8.少女の挑戦
試合が決まった――とはいえ、今戦っても勝負にならないことはわかりきっている。
ならば試合までに練習期間を設ける。リンドウのクランが自動解散する日……五日後に試合を執り行おう。
そう提案したのはリンドウだった。
思ってもみなかった猶予に、ルーシャは最初戸惑ったものの、実力も経験も知識も足りていないのは事実。
もらった期間を大事に使い、リンドウとの決戦に臨む。そう決めた彼女が次の日に訪れたのは……最強のプレイヤーである姉のところだった。
「いや、焚きつけたのは私だけどさ。五日でリンドウちゃんに勝つの?」
「そう! だからお姉ちゃんにいろいろ教えてほしくて。だめかな」
「……………………で、できらぁっ!」
「お姉ちゃん、すごい汗だよ。ごめんね無理言って」
セントラルタウンの中央広場に面したオープンカフェで、ルーシャは幼い眉を下げる。
うつむいた先にはミルクと砂糖たっぷりのブレンドが揺蕩っていて、水面は彼女の心のように渦巻き模様を描いていた。
「無謀だっていうのはわかってるんだ。でもやっぱり放っておけないよ」
「……そうだね。ルーシャは、リンドウちゃんに会うためにこのゲームを始めたんだもんね」
「うん。……えへへ、本人には恥ずかしくて言えなかったけどね」
だから、驚いた。
大の男二人に絡まれて困っているとき、助けてくれたのがリンドウだったことに。
ただの偶然だとわかっていても運命のようなものを感じてしまう。
リンドウはもともと有名人だった。
『百戦錬磨』という異名や、その派手なプレイスタイルから人気のプレイヤーだった。
ルーシャはある時見た動画で、彼女のことを知り、ファンになったのだ。
ゲームの内容についてはろくに知ることの無いまま――ただひたすらリンドウに釘付けだった。
「こんなことになるとは思わなかったけど……お姉ちゃん。あたし、やっぱり勝ちたい。勝ってリンドウさんと、これからも一緒に遊びたい」
「……よし! かわいい妹の頼みだ、お姉ちゃんに任せておきな!」
自信ありげに立ち上がるレイ。
五日でリンドウより強くするのは不可能だ。彼女の強さは、豊富な経験とこれまでの知識量に支えられている。
だが、このゲームは経験や知識の多寡を比べるものではない。
一度きりの勝負で勝てばいいなら――勝算はある。
* * *
姉妹の修業が始まった。
期間は限られている。
レイは最低限必要なプレイングやセオリー、そしてスキルの知識を選定し、ルーシャに叩き込んでいく。
幸い、ルーシャの吸収力は目を見張るものがあった。
教えた知識をスポンジのごとく取り込み、自分のものにしていく。
毎日ログインし、二人で特訓。
そんな生活は、あっという間に三日目の夜を迎えていた。
「そろそろ休憩しようか、ルーシャ」
「うん。はぁっ、まだまだだなー」
無機質なトレーニングルームの床に座り込む。
バーチャルなのでどれだけ動いても肉体が疲れることは無いはずだが、やはり疲労は感じる。
何よりこのゲームは頭を使う。
「使うデッキも決めたし、あとは出来る限り使いこなせるよう練習あるのみだね。その過程で少しずつデッキ構成も微調整していこう」
「うん、お姉ちゃん。…………」
「何か気になることでもあるの?」
「えへへ、お姉ちゃんに隠し事はできないね。リンドウさんのことが、やっぱり気になって」
リンドウが語った過去。
目的を見失った苛烈な指導で仲間を傷つけ、失ってしまったという彼女の傷。
ただ、ルーシャにとっては出会った頃のリンドウが全てだった。
この世界のことを優しく教えてくれた彼女と、その過去がどうしても重ならない。
「あたしは実際に見たわけじゃないから本当のところはわかんないけど……でも、リンドウさんの言うことが全部本当だって思えないんだ」
「……そっか」
ぽつりとつぶやいたレイは、トレーニングルームの真っ白な天井を見上げる。
考えているのはルーシャのこと。そしてリンドウのこと。
レイの頭には、二人がより良い方向へ向かっていけることだけが滞留していた。
「……『アステリズム』の一件があってからね、実は抜けたメンバーたちと話したんだよ」
「え、なんでお姉ちゃんが?」
リンドウと知り合いとはいえ、クランのこととは無関係ではないのか。
