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熊が吠えた

 一里塚で敵の襲撃にあってから、八日が過ぎた。


 行平街道をひたすら西に進み、いまは五ノ井という町まで来ている。春日井二十万石の城下町で、私がこの世界で初めて訪れる『都市』だ。


 あの襲撃以来、敵の気配を感じることはなかった。街道の旅は、慣れてくると単調な道だ。あまり急峻ではない山を切り開いて作られた街道なので、似たような景色が延々と続いた。日中は七、八里の道のりを行き、夜は宿場で身体を休める。その繰り返しだ。


 うむ、さすがに飽きてくるのである。


 襲撃の直後は、またいつ襲われるのかと気を張り詰めていたけれども、源次郎さんと彦佐さんの読みでは、


「同じような道で、同じ仕掛け方をしてくる阿呆は、さすがにいないだろう」


ということだった。


 今日、五ノ井に着き旅籠を探す途中、町中を行き交う人の多さと、町の活気に目をみはった。私がおのぼりさん状態できょろきょろしているのを見て、迷子になったら一大事、とばかりに、源次郎さんに右手をひかれて人混みを進む。


 その途中、ねめつけるような誰かの視線を背後から感じた。源次郎さんの手を少し強く握ると、ちょんちょん、と軽く握り返される。大丈夫だ、ということだよね。


 旅籠の部屋で旅装を解き一息つく。


「ゆき、何人に見張られているかわかったか?」


と、源次郎さんに問われ、両手の指をつかって「七」と答える。多分、これくらい。


「こいつは、たまげた。俺の見立てと同じ人数ですぜ。並の娘っこじゃないたぁ思っていたが……」


 彦佐さんが唸る。


「彦佐よ、ゆきはな、前の斬り合いのときも、相手の動きを逐一見て、俺の邪魔にならぬ位置に、先に先にと動いていたのだ。この子の武の才は、本当に先々が楽しみだぞ」


 愉快げに笑う源次郎さんの隣で、私は、あの闘いの状況を思い返していた。


 源次郎さんが最初に倒した行商人姿の三人組も、そのあとの浪人二人組も、攻撃の動き自体は見え見えだった。三人組のほうはたぶん、本職の忍び。動きは多少トリッキーだったけれども、動きを見切るのはたやすかった。浪人のほうは忍びの動きではない。捨て駒として、金で雇われた連中だったのだろう。


 前世での私の練習相手ときたら、先生と高木さんだったからなあ。前回の敵は、あの二人と比較にならないよ。動きも、剣技の冴えも。


 むろん、相手の動きが見切れるだけで、相手に勝てるほど甘くはない。複数の敵を相手にしたときの源次郎さんの動きは、本当に鮮やかだった。瞬時の判断で、自分の位置をどんどん移動しながら、相手との間合いを自分でコントロールして、一人ひとりを着実に倒す。あれは、剣の腕だけではなく、実戦の経験を積み重ねた賜物だ。


 最後に高木さんと立ち合ったときも、私に足りないのは実戦経験と勝負勘、って言われたっけ。


 それに、あのときの源次郎さんのように、私を――誰かを守りながら戦うのは、難易度が途端にあがる。あんな芸当は、この幼女の身体じゃなかったとしても、今の私にはとてもできない。


 うん、課題がいっぱいある。わくわくするぞ。


 胸の高鳴りをおさえられない。本当に……私は剣術バカだ。高木さんのことを言えないな。


「で、こちらから仕掛けやすかい?」


 彦佐さんの言葉に、源次郎さんはかぶりを振る。


「いや、一旦、相手を誘い出そうと思う。雑踏のなかでは、さすがに焙烙玉のような物騒な代物は使わないだろう。しばらく、この五ノ井の町に逗留し、相手を油断させて誘いこみ、まとめて叩く」


「ようござんす。じゃあ、この旅籠の者たちが寝静まったら、この旅籠にちょいと仕掛けをしておくとしやしょう」


 その晩、ふと、かすかな気配に目を覚ます。


 布団にくるまったまま薄目を開けると、暗闇の中、音もなく部屋から出ていく背中が見えた。彦佐さんだ。仕掛け、とやらを仕込みにいったんだろう。


 忍びの技も、いつか、彦佐さんに教えてもらいたいな。剣の腕がたっても、この前の焙烙玉とか、毒の吹き矢とかを使われたら、私なんてイチコロだもん。


 彦佐さんの使う弓矢も、武器としては極めて凶悪だ。だって脳漿が吹っ飛ぶんだぜ。どんな威力だよ。


 あと、先生が言っていた、先生の一族に伝わるという秘術のことも気になるし。この世界で目覚めたとき、私を殺そうとした男の頭が丸ごと吹っ飛んだのって、きっと彦佐さんがなにか術を使ったんだよね。練習すれば、私も使えるようになるのかな。


