第20話 トネリコの介殻
◇
給油庫の島で敗戦した、翌日の夕方。
俺は給油庫を見おろせる近くの小島に潜み、ずっと敵軍の様子を観察しつづけていた。
戦いのあと、とくに敵軍の動きに変化はない。
むしろ、何事もなかったかのように通常どおりの運営を行っているように見えた。
絶えず機龍兵や飛空船が飛んできては、給油をしてまたどこかに飛びさっていく。
俺たちの戦いは、敵の行動になんの変容も与えることができなかったのだ。
日が暮れて、給油に来る機龍兵や飛空船の数が少なくなってきたころを見計らって、俺はテーベにある翼竜騎士団の宿営地に戻ることにした。
宿営地に戻ってきたころにはすっかり夜になってしまっていた。
今晩、交代で見張りを行う一部の兵士たちのテントを除いて灯りは消えており、静まりかえっている。
俺とヒュードは自分が寝泊りさせてもらっているテントの近くに着陸した。
「…………」
俺が降りようとせずに黙ったまま背中にまたがっているので、ヒュードが不思議そうに俺のほうを見返した。
「やっぱりヒュード、今晩はもうちょっとだけ散歩してこようか」
俺が再度ヒュードに飛びたたせようとしたときだった。
「かかれ!」
近くのテントや、物資を入れるための木箱から龍に乗った兵士たちが飛びだして、襲いかかってきた!
俺たちをとり押さえようと、俺には兵士の腕が伸び、ヒュードには龍の爪が次々と振りおろされる。
「うっ!!」
俺たちはそれぞれに身をかわしてその場からの脱出を試みたが、突然背中に強い衝撃が走る!
どうやら背後からシュフェルとクラムが突進してきたようだ。
彼女たちに不意をつかれては、さすがに逃れようがない!
俺とヒュードはシュフェルたちにとり押さえられ、地面に叩きつけられた。
例の超人的な筋力で両腕をぎりぎりと締めつけられ、腕がちぎれそうになるほどの痛みが走る。
「アタシから逃げられるわけないでしょーが」
暗闇のなか、シュフェルが鋭い眼光を光らせている。
まさしく闇夜にまぎれて獲物を狙う虎そのもので、敵にまわすとこれほど恐ろしい相手はいない。
「縛りあげて、大テントのなかに連行するのじゃ!」
ブラウジの声だ。
俺たちは縄でぐるぐるに縛りあげられて、なすすべなく大テントのなかに引ったてられた。
俺とヒュードは大テントの絨毯の真んなかに放りだされると、重装龍兵五人衆のなかでもとくにからだが大きく、ちからが強いギルとその相棒の龍に上から押さえつけられた。
「グレイスさん」
騒ぎを聞きつけて、レゼルもやってきた。
彼女は療養中であったためか、亜麻で織られた柔らかな寝巻を着ていて、まだ少しふらついている。
今回の話は聞かされていなかったようで、悲しそうな顔をしてこちらを見ていた。
「グレイスよ、なぜ自分がひっ捕らえられたか、わかっておるな?
オヌシはたびたびふらりとどこかに行ってはいなくなるが、今日はこんな時間までどこで何をしておったんじゃ?」
「さぁてね。なんのことやら」
ブラウジが俺を見おろして威圧したが、白を切る。
「とぼけてみせても無駄じゃ。
オヌシがかつて帝国本土で名を馳せた盗賊団、『トネリコの介殻』の首領であったことはわかっているんじゃ。
つい先日、オヌシの身元が割れて手配書が帝国領土内全域でばらまかれた。
懸賞金が帝国金貨千枚を超える大悪党で、今はジェドの街でも大騒ぎじゃ。
我らの偵察兵が集めてきた情報じゃから、間違いはないゾ」
ブラウジの話を聞いて不意に、俺はジェドの貧民街で取引をした老人の言葉を思いだした。
――『どこかの馬鹿な金持ちが飼っていた毒蛇が逃げだしたとかで、街が大騒ぎになったそうな。グレイス殿もゆめゆめ気をつけなされ』――
あのジジイ、俺が帝国憲兵の捜査線上にあがっているのを知ってやがったな。
俺は思わず舌打ちした。
あの男はただのうす気味悪い老人ではない。
まぎれもなく裏社会の住人であり、表社会ではでまわることのない情報も、あの男のもとには集まってくる。
「『トネリコの介殻』は凄腕の盗賊集団だったらしいのう。
どんなに堅牢な防衛策が講じられていても、巧みな知略と潜入技術で狙った獲物は逃がさなかったそうじゃ。
首領のオヌシ以外は全員、帝国軍に捕まってしまったそうじゃが……。
帝国に仇なしていた者とは言え、盗人は盗人。
野放しにしておくわけにはいかんワイ」
「グレイスさん、話していただけますか?
