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第一章  第六幕

■■  第六幕  雨過天晴(うかてんせい)   ■■



 降りしきる雨が、旅の歩みを止めていた。宿の部屋で軋む体を休める拓也と健太。エリスの治癒促進の効果によりだいぶ回復していたとはいえ、ランドルフォとの訓練による筋肉や関節の痛みは残っていた。


「なんかさあ、もっとこう、あれだよ。」ベッドに大の字で寝転ぶ健太が言う。「ああいう別れ方したらさ、その後はこう、ザッ…って感じで互いにそれぞれの旅に戻って格好良く歩き始めるって感じになんじゃねえの?」


また始まったか、と拓也はため息をつきながら外をぼんやりと眺める。窓越しの雨が、あの夜のことを想起させる。玲奈はこちらの世界に転移しなかったのか?自分たちとは別の場所に転移していたりしないか?転移に巻き込まれなかったとして、俺たちがいなくなったことで大変な目に合っていないか?考えたところで解消しようのない心配。もし転移してきているなら、そういった情報を耳にした時すぐに探しに行こう。そうでないなら、一刻も早い帰還を目指そう。


そんな思索は、元気に扉を開けて入ってきたエリスの陽気な声によって中断された。


「は~い!皆さん、席についてくださ~い。エリス先生の授業の時間ですよ~。」眼鏡をかけて、にこやかに立つエリスがいた。


困惑しつつも「なんだよ一体?」と拓也が聞くが、エリスは「どうせ雨で閉じこもっちゃうなら、私たちの言葉のお勉強しましょう!はい、お渡ししたテキストを開いてください。」と、外の天気とは正反対の表情でノリノリである。


「眼鏡なんてしてたっけ?」との健太の問いに、深いエメラルドの瞳を輝かせながら答える。「フッフッフ、伊達メガネです。」


ベッドから降りつつ健太は言う。「あ、割と形から入る性格なのね…」


この世界に伊達メガネの存在意義があるのか、という疑問はとりあえず横に置いた。無為に時間を過ごすよりも、ずっと有意義かと拓也は思った。実際ここまで言葉の面でも金銭面でもエリスに頼り切りだ。ランドルフォとの特訓ではフィーリングで何となくわかる部分もあったが、やはり細かなところはエリスの通訳頼みだった。いろいろな情報を集めたり交渉したりなど、言語の壁は越えなければいけない問題だった。2匹の子犬がじゃれ合うイラストが描かれたテキストを取り出しながら拓也は言う。


「よろしく頼むよ、先生。」




………


……





 存外、エリスの教え方はうまかった。こちらの様子を伺いながら、理解が追い付いていないのを察したりする。そういう時は、どこで躓いているのかを正しく見つけて、立ち戻って丁寧に説明してくれる。ただ、いかんせん教わっている内容が幼児向けのものなので、教えるエリスが時折小さな子どもを相手にする保育士のようにも見えてくる。


集中力が切れてきたのか、健太が愚痴る。「あー…この世界の言葉が話せるようになる魔法とか、翻訳〇んにゃくみたいなアイテムとか、ねーのかな…?」うんざり、という白い目を拓也は向ける。


「こんにゃく?というものは、よくわかりませんが、そういう魔法はないですね。」エリスは真面目に答える。「そもそも、どういう構成にすればそんな魔法ができるかわからないです。」


「都合のいい妄想に、そんなきちんと相手しなくていいよ。」拓也は言う。


「そもそも、魔法ってどういう原理なん?」健太はエリスに尋ねる。


「エーテルをコントロールして様々な事象に働きかけます。例えば火を操るには、特定の範囲内空間でエーテルを熱に変換しています。」手の平の上に小さな炎を灯しながら、エリスが教える。


「エーテル?」と健太が理解していない様子なのを見て、追加の説明をする。


「エーテルは生命の根源で、月下の全ての生き物が持ち、そして大地に流れています。」そう説明するエリスは神秘的にも見えた。


「魂、みたいなもんなのか?」との拓也の問いに、エリスは答える。


「詳しく説明しようとすると、とても難解になるのですが…あなた方の世界で魂と呼ばれ理解されている、生命そのもの、精神の具現のようなものとは、少し違います。どちらかというと、それらを内包し推進する、生命が生命として『生きよう』とするエネルギー、存在を存在たらしめているもの、と言った方が正確かもしれません。」