 一刻くらい後、そっと戻ってきた彦佐さんに、心の中で「おかえりなさい」とつぶやく。


 今の私には目標がある。どんなことをしても生き延びて、源次郎さんや彦佐さんたちを守るという目標が。だから、私は強くなる。今は守られるだけだけど、いつかはきっと。


 一夜明けて、今日は朝から源次郎さんに連れられて、五ノ井の町の見物だ。


 春日井二十万石は、江戸と上方のちょうど中間地点にある、東西の物流の要だ。江戸から西に向かう二つの街道――大井街道と行平街道のうち、行平街道はこの地が終点となる。


 私達が泊っている旅籠『たつ乃屋』は、五ノ井の町の中心からおよそ三町の位置だ。

 

 旅籠を出ると、春日井の城がよく見える。美しい形の天守閣が、雲一つない青い空によく映える。上様が暴れる某時代劇で江戸城のふりをしている、国宝・姫路城とよく似ている……とちょっと思ったのは、内緒だ。


 城の内堀の周りには武家屋敷が並び、それを取り囲む外堀の周りに、寺社や商家が立ち並び、その周りに一般庶民の住む長屋が広がっているそうだ。


「万が一迷い子になったら、見つけるのもことだ。はぐれるでないぞ」


 商家が軒を並べる大通りを、源次郎さんに手をひかれて歩く。前世で、誰かに手を引かれて歩いたことってあったっけ。源次郎さんの大きな手を握ると、とてつもなく安心感がある。この幼女の身体に、私の心理状態が多少、引きずられているのかもしれないな。


 大通りを行き交う人を見て、なんだか違和感にとらわれる。しばらくして、違和感の正体に気がついた。


 女性の恰好が、やっぱり私の知っている江戸時代と違う。髪を結いあげ和装なのは当たり前なんだけれども、鉄漿(かね)――お歯黒をしている女性が、いないわけではないが、非常に少ない。


 明らかに既婚です、という女性でも、眉を剃っているのは少数派だ。そのかわり、眉を綺麗に整えている。


 ときたま武家階級の夫婦連れとすれ違うが、夫婦者といえども連れたって歩くのも、はしたない(・・・・・)って言われたんじゃなかったけ。うろ覚えだけど。それに、武家の女性も、ほぼすっぴんレベルの薄化粧だ。さっと唇に紅をひいた程度だろう。


 いうなれば、テレビ時代劇の中の女性のような風俗である。なので、現代人の私からするとむしろ違和感はないんだが……違和感がなさすぎて違和感がある、という謎の状態である。うむむ。


 男性は、月代を剃り上げている者も多いが、総髪も目立つ。侍は、浪人者でない限りは月代を剃っているな。女性のほうが自由度が高いらしい。


 そう思ったところで、一人の若侍が目の前を通り過ぎた。出た! ポニーテール侍!


 総髪を高く結い上げた元結から、まさに馬のしっぽのような艶髪がふさふさとぶら下がっている。よくよく体つきをみると、どうやら男装の女性のようだ。おお、何でもありやな。


 肩で風を切って大通りを大股で歩く女侍を目で追っていたら、源次郎さんが


「春日井藩は、武芸に秀でた子女を差別なく城勤めに取り立てるので、ああいった女武芸者が特に多いのだ」


と教えてくれた。


 五ノ井の町の南側、ちょうど商家の区画と一般庶民の住まう区画を区分けするかのように、三鈴川という幅五間くらいの川が東西に流れており、荷車が二台すれ違えるほどの幅の橋が架かっている。名を、鈴屋橋という。


 橋の北側のたもとに、四、五十人くらいの人だかりがしていた。ときどき、歓声のようなどよめきが聞こえる。


「春日井藩は武芸に名高いときいておったが、ご家中の腕自慢は腰抜け、腑抜けばかりか! もうちょっと骨のある御仁はおらんか!」


と、人だかりの中心で、雷のような大声をはりあげている男がいた。


 あれは何?


 源次郎さんの顔を見あげる。


「春日井藩は、腕が確かならば禄を与えるからな。仕官を願う武芸自慢のものは、ああして、己の腕を示すのだ」


 にしても、ちょっとばかり煽りすぎだがな、と源次郎さんは苦笑する。

 

「どれ、いい機会だ。傍で見てみようではないか」


 人だかりをかき分けていくと、身の丈六尺の髭面の大男が、長さ九尺ほどの十文字槍を手に、仁王立ちで吠えているのが見えた。ぼさぼさの総髪も、薄汚れた小袖や軽衫(かるさん)も、なにもかもがむさ苦しい。


「拙者、長田流免許皆伝の槍自慢で、後藤又七郎と申す者! 仕官をお願い申す!」


 熊みたいだな……


 そう思った瞬間、熊が源次郎さんを見て吠えた。


「そこな御仁、なかなかの遣い手とお見受けいたす! 一手、お手合わせをお願い申す!」


――えええ?