あなたのほんとうのこと。
私たちに近づいた、ほんとうの目的を」
レゼルが一歩前にでて、俺に真っすぐなまなざしを向けてくる。
彼女の真摯で切なげな瞳に、観念した。
「俺のことかい? ……俺は――」
地に組みふせられたまま、俺は過去の記憶を紡ぎだしていった。
世界樹に取り憑く介殻虫――。
その名のとおり、俺は自分をとり巻く世界のすべてを吸いつくし、朽ち果てさせてやりたかった。
俺は帝国のとある貧民街で育った。
どこで生まれたかは覚えていないが、物心がついたときにはその街にいた。
掃き溜めみたいなひどいところだった。
テーベの貧民街よりもひどかったかもしれない。
とにかく俺は、そんな街にいた。
捨て子だったから親はいなかった。
親を知らないから、どうして自分に龍御加護の民の系譜が混じっているのか、ほんとうにわからない。
どこかの貴族の愛人の子だったというのも、あながち間違いじゃないのかもしれない。
泥水をすすり、地を這いつくばりながら生きてきた。
世界のすべてが憎くて、その憎しみだけを糧にした。
生きるためなら盗みでもなんでもやった。
殺しもやったし、とにかく自分が生きのびていくのでやっとだった。
夜になると巡回兵に見つからないように貧民街の外の街にも行くようになった。
外の街には小さいころから、気になっている家があった。
とある金持ちの家で、窓から見える豊かな暮らしぶりが羨ましくて仕方がなかった。
この世のすべてが、そこにあるように思えた。
ある夜、俺はとうとうその家に忍びこんで、たっぷりと金銀財宝を盗みだしてやった。
去り際に番兵に見つかって死にかけたが、なんとか元の街まで戻ってこれた。
俺はたっぷりと戦果を得たのが自慢したくて、貧民街のなかでもとくに気を許せる数人に財を分け与えた。
そいつらにはとても喜ばれて、初めて自分という存在が認められたような気がした。
そんなことを繰りかえしているうちに仲間ができて、やがて徒党を組むようになった。
ひとり、またひとりと仲間は増え、組織は大きくなっていった。
集団が大きくなってくると、組織は目的をもつようになる。
俺たちは帝国の貴族や役人が国民から不当に巻きあげて築いた財を盗みだしては、貧民たちに分配するようになった。
いつしか俺たちは義賊とよばれ、一部の国民からひそかに称えられるようになった。
国という名の世界樹から富を吸いあげ、貧しき人々を救うための甘露を生みだす――。
俺はこの組織に、『トネリコの介殻』と名前を付けた。
義賊の頭領として、世界が自分を中心に回っているように感じられた。
まわりは生まれや育ちは貧しくても気のいい奴らばかりで、仲間に囲まれているのはとても居心地がよかった。
なかには拙いながらも字が読める奴もいて、字の読みかたをそいつに教わった。
とある貴族の趣味で虐待行為を受けつづけていたヒュードを攫いだし、相棒にしたのもこのころだ。
すべてが順調に行っているように思えた。
こんな生き方も悪くない、とさえ思えるようになっていた。
仲間がひとり残らず殺されたのは、そんなある日の夜だった。
俺のほんの些細な失敗から隠れ家の場所が知られ、ヒュードに乗ってでかけて戻ってきたら全員殺されていた。
時は今の帝国皇帝の治世に変わっていて、皇帝の命令で皆殺しにされたらしい。
たしかに俺以外の全員が捕らえられたが、生きて捕らえられた者はひとりもいない。
まだ周囲に潜んで見張っていた刺客からかろうじて逃れ、俺とヒュードだけが生きのこった。
血塗れになりながら自分の無力さを思い知り、うちひしがれた。
自分は相棒以外のすべてを失ってしまった。
許せなかった。
みすみす仲間を死なせてしまった自分も、自分からすべてを奪った帝国も。
必ずや復讐し、この国を滅ぼしてやる……!
俺は自身に誓いを立てた。
そこから先の俺は、いつだって復讐心の塊だった。
数々の苦難があったが、俺は身分を偽り、帝国貴族の子に偽装することに成功した。
(この偽りの地位を得るために、とても話すことができないほど多くの悪さをした)
国内に長く留まっていては正体を見抜かれる可能性が高まるし、帝国を倒す方法はとうてい見つからないことを悟った。
俺は行商を行いながら、諸国を旅して回ることにした。
願いをかなえたい一心で、行く先々で出会ったどんな人にも頭をさげて話を聞き、つながりを作り、見かけた本はすべて目を通した。
……でも、いろんな国を見て歩き、いろんな人の話を聞いているうちに、今までとは少し違ったものの考えかたもするようになった。
世界のすべてだと思っていた帝国は、世界のほんの一部でしかなかったことを知った。
国とはいったいなんなのか。
国を滅ぼしたその先に、いったい何があるのか――。
そんな答えの見つからない旅を延々と続け、ようやく出会ったのが、翼竜騎士団だった――。
介殻虫は実在する昆虫です。
吸汁して樹木を枯らす害虫ですが、旧約聖書の出エジプト記にしるされているマナとよばれる食品は、介殻虫の排泄した甘露が乾燥して堆積したものとされています。
また、世界が一本の大樹で成りたっているという世界樹の概念は北欧神話で見られますが、この作品世界ではそのような概念はなく、あくまでグレイスはトネリコの別名から名前をとったもののようです。
次回は2022/3/24の午前10時ころを予定しています。何とぞよろしくお願いいたします。