は男に向き直った。
「俺は秀光の味方だ」
「だったら!」
「けど、秀光が間違ってると思ったら、俺は反対する」
男が口を閉じた。
「強い学校が前に出るのは当然だ。だが、強いからって弱い学校を黙らせていいとは思わねえ」
「……」
「それに、人数が多い学校だけで全部決めるなら、青木が一人で決めるのと何が違うんだ?」
その言葉に、久我原が小さく頷いた。
須藤は二人の代表者を見た。
「俺は、どちらか一方だけが得をする連盟にはしたくない」
第二工業の代表者が尋ねる。
「じゃあ、俺たちの要求は却下か?」
「今の形では認められない」
「……そうかよ」
「ただし、人数の多い学校が負担していることも事実だ。そこは別の形で考える」
「別の形って何だ?」
「救援に出せる人数や、各校が負担する役割を明確にする。何でも平等に押しつけるつもりはない」
商業高校の代表者も口を開いた。
「じゃあ、俺たちみたいな小さな学校は?」
「人数が出せないなら、情報収集や連絡役を担う方法もある」
「それなら……」
「ただし、何もしなくていいわけじゃない」
須藤は二人を交互に見た。
「連盟に残るなら、互いに助け合う責任は持ってもらう」
二人はしばらく黙っていた。
やがて第二工業の代表者が口を開いた。
「……俺たちの意見も、ちゃんと青木に伝えてくれるんだな?」
「ああ。だが、採用するとは約束できない」
「分かった」
男は踵を返した。
「一つだけ言っとく。俺たちは、いつまでも待つつもりはないからな」
そのまま会議室を出ていった。
商業高校の代表者も、須藤に軽く頭を下げて退出した。
残された三人の間に、重い沈黙が流れた。
「……厄介だな」
獅堂が呟いた。
久我原は机に置かれた改革案を見た。
「今の言葉、聞いたか?」
「いつまでも待たない、だろ?」
須藤が答える。
「ああ」
「どういう意味だと思う?」
「連盟の改革が進まなければ、独自に動くつもりかもしれない」
獅堂が眉をひそめた。
「まさか、青木に勝手に話をつけに行くってのか?」
「分からない。だが、可能性はある」
須藤は椅子に座り直した。
「宗一。改革案をまとめよう」
「いいのか? まだ意見は全部揃っていないぞ」
「全部を待っていたら、一週間が終わる」
久我原は須藤を見た。
「ようやく決めたか」
「ああ」
須藤は書類を手元に引き寄せた。
「反対意見も含めて、青木に提出する。その上で、俺たちが何を変えたいのかを説明する」
「青木が拒否したら?」
「そのときは、また話す」
「それでも駄目なら?」
須藤はすぐには答えなかった。
やがて、静かに口を開いた。
「……そのときは、北美濃の今後を決めなきゃならない」
久我原はその表情を見つめた。
昨日までの須藤なら、きっと同じ答えを避けていただろう。
だが、今は違う。
改革が失敗する可能性を、ようやく正面から受け止め始めていた。
「分かった。俺も最後まで付き合う」
「俺もだ」
獅堂が続けた。
「ただし、喧嘩になったら俺の出番だからな」
「喧嘩にしないために動いてるんだ」
須藤が答えると、獅堂は苦笑した。
「分かってるよ」
三人は再び机を囲んだ。
北美濃の改革案は、少しずつ形になり始めていた。
しかし、須藤たちはまだ知らなかった。
北美濃第二工業の代表者が、会議室を出た直後に別の学校の代表者へ連絡を入れていたことを。
「……須藤は、俺たちの要求を通す気がない」
電話の向こうから、低い声が返ってくる。
『だったら、どうする?』
「俺たちだけで話を進める」
『須藤には知らせるのか?』
「いや」
男は北美濃工業の校舎を振り返った。
「もう、あいつの返事を待つ必要はない」
北美濃の亀裂は、須藤の知らない場所で少しずつ広がり始めていた。
第84話 完