 熊さん――後藤又七郎と名乗る十文字槍の遣い手に指名された源次郎さんは、にっこり笑顔を返した。


「いやぁ、拙者、見てのとおり幼子を連れての旅の途中でな。手合わせの類は遠慮つかまつる」


 そういって、足もとにいる私の頭を左腕で抱き寄せる。


 その様子を一瞥した熊さんは、ちらっと失望したような色を髭面に浮かべたが、すぐに


「かような儀であれば、仕方あるまい。貴殿とであれば、よい仕合ができようものを。いや、こちらこそ、失礼つかまつった」


と、一礼を返してきた。


「では、御免」


 源次郎さんは、私の手をひき、人の輪の二列目くらいに下がる。


「ゆき、俺の予想では、あの男はなかなかに槍を遣う。槍の遣いかたを、しかと見ておけ」


 源次郎さんが肩車をしてくれたおかげで、熊さんの姿がよく見える。よくよく見ると、人垣の向こうのほうに、うめき声をあげて倒れている侍が四人ほどいる。熊さんにやられたのだろう。同輩らしき侍があわただしく介抱をしている。


「どけどけ!」


「我々をこけにしたのは、こやつか!」


 怒鳴りながら、二人組の若侍が走ってくるのが見えた。ああ、血気にはやった藩士だな。


 人混みがさっと二つに分かれて、若侍達に道を開ける。若侍達は、血走った目で熊さんを睨みつけた。


「いかにも。歯ごたえのある相手がおらず、暇を持て余していたところよ」


 熊さんがしれっと答え、それがまた、若侍達の怒りに火を注いだ。


「おのれ! 黙って聞いておれば、我が藩に対する無礼の数々!」


「もう我慢ならん! 覚悟!」


 二人ともほぼ同時に抜刀し、熊さんを挟み込むように正眼に構えた。


 一方の同意なく、一対二で立ち合うのは、もはや仕合ではない。ただの斬り合いだ。人垣のざわめきが一瞬のうちに静まりかえる。


 最初に斬りかかったのは、熊さんの右側にいる若侍だった。裂帛の気合いとともに打ちこんだものの、熊さんがひょいと槍で刀を絡めとる。大刀が中高く舞うのを若侍が唖然とした顔で見上げた瞬間、その腹に槍の先端が深々とささった。


 熊さんが槍を引き抜き、若侍は腹を両手で抑えたまま倒れこんだ。


 同輩が倒れたのを見たもう一人の若侍は、果敢にも熊さんに斬りこもうとした瞬間に、地を這うように切り払う槍の穂先に足首を刈られ、もんどりうって転倒した。アキレス腱を両方とも断たれたのだろう、若侍は刀の鞘を支えになんとか立ち上がったものの、もはや戦える状態ではなかった。


「そこもとらの腕では、素振りの代わりにもならぬ。去ね」


 熊さんの一言に、足首を刈られた若侍は屈辱で顔を朱に染めたが、駆けつけた同輩にかつがれて、その場から消えた。


 腹を刺されたほうも、運ばれていったけれど……あれはもう、助からない。腹を刺されても、すぐには死なない。だが、あの刺創の深さだと、間違いなく腸管が損傷している。この世界の医療レベルは知らないけれども、私が知っている江戸時代と大差ないのであれば、遅かれ早かれ、腹膜炎で死に至るだろう。


 槍とは、厄介な武器だ。間合が遠いので、踏み込めない。この敵を相手に、どうやって戦えばいいんだろう。源次郎さんなら、どう戦うのかな。


 ちらっと源次郎さんの顔を見る。


「しかと、見たか?」


 私は頷いた。ふと、熊さんのほうに目をうつすと、商家の主といった風体の、恰幅のいい男に話しかけらているところだった。どうやら、酒と食事をふるまわれるらしい。


「今日はもう、よき仕合の相手は見つからぬだろう。馳走になるとするか」


 一気に上機嫌になった熊さんは、恰幅のいい男と一緒に、去っていた。


「行くか、ゆき」


 ふたたび源次郎さんに手を引かれて歩き出す。


「あの男は、ちと、やりすぎたな」


 独り言のように、源次郎さんがつぶやく。


「藩士の面子の手前、あの男の、春日井での仕官はかなわぬだろう。あれほどの腕なのに、浪々の身でいるのは、あれが原因か」


 腕がたつだけでは、生きていけないよね。熊さんも不器用だよなあ。


 なんとなく、源次郎さんの独り言が、源次郎さん自身にも向けた言葉のような気もした。いつか、源次郎さん自身の、昔の話を聞けるだろうか。


 商家の中心街に向かう途中で、杖をつき、左足をひきずって歩く老爺とすれ違った。老爺は、熊さんたちが立ち去った方角へ向かっている。


――なにかおかしい


 私達を監視しているような気配は感じなかった。でもこの違和感は……


 ああそうか、このお爺ちゃん、左脚に悪いところはないよね? 骨も関節も、腱や筋肉も、そして脊髄や神経や血管も、全部正常だ。


 おっと、このお爺ちゃん、左脚が悪いふりをしているだけかい。いかにも怪しいぜ。というか、この世界にきて初めて、この謎の能力が役に立った気がするよっと。

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