第1話「喧嘩の始まり」
昼休み。
秋山天馬は、校舎裏の自動販売機の前で財布を覗き込んでいた。
「……五十円足りねぇ」
百五十円の炭酸飲料。
財布の中には百円玉が一枚だけだった。
「何やってんだ、秋山」
振り返ると、同じクラスの男子二人が立っていた。
「別に。金が足りねぇだけ」
「貸そうか?」
「いい。五十円くらい何とかする」
「相変わらず変なところで意地張るな」
二人が笑いながら去っていく。
天馬が財布をポケットに戻した、そのときだった。
「おい!」
校舎の角から男子生徒が走ってくる。
「逃げんな!」
その後ろから、別の男子生徒が走ってくる。
周囲の生徒たちが道を空ける。
「捕まえた」
追われていた男子の肩を、後ろの男が掴んだ。
「離せよ!」
「昨日、誰に手ぇ出したか覚えてんだろ?」
「知らねぇよ!」
男の拳が飛んだ。
鈍い音。
男子生徒が地面に倒れた。
天馬の足が止まった。
「……昼間から何やってんだよ」
男が振り返る。
「なんだ、お前」
「ここ学校だぞ」
「だから?」
「先生来たら面倒だろ」
「お前に関係ねぇよ」
天馬は倒れている男子を見る。
鼻から血が流れていた。
「見てて気分悪いんだよ」
男が天馬へ近づく。
「喧嘩売ってんのか?」
「売ってねぇよ」
「じゃあ口出すな」
「無理!!」
男が天馬の胸倉を掴んだ。
「調子乗んなよ」
「離せ」
「嫌だって言ったら?」
天馬は男の手を見た。
「……そうか」
拳が頬へ入った。
男の身体が横へ流れる。
「ぐっ……!」
男が口元を拭った。
「てめぇ……」
次の瞬間、男が突っ込んできた。
拳を避ける。
二発目を腕で受ける。
痺れるような痛みが走った。
「痛ぇな……!」
「だったら倒れろ!」
男がさらに拳を振る。
天馬は一歩下がる。
また一発。
避ける。
もう一発。
腕で受ける。
そして、相手の腕を掴んだ。
「うおっ!」
身体を引き寄せ、そのまま肩からぶつかる。
男がよろめいた。
天馬が追撃しようとした瞬間――。
「秋山!」
教師の声が響いた。
「何をしている!」
男が舌打ちする。
「チッ……!」
周囲の生徒が一斉に散っていく。
天馬も離れようとした。
「お前も待て!」
「俺も?」
「当然だ!」
「マジかよ……」
天馬は頭を掻いた。
その少し離れた廊下。
窓際に、一人の男子生徒が立っていた。
竜胆椿。
天馬と同じ二年生だが、クラスは違う。
椿は校舎裏を見下ろしていた。
「……秋山天馬」
後ろから同級生が近づいてくる。
「何見てんだ?」
「喧嘩」
「またかよ」
「そうみたいだな」
「興味あんの?」
椿はもう一度、校舎裏を見る。
「……強そうだった」
「誰が?」
「秋山」
それだけ言って、椿は教室へ戻っていった。
一方、天馬は職員室で説教を受けていた。
「秋山。お前から手を出したのか?」
「いや」
「本当だな?」
「向こうが先に胸倉掴んできました」
「それで殴った?」
「はい」
教師がため息をつく。
「……まあいい。次から気をつけろ」
「すみません」
天馬は頭を下げた。
職員室を出る。
廊下を歩いていると、昼休みに殴り合った男が壁にもたれていた。
頬を押さえながら、天馬を見る。
「……お前」
「なんだよ」
「名前、秋山だよな」
「そうだけど」
「覚えとけ」
「何を?」
「今日のことだよ」
「別に忘れてもいいだろ」
「俺は忘れねぇ」
男は睨みつける。
天馬は少しだけ見返した。
「……変な奴」
そのまま歩き出す。
放課後。
校門を出た天馬は、スマートフォンを取り出した。
昼飯を食べ損ねたせいで腹が減っている。
「……コンビニ寄るか」
そう呟いて歩き出した。
その頃。
別の校門から椿も学校を出ていた。
二人はまだ、言葉を交わしたことがない。
だが――。
この日の昼休みに起きた小さな喧嘩をきっかけに、二人の周囲では少しずつ人が動き始めていた。
第1話 完




