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7.罪の告白

 

 あなたは誰かに命を救われたことがあるだろうか。

 『わたし』はある。

 いや、車に轢かれそうになったところを助けてもらったとか、通り魔のナイフから庇ってもらったとか、そういう本当に命を守ってもらった……みたいなことではなくて。

 ただ、生きる意味をもらった。生きる理由をもらった。


 それは命を救われたとは言えないって思うかもしれない。

 だけどね、『わたし』はこう思うんだ。

 ただ生きてるだけの人生って、その人にとっては死んでるのと同じだって。


 胸躍るような出来事や、明日も頑張ろうって思える生きがいがあれば――ううん、平凡な日常だって……それを愛せるなら、きっと生きてるって言えるんだと思う。

 でも物心ついた時から入院ばかりの『わたし』には何もなかった。

 きっと『わたし』は恵まれていた。けれど永遠にも思える白い牢獄は、『わたし』にとって絶望だった。

 このままこの場所で人生を過ごすくらいなら、今すぐ殺してほしいと思うくらいに。

 そんなことを思ってしまうのも『わたし』を気にかけてくれる家族に申し訳なくて、苦しくて仕方なかった。

 死にたいだなんて言えば、きっと心配させてしまう。傷つけてしまう。

 だから、言えなかった。


 でも、そんな『わたし』はあの人を知った。

 その在り方に、死にかけていた心が息を吹き返した。

 明日を生きてみたいと、そう思えた。

 

 だからやっぱり『わたし』は、あの人に命を救われたのだと――そう思ってしまうのだ。



 * * *



「このゲームをやめるって……ど、どういうこと、リンドウさん!」

 

 夜を迎え、きらびやかなネオンに照らされた都市の中、慌てたルーシャの問いが響く。

 それを受けたリンドウは気まずそうに顔をそらした。


「……ずっと前から考えてたことだ。それで、さっき改めて決めた。私はもうこのゲームを、楽しいと思えない」


 夜空に広がる星々を見上げる。

 あの星を見て、純粋に綺麗だと思えていた気持ちはいつの間にかどこかに消えてしまった。

 今はもう、吐き気を催すほどの後悔に苛まれる光景だ。


「私のクラン……『アステリズム』はね、もうすぐ強制的に解散されてしまうんだ。一年に渡ってメンバーがリーダーひとりきりのクランは、自動的にそうなってしまうシステムなんだよ」


「じゃ、じゃあなおさらあたしが入るよ! そしたらクラン、残るんでしょ」


 その提案に、やはりリンドウは首を振った。

 

「私はもう、あのクランに誰も入れる気がない。それだけはずっと決めてた」


 話すべきか、少し迷う。この自分の根幹とも言える過去を。

 しかし今日一日きりだとしてもレイに任された相手であり、ボルゴとのいざこざに巻き込んでしまった負い目もある。

 何よりルーシャは納得しないだろう。事情を知ってもらい、そのうえで納得してもらう。それが最低限の礼儀だとリンドウは考えた。


「始まりは……先代のリーダー、ステラさんからリーダーの座を託されたことだった。ステラさんはちょっと抜けてて、頼りなくて、お世辞にも優秀とは言えなかったけど、すごく優しかった。みんなあの人のことが大好きだった」


 そう語るリンドウは、見たことの無い表情をしていた。

 棚の奥にしまった宝箱を久々に開けるときのような郷愁と高揚が、そこにはあった。

 先代――ステラという名の彼女がそれほど大切だったのだと、ルーシャは悟る。


「そのステラさんは、今どうしてるの?」

「……どうしてるんだろうね。もう会えなくなっちゃったからわからない」 


 リンドウの優しい微笑みに、ルーシャの胸がずきりと痛んだ。

 そこにあったのは明確な喪失と、欠落。

 本来踏み込んではいけない部分。リンドウが、踏み込ませた部分。

 ごめんなさい、と謝ると、リンドウはいいよと手を振った。自分から話した事だから、と。


「託されたからには、このクランをもっといいクランにしないとって、そう思ったんだ。らしくなく張り切ってた――でも、それが間違いだった」


 ――――リンちゃん。私の大好きな『アステリズム』をよろしくね。

 

 ステラが去り、次のリーダーに任命された当時のリンドウの頭にあったのはただ一つの使命感。


『あの人が作ったこのクランを、私たちの居場所を、誰にも負けないクランにする』


 折しもその時期はクラン同士の抗争が活発化していた。

 クラン対抗戦が頻繁に行われ、各種メディアや運営でさえもその風潮を煽り立てた。

 リンドウは、大好きな先代から託されたクランを――メンバーたちを強くする必要があると考えた。


 もともとと初心者クランである『アステリズム』は、他のクランから侮られることが多く、そのたびにリンドウは憤慨していたものだが――食って掛かろうとするリンドウをステラがいつも制止していた。


