最終話
前回のあらすじ
重要参考人であった岸本美代子は、犯人ではなかった。彼女には完全なるアリバイがあったのだ。では、一体犯人は……?
泉は東山だと決めつけるが、その証拠はまだ見つからない。彼らは一縷の望みにかけ、再度東山の講演会に顔を出すことにした。
誤字脱字等、ご容赦ください。
喫茶店に腰を落ち着けてから一時間半が経った。時刻は午前十一時半。東山の講演会が始まるまでは、あと三十分。喫茶店で足を休めていた受講者たちは、東山の姿を一目見ようと、十一時頃からぞろぞろと店を出て行き、今はすっかりもぬけの殻。残っている客は私たちだけであった。
「今日なんでこんなに客多いんですか?もう疲れました」
カウンター席の方では、店員が上司らしき男性に愚痴をこぼしている。彼は「さあね」と興味もなさそうだった。
「……どうする、俺たちもそろそろ行くか?」
口元を紙で拭いながら尾崎が言う。彼は「あまり腹が減っていない」と言っていたのに、コーヒーとナポリタンを注文していた。幸い、彼の白いワイシャツにケチャップは跳ねていない。泉はわずかに飲み残していたオレンジジュースを飲み干し、「ああ」と小さく呟く。彼はサンドイッチのセットを注文していた。私はフライドポテトの皿に残ったケチャップを最後のポテトで掬い取り、口の中へと放り込む。泉は私に紙を手渡し、「口元を拭け」と言った。
「行くか。……これは経費にはならないか」
泉は伝票を持ちながらそう言った。喫茶店の窓からは、公民館に続く長蛇の列が見える。その誰もがあのパンフレットを手に持ち、身なりはまさに金持ちである。……もし私が金に困っているとすれば、あの列を狙ってバイクでひったくりをするだろう。たった一回で数十万は稼げそうである。
「羽田君、行くぞ。ぼうっとしているんじゃない」
「あっ、すみません」
会計を済ませた泉に呼ばれ、急いで店を後にする。店の中にいるせいで気づかなかったが、あの列はずいぶんと騒がしい。まるで祭りの会場のような喧騒が、公民館までのおよそ数十メートルにわたって続いている。あまりにも人が多いためか交通整理のために警官も駆り出されている。だが、彼らの声すらも受講者たちが放つ喧噪に呑み込まれていた。
「凄まじいな。前の講演会はこれほど騒ぎにはなっていなかったはずだが……」
「みんな、将来に不安を抱えているのさ。……まともに働けど、企業は給料を出さねえ。副業か投資をしねえと生きていけないのが当たり前の時代に、『必ず儲けられる』なんて言われれば縋りたくもなるんじゃねえか?」
列に並ぶ参加者の目は、爛々としているようで、どこか濁っていた。日常生活に疲れ切ってしまっているのだろう。……彼らは、東山に救いを求めている。
「列が動いた。入場が始まったようだな」
私たちも公民館に向けて歩き出した。周りの無関係な人々もつい、受講者が作る列に視線を向けてしまっている。公民館の従業員は入り口前で忙しそうに受付業務に励んでいた。
「……この人の数じゃ、東山を探すのも一苦労ですよ」
「なに、こっちにはアレがある。……尾崎、手帳は持ってきてるよな」
「当たり前だろ。携帯義務があるんだからよ」
尾崎は上着の胸ポケットから取り出した警察手帳を、駐車場整理に立っていた従業員に見せる。そして「東山に会いたい」と伝えた。彼はすぐに「裏口にどうぞ」と尾崎を案内し始める。泉は「俺たちも行くぞ」と言ってその後をついていくのだった。
「こちらでお待ちください」
従業員は裏口から館内へと入っていく。それから二分と経たないうちに、裏口のドアが開かれた。
「……お久しぶりですね」
「東山……。体の調子はいいようだな」
開口一番、泉は彼の体調を気遣った。東山は泉の言動を予想していたようだが、外れていたのだろう。少し面食らったように目を丸くしていた。彼の隣にはいつものように、大柄なSPもいる。
「体の調子、ね……。あんた達と話さなかったから、体調がいいんだろうな。今はもう、頭が痛くてたまらないよ」
「……なるほど。体調不良は取り調べから逃れるための嘘だったと。そう言いたいのか?」
