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第三部最終話 この同じ空の下で

 討ち入りから一夜明けて、養生所には朝から患者が列を成し、数馬さんも私も大わらわだ。養生所が襲われてからは、通いの患者は受け入れずに、往診だけだったからね。


 なかでも多いのは、腕や脚、腰なんかを傷めた患者だ。どうやら腕の骨折を整復してあげた、瓦葺き職人の勘吉さんが、職人仲間や長屋の連中に宣伝しているらしい。


「おゆき先生に、肩をごきっとやられた日にゃ、飛び上がるほど痛くてよ。俺ぁもう、とどめをさされたかと思ったぜ。だがな、そのあとは嘘みてぇに痛みがすっと引きやがった。骨接ぎの達人たぁ、このことよ」


と、診察を待っている勘吉さんが、名調子で話しているのが聞こえるぞ。まあ、何でも治せると思われたら困るから、ほどほどに頼むよ。とりあえずは、紙と膠で張り子のギプスもどきを作れるよう、材料を数馬さんに買って貰わなきゃな。すっかり後回しになっていたよ。


 あと、腰が痛い人たちのために、コルセットも作りたいな。弥助さんに頼んでみるか。巳之吉親分に相談したら、きっと弥助さんに話を振ってくれるだろう。そうすれば、親分さんの紹介ってことで、これからも弥助さんと養生所で大っぴらにつなぎをつけることができる。一挙両得ってやつだ。


 怒涛のように押し寄せた患者の診療が終わり、数馬さんと共に往診に向かう。相変わらず、江戸っ子の噂は(かしま)しいけれど、いちいち気にしてちゃ、この江戸で暮らしていけないしね。人の噂も七十五日さ。じきに落ち着くよ、きっと。


 往診の帰り、三好先生を見舞うため、秋月邸に寄る。


 秋月先生が、迫力のある大きな顔に満面の笑みを浮かべて、話しかけてきた。


「思うたとおり、ゆき殿と手合わせをしたいという剣術自慢が押し寄せてな。あまりにも多すぎるゆえ、とりあえず、俺の門弟相手に勝ち抜いた者だけ、ゆき殿と立ち合えるということにしておいたぞ。今のところ、三人ほど勝ち抜いた御仁がおられる。ゆき殿の都合がつく日取りを決めようではないか」


 き、きた! でも、秋月先生が予選を組んでくれたお陰で、とんでもない人数にはならなさそうだ。それに、剣術自慢相手の腕試しは、望むところさ。まだ見ぬ相手に、胸が高鳴るぞ。思わずにやけ顔になってしまい、


「ゆきさんは、本当にわかりやすいな」


と、数馬さんも呆れ顔だ。


 三好先生は相変わらず、体調が思わしくない。体を起こすのもつらそうだ。これは、やっぱりただの貧血とも思えん。ちらりと数馬さんの顔を見ると、数馬さんは厳しい顔で小さく頷いた。


 秋月邸からの帰り、養生所へと続く外堀沿いの道を、数馬さんと連れたって歩く。普段は人通りが絶えないこの道も、この時間は人っこひとりいない。道に沿って植えられた柳の葉が、柔らかな風にそよぎ、雀たちが騒々しく樹上で戯れる。本当に長閑な日だ。江戸に来て、こんなにのんびりと景色を眺めたのは、初めてだよ。


 数馬さんは、ふいに立ち止まった。


「ゆきさん、三好先生と――俺自身のことで、話がある」

 

 なんだろう? 私も立ち止まり、数馬さんの話に耳を傾ける。


「九年前、俺達が隠密狩りにあったとき、俺は三好先生には何も告げず、江戸を離れた。はじめの頃は、俺のせいで三好先生に迷惑がかかっているんじゃないか、と気がかりだった。もっとも、追手から逃れるのにせいいっぱいで、じきに三好先生のことを気にかけることもなくなったが」


 淡々とした語り口で、数馬さんは続ける。


「一年前、江戸に舞い戻ってきたとき――俺は、養生所に戻るつもりなど、さらさらなかったよ。村上の一味に、すぐに目をつけられるだろうからな。それに、俺は自分が生き残るために、余りにも多くの人間を斬りすぎた」


