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イヴの世界  作者: あこ
二章 王都招来
102/110

過去のわたしにさようなら・前

   プロローグ


 どうして私はこうなったのだろう?

 子供ときにはあった万能感。何にでも出来て、何にでもなれると思った自信は大人になるにつれて消えていく。

 いや、忘れてしまった。

 物事を知っていくたびに、挫折を味わうたびに、私はそれらを忘却へと追いやっていく。

 いつかは恵まれる。いつかは幸せになれる。

 いつしか物事の責任は他人に推しやって、幸福が頭上から降りてくることを祈ってる。

 まったく馬鹿らしい。馬鹿らしくて、惨めだ。

 わかってる。私が逃げた、逃げ続けた結果の様だと。

 その先に用意されたのは決して幸福なんかじゃない。世界が私に用意したのは不運な呪縛だ。

 誰にも理解されない。私だけが背負う呪縛。

 でも、その呪縛の裏に一人の少女がちらつく。

 時折、それは私を光で満たしてくれていた。一つの光明みたいなもので、私を惨めな思いから遠ざけてくれる。

 光は眩い、明るい。けれでも、私の中にある闇がそれを覆う。

 まるで、本当の私まで覆い尽くすように、光ごと奪っていくのだ。

 私はどうすればいい?

 私はどうしたいの?

 私は……立ち向かえる器量なんてないのにどうして私に背負わせるの?