泉と東山は本当に相いれない存在なのだろう。顔を合わせて一分も経っていないというのにくだらない口喧嘩を始めた。呆れた尾崎は「やめろって」と二人の間に割り込む。
「今日はそんなくだらねえ話をしに来たわけじゃねえんだよ。……東山、三月十五日の午後二時から三時。お前は何をしていた?」
三月十五日は、川内が殺害されたとされる日だ。尾崎は単刀直入に東山のアリバイを聞き出そうとしている。だが。
「……その時間は確か、前の公民館で講演会をやってたよ。証人は大勢いるな」
東山は隣に立つSPに視線を送る。彼はそれを受け深く頷く。「私が証人だ」ということなのだろう。
「では、三月十七日の午後二時から三時はどうだ?」
その日は山本洋治が殺害された日だ。……質問が変わったところで、東山からの回答は変わらない。
「その日も、講演会だった。……当然、証人もいる」
講演会の存在はアリバイ成立に大きく貢献している。証人もSPだけでなく、百人、あるいは千人近い受講者たちだ。それらすべての目をかいくぐるなど、不可能ではないか。尾崎が言葉に詰まると、泉が代わりに口を開く。
「講演会の間、休憩の時間があるな。その間に外に出て殺しをするぐらいはできるんじゃないか?」
「……あんた、俺のことが嫌いだからって人殺し扱いは頂けねえな。……休憩時間は確かに日によって変わる。十分の時もあれば三十分の時もある。俺の体力に寄るからな。……でも、その間、このSPは俺から目を離さねえ。一秒たりともな」
泉の言葉に東山はいらだっているようだ。眉がひくひくと動き、口の周りも早くなっている。泉が「ずっと一緒なのか」と念押しすると、彼は「ああそうだよ」と得意げに語りだした。
「部屋で休んでるときは当然一緒だ。トイレに行くときもSPは入り口近くの洗面台で待機させてる。俺が窓から逃げ出そうとしても気づくだろうさ。……そもそも、SPは俺が家を出る時からずっと一緒に行動している。SPの目を盗んで人を殺すなんて、俺には不可能なんだよ」
東山はそこまで言い切ると、左腕につけていた腕時計に視線を落とした。彼は鼻で笑ったかと思うと「悪い、時間だ」と言って裏口のドアに手をかける。
「これ以上は無理だ。まだ何か聞きたいことがあるんなら、二、三時間かかる講演会の後でな。一階のソファで座って待っててくれよ」
「待った」
「なんだよ。言っただろ時間がねえって」
「お前はどうでもいい。……SPの方だ。彼に話を聞きたい」
泉はそう言って東山のSPに視線を向けた。彼は自分が話題の中心になるとは思っていなかったようで、自分を囲む者達の顔を交互に見比べている。
「駄目だ。SPだぞ?俺のそばから離れていいわけが……」
「講演の途中に襲われるとでも?それに、脇腹を刺されたのは相当効いているようじゃないか。受付で荷物検査なんてな」
「……五分だ。それ以上は許さん」
泉の言葉に負け、東山はそれだけ言い残して館内へと戻っていった。やはり相当いらだっていたのだろう、裏口のドアは鼓膜を破らんばかりの音を発するほどの勢いで閉められた。
「まずは、あんたの名前から聞こうか。SPなんて呼ぶのも味気ないし、重要参考人になるかもしれないからな」
「……山崎喜朗だ。齢は二十七」
「二十七?随分と老け顔なんだな。……悪い、関係なかったな。泉、あとはお前に任せるぞ。山崎を引き留めたのはお前なんだからな」
泉は山崎の正面に立つ。彼は先ほどよりは落ち着いているものの、やはりまだ少なからず動揺しているようだった。「何故自分が」という考えが目に浮かんでいる。
「先に言っておくが、俺はお前を疑っているわけではない。俺が疑っているのはあくまで東山だからな」
「はあ……」
「それを踏まえたうえで、だ。奴の行動に、何か不審な点はないか?なんでもいい。些細なことでも」
「……とはいっても、さっきあの人が話したことで全部だ。去年脇腹を刺されたのは、身体以上に心に傷を残したらしい。まさか便所までついて来いと言われるとは、予想していなかった。まるで女子中高生だ」
「そうか。……なら、一日のスケジュールを教えてくれ。その中に、隙があるかもしれない」
「講演会のある日でいいんだよな。……まず朝。俺は東山が住んでいるマンションまで行って、メッセージアプリで到着の連絡を入れる。大きな荷物がある時以外は、エントランスで待っているな」