 だが、今のリンドウを止める者はいない。

 当時、今より格段に粗野な性格だったリンドウは、ステラが作った大切なクランが馬鹿にされるのが許せなかった。

 だから彼女はメンバーたちにこう告げた。


 最強のクランを目指そう。

 あの『ヴォーパルソード』さえも打ち倒して、私たちが頂点であると示そう。

 先代リーダーに、胸を張れるように。


「仲間のみんなは、それに反対だったの?」

「いいや、賛同してくれたよ。みんな強くなりたいと思ってくれた。私は……まあ、少なくともクランの中では一番強かったから、教える側に回ったんだ。それがよくなかった」


 確かにメンバーは強くなりたいと考えていた。強くなるためにこの世界を訪れていた。

 しかし、それ以前に。その根幹にあるのは『楽しく遊びたい』という、至極シンプルなモチベーションだったのだ。


 だがリンドウはそれをはき違えていた。

 ただ勝つために。

 ただ強くなるために。

 それ以外のことが、頭から抜けていた。

 ゲームとは、結局のところ遊びであるというのに。


 抗争が激しくなるのに比例して、リンドウの指導は加速度的に熱を帯びていく。

 その厳しさが思いやりを失い、苛烈なものへと歪んでいくのにさほど時間はかからなかった。


 ――――なんで何度言っても同じミスを繰り返すんだ!

 ――――勝てる相手だっただろ!

 ――――そんなデッキ使ってちゃ負けるに決まってる!


 彼女の辛辣な物言いはメンバーのモチベーションを確実に削り取っていく。

 誰もが必死に取り組んでいるのに、結果が伴わない。

 ならばもっと厳しくしなくてはと、リンドウは甘さを捨てていく。

 何もかもが悪循環だった。


 当時のことを思い返すと、リンドウは本気で自分のことを殺してやりたくなる。

 大好きな人から任せてもらったと舞い上がって、仲間を強くすることばかりを考えて、上から目線で厳しく叱り立てた。

 「お前ら強くなりたいんじゃないのか」と仲間たちに何度怒鳴ったことだろう。

 気持ちはいつだって仲間を想っていたのに、口から吐く言葉はことごとく仲間を傷つけるものだった。


 リンドウはいつしか本質を忘れていた。

 この世界に足を踏み入れた者が、この世界を好きになってくれるように。

 このクランで力をつけて、ゲームを楽しむ一助となれるように。

 そんな初心者クラン『アステリズム』の、本来の理念を見失っていた。


 ある時、歓迎すべき初心者がいち早く脱退したことを呼び水に、一人、また一人とメンバーがクランを去っていく。

 脱退申請こそ受けたものの、リンドウに直接何かを言ってくる者はいなかった。


 リンドウにとっては恐怖でしかなかった。

 ステラから託されたクラン。大切な居場所。

 しかしその居場所はすでに変わり果ててしまっていた。


 どうすればいいのかリンドウにはわからなかった。

 行かないでくれと止めることもできなかった。

 心のどこかで、自分が原因だと理解していたからだ。

 理解していてなお、リンドウは自分を曲げられなかった。

 メンバーを鍛えること以外、リーダーとしてできることが見つからなかった。


「そして――今から一年ほど前のことだ。最後に残った一人がクランを抜けた。それが終わりだった」


 その一人は「お前のせいでクランは台無しだ」と罵り、去っていった。

 残されたのはリンドウただ一人。

 『アステリズム』は、クランとしての体裁を失った。

 他ならぬリーダーのせいで。


 何も言い返せなかった。何もかもその通りだったからだ。

 そもそも言い返す気力すら、その頃のリンドウには残されていなかった。


 後悔と自己嫌悪にまみれたリンドウは、クランルームに一人ひきこもり続けた。

 ランクマッチを回すわけでもなく、ステラの使っていた【虹彩】デッキを後生大事に抱えて。

 新たに加入しようとする者は誰一人としてやってこなかった。

 リンドウが新規入会者の受付を停止したからだ。

 それがなくとも、当時『アステリズム』やリンドウの悪評が広まっており――門を叩く者がいたかはわからない。


「ボルゴが言ってただろ。私はクランメンバーを全員脱退に追い込んだ。クランを強くするためとはいえ、私の指導は厳しすぎた。仲間を深く傷つけてしまった。だから一年前、最後のメンバーが抜けた時点でやめようとは思ってたんだ」