 それならこのままいっそ本当に、

ーー死んでしまえばいいのに。






「ミズキ大丈夫かしら?」

 心配そうに話すのはリリィだ。

 シンプルな白色の衣服に身を包んだ彼女はミズキの眠る部屋を横目に話す。

 目の前には困惑そうに面をしかめるアヤチがいる。

「大丈夫、とは言えませんね。困ったものですよ」

 彼女の言葉には心配が込められてるが、どこか呆れも含蓄している。それを示すかのように獣人の特徴的な長い尻尾が苛立ったように揺れている。

 ふと横目でミズキのいる部屋に見遣るアヤチはため息をつくのだ。

「ミズキ……」

 その中でリリィだけが心配そうにその名を呟いた。

 部屋の中、ミズキはベッドの上でうずくまっていた。

 部屋の外で自分の心配を談義にあげてることなどつゆ知らず、ミズキは自分の身体を案じている。

 ミズキの頭の中にあるのはまた死んでしまったという結果だけで、その過程に何があったかなどは思考の外に追いやってしまってる。

 その意味は、無意識に回帰から立ち向かうことを拒絶するに他ならない。だが、ミズキにそうした意図はない。

 彼女にあるのは死という結果から逃げる術の思考のみ。そこに、なぜ、どうして、は含まれてない。

 ただ死から逃げることが根本的な解決になってないことをミズキは自覚できていないのだ。

 凄惨な死までのアクシデントがミズキの思考を放棄させていた。

「王都にいたら死ぬ……」

 ミズキの小さく震えた口がつぶやいてみせた。

 王都に来たことが死への起因だとしたら、きっと王都にこそ問題があると考えたのだ。

 あまりに浅慮で、短絡的だ。だが、この思考は屋敷で初めて回帰を自認した時に似ている。

 物事の問題性を精査せずに物理的に払うやり方だ。

 今のミズキは逃げることで死から脱すると考えたのだ。

 無論、そのようなやり方。解決に致すわけがない。けれども、ミズキは疲れ切った顔色を拭ってベッドから降り立ち空虚に扉の先を見つめる。

「に、逃げないと、私は死ぬ」

 その目にはリリィのことなど映ってない。

 首元に傅くように嵌められたローヤルチョーカーは寂しくそこにあった。



 ミズキは別邸を出るタイミングを伺った。

 出来れば誰にも遭遇しないで王都を脱したい。

 別邸にはアヤチが駐在している。リリィとササキは外出しているのを知っているため注意すべきは使用人のアヤチであろう。

 彼女一人ならばそこまで気にしなくとも、目につかず脱せる。しかし、ミズキは一層臆病になっていた。

 元より臆病であるが目前の死がミズキを躊躇させる。

 決断が鈍ってるのだ。

 優柔不断が彼女の性格でもあるが、今回は増してる。

 その決断を後を押しするのは一人でいる時にふと頭を過ぎる強烈な死ーーいや、鮮烈に残った死。

 扉の前で狼狽えているミズキは気を抜いた瞬間に訪れるフラッシュバックに嘔吐感を抑えた。

 ミズキはベッド上に放った紺色のフード付きのローブを取って見にまとい深くフードを被る。そして、備え付けの机の上に置いてある緊急用にと渡された連絡石を取って強く握るとポッケの奥に突っ込んだ。

