ろくでもない運命なんて、糞くらえ
旅の二日目。
旅籠を出る直前に
「ゆき、今日は俺と彦佐の傍を離れるでないぞ」
と、源次郎さんに言われた。
昨晩、彦佐さんは「奴ら……」と言っていたような気がした。うとうとしていたから、ちゃんと最後まで聞き取れなかったけれど。何か関係があるんだろうか。
でも、出立の支度をする源次郎さんと彦佐さんの様子は、いつもと変わりがない。昨日の会話、気のせいだったかなあ。
昨日に引き続き、行平街道を西へ西へと進む。快晴で絶好の旅日和である。
今日は、彦佐さんが、源次郎さんと私の十歩ほど先を歩いているので、道中の解説はなし、だ。
ときどき、源次郎さんが「足は痛くないか」「そろそろ休むか」と聞いてくる以外は、二人ともほとんど口を開かない。
やっぱり、二人ともいつもと様子が違うな。それに……なんだろう。今日、宿場を出てから、ときどき誰かの視線を感じる。じっとりとまとわりつくような、嫌な感じだ。
今も、誰かに見られているような気がして、思わず後ろを振り返ったけれども、今しがたすれ違ったばかりの町人の夫婦連れの後ろ姿しか見えなかった。
「ゆき、振り返るな。気配を感じても、素知らぬ顔をいたせ」
源次郎さんが、まっすぐ前を見たまま、小声で話しかけてきた。うん、わかった。事情はわからないけれども、誰かに監視されているってことだよね。
宿場を出て四つ目の一里塚で、休憩をとる。木陰に腰をおろしたところで、彦佐さんが
「ちょっと、はばかりに行ってきますぜ」
と言い、振り分け荷物を置いて、ニっという笑いを残し、塚の陰に消えた。
あたりに他の旅人の姿はないが、四方八方から誰かの視線を感じる。向こうも、もう気配を隠す気はないみたいだ。
気配がしても知らんふりをしろ、とさっき源次郎さんに言われていたから、とりあえず腰をおろしたまま寝ている振りをした。だって、四方八方を囲まれていて、見る場所がないんだもん。そのかわり、全身の感覚を研ぎ澄まして、相手がどう出るかを待つ。
「ほう、ゆきは、そういう気ばたらきもできるか」
感心したような源次郎さんの声が聞こえ、私の頭の上にポンと手が置かれた。
「目を開けていいぞ。これから起こることを、しかと見ておけ」
源次郎さんの言葉に目を開けてあたりを見回すと、九人の追手が姿を現していた。
途中ですれ違った町人の夫婦連れ。さっき追い抜かしていった行商人らしきなりの、三人組の男。昨晩同じ宿だった、薬売りの男。初めて見る、飛脚姿の男と、浪人者が二人。
あと、まだ姿を隠しているやつが一人いるな。道端の木の後ろから、殺気がダダ洩れだよ。
彦佐さんが場を離れたっきり戻ってこないのが気がかりだったが、まずは目の前の敵に集中だ。この幼女の身体では、どうせたいした働きはできない。今は、源次郎さんの足をひっぱらないように全力を尽くそう。
浪人者が刀を抜いたのを見て、源次郎さんがゆっくり立ち上がりながら鯉口を切った。
「俺を冴木源次郎と知っての狼藉か。役目を退いた身ゆえ、そこもとらに恨みをかう道理はないが」
その言葉に返答はなかった。源次郎さんも、はなから返事を期待しているわけでもなく、私を背に匿いながら、ゆっくりと後退する。
左手には行商人姿の三人。右手には飛脚と夫婦連れ。正面には浪人二人だ。左手の奥にいる薬売りが、おそらくこの一味の頭目だろう。商人と飛脚は、いつのまにか道中差しを抜いている。夫婦連れは、懐に手をいれている。きっと何かを隠し持っているに違いない。
薬売りの男が短く指笛を鳴らしたのを合図に、血戦の幕が切って落とされた
最初に仕掛けてきたのは、行商人姿の三人だ。
一人が私達の左横に回り込むように、抜き身を下げて走りこんでくるのと同時に、一人が低い姿勢で正面から飛び込んでくるのが見えた。そして、あと一人は他の二人から一瞬遅れて、右横から斬りかかってくる。