「東山が降りてくるのを、待っているのか」
「ああ、そうだ。……風邪をひいた日なんかは、そこでようやくわかる。マスクをつけて降りてくるからな」
「なるほど。……それからは?」
「俺が運転する車を使って、朝ご飯を食べに行ったり、講演会の会場まで向かったり……。終わった後も俺がマンションまで送り届ける。その時もエントランスまでしか入らない。まあ、自動ドアの先は大抵限られた人間しか入れない。それほど危険ではないからということだろう。……すまない、時間だ。失礼する」
「待て。最後に一つ、いや二つ。……一つ目、連絡先を教えてくれ。二つ目、東山に伝言を頼む。『次の講演会にも事情聴取に行く』とな」
泉からの頼みに困惑しながらも、山崎は連絡先を残して館内へと戻っていった。何が目的なのかと泉に聞いてみるが、彼は「まだ早い」としか言わない。
「……これから最悪三時間待たなきゃいけねえのか?どうする、あの喫茶店に戻るか?」
「いや。もういい。帰ろう」
「は?」
泉は踵を返し、駐車場へと向かう。尾崎は「待てよ」と引き留めるが、泉の足が鈍ることはなかった。
「まだ東山に聞きてえことが……」
「何を聞くんだ?事件当日のアリバイはすでに聞いただろう?」
「そりゃあ、被害者との関係についてだったり……」
「奴は犯人だ。馬鹿正直に答えると思うか?」
「……そりゃあ、嘘をつかれるかもしれねえけど」
「なら、これ以上は時間の無駄だ。三時間待つ価値は奴にはない」
「……東山が犯人だと確定したみたいな口ぶりじゃねえか。後でちゃんと説明してくれるんだろうな」
「その前に。東山の次の講演会はいつだったか」
「なんだいきなり。……二日後だ」
「では、二日後。すべてを説明するとしよう。……羽田君、帰るぞ」
泉は一足先に運転席へと乗り込んだ。何が起きているのか全く分からなかったが、私も急いで助手席へと乗り込む。尾崎はまだ納得していないのか、「ちゃんと説明しろ」と運転席側の窓に張り付いていた。
「説明は二日後だ」
泉はそれだけ言って、車のエンジンをかける。尾崎は諦めて車から離れた。彼は車が発進する間際、「ちゃんと説明してくれるんだろうな」とつぶやいていた。
「泉先生、ちゃんと説明しなくてよかったんですか?」
事務所に帰るまでの車中、私は沈黙に耐えきれず尋ねた。泉はハンドルを握ったまま、「ああ」とつぶやく。そして。
「そう言えば、一つ忘れていたな。……羽田君、あとで尾崎に仕事を一つ頼んでくれ。内容は、『東山の住所を調べろ』だ。あれだけ啖呵を切った手前、仕事を頼むのもなんだか憚られる」
「……わ、わかりました。……それより、犯人は東山で確定なんですか?」
「俺が導いた事実がそれを指し示すわけじゃない。……その後の奴の行動だな」
泉らしい、相手を煙に巻くような物言い。……彼自身、自分が導いた結論に半信半疑といったところなのだろう。彼はその後、事務所に着くまでの間一言も話さなかった。事務所に戻った後、尾崎に仕事を頼むと「あいつどういう神経してんだ」と小言を返された。ただ、彼はそれでも仕事をするらしい。
二日後。朝八時半。朝食を済ませた泉は、珍しく自分から連絡を取っていた。電話先の人物の声は小さく、その上皿洗い中の私には聞き取ることなどできない。聞こえたのは、泉の「やはりそうか」という声だけだった。皿洗いを終えるとかれもちょうど電話を終えたようで、「さて」と言って腰をあげていた。
「羽田君、外出の用意を。……川内と山本を殺した犯人を、追い詰める時が来た」
私は急いで自室に戻り、用意を始める。彼はその間、また誰かに電話をかけていた。今度は良く聞こえる。相手は尾崎だ。「あの場所に向かってくれ」と言っているのが聞こえる。彼はそれだけ伝えると電話を切り、外出用のジャケットを羽織っていた。
「準備はできたか?」
「はい、大丈夫です」
「では、一昨日と同じ場所に向かうとするか」
一昨日と同じ場所、それはつまり東山が講演会を行った隣町の公民館だ。車で一時間半近くかかるが、わざわざそこまで出向かねばならない理由はあるのだろうか。そんな疑問を抱えつつも、私は泉の言葉に従い、車の助手席に乗り込んだ。公民館までの道中、泉はやはり一言も喋らなかった。