 恐怖に急かされる勢いのまま自室を飛び出る。

 ミズキはこのまま誰にも会わず別邸から抜け出すことに成功したのだった。


 抜け出した先でミズキは方向性をあぐねていた。

 別邸の庭先から脱して王都の街中に飛び出したところで、ミズキはどこへ行けばいいかを思案する。

 ここで初めて、一割くらい冷静さを取り戻すが彼女の行動は増して計画性がない。

 王都に来た時の事を思い出せば、馬竜に揺られて来たに過ぎない。クラクへの道順など頭に残ってるはずないのだ。

 駆け込む場所への順路を知らず、しかも馬竜で王都に来ているのに徒歩で逃げようとは無謀の何者でもない。

 完全な見切り発車での逃亡はあまりにも無策。多少まともになった思案が現実に引き戻す。

 行く当てもなくフラフラしても彼女の姿は不審でしかない。紺色のローブを羽織り、その中にはフィロルドの近侍を示す衣装を着込んでいる。

 ミズキは無意識にローブの前を隠すように手で閉じた。

「おやぁ、こんなところでなぁにをしているのかな?」

 不意にかかった声に肩を震わせる。

 その声は穏やかに聞こえてその中に棘を潜めたように突き刺す。

 ミズキはすぐには振り向けない。彼女の中で咄嗟に過ったのはこのまま逃げるかどうかの施策である。とはいえ、穏やかなその声に逃してくれない威圧があった。

「な、なんですか……」

 振り絞った声が背後の主に伺う。

 すると、その主は少しその場を動いたのかカチャリと金属が擦れる音を鳴らす。その音はどこか高貴さを覚える。

「何ってこっちの言葉だよ。ここは王都近郊の貴族たちの別邸が集まるエリアだからねぇ。こんなとこでフードを深く被ってフラフラ歩く貴方は不審だと思うけど、どうかな?」

 ひたすらに言葉で詰める彼女の台詞にミズキは何もいえない。さながら詰められる犯罪者の気分だ。

 ミズキは諦めて振り向く。だが、できるだけローブで中に着ている近侍の衣装を隠すように前を覆う。

「うん、素直なのは良いことだ」

 相手は讃えるようにいう。

 こんなところで人に会うなんて運がない。ミズキは内心恨めしく思う。かと言って、行く当てもなく彷徨いていたのも事実である。

 恨めしく思う反面、もしかしたら相手が何か好機になるのかと願う思いもあった。

 顔を隠すのを意識しながら瞳が相手を伺う。そこには薄紅色の制服が目立つ清廉な騎士がいた。そして、その姿には見覚えがある。

「怯えているの? 心配しなくても悪いようにしないわ。このオルファナスの騎士団、聖騎士ハンナ・スチュワートの何かけて」

 大仰な台詞で、美麗な所作で己を述べる彼女は金色の柄を帯刀する聖騎士。

 忘れるはずない。その姿、名前。全てを見通すような青色の目がミズキを定めるように見下ろしてくる。

 彼女は前回の回帰で自分を殺した人物だ。

 背筋が凍る。強張った顔が見えないように、無意識にフードを深く被った。

 ハンナはその様子を怪訝に思う。顎に手をあて考えるそぶりをする彼女に、一人の影が近寄ってくる。

「こんなところで足止めを喰らって何をしているのかしら? 全くあなたはいちいち足止めしないといけないほど軽々しい案件にも首を突っ込むのかしら……」

 チクチクと口走りながらこちらに近づいてきてた彼女は薄い赤目を細めた。

 嘆くように息を吐き捨てたと思えば赤目がチラリとハンナの姿を睨む。

「誰? そいつ?」

「ああ、アン。これは申し訳ない、少し不審な子を見つけてね」

 ハンナがミズキの方に一瞥を向けるとアンは再び視界をローブを深く被るミズキに向ける。

「ふーん」

 興味なさげに鼻を鳴らすアン。

 伏目がちに会話を盗み聞くミズキは聞き覚えのあるアンという名に逡巡していた。

 アンといえば、王都招来の要請を伝えにきた使者と共にきた付き人だ。ただ単なる付き人でないのを覚えている。

 地面に視界を下ろして這わせていくと、修道服姿の足元を確認できる。

 それがエステル教会、怒の席、アン・クライムだと理解する。

 アンはじっとミズキの方を見ている。ミズキは視線を感じながらもバレないよう身を案じる。

「……ん? あなたさ、そのローブ脱ぎなよ」

 アンが気づいたように口をつく。

 ミズキが驚いて反射的に前を隠す。

「どうしたの急に? そんな乱暴な」

 ハンナが冷静に問う。

「そいつのローブの中から見えてる青白い衣服。それフィロルドの近侍のやつだよね?」

「え?」

 驚愕するハンナを横目にずけずけとアンはミズキに近づく。

 ミズキはアンの見抜かれた言葉に後退りをするがもう遅い。近づかれたアンを目の前に、逃げる隙も無い。

 アンはミズキを見下ろし睨むと、ローブを無理やり剥がしてその形が顕になる。フィロルドの近侍の制服を身に纏ったミズキの姿が。

「どうしてここでウロウロしているのかな? ミズキ」

 アンの赤い目が鋭く光り見下ろしてくる。

 顕になった姿のミズキは瞳を狼狽させていた。形だけのフィロルドの近侍の制服が無相応に見える。

「フィロルドの近侍…………忘れた聖域の迷い子……」

 不意に、ハンナが独り言のように呟いていた。

「そうか、貴方が。エリザベスが呼び、聖域が選んだ迷い子」

 ハンナの言葉に疑問符が浮かぶなか、ミズキはアンに腕を掴まれていた。

 アンは少し困惑を示してミズキから手を話す。

「なに?」

 アンはハンナの話に逡巡した様子をみせミズキに赤目をおろす。

「あなたが迷い子?」

 その瞳には怪訝が宿っていた。

 いまいち、ミズキは言葉の意図を探れない。ミズキはただただ当惑していた。

 ミズキの視線が惑う中、ふとハンナの行動に視線が追う。ハンナは何かを呟きながら、手が帯刀している剣に伸びようとしていたのを見逃さなかった。

 恐怖が再び蘇る。

 その鋭い刃が足を切り落とし、最後に脳天を突き刺す。その恐怖が。

「いや、早計だね。貴方には気配を感じない」

 ハンナは手にかけた柄から離す。

「け、気配……?」

 口元を震わせながら尋ねるミズキにアンが大きくため息をついていう。

「あなたさぁ? 良識ないの? 初めて見た時も思ったけど、本当にイライラするわ」

「な、なんで……?」

「あなた迷い子なんでしょう? なら、この世界に疎いのはわかるけど、それが余りに疎すぎる。この私や、隣の聖騎士を見て阿呆な姿を晒すなんて滑稽通り越して頭来るのよね」