三方から同時に攻撃されたときは、本来ならば自分から一方の敵との間合いを詰めなければならない。そうすることで、相手の攻撃が自分に届くタイミングをずらし、常に一対一の状況を自分で作り出すことができる。
ただ、今の源次郎さんは、私を背に匿っているため、大きく位置を変えることができず、圧倒的に不利だ。だが、私の目の前の背中に、焦りの色はなかった。
源次郎さんは、大刀を鞘のまま帯から引き抜き、刀をそのまま抜きはらうと同時に、左手に持った鞘で、左からくる敵の胸に強烈な突きを放った。突きをまともにくらった相手は、そのままもんどり打って倒れる。
その様子を一瞥もせずに、源次郎さんは、真向から斬りこんできた敵の両の手首を、右の下段からグンッと薙ぎ払った。両手首の腱を絶たれた敵は絶叫をあげて、刀を取り落とす。
左から回り込んできた男は、返す刀で右の頸動脈を一太刀で断たれ、首から血飛沫をあげて倒れた。
時間にして二秒足らずの出来事であった。私は、脳天に一撃を喰らったような衝撃をうけ、一部始終を茫然と眺めていた。
――この太刀筋は、先生と同じだ
見間違えようはずもない。頸動脈を絶ち、四肢の腱を切断する。相手の戦闘力を、効率よく封じることに特化した剣だ。
――すると、源次郎さんは……私は……
「ゆき、ついてまいれ。俺の背中から離れるでないぞ」
混乱した思考は、源次郎さんの声で中断された。そうだ、あとで幾らでも考えられる。私は頷き、源次郎さんの背中に隠れるように移動する。
源次郎さんは油断なくあたりに目を配りながら、夫婦連れと飛脚から距離をとるように、浪人達の左側に回り込む。淀みない足の運びに、浪人たちは打ちこむ機先を制され、一瞬動きが止まった。
その機を逃さず、左側の男の間合にすっと入り込んだ源次郎さんの剣が一閃し、頸動脈を断ち切った。男の身体は、倒れる前に源次郎さんに腹を蹴り飛ばされて、同輩の足もとに吹っ飛ぶ。
刀を八相に構えて間合を詰めようとしていた男は、蹴り飛ばされてきた男の身体に躓き、よろめく。次の刹那、男は右の頸動脈を断たれ、そのまま絶命した。
夫婦連れが懐から丸い塊を出し、腕を振りかぶるのが、視界の片隅に映った。
源次郎さんからの距離は、およそ八間。丸い塊が投擲されようとする瞬間、夫婦連れの頭部がほぼ同時にグラッと揺れて、脳漿が噴きだし、二人ともその場に崩れ落ちた。一呼吸ののち、猛烈な閃光とともに、二人の骸は爆炎に包まれた。
よくよく見ると、もうもうとあがる黒煙の向こうに、飛脚姿の男が倒れている。首から流れ出る血で、地面に黒い染みが拡がっている。首を掻っ切られたみたいだけど、いつの間に?
「あっちの木の陰に隠れていたもう一人の奴も、始末しましたぜ。手負いですが、頭目には逃げられちまった。面目ございやせん」
聞き覚えがある声に誘われて、右横の木の上を見あげる。彦佐さんがふわっと空気のような軽やかさで樹上から飛び降り、私達の目の前に音もなく着地した。
うわあ……風車の親分ばりの、登場の仕方だよ。
風車の親分、といえば、某国民的時代劇でご老公の密偵をつとめる看板キャラクターだ。テレビ時代劇の密偵のなかでも、史上最強との呼び声が高い。
なにしろ、ただの密偵の身でありながら、登場時には独自の軽快なテーマ曲が流れるほどの人気である。
そして、ご老公の供の者たちが、女好きだったり、堅物だったり、うっかりだったりするなかで、親分だけはとにかく隙がない。そして、れっきとした妻帯者であり、ちゃんと娘までいる。万事につけ、パーフェクトである。
あ……。つい前世の癖で、心のなかで力説してしまった。いかんいかん。
少しばかり反省をして、彦佐さんの顔を見上げた。
いつも私に見せる、好々爺然とした笑みはなく、ぎょろっとした目が爛々と光っている。
「追いかけようかと思いやしたが、旦那様とおゆき坊のことが気がかりで……」
真一文字に引き結んだ口が、彦佐さんの悔しさを物語っていた。
「構わぬ。どこの手のものかはわからぬが、俺たちを狙う肚づもりならば、この道中で今一度仕掛けてくるだろうさ」