一時間半後。公民館の前にはすでに行列が出来ていた。開始まではまだ二時間もあるというのに、随分と熱心なものだ。泉が駐車場に車を停めると、意外な人物が私たちを迎えに来た。
「……時間通りですね」
「出迎えに感謝する。案内を頼むぞ、山崎」
それは、東山のSPである山崎だった。彼は自身の職務を放棄し、なぜか泉の指示に従っている。私たちは彼の案内に従い、公民館の館内へと足を踏み入れた。山崎は迷うことなく足を進め、とある一室の前で立ち止まる。そして、ドアをノックした。
「東山さん。山崎です。お茶を買ってきました」
「ああ。入ってくれ」
山崎がドアを開ける。中にいた東山はマスクを着けていた。彼は山崎の後ろにいる私たちに気づくと、パイプ椅子から弾かれるように立ち上がった。
「なっ⁉山崎!どうしてそいつらがそこにいる?そいつらは部外者だろう?」
山崎は何も答えなかった。その代わりに泉が口を開く。
「そろそろはっきりしようと思ってな。川内と山本の二人を殺したのは誰なのか」
泉は私の方に振り返り、小声で「尾崎に電話をかけろ。この部屋の会話を聞かせるんだ」とささやく。私は部屋から一歩出て電話をかけ、尾崎に「これからの話を黙って聞いていてほしい」と伝えて部屋に戻った。
「……はっきりさせると言われてもな。こういう時は、大抵犯人がこの場にいる時にやるものじゃないのか?」
「まるで自分が犯人ではないような物言いだな。……まあいい。まずは被害者の情報を改めるところから始めよう」
泉は部屋の中に一歩踏み出し、東山に近づく。彼はパイプ椅子に座り直し、両腕を組んだ。
「最初に殺害されたのは川内真理子。殺されたのは三月十五日。通帳類が盗まれていたことから、動機は金銭面によるものだと思われた」
「……一つ忘れているぞ。彼女にはストーカーがいた。犯人はそいつで決まりだろう。もちろん、俺ではないが」
一昨日は体調を崩していなかったというのに、今日はもう喉風邪をひいてしまっているようだ。東山の声はわずかに枯れているように聞こえる。
「その指摘は正しい。彼女を殺したのはストーカーだ」
泉の言葉に、私はつい驚いた声をあげてしまう。そうだとわかる証拠など、一つもなかったはずだが……。
「だが、それを詳しく話すのは今ではない。……次に、山本洋治。川内殺害の二日後に殺害され、通帳類が盗まれた点も類似している。同一犯による犯行とみるのが普通だろう。……言い忘れていたが、両者のどちらも、死亡推定時刻は午後二時から三時の間だ」
「……もし同一犯なら、川内のストーカーは山本とも関係があったことになるな。そんな奴がいるのか?」
「ああ、俺の目の前にいる」
泉はさらに一歩前に踏み出し、パイプ椅子に座ったままの東山を見下した。彼は組んでいた腕を解きながら肩をすくめ、「冗談だろ」と零す。
「一昨日話したことを忘れたのか?俺にはアリバイがあるんだよ。講演会に参加していたってアリバイがな。……そこにいるSPの山崎も証人だ。そうだよな、山崎」
雇い主からの呼びかけに山崎は反応しなかった。彼もまた泉と同じように東山をじっと見つめている。
「ではその証人にいろいろ尋ねてみるとしよう。……講演会がある日のスケジュールを教えてくれ」
一昨日と同じ問いかけ。山崎はよどみなく、一昨日と同じように答える。メッセージアプリでマンションに住んでいる東山を呼び、エントランスで待つ。その後、彼の運転する車で朝食を食べ、講演会を行う会場に向かう。それが終わった後は、彼の車でマンションのエントランスまで送り返す。山崎がそこまで話し終わると、泉は東山へと振り返った。
「今の話に嘘はないな?」
「ああ、もちろんないね。……山崎の言うとおり、俺には完璧なアリバイが……」
「山崎。次の質問だ」
調子に乗った東山の声を無視し、泉は問いかけを続ける。
「三月十五日。東山は風邪をひいていたか?」
「ああ」
「三月十七日は?」
「その日も、マスクを着けていた」
「俺たちが東山に事情聴取をしてから次の講演会の日は?」
「……その日もしていた。それから一週間ほどは、ずっと」
