3話 理想の恋の相手
目覚ましの音より先に聞きなれた声で目が覚める。
「葉月、もう朝だぞ! 朝ごはん冷める前に顔を洗っておいで」
「は、はーい」
昨夜は遅くに寝たせいで、いつもは目覚めのいい葉月も今朝は起きるのに少々時間が掛かった。何度も欠伸をしながら、言われた通りに洗面台へと向かう。歯磨きをし、冷たい水で顔を洗ってようやく思考が働き始めた。
「あれ……妖精は?」
葉月は昨晩の出来事を思い出し、慌てて自室へと駆け込む。
「妖精さん!?」
部屋から漏れない程度の声量で呼ぶと、窓辺に置いておいた金平糖の袋の中からひょっこりとアモールが顔を出す。
「おはようございます、葉月さん。今日は清々しい朝ですね……あ、朝食はお先にいただいてます」
口髭に砂糖の粒が付いたままのアモールが笑顔で朝の挨拶をした。
「おはようございます……朝ごはんは金平糖だけで大丈夫ですか? 他に食べたいものがあれば帰りに買ってくるので言ってください」
「いいのいいの。ボクたち妖精は基本食べなくても大丈夫だから……それよりも朝ごはん食べなくていいの? 呼ばれてるみたいだよ」
リビングから再度葉月を呼ぶ声が届く。葉月は「急いで食べてきます!」と、アモールを残して部屋を後にした。
「おはよう、葉月。いつもより随分ゆっくりだな……もしや夜更かしでもしてたのか?」
キッチンで後片付けをしながら葉月に声を掛けたのは、8つ年上の兄・理人。
「まさか、彼氏でも」
「そんな訳ない……お兄ちゃんの監視下で彼氏なんて出来っこないよ」
葉月にとって家族と呼べるのは理人一人だけだ。両親は幼い頃に飛行機事故が原因でこの世を去ってしまった。その頃、ちょうど高校を卒業したばかりだった理人が一人で妹を養う経済力はなく、葉月だけが遠縁の親戚に預けられることになった。その期間、理人は自立のために働きながら大学へと通っていた。そんな時期を乗り越え、今では大手企業で働く理人とまたこうして一緒に暮らしている。
兄弟で再び同じ家で暮らせたことは喜ばしいことなのだが、理人は少々過保護なところがあった。リモートが推奨された企業のため、家事は全て理人がこなしている。決して葉月は家事が苦手ということではない。寧ろ、得意な方である。しかし、どういう訳か理人は葉月が家事をすることを強く拒んだ。口を開けば「学業優先」だと即答されてしまうのである。
社会経験としてバイトをしたいと申し出た時も猛反対されてしまったが、週3日で理人が必ず迎えに行くことを条件でなんとか許しを得た。しかし、バイトがない日は門限6時という高校生にはかなり窮屈と言える環境だ。そんな状況から、葉月は恋愛とは無縁の人生を歩んでいる。
「寝不足は肌に悪いから、勉強してたにせよ無理は良くない。程々にしろよ」
「はーい」
席に着くと、目の前には理人特性の朝食が並ぶ。ふわふわのスクランブルエッグ、こんがり焼けたウインナー、新鮮なサラダ、甘い香り漂うハニートースト、野菜たっぷりのポトフと、まるでホテルのようだ。
「いただきます」
「お弁当も作ってあるから忘れずにな」
「何から何までありがとうございます」
そう返しながら、葉月はトーストをかじった。
「家族として当然だ。俺は今から早朝会議で自室に籠るから、学校行く時に声は掛けなくていいからな」
黒いエプロンを脱ぎ、椅子の背もたれにかけてあったネクタイを襟に通し始める。一体何時に起きたのか、髪の毛も完璧にセットしてあった。こう見ると、理人はかなりイケメンの部類に入るのだろう。
「ああ、そうだ……お皿は流し場に置いておくだけでいいからな」
「はい」
葉月がしっかりと返事をしたのを確認して、理人は自室へと入っていった。
「いやいや、随分手厚い環境でお育ちのようですね」
いきなり目の前におじさんの顔が現れる。葉月は口に含んでいたスープを吹き出しそうになるのをなんとか堪え、喉へと流し込んだ。
「あの、突然現れるのはやめてもらっていいですか? 驚いてしまうので」
「ごめんごめん。気が利かなくて……それよりもお兄さんの朝食美味しそうだね〜」
アモールはハニートーストの香りを堪能するように鼻を動かす。
「いいですよ。これ食べてください」
まだ口をつけていない部分を適当にちぎり、そっと手渡す。
「ありがとう! 甘い! 美味しい!!」
「あまり大声出さないでくださいね。兄は耳が良いので」
「それに関しては心配御無用! ボクの姿も声も葉月さん以外の人間には見えません。だから、ボクとお話ししてても心配は入りませんからね」
トーストをあっという間に平らげ、アモールは再び朝食に目を輝かせる。かなり食い意地の張った妖精らしい。
「それなら尚更、人がいるところでは無闇に私の前に現れたり、話しかけたりは控えてくださいね。私だけが話していたら怪しまれてしまいますから」
「そうだよね!! それはダメだね」
こういう間の抜けたところがなんとも見習いらしい。アモールの頼りなさに逸物の不安はあるものの、呼び出したのは自分なのだからと葉月は暖かく見守ることを決めた。
「そういえば、具体的なことを話し合ってなかったので聞いても良いですか?」
テーブルにちょこんと座り、アモールは珍しく真剣な表情を葉月に向けた。
「なんですか?」
「恋のお手伝いを希望されてましたが、葉月さんはどんな殿方がご希望なんでしょうか? 出来れば素早く葉月さんの恋を実らせて、ボクも一人前の妖精になりたいのです。なので、葉月さんの理想や希望をなるべく聞いておいた方がいいと思うんですよ」
「それも……そうですね。なら、学校へ行きながらそれを話しますね」
空になった食器を流し場に置き、身支度を素早く整える。
玄関を出て、葉月は人目を気にしながら自分の肩に乗ったアモールに小声で話し始めた。
「私、恋愛はこの歳で一度も経験していません」
「え? 珍しいね。葉月さん可愛いのに……ああ、でもお兄さんにあれだけ愛されていたら恋人も作りずらいですよね」
「兄が過保護なのも理由の一つですけど、私自身あまり広い人間付き合いがないので……恋愛といえば、物語に出てくるようなものしか知らないんです。小さい頃は絵本の白馬に乗った王子様が理想でしたけど、この歳になれば王子様なんて現実にいないのは分かってはいるんです。けど、王子様のように一途に思ってくれる人がいいかなって」
「いいねいいね、素敵な理想だとボクは思うよ」
周りの人には馬鹿にされそうでなかなか言えなかったことだが、アモールは素晴らしいと絶賛してくれた。
「けど、現実的にはそんな相手なんていませんよね。もしも私のお願いが難しいなら、今回のお願いは聞かなかったことにしてもいいですよ……私のような面倒くさい人よりも、叶えやすい願い事を言ってくれる人の方がアモールさんもやりやすいでしょうから」
「そんなことないよ! ボクに任せて! 一人前の妖精を目指してるんだから、お願いの一つも叶えられないなんて妖精とは呼べないよ。きっと葉月さんの理想の王子様に出会わせてあげるね」
急に必死になる姿に、葉月は思わず頷く。
「よろしく……お願いします」
「ボクの魔法でパーフェクトな恋をさせてあ・げ・るっ」
アモールは両手を顎に当て、可愛らしくウインクをした。その姿がまだ見慣れず、葉月は苦笑いを浮かべるしかできなかった。
「よろしくお願いします」