「うむ、わからん」と、哲学的な雰囲気を察した拓也は理解を放棄した。


優しく微笑みながら、エリスは言う。「そうですね、わかりにくいですよね。エルフは生まれつきエーテルの流れを感じることができますし、大地に流れるエーテルを取り込むことができます。ただ、人間はエーテルの存在やその流れを感じるところから訓練が必要なので、そのこともあって、魔法を学ぶのにもとても多くの時間を必要とします。」


「なるほど、魔法はエルフが優位ってのは、そういう理由なんか。」と、健太は言った。


「そうですね。触媒(カタリスト)を用いることでエーテルの操作をやりやすくしたりはできますが、そもそものエーテルを感知できないと魔法は扱えないですね。」とエリスは説明した。


「ああ、魔法使いが持つ杖みたいなもんか。」拓也が言った。


「杖である必要はないんですけど、そういったものですね。ある程度のレベルに達した魔法使いが術式を施した触媒(カタリスト)を使うことで、低位の魔法使いでも魔法が扱いやすくなります。」


「あー…やっぱ俺らが魔法扱えるようになるとかは、無理だな…」上を見上げながら言う健太を見ながら、エリスは言う。


「さあ、おしゃべりはここまでですよ。魔法よりも先に、まずはお勉強を再開しましょう!」




………


……





 雨は未明には止み、明け方の空気を澄み渡らせた。世話になったランドルフォらに改めて礼を言い、拓也たちは北への旅路を進めた。


陽光は穏やかに彼らを包むが、前日の雨の影響で街道はまだ若干ぬかるんでいた。人通りまばらな道が、開けた草原地帯に差し掛かる。日本ではそうそうお目に掛かれない景色だ。そんな光景も、歩き続けるにつれて徐々に変化の乏しい退屈なものに感じられてくる。道中、空飛ぶ絨毯がーとか、転移魔法がーとか、相変わらずの健太を拓也があしらいつつ進む。


太陽が天頂に差し掛かろうかという頃、道の脇の岩陰に人影を見た拓也は警戒を促した。歩みを止めた彼らの前に、三人の男女が出てきた。


「バレちまったんなら、しょうがねえ。こないだの借りを返させてもらうぜ。」真ん中に立つ少女が腰に手を当てて言う。先日襲撃してきたシロッコだ。


「いきなり人の手を切り落としといて、何言ってやがる!」と、後ずさりしつつも、剣に手を掛けながら怒りを露わにする健太を、拓也が手で制する。


剣術を習ったとは言っても付け焼刃。明らかに実戦経験が豊富であろう相手に、正攻法で挑むのは危険すぎる。拓也は特訓の中でランドルフォから受けた教訓を思い出す。「格好良く勝とうなんて思うな。死にたくなけりゃ、卑怯な手でもどんな手でも使え。死ねば、そこで終わりだ。」


「可憐な乙女に恥をかかせた罪は、万死に値する!」長身の男が言った。横に立つシロッコは、その男を蹴りながら怒鳴る。「だっ…ふざけんな!余計なコト言うんじゃねーぞ、ルイージ!」


隙ができた、が飛び掛かるには距離がある。ここから斬りつけても、もう一人の髭ヅラの男に受け止められるだろう。右腰に差したダガーに伸ばしかけた手を戻す。


「とにかく!仕切り直しだ!テメーらにはここで死んでもらう!」ルイージと呼ばれた男が蹴られた足を押さえる横で、シロッコが言い放つ。そんなシロッコに、髭ヅラの男が言う。「けど、雨の中でも通りかかるの待ち続けてた姐御(あねご)の顔、乙女感パなかったっすよ?」言い終わる前に、その鼻っ面にシロッコの裏拳が飛んでいた。「口を閉じてろ!マリオ。」


マジかよ?と思いつつも、今はそんなこと考えている場合じゃない、と拓也は気を取り直す。冷静に、分析する。コイツらは、ずっとここで待ち伏せしていた。そして自分たちが来るであろう方角を、ずっと見ていた。つまり、そういうことなら…。




………


……





 殴られた鼻を押さえるマリオ、蹴られた足をさするルイージ。今、わずかばかりだが、危険度は下がっている。ここを逃してはいけない。そう考え、拓也は前に歩み出る。「ご主人様!」止めようとするエリスに、小声で言う。「大丈夫。」


「いいのか?」大仰に両手を広げながら言う拓也に、シロッコは怪訝な顔をする。


ダガーでの戦い方を教えてくれた師匠の言葉を思い出す。「お前の武器(えもの)は、接近してナンボだ。相手の有効な間合いよりも、さらにその内側に飛び込め。そのためには、殺気を悟られるな。店先に並んだリンゴを手に取るように、ごく自然に、相手を斬れ。」平静な表情を、保て。自然に、距離をつめる。