 アンはますます額に筋を浮かび上がらせつらつらと罵声を浴びせてくる。

 ミズキは言われてることを飲み込むことができず、無知に狼狽えるばかりだ。その様相がアンをさらに苛立たせた。

 アンの手が次第に拳を握りミズキに振り下ろす前に、ハンナが歯止めをつける。

「アン、やめなさい」

「……っち」

 アンはバツが悪そうに近くの壁に拳を打ちつけた。

「悪いね」

「い、いや」

「……まぁ、でもね。私もアンの思うことはわかるんだよね。他の迷い子も見たことあるが、貴方は余りにも弱々しく臆病に見える」

「え」

 ハンナが口にしたのはアンを貶めるわけではない。ミズキに対する非難だった。

「忘れた聖域、まぁ墓標とも言うね。あの場所が加護の居場所であることは知っているだろう?」

 ミズキはひ弱に頷く。

「加護は単に自分に合う者を選んで取り憑いているわけじゃない。適当に選んでメリットなんかないからね」

「な、何を言っているのか……。加護は愛した人に……」

「あー、それは愛の席が呈した経典だね。まぁ、それが広く認知されてるんだけど。違うよ」

 ハンナはピシャリと言い切る。

 不意に冷たい風が吹いたように感じた。

「加護の力は願望の力で願望に近しい思いが顕現されている。それはつまり自らの加護(願望)を果たしてくれる人物

を彼女らは選んでいるんだよ」

「それって……」

 ミズキの前に指先が突きつけられる。

「忘れられた聖域は言い換えればこの世界に相応しい加護者がいなかったゆえの成れ果て。そこに思い起こした人物によって世界を介して加護に相応しい人物を連れてくる。それが迷い子で貴方だ。そして、貴方の様相は惨めすぎる」

 ミズキは身を締めつけらるような思いをした。

 ハンナは呆れて息を吐く中で、ぼそっと呟くようにいう。

「迷い子は呪いの加護を憑けてるというから警戒したけど、どうやら貴方はただの臆病で無知な少女らしい。クラクを救っただとか、貴方には重すぎる風聞だな」

 ひたすらに彼女から告げられる言葉はミズキを貶すものだ。

「どうしてフィロルドは貴方を近侍に選んだのか、どうしてエリザベスは貴方にフィロルドを託したのか、理解できない。フィロルドは本来エリザベスと共にあるべきだった。増して呪いの加護に掛かる迷い子をなんてな」

 ハンナはそう言い切った上で、言葉を取り繕うように続ける。

「ああ、安心して。貴方はそうではないみたいだからね。迷い子にしては不完全だから。まぁでも良かったと思うよ」

 最後にハンナはこう告げる。

「呪いの加護の気配があれば、私は迷わず貴方を切り捨てていただろう」

 ぞくりとした。その表情は冷徹そのものだった。

 ミズキは硬直してその場を動けない。逃げることすらできない。

「もういいのかしら? ハンナ」

 アンはすっかり表情に穏やかさを戻してハンナに語りかける。

「いいよ。行こうか……、あ。ねぇ、貴方、これからどこに行こうとしていたのかな?」

 ハンナは思い出したかのように振り向いてミズキに問いかける。

 ミズキは答えることができず、目を伏せる。

「フィロルドは確か騎士団長と面会の予定だよね。本来なら近侍が付き添うんだけど、まぁ貴方は王都から認められてないしここじゃあ持て余されてるんじゃないのかな?」

 チクチクした言葉が胸に突き刺さる。

「アン、貴方の教会で書庫整理させたら?」

 突然の提案に、アンが顔をしかめる。

「はぁ? どうして?」

「だってこんなとこで彷徨かれても迷惑だし、貴方の教会の一人だけの信徒に整理させてるのは心苦しいでしょう。丁度いいと思わない?」

「っち……、構わないけどそいつはどうなのよ」

 アンは不躾ながらミズキの真意を確かめた。

「ねぇ、貴方にとってもいいと思うんだよ。余りに無知で臆病な貴方がこの世界を学ぶということでさ。そして、貴方が着ているフィロルドの近侍の衣装の身にあってないという自覚をさ」

 その言葉は有無を言わさない。

 ミズキは惨めに思い知らされた。

 そこにこの一日の終わりの死のことなど浅はかに思うほどに。

閲覧ありがとうございます♪

不定期投稿の中感謝です(泣)

久しぶりの長文での投稿、年内には章が終わる……予定です( ^ω^ )


PS.誤字報告ありがとうございました!

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