泉はなぜか事細かに、東山が風邪をひいていた日を確かめていく。それが何を意味するのか、私には全くわからない。それは東山も同じだったようで、「何の真似だ!」と声を荒らげている。
「これは重要な情報になるのでな。……一度、お前が風邪をひいた時に聴取に来たことがあったな。お前はその時、『風邪をうつしたくないから、会話をする気はない』というようなことを言った。つまり、お前は風邪を言い訳に聴取から逃れたのだ。それはなぜか」
「俺が言った通りで……」
「違う。……追及されたくなかったからだ。ではなぜ追及されたくないのか。……お前が犯人だからだ」
泉はさらに一歩踏み出し、東山の目の前に立つ。彼はというと、大きくため息をついて勢いよく立ち上がった。顔同士がぶつかるほどの近さで、彼はまくしたてる。
「好き勝手言わせておけば!言うに事欠いて俺を人殺し扱いだと⁉俺には証拠もなければ動機もない、その上アリバイまであるんだ!どうやって俺が人を殺すんだ!」
泉は一歩も動かず、肌が触れ合う距離のまま口を開く。
「まず証拠。これに関してはお見事というほかない。指紋をうまく消し、凶器はどこでも売っている刃物ときた。証拠になりそうなものは盗まれた通帳類ぐらいだろうが、それは自分の手の届くところに隠すだろう。他人が探して見つかる場所には置くわけがない。例えば、自分の部屋などだな」
「……何だ、まさかそんな薄い根拠で部屋を探させろとでも?」
「そんなことをする必要はない。……次に動機だが。これはあるだろう?自分でもよくわかっているはずだ。川内は借金を返済しないことへの苛立ちから、山本は岸本という金づるを失う原因になったから。枠にはめるとすれば、どちらも動機は怨恨と言えるだろうな。……通帳を盗んだのも意趣返しなんだろう。お前に言わせれば、『金は返してもらう。利息として命をもらう』と言った所だろうな」
「……何を言うかと思えば!」
「ブログを見たぞ。ここでの講演会を終えた後、海外に飛ぶつもりだったんだろう。……その寸前のタイミングで二人の口座からすべてを抜き出し、通帳は空港にでも捨てる気だったんだろう。仮にお前が指名手配されたとしても、国際刑事警察機構、いわゆるICPOに加盟していない国ならば、犯罪者の引き渡しが行われることもない。パスポートを失効されたとしても、お前には金がある。いくらでも偽造できるだろう?」
「黙って聞いていれば好き放題……!いい加減にしろ!弁護士に相談させてもらうからな!」
「ああ、好きにすると良い。ただ、相談の内容は刑事裁判の弁護になるだろうがな。……最後にアリバイだ」
泉はそこでようやく東山から離れ、机の上に置かれていた未開封のお茶のペットボトルを手に取り、勝手に飲みだす。彼は「あとで金は払う」と言ってペットボトルのキャップを閉めた。
「……お前、そもそも東山じゃないだろ」
「は?」
「え?」
私と山崎は同時に声をあげた。目の前にいるのは、東山ではない……?「どういうことだ」と声に出しそうになったが、それは今から泉が説明してくれるのだろう。
「山崎が話してくれたスケジュールがヒントだった。……メッセージアプリで呼び出し、エントランスで待つ。つまり、山崎は東山がどの部屋に住んでいるか知らないんだ。そうだな?」
泉は山崎の方に振り返った。彼は黙って頷く。
「お前は言わば、東山の影武者と言ったところか。顔、体格、声。すべてが似た人間を代わりに表に立たせている。……俺たちと会った次の講演会にマスクをつけてくるのがいい証拠だ。面倒な追及を避けたいんだろう?だから風邪のフリをして逃れた」
「……違う。そんなわけがない」
「影武者を用意する日、東山は山崎からメッセージを受け取ると、お前に『代わりに講演会に出ろ』とメッセージを送る。そしてお前はマスクを着けてエントランスまで降り、山崎の車で本当の東山の一日をなぞる。……するとどうだ?本物の東山は丸一日、自由に動ける。……アリバイなどないも同然だ」
「違う!俺にはアリバイが……」
「……まだ観念しないか。だが……。山崎、そいつを取り押さえろ」
「わかった」