「いいのか?お前たちの後ろ、警備巡回の兵士が見てる前で、そんなことやっちゃって?」首を傾け、シロッコの後ろを見るようにして言う。


「な!?」シロッコ達は咄嗟に、後ろを振り返る。


そうだろう。先回りして俺達がやってくる方向ばかり見ていたんだ。反対側なんて見ていない。遠くから近づいてくる俺達の姿を確認して以降は、特に。


後ろを見たシロッコ達の視界には、誰もいない街道が伸びているだけだ。それはそうだろう。(ハッタリ)なのだ。


不用意に振り向いたその隙は、距離をつめた拓也が飛び掛かるには充分。その筈だった。地面のぬかるみが、拓也の足を滑らせなければ。


左手でシロッコを掴んだが、滑った拍子に、ダガーを抜こうとした右手は柄を握り損ねた。だが、仕方ない。このままやるしか。武器に頼り過ぎることへの戒め、手でも足でも構わない、そう教わった。シロッコを掴んだまま、両者倒れこむ。


早く立ち上がらないと。組み倒したシロッコはともかく、他のふたりの男に斬りかかられる。地面に手をつき態勢を整えようとする。しかし、ぬかるんだ地面が邪魔をする。ついた手は滑り、またシロッコの上に倒れこむ。マズイ!


…しかし、太っちょとノッポのコンビは攻撃してこない。肘をついて顔を横に向け、様子を伺う。シロッコの艶っぽい吐息が聞こえる。


「ズルいぞ!貴様!!」剣を抜くこともなく、ルイージが叫ぶ。マリオはその横でワナワナと体を震わせている。


「そういうの、いけないと思います…」後ろからエリスの声が聞こえる。


体を起こし、状況を確認する。掴まれたシロッコの服は、倒れこんだ勢いで破れている。拓也が顔をうずめていたのは、露わになった控えめの乳房だった。


「待て、事故だ。」と拓也が言っても、もはや聞こえてはいないよう。紅潮した顔を震わせている。


飛びのく拓也。「落ち着け。話し合おう。」聞いてはもらえないだろう。


立ち上がりながらマントを引き寄せ、身体を隠すシロッコ。震えている。ああ、怒り心頭だ。もう聞いてない。


「殺す!!」キッと拓也を睨みつけ、襲い掛かろうとする。


が、そこで止まる。シロッコの右手は腰のあたりを探っている。無いのだ。彼女の短剣が。


「すまんな。」拓也はシロッコの鞘から抜き取った短剣を構えてみせる。前回は焦って彼女を自由にしてしまった。その失敗を糧に、今回は焦りつつも冷静さを失わなかった。ちゃっかりと相手の武器を取り上げていたのだ。


ショックを受けるシロッコから距離を取る。まだだ。まだ男ふたりは武器を携えている。シロッコにしても、体術がどの程度のものかわからない。まだ、勝ってはいない。あと、一押しが必要だ。…ああ、そうだ。初めから、こうしていれば良かったんだ。


剣を抜こうとする男達に、拓也は再度言う。「いいのか?」冷静に、平静に。


その余裕を察知して、男達の動きが止まる。躊躇っている。よし、ただのボンクラでなくて良かった。構わず斬りかかられたら、危なかった。余裕を演じつつ、拓也は続ける。


「前回は混戦だったから使えなかったが、ウチのエルフの魔法は、町のひとつくらい簡単に吹き飛ばしちまうぞ?」


疑問を呈しかける健太の袖を引いて止め、エリスは右手を男達に向ける。ありがたい、うまく合わせてくれた。もちろん、(ブラフ)である。


だが、エルフの魔法が人間のそれよりもずっと高位であることは間違いない。それはこの世界においては常識だ。剣の柄に手をかけてジリジリと散開しようとするルイージとマリオ。町を吹き飛ばす火力の前には、それが大した意味を持たないことはわかっている。


シロッコがふたりを制止する。「わかった、負けだ…」


男達も武装解除し、揃って座した。沈痛な面持ちでシロッコは言う。「殺すなり、警備隊に突き出すなり、好きにしろ。」


三人を見下ろしながら、拓也は言う。「いや、どちらもしないよ。」


想定外の言葉に理解が追い付かないシロッコに、奪った短剣を差し出しながら続ける。


「お前達には、俺達の身辺警護をしてもらう。」

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