「じゃあ、どうして」

「このゲームを続けてるのかって? それはレイさんに……あんたの姉に引き留められたからだよ。あの人への義理以外の理由はない」


 ルーシャは口をつぐんだ。

 言いたいことも、言うべきこともたくさんあるはずなのに、言葉にできなかったからだ。

 その傷に、どうやって触れればいいのか。そもそも触れるべきなのか。

 今のルーシャにはわからない。

 伝えたいことが伝えられないのがもどかしくて仕方なかった。


「私はリーダーとして、いや人として失格だ。クランを率いる資格はない。だから、そんな私のクランにあんたを入れるわけにはいかないんだ」

「……あたしは」


 リンドウがしたことは、許されないことなのかもしれない。

 少なくともリンドウ本人は、自分のことを許してはいない。

 それでもルーシャは諦められなかった。どうしても、諦められない理由があった。


「それでも、あたしはリンドウさんのクランに入りたいよ」

「あんた、話聞いてたか?」

「聞いてたよ。聞いたうえで、言ってる」


 まっすぐに見上げてくる金の瞳に、リンドウは鼻白む。

 ルーシャがどういうつもりなのか、どうしてそこまで自分とともに居ようとするのかわからなかった。

 このままこの少女と向き合っていると見たくもないものを見せられる。そんな予感があった。


「……これ以上は付き合ってられない。レイさんとの約束は果たした。私がいなくても……いいや、私がいないほうがこのゲームは楽しいはずだよ」

「ま、待ってよ!」


 踵を返したリンドウの服の裾を、ルーシャは慌ててつかむ。

 ここで別れれば、本当に二度と会えなくなってしまう。何より――この世界に来た意味がない。


「あ、あたしと勝負して!」

「はあ?」

「あたしが勝ったらこのゲーム続けて! クランにも入れて!」

「あ、あんた強引すぎるよ! 本当になんなんだ!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人に、周囲の視線が集まっていく。

 それに気づいたリンドウは咳払いをして、居住まいを正す。


「……さっきの試合見ただろ。今日始めたばかりのあんたじゃ私には勝てない」


「確かにリンドウさんは強いけど……あたしが思ってるよりずっと強いんだろうけど、それでも、諦める理由にはならないから」

「…………。そもそも付き合う義理がないんだよ」

「そうでも無いでしょー」


 軽薄な声が飛んできた方を振り向くと、先ほどルーシャと共にリンドウの試合を見守っていたレイがゆっくりと歩いてくる。

 周囲にたむろしていたプレイヤーたちはその視線を彼女へと集め、「レイだ」「『ヴォーパルソード』の……」「俺ファンなんだよ」とどよめきを発する。


「お姉ちゃん」

「レイさん。何を言うつもりだ」

「”道場破り”。クランリーダーのリンドウちゃんなら知ってるでしょ」


 耳慣れない単語に首をかしげるルーシャ。

 姉であるレイは妹に優しく微笑みかけ、


「クランに未所属のプレイヤーだけが使えるシステムだよ。任意のクランのリーダーに試合を挑み、勝てばリーダーの座を乗っ取れるっていうね。しかもリーダー側は断れない」

「形骸化したシステムだ。『ライブラリ・スクエア』の歴史上、片手で数えるほどしか使われてない」


 道場破り。

 どういった意図で実装されたのかはわからないが、ほとんどの者がこのシステムを使おうとはしなかった。

 当然の話だが、ただリーダーを上回ってそのクランの長になったとしても、外様の人間がメンバーたちに受け入れられたりはしない。

 そもそもクランに所属していないプレイヤーが希少であることから、このシステムの存在を認識すらしていない者がほとんどだった。

 だが。


「事実として現存するシステムであり、ルールだよ。ルーシャの挑戦を、リンドウちゃんは断れない」

「レイさん……あんた、本当に面倒なことをしてくれる」


 リンドウに睨み付けられてもどこ吹く風、レイは朗らかな笑みを浮かべる。


「どうせ最後にするつもりだったんでしょ? ならいいじゃん、一戦くらい。まさか初心者に負けるのが怖いだなんて言わないだろうし?」

「……ああ、いいよ。受けてあげる」


 どうしてこんなことになったんだろう。

 メンバーが全員抜けたあの日から何度も自分に投げかけた問いが、リンドウの頭に浮かぶ。

 妙な展開になってしまったが、これが自分にとって本当に最後の試合になるだろう。

 ならば心残りは全て振り切らないと。


「ルーシャ。私は全力で戦う。あんたの意図はわからないけど、負ける気はないから」

「の、望むところだよ!」


 ルーシャにとって初めての試合が、この日決まった。 


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