第22話 盗賊の矜持
◇
大テントをでたあと、俺は龍停め場の近くで小さく火を起こしていた。
ゆらゆらと揺らめく火のなかで、ときどき木の枝がパチンと爆ぜている。
俺の隣ではヒュードが寝息をたててスヤスヤと眠っていた。
そうしてしばらく無心に火を見つめていると、後ろから声をかけられた。
「思い詰めていますね」
「エルマさん」
気が付いたらエルマさんが背後にいた。
近づいてくる気配をまったく感じなかったが、今さら驚くことはない。
初めて出会ったときから数えて三度の接近を許したことで、俺にもなんとなく彼女の動きがつかめてきた。
――おそらくこの人は、単純に重心の移動や身のこなしがめちゃくちゃにうまいのだ、人間が意識の外からの接近を許してしまうほどに。
この人の動きをとらえるためには、その一挙手一投足に全神経を注がなければならないだろう。
彼女の動きはたゆみのない鍛錬と研鑽のすえにたどり着いた武芸の極致であって、俺が実戦のなか、勘で身につけた盗賊の技術とはまったく異質のものだ。
「エルマさん、こんな俺でも許してくれてありがとうございました」
俺は彼女に礼を述べた。
だが、俺の頭のなかでは彼女に対する感謝の気持ちよりも、申しわけない気持ちのほうでいっぱいだった。
燃えつづけている火のほうに視線を戻して、ひとり言のようにつぶやく。
また木の枝が、パチンと爆ぜた。
「悔いあらためてみせたって、過去の罪が消えないことはわかってる。
それでも、俺はあきらめるわけにはいかないんだ。
……でなけりゃ、俺のせいで死んでいった仲間たちが浮かばれない」
エルマさんの『調査』によって、時を越えて再び刻みつけられた仲間たちの顔が思い浮かぶ。
「翼竜騎士団のみんなにも悪いことをしたと思ってます。
生かしてもらってるだけで感謝してる。
……ただもう、シュフェルには許してもらうことはできなさそうですね」
エルマさんはいつもの優しげなほほえみを浮かべたまま、静かに俺の話を聞いてくれている。
俺はそんな彼女に、素直な疑問をぶつけてみることにした。
「でも、わからないんです。
そもそもシュフェルはいつも俺に怒鳴ってばかりですが、さっき静かに話しているときが、今までで一番怒っているように見えました。
俺が身元を隠していたのが悪いのはたしかですが、いったい何が彼女をそんなに怒らせてしまったのか……」
初めて出会ったときから、シュフェルによく思われていないことはじゅうぶんに感じとっていた。
それでもテーベを奪還したころから少しずつうち解けてきたかな、と思っていたところでの今回の出来事だったのだ。
俺はすがる思いで助けを求めたのだが、エルマさんは「ああ、そんなこと」と言って事もなげな様子だ。
「その理由はいたって簡単。
自分の境遇を重ねていたあなたに裏切られたからです」
エルマさんは人指し指を一本ピンと立て、大人が子供にものを教えているときのように得意顔をしてみせている。
いや実際年齢不詳だし、もしかしたらそれくらい年は離れてるのかもしれ
「何か思いました?」
「思ってません」
エルマさんが話してくれたシュフェルの境遇は、こうだった。
シュフェルは旧カレドラルの貴族の出身だ。
だが、愛人の娘であり、母親譲りの目立つ金髪もあって、姉たちから熾烈ないじめを受けていた(母親はシュフェルが産まれてすぐ亡くなってしまったらしい)。
いじめは幼少のころから始まって、年々激しさを増していった。
命の危機を感じたシュフェルはわずか四歳で家から逃げだし、放浪して餓死寸前であったところをレゼルの父親に拾われたのだ。
拾われてすぐに龍騎士としての才能を見いだされ、レゼルの義妹として剣の修行をつけられて今にいたっている。
……なるほど、国の違いや、貴族と士族の違いはあれど、俺が偽っていた境遇と似ているところがある。
俺には物心がついたときから身寄りがいなかったので想像が難しいが、本来愛してもらえるはずの家族から虐げられるのには、また違った悲しみがあるのかもしれない。
「初めてあなたの境遇を知ったとき、シュフェルは自身の境遇を思いださせるあなたに嫌悪感を抱きました。
しかし、仲間に加わってともに時を過ごすうちに、あなたが数少ない同じ境遇の仲間であると思えるようになってきた。
そう思いはじめた矢先に、あなたが自分の境遇を偽っていたことが明らかになったのです」
そうだったのか。
エルマさんの非常にわかりやすい説明のおかげで、女心に疎い俺にもシュフェルの想いがよくわかったような気がした。
「これくらいの女心は自分でわかるように努力しないとダメですよ」
「ゴメンナサイ」
……なんだ?
