この夜をささぐ
時刻は二十時半。朝丘がうつろな目をしてマグカップに口をつけている。
彼女のデスクにはコンビニおにぎりの包み紙が散乱していた。高菜、ツナマヨ、そして梅。三個食いは覚悟を決めたときの本気の夜食だ。
「あーあ、何かいいことないかなぁ」
ボヤいた朝丘がデスクに突っ伏した。これは食後のひと休みだろう。
契約内容の見落としも、仕様書のミスも、朝丘のせいじゃないし、僕のせいでもない。でもそれらにともなう各種変更はしなければならない。しわ寄せはドミノ倒しのように進んでいく。
ちなみに今回倒れるドミノは僕と朝丘だ。
先輩は大きな案件を終えて代休中だし、後輩にまかせるには負担が大きすぎるうえ終息が危うい。
朝丘は喋るとバカみたいだが仕事はできるし、他部署への配慮もできる。今はげっそりしているものの基本的に健康だし、自由のきく独身だしで、貧乏くじを引きやすい。
騒がしく文句はいうものの、その主張は概ね正しいし、自分が嫌なことを誰かに押し付けるわけでもないし、期限内に安定のクオリティで仕事もあげる。
文句をいって交渉を仕掛けてくる分、むしろ頼みやすいと上司がいっていた。朝丘は僕と違って言葉を惜しまないし、声を上げることを恐れない。
長時間のデスクワークでバキバキに強ばった首を回しつつ、立ち上がる。そして随分前に空になったマグカップをつかんだ。
「そこのゴミ捨てるぞ」
ずれた眼鏡を直し、朝丘のそばへと近づく。
「えぇー、いいことってこれ? 星場によるゴミ捨てボランティア?」
隠れていた顔を横にずらし、朝丘が恨みがましい表情で睨んできた。
「コーヒー取ってくるついでで他意はない。視界にゴミが散らばってると気が散る」
「あー、星場ってそーゆーとこあるよねー。神経質ぅー」
「はいはい、すみませんね」
絡んでくる朝丘をいなしつつ、透明な残骸へと手を伸ばす。
「やるって言ったからには全部きれいに回収してよね」
「ずいぶんと偉そうなことで」
「むしゃくしゃしてるからね。やつ当たりってやつよ。同期のよしみで許せ!」
「はいはい」
ゴミをかき集めて握る。何となく視線を感じるが無視した。うかつに口を開いて絡まれたらたまらない。
「星場ってきれいな手をしてるよね」
何気なくつぶやかれた言葉。くしゃり。手の中でかさついた音が鳴る。
視線を左下へ動かすと、朝丘と目が合った。きょとんとした表情で瞬きをしている。
過去に何度も繰り返したためらい。結局行動を起こすことはなかった。でも、どうしてか分からないけれど、今したくなった。やつ当たりかもしれない。
「朝丘、明日の夜空いてる?」
「空いてるけど?」
「飯食おう」
「おっいいねぇ! 金曜だし派手に打ち上げようぜ!」
「打ち上げじゃなくていいか」
「え?」
「デートだけどいいか」
朝丘が再びデスクにつっ伏した。
沈黙を打ち消すようにオフィス複合機が高い音を出す。何かを受信しては吐き出している。朝丘はまだ何もいわない。ピーと機械音だけが響く。
深呼吸を繰り返すこと六回。これはこのまま何事もなかったかのように立ち去った方がいいのか。
給湯室へ身体を向けた瞬間、朝丘がむくりと起き上がった。
「いいけど」
「いいんだ」
「え、いいとダメなの?」
朝丘の目が不安げに揺れる。
「ダメじゃなくて職場恋愛はいろいろめんどくさいから嫌だって前にいってただろ。だから断られると思ってた」
言い訳めいたことを早口でまくし立ててしまう。
「まぁそれはそう。でも仕方ないじゃんこういうのは結局気持ちに従うしかないし、それに星場だし断れない」
いつになく早口で朝丘がこたえた。
「そうか。じゃあそろそろ仕事に戻ろう。終電までに帰りたい」
「勝手に爆弾投下したくせに、なんで自分は関係ないみたいな涼しい顔してんの? ずるくない?」
そういいつつ朝丘がキーボードを打ち始めた。軽くてリズミカルな音が続く。
さっさと雑用を済ませて自分の仕事をしよう。歩きだした途端、彼女がぽつりとつぶやいた。
「でもまぁ、おかげでいいことあったわ。ありがと」
朝丘のこういうところを、僕は尊敬してやまない。
「どういたしまして。僕こそありがとう」
ぽつりとつぶやき、歩く。
給湯室でゴミを捨て、手を洗い、コーヒーを注ぐ。そして深呼吸をした。
明日は絶対、定時プラス一時間くらいで帰ろう。朝丘と一緒に。そのために今はがんばるしかない。
明日のため、今日この夜をささげるのだ。
2021/01/01 投稿
【連想ワード/流し目の眼鏡男子】
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元旦から社畜の話を投稿しちゃったという…