泉の指示により、東山が羽交い締めにされる。彼は必死に抵抗するが、山崎は圧倒的に体格で勝っている。抵抗に意味などない。そんな状態の彼に、泉はゆっくりと近づく。
「今から九か月前。昨年の五月。本物の東山は、とある人物に襲われて脇腹を刺されている。命に別状はなかったようだが、それは少なからずニュースにもなっていた……」
泉は東山が来ていたシャツのボタンをしたから一つずつ外していく。彼は必死に抵抗するが、山崎の力の前にはどうしようもないようだ。
「……なぜ、お前の脇腹には、九か月前に刺された傷跡がないんだ?」
「……治療したんだ!いつまでも傷跡が残るのはみっともないからな!」
「それはもちろん病院で、だろう。どこの病院だ?裏を取らねば信用できんな」
「……クソ。クソッ!」
山崎に羽交い締めにされていた男は、一度だけ大きく声を張り上げ、力なく項垂れた。
「……そうだよ。俺は影武者だ。雇われた時期は、こいつとほぼ同じ、俺の方が少し早いかな」
影武者の男はパイプ椅子に座ると、ついに自白し始めた。彼は大きくため息をつく。
「まさかバレるとは。……やるな、泉先生」
「犯罪者からの称賛ほどうれしくないものはないな。……お前は、殺しにはかかわっていないのだろう」
「ああ。……まあ、雇い主が何をしてるのかは知ってたし、アリバイ作りにも協力した。共犯と言われても仕方ねえ。……金に目がくらんだのさ」
「虚ろの富では永遠に潤いはしないだろう」
「……良く知ってんな俺のこと。最近はずっとそうだった。『協力してくれた報酬』って言われて大金を渡されるたび、それはすぐに使い切った。……人の命がかかった汚い金だ。持ってるだけで、吐きそうになった。……でも、使い切ったら生活できなくなる。……俺は、抜け出せなくなった」
影武者は項垂れ、それ以上何もしゃべらなかった。泉は山崎に警察を呼ぶよう伝えると、私に「行くぞ」と言った。
「行くって、どこへ?」
「尾崎の所だ。……もうすぐ、そっちでも動きがあるだろうからな」
尾崎の名を聞いて、私は彼と通話していたのを思い出した。握っていたスマホを見るといつの間にか通話が切れている。
「あれ?切れてる……」
「もう動いたのか。……東山の奴、この部屋の会話を聞いていたな。……尾崎に会いに行くぞ」
「わ、わかりました」
山崎に「あとは任せた」と言い残し、泉と私は急いで車に乗り込んだ。泉は迷うことなくハンドルを握り、街中をとばしていく。向かった先は大きなマンションだった。優に十階は越えている。高級そうなマンションだが、入り口周りに止められたパトカーが物々しさを漂わせていた。
「……泉、と羽田君か。遅かったな。東山はもう捕まえたぜ」
「捕まえた?証拠はいいんですか?」
私たちの車に気づいたのか、尾崎がこちらに寄ってくる。彼は開口一番、東山を捕らえたと話した。……だが、証拠もなしに捕まえられるものなのか。私の疑問に対して、泉が答えを出した。
「奴はついさっきまで、あの部屋での話を聞いていたんだろう。影武者の男に盗聴器でも仕込ませていたかは知らないがな。……そして、影武者が存在することが暴かれた。奴にとってしてみれば、絶対不可侵だったアリバイが崩されたんだ。このままでは重要参考人になる、最悪の場合家宅捜索までされる。……となれば、逃げようとするだろう」
「朝、泉が俺に電話してきたのはこれのためだったってわけだ。奴の秘密が暴かれれば、奴は逃げることを選ぶはずだと踏んでな。……電話で聞かせてもらったが、とんでもない推理だな。説明してくれるとは聞いたが、まさかこんな結末だとは……」
尾崎は泉の推理に驚きを隠せていない。「やるじゃねえか」と何度も泉の肩を叩いている。そんな尾崎は部下に呼ばれ、仕事へと戻っていった。どうやら東山の自室から二人の通帳が見つかったらしい。……これで、事件は解決だろう。ストーカー相談から始まった事件は、ようやく結末を見たのだ。
数日後。取り調べで忙しくしていた尾崎が、「途中経過の報告」と称して事務所にやってきた。彼は事務所に足を踏み入れた途端にソファに吸い込まれるように向かい、背中から思いきり身を投げ出して座り込んだ。そして「ああ、疲れた」と声をあげながら大きくため息をついていた。彼は私が出した緑茶を一口飲むと、「どうなったか気になるだろ」と言って背もたれから身を起こす。泉は何も言わず、ただ足を組み替えていた。