そういった意図で投げられたルーシャの言葉に、レイは小さく苦笑をこぼした。
「ま、一応ね。あの子たち――『アステリズム』の元クランメンバーは、リンドウちゃんの指導に根を上げて抜けたとは言え、一人を除いてあの子を恨んじゃいなかったよ」
「そうなの?」
「結果はどうあれ、彼ら彼女らは確かに実力を上げていた。自分でデッキを組めるようになった、勝てなかった相手に勝てるようになった、明確に勝率が上がった――そんなふうに口にしていたよ」
レイの脳裏を、とあるプレイヤーと――『アステリズム』の元メンバーと話した時の記憶がよぎる。
『リンドウ、あいつ……俺のデッキのこと、俺以上に考えてくれてたんだ』
『毎日たくさん改善案持ってきてくれたし、それに俺の試合も何度も見返して悪いところ挙げてくれたり……』
『でも俺、それでもなかなか上手くなれなかったんだ。それで俺、リンドウのせいにして……「お前の教え方が悪い」なんて言って……本当は一生懸命取り組んでくれてるあいつに申し訳ないって思ってたのに』
リンドウの認識とは裏腹に、彼女の指導は実を結んでいた。
不幸があるとすればその事実を本人だけが知らないということだろうか。
ルーシャは不満を表すように唇を尖らせた。
「それ、なんでリンドウさんに言ってあげないの」
「言ったよ。でも信じてもらえなかった。気を遣わなくていいって、悲しそうに笑うだけだった」
リンドウはずっと自分を責め続けている。
自分で傷を広げて、治りかけた端から傷つけて、また血を流し続けている。
その結果、彼女は限界を迎えた。
『このゲームをやめる』という結論に至ったのだ。
「あの件に関しては、確かにリンドウに非がある。指導の内容自体はともかく言い方というものがあるからね。ただ、強くなりたいと教えを請うたのに、根を上げたメンバーが悪くないかというと、そうとも言えない」
「…………」
「ねえ、ルーシャ。無理を言ってるのはわかってる。でもたぶん、今リンドウのことを何とかできるのはルーシャだけだ。まっさらで、今のリンドウしか知らないルーシャなら、もしかしたらあの子の心に届くかもしれない」
それは切願だった。
ゲーム内とは言え、姉のこんな表情を、ルーシャは初めて見た。
何か事情を抱えているのは明らかで――しかし、それを明かすつもりはないのだろう。
ルーシャとの試合が終われば、リンドウはこのゲームを去ってしまう。
自分に絶望したまま、この世界で得た思い出を暗い色に染めたまま、現実に持ち帰ってしまう。
少なくともこの場に、それを望んでいる者は誰一人としていなかった。
「任せて、お姉ちゃん。あたし頑張るから」
ルーシャはぐっと拳を握る。
小さなその手に頼もしさを感じつつ、レイは感慨深そうにうなずいた。
「……ねえ、ルーシャ。リンドウのこと好き?」
「うん。大好きだよ」
衒いの無いその言葉をわかっていたかのように。
レイは嬉しそうに、同時に少しだけ寂しそうに、笑ったのだった。
* * *
そして約束の日がやってきた。
リンドウがボルゴと戦ったコロシアムで、今度はルーシャが対峙している。
(……皮肉なものだな)
初心者クランを率いていた自分が最後に戦う相手が、初心者だとは。
リンドウは内心でため息をつきながらルーシャの視線に向き合った。
これが最後の試合。
振り返ってみれば短いプレイヤー人生だった。
未練も後悔もある。だけどこれ以上惰性で続けるのは死んでいるのと同じことだと考えていた。
何より、このゲームには思い出したくない思い出が多すぎる。
だが、完全にお開きムードのリンドウに対し、ルーシャはその全身から闘志をみなぎらせていた。
「リンドウさん。あたし勝つから。勝ってリンドウさんのクランに入れてもらうから」
「…………」
二人には明確な温度差があった。
勝つことは確定事項で、すでにその後の身の振り方を考えているリンドウ。
何としてでも格上のリンドウを打ち倒し、考えを変えてもらおうとしているルーシャ。
長きに渡って環境の最前線で戦い続けて来たリンドウと、付け焼刃の技術のみを携えてきたルーシャ。
二人の実力には悲しいほどの差があった。
だが。
勝敗は、それだけでは決まらない。
誰も行方を知らない戦いが今、始まろうとしていた。