この人は俺の心が読めるのか?
『調査』する必要はほんとうにあったのか?
だが、たしかにレゼルは俺とシュフェルの『境遇が似ている』と言っていた。
手がかりはあったのに、知ろうとしなかったのは俺の怠慢だ。
「そうだったんですね……。
シュフェルにはほんとうに悪いことをしてしまいました。
もう二度と、許してもらえることはなさそうですね」
「大丈夫ですよ」
俺が肩を落としていると、エルマさんはまた、優しくほほえんでくれた。
「表向きに見せている素振りよりも、あの子の内面はずぅっと大人です。
生まれ育ったつらい境遇を乗り越えてきたのもありますし、幼いころからずっと、この翼竜騎士団の最前線で戦いつづけてきたのですから。
大好きな姉に甘えたくて子供っぽくふるまっていますが、あの子はいつもあの子なりに、とてもよく考えて行動しています。
きっと数日もあれば自分のなかで消化して、また元のとおりに接してくれますよ」
「うーん、そんなものですかねぇ」
そもそも元からいつも怒られていることに関しては今回は目をつぶることとしよう。
エルマさんは真剣な面持ちへと変わり、話を続ける。
「あなたがこれから行わなければならないのは、シュフェルの機嫌をとることではありません。
皆の信用を取りもどすことです。
あなたに敵意がないことは私が証明しました。
信用を取りもどすために、あとできることはただひとつ。
実績を作ること」
「実績を作ること……」
エルマさんがうなずく。
「あなたが、この翼竜騎士団に貢献できる人物であること、この翼竜騎士団にとって価値がある人間であるということ、それを示しなさい。
上辺の謝罪など要りません。
……それに、私は一度あなたの頭のなかをすべて覗き見ました。
あるんでしょう?
あなたのなかに試してみたい、とっておきの策が」
……まったく、この人には敵う気がしない。
一生かかっても敵う気がしない。
この人の前では、自分がぺらぺらの透けた紙になった気分になる。
それでも、なんだか彼女に力強く激励されたような気がして、また頑張ろうと思えてしまう。
そう思ってしまう時点で、彼女の手のひらで転がされているのかもしれないが。
「……ところで、そういうあなたこそ、私に『探査』をされて、嫌にはならなかったのですか?
あれは秘め事を持つお方には拷問にも等しい行為です。
あなたが嫌になってでていくと言うのであれば、私はとめないつもりでした」
ああ、そんなことか。
たしかにあまりに壮絶な体験で、直後は虚脱してしまったが、今となってはとてもよい思い出だ。
俺はへらへらと笑って見せた。
「いえいえ、何をおっしゃりますか。
エルマさんに頭のなかを丸裸にしてもらえるなんて、こんな光栄なことはございません。
嫌になるどころか、エルマさんのことがもっと好きになっちゃいましたよ。
おかげで、皆さんに追いだされずに済みましたし」
俺はいったい何を言っているんだ? と自分でも思ったが、エルマさんはとくに気持ち悪がることなく、そんな俺を受け入れてくれた。
「……あなた、潔いところがありますわね。
そういうところ、主人にそっくりですわ」
エルマさんはくすくす笑っている。
レゼルはどちらかというと父親似なのかなと思っていたが、こうして笑っているときの顔はほんとうに親子でそっくりだ。
笑う仕草はとても可愛らしい。
が、嫁があんな恐ろしい能力を持っていると、夫も気が気じゃないだろうなとも思う。
「では、皆さんの信頼を取りもどせるように頑張ってくださいね。ご武運を」
「あっ、エルマさん」
エルマさんが励ましの言葉を残して立ちさろうとしたが、呼びとめる。
彼女はすでに背中を向けていたが、振りかえってまた俺のほうを見た。
忘れたころにまた木の枝が、パチンと爆ぜる。
「そうそう、俺の頭のなかはほとんどすべてエルマさんに覗かれちまいましたけど、あのとき俺にも一部分だけ、エルマさんの心を覗くことができました」
「覗く? 何を……?」
エルマさんは不思議そうな顔をしたまま、俺を見つめている。
「今のレゼルやシュフェルを愛しているのと同じくらい、エルマさんは亡くなったご主人のことを、少しも変わらず愛しつづけてるっていうこと」
エルマさんは少しだけ驚いた表情を見せた。
それは、彼女が俺に初めて見せた、素の表情だったのかもしれない。
彼女はすぐにいつもどおりのほほえみを取りもどし、こう言った。
「『調査』は私の一方的な支配による、完全なる情報の搾取なのですよ。
……盗み見るなんて、悪い子ね」
俺は人差し指を一本ピンと立て、得意顔で返して見せた。
「元・盗賊ですから」
次回投稿は2022/3/30の18時以降にアップ予定です。何とぞよろしくお願いいたします。