「東山は全部自供した。……まあ、影武者がバレて逃げ出そうとしたところを捕まれば、もう言い訳もできねえだろうしな。家から二人の通帳も見つかってるしよ」
「そう言えば、あれって法的には問題ないんですか?令状を取ってたわけじゃないんですよね」
家宅捜索は令状がなければ行えないが、あの段階では東山は容疑者の一人にすぎなかった。それも、碌に証拠のない容疑者。……令状を発行する上層部を説得できるものだったのだろうか。つい気になって口を開いてしまった。すると尾崎の代わりに泉が口を開いた。
「……あの場で東山の影武者が罪を自供した時点で、東山本人を逮捕する正当な理由が生まれていた。逮捕状は後からでも請求できる」
「泉の言うとおりだ。……まあ、あまり褒められた方法じゃないが、あのままだと奴を逃すことになるからな。背に腹は代えられん」
尾崎は喉を湿らせるために、もう一度緑茶を口の中へと流し込んだ。そして何の前置きもなく、東山が話した動機について話し始めた。
「……あまり死んだ人間を悪く言いたくはないが、川内は殺されても仕方なかった」
「借金を返さないだけで殺されるのはどうかと思うんですけど……」
「川内の家に沢山あったブランド物の服やバッグ。……あれは、東山から金を借りた後に購入していたものらしい。川内は嘘をついていたんだ。『返せる金がない』と表では言っておきながら、裏ではハイブランドの限定物を買いあさっていた。……借金返済の催促のため、川内の家を訪ねようとした東山は偶然知ったらしい。それなりに高いレストランでいい飯を食いながら、へらへら笑ってブランドを自慢する川内をな」
「……そんな。では、まさか……」
「川内のストーカーをしていたのは東山だった。奴は川内の裏の顔を知り、殺意を覚えた。殺す機会を探るため、付きまとった」
尾崎はまた緑茶を飲んだ。私はというと、喉が渇いているはずだというのに、驚きのせいでコップに手を伸ばそうとすら思えない。両手でひじ掛けを握りしめることしかできなかった。だが、そんな私とは対照的に、泉は平然としていた。まるで、すべて知っていたかのようだ。尾崎もそう思ったのか、泉に対して「驚かないんだな」と尋ねる。
「……粗方予想はついていた。川内がそこまでの人間だったとは思わなかったがな。……なら、あの日も見られていたか。俺が川内を送り届けた日も」
「ああそうだ。奴は電柱の影からお前たちを見ていたらしい。……お前は二つもでかい事件を解決した有名人だからな、一目見てわかったってよ。……で、奴は会話まで聞いた。そして焦った。川内はストーカー被害を相談した、このままでは泉の手によって邪魔が入ることになる。そうなれば、殺す機会が失われる」
「……だから、俺が彼女を送り届けた日に殺されたってわけか。……そうか」
「自分のせいとでも思ってんのか?どうせお前が関わらなくても川内はそのうち殺されてた。……早まっただけだ」
尾崎はそう言うと「よっこいしょ」と言ってソファから腰をあげた。なんとも年寄りくさい掛け声ではあるが、彼も疲れているのだろう。
「……もう行くのか」
「ああ。いつまでも油を売ってるわけにはいかねえのさ。事件も解決して、取り調べなんかで忙しいしな。……もう一緒に仕事しないことを祈ってるぜ。またな」
「ああ」
見送りに立とうとする私を、尾崎は「必要ねえ」と言って止める。彼はそのまま事務所を出て行った。泉は何も言わずに足を組みなおし、茶を一口飲んで、大きくため息をついた。
「どうかされましたか」
「……哀れなものだ。金に取り憑かれて身を滅ぼして……。あいつには何が残るんだろうな」
「何も。何も、残らないかと」
泉は「だろうな」とつぶやき、ソファの背もたれに身を預けて天井を見上げる。そして。
「虚ろの富で何かを手に入れたのなら、それらはすべて虚構に過ぎない」
そう零した。
読んで頂きありがとうございました。今回をもって「虚富」は最終回となります。
宜しければ評価・感想を頂けると幸いです。