 数馬さんは、堀の水面(みなも)を見つめながら、少し自嘲の色を帯びた笑みを浮かべた。


「お役目のためなら――上柴様の御下命なら、それが御政道を正すためと――世のため人のためになると信じて、人を斬れた。だが、俺が生き残るために斬った中には、村上の一味に利用されただけの、気の毒な年寄りや、年端もいかぬ(わらべ)もいた。こんな俺が、医は仁術なりと大手を振って、医者などできるものか」


 そういう眼の奥に、悲し気な光が宿る。数馬さんは優しい。村上の一味はおそらく、その優しさにつけこみ、忍びの一族の子供あたりをつかって、数馬さんを殺めようとしたのだろう。生きるためとはいえ、子供を斬らざるをえなかった数馬さんの気持ちを思うと、胸が締めつけられる。


「だが、江戸に戻ってきた日に、この堀の(はた)で腹をおさえ(うずくま)っている人を助け起こすと――それが三好先生だったんだ。なんて、不思議な巡り合わせだろう、と思ったよ。三好先生は、積聚(しゃくじゅ)の発作だったのさ。それに、食欲もすぐれず、黒い便が出るらしい」


 積聚(しゃくじゅ)とは、差し込み、つまり鋭い腹痛のことだ。黒い便は、胃や食道からの出血を疑う。症状からすると、三好先生が患っているのは胃潰瘍か胃癌ってところか。だが、このところの三好先生の衰弱を見る限り、ただの胃潰瘍とも思えない。数馬さんの話を聞きながら、暗澹たる気持ちになる。


「そのとき、三好先生は、かつて一言も告げずに行方をくらました俺を、責めるでもなく、事情を尋ねるでもなく、俺にこう言った。自分はもう長くない。だが、今、自分が倒れてしまったら、この養生所は終わってしまう。自分の代わりに、養生所を守ってくれないか、とね」


 数馬さんは、私から堀の水面へと視線をうつし、黙り込んだ。少しの間をおき、数馬さんはふたたび口を開く。

 

「俺は迷った。だが、俺のような見習い医者に頼らざるを得ないほど、三好先生が追い込まれていると思うと――俺は断れなかった」


 数馬さんは、自分の身の危険を顧みず、心の痛みにも構わず、三好先生のために養生所に戻ってきたのか。本当に、悲しいくらい、根っからのお人好しだよ、この人は。数馬さんの不器用な生き方が、堪らなく切なく――そして愛おしく思えた。

 

「俺が養生所に戻ることで気力を取り戻したのか、それからの三好先生は、だいぶ調子がよくてね。でも、この一年でだいぶ痩せてしまわれたよ。最近は、腹に水も溜まり始めた。もう、そろそろだろう、と三好先生も言っていた。そこに、今度の怪我だ。いままで気力で補っていたぶん、一気に崩れたんだろう」


「そう……なんだ……」


 ぽつり、と相槌をうつことしかできない。それがもどかしく、しゃがみこんで堀に向かって(つぶて)を投げこみ、沈黙を紛らわす。ぽちゃん、という音がやけに大きく聞こえた。音に驚いた雀たちが一瞬黙り込み、しばらくすると、また賑やかに囀り始める。


「それで……数馬さんはどうするの?」


 しゃがんだまま、数馬さんの顔を見上げる。


「まあ、養生所で過ごしたこの一年、今回の一件があるまでは、俺に敵の手が伸びることはなかった。もう、隠密狩りは終わったんだ、と実感したよ。剣など遣えぬ振りをしていれば、このまま養生所の医者として暮らし続けることもできたかもしれない」


 数馬さんもしゃがみ込み、堀に礫を投げ入れた。水面に広がる波紋を見つめながら、数馬さんはどこか穏やかな声音で語る。


「一年前までの俺は、追手から逃れ続け、他人を信じることなく――そして、他人となるべく関わらないように、生きてきたよ。まあ、今でもそうさ。いつ、お尋ね者に戻るかもわからない身だ。人から裏切られるのも懲り懲りさ。だから、他人を信用しきることはないし、いつも疑ってかかっている」


 無理もない。そうでなければ、生き延びることはできまい。むしろ、この人の好い数馬さんが、そこまで変わってしまうくらい、過酷な逃避行だったに違いない。


「だが、養生所で医者として過ごし、裏長屋の連中が喜んだり、悲しんだりして毎日を懸命に生きている姿に接しているうちにね、俺にも嬉しいとか悲しいとか、そういう人間らしい心の動きが戻ってきたよ。自分でも驚いている」


 その表情に、かすかな笑みが浮かぶ。


「そういう気持ちを取り戻させてくれた三好先生には、返しきれない恩がある。だから、できることなら、三好先生の気持ちには応えたい、とも思う。だが――」


 数馬さんは言葉を切り、また礫を水面に投げ入れた。


「俺とて、江戸に戻ってきた狙いは、他にある。その気持ちを押し殺したまま、何食わぬ顔をして医者として生きていくことはできない。ゆきさんや弥助さんに誓ったとおり、無駄に命くれてやるつもりはないぜ。泥をすすってでも、生き延びてやるさ。だが、俺がこの養生所を離れ、追手から逃れ続ける日々に戻るときが、いつか――きっと来る」


 数馬さんは水面から私へと、視線を移す。


「だからね、ゆきさん、俺はひと月ほど前に、三好先生に言ったんだ。俺には、やらなければならないことがある。いつまでも、ここに居ることはできない、と。三好先生は、特に理由(わけ)も訊かなかったが、やはり気落ちした様子だったよ。ただ、知り合いの伝手をあたって、養生所に来てくれる医者を探す、とは言ってくれた」


「来てくれる医者が、いるかなぁ」


 杉原先生と、田崎先生のところは、上方へ修行に出ていた弟子が戻ってきて、後を継ぐらしいけれど……


 ただでさえ台所の苦しい養生所だ。それに、医者殺しの一味に襲撃されたことは、江戸中の人間が知っている。黒田は始末したけれども、医者殺しの黒幕として黒田の名前があがることは、けしてないだろう。おそらく、病死として公表され、医者殺しの真相はうやむやのまま、闇に葬られるはずだ。こんなときに、養生所に来てくれる医者がいるとは、とても思えない。


「さあな。だが、三好先生の伝手で医者が見つからければ、俺たち(・・)自身で代わりを見つけないといけないな」


 数馬さんはそう言って、軽く微笑んだ。俺たち(・・)と言われたけれど――私だって、いつ、追われる身になるかもわからない。いつかきっと、数馬さんと別れなければならない日が来る。まだ、想像もできないけれど。そうなるであろう未来に想いを馳せると、なぜか胸が苦しくなる。


「数馬さん、私も、いつかはここからいなくなる。別れも言わずに消えるかもしれない。そうなったときは……ごめん」


 しゅんとして謝る私の肩を、数馬さんはポンと叩いた。


「大丈夫さ。たとえそうなったとしても、生きていれば、きっとどこかで会える」


「……うん」


「きっと、また会えるさ」


 嬉しさがこみ上げる。前の数馬さんから感じたような危うさが、すっかり消え去っているからだ。朗らかで力強い言葉に、私まで力が湧いてくるよ。


「数馬さん、ありがとう。励まされちゃったね」


「たまには、いいだろう? じゃあ、そろそろ帰るか」


 数馬さんは立ち上がり、大きな伸びをして、空を仰いだ。つられて見上げた空は、高く澄み渡っている。季節はいつの間にか、秋へと移ろいつつある。

 

 この同じ空の下で、父や彦佐爺や、源太にぃたちが、白沢の殿様を守るために、頑張っているはずだ。私も、負けていられないぞ。大事な人たちが繋いでくれたこの命で、そして――先生と父から受け継いだ剣で、皆を守りきろう。


 江戸での日々は、まだ始まったばかりだ。


(第三部・完)

第三部では、テレビ時代劇定番のネタとして


・一族存続を願う忍びの里の少女

・敵か味方か? 謎の新メンバー

・ど派手に討ち入り

・余の顔を(以下略)的な、あれ


を盛り込みました。おおむね、新番組1時間半スペシャルくらいのボリュームをイメージしております。


第四部以降は、通常枠45分物くらいのボリュームで、もっと軽めです。

引き続きお楽しみいただければ幸いです。

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