源次郎さんはこともなげに言った。
「それにしても、彦佐よ。お前の弓の腕は、相変わらず見事なものだな。今回も、命拾いしたぞ」
彦佐さんは、裾をからげた着物に股引と脚絆、という旅姿だが、いつの間にか、その背に小さな弓を背負っていた。いわゆる半弓よりもさらに小さく、おそらく金属製なのだろう、しっかりした拵えだ。小さいとはいえ、この弓を引き絞るにはかなりの膂力が必要だろうし、威力も高いはずだ。
「その剛弓で、あの夫婦者の頭を続けて射貫いた腕前、惚れ惚れしたぞ」
頼もし気に笑う源次郎さんの褒め言葉に、彦佐さんは少し頬を緩めた。だが、それも一瞬のことで、すぐに真顔になり、口を開く。
「連中、焙烙玉なんて使いやがった。いや、ただの焙烙玉じゃねえ。なりの割りに、威力が段違いだ。真昼間の街道のど真ん中でこんなモン使うたぁ、荒っぽいにもほどがありやすぜ。どうせ町育ちの連中だろうが、忍びがこんな荒働きするなんざ、世も末だ」
焙烙玉ってのは、素焼きの入れ物の中に火薬を詰めた武器で、手榴弾のようなものだ。ああ、彦佐さん、典型的な昔気質の頑固爺ちゃんだよ。
「飛脚姿のやつは、まあ三下でしたぜ。夫婦者がやられてから右往左往していたので、喉笛をこいつで掻っ切りました」
彦佐さんは、帯に挟んだ匕首をポン、と叩いた。
源次郎さんと彦佐さんは、昨日、長く逗留した宿場を出立した直後から、何者かに見張られていることに気がついた。今日、敵の一味が仕掛けてくると読み、彦佐さんが用を足しに行く振りをして辺りに身を潜め、相手の出方を窺っていたのだという。
案の定、この道中で源次郎一行を監視していた一味は、彦佐さんの姿が見えなくなったのを見て、源次郎さんの前に姿を現した。
「旦那様が斬り合っているところを、木の陰から吹き矢で狙っている奴がいましたんで、最初に始末しておきやしたぜ」
吹き矢は毒を用いたもので、皮膚がちょっとでも傷ついただけで、即座に死にいたるものだったらしい。
「二段構え、三段構えで我らの命を狙うとは、周到なことだ。役目を離れて、のんびり暮らそうかと思った矢先だというのにな」
源次郎さんはため息をついた。
「だが、振りかかる火の粉は、払わねばなるまい」
「へい、おっしゃるとおりで」
なるほど、どうやら源次郎さんは前の仕事を早期退職――この世界の平均寿命がどれくらいかわからないけれど――して、彦佐さんの故郷で隠居するつもりだったらしい。狙われたのは、前の仕事の絡みか……
「ゆき、よ」
突然、源次郎さんから名前を呼ばれて、私は居住まいを正した。
源次郎さんは、血振りをしたあと刀身を懐紙で拭い、鞘に納めた。たったいま、四人の敵を切った物打ちには、傷ひとつついていない。腱や動脈などの軟らかい箇所だけを、恐るべき精度で斬った証拠だ。あの乱闘のなかでそれができるのは、驚異的な腕前だ。
「ゆき、怪我はなかったか?」
片膝をつき私の顔を覗き込みながら、源次郎さんは聞いた。
大丈夫、ぴんぴんしているよ――そういう気持ちを込めて、私は力強く頷いた。
「俺の娘となってすぐに、かような荒事に巻き込んですまぬ。あまり詳しくは話せぬが、俺はな、長い間、先の御老中・上柴様の命で、諸藩を探るお役目についていたのだ。上柴様が身罷られたゆえ、つい先日、暇をいただいたところよ」
なるほど、公儀隠密ということか。
「役目を離れて平穏な暮らしを、とも思ったが……やっぱり俺には、血生臭い日常から逃れられぬようだ」
どこか自嘲の色を帯びた声音で、源次郎さんは続けた。
「俺と一緒に来れば、嫌でもそういう人生を歩むことになる。お前がこの先、普通の娘としての幸せを望むなら、この旅の途中で、然るべき養い親を見つけてやろうぞ。だが、お前が俺と来るならば、な」
私の両肩を抱く源次郎さんの手に力がこもる。
「お前に俺の剣の、すべてを伝える。ゆき、どうする?」
この世界での、私の『ゆき』という名前。私の父となった、源次郎さんの太刀筋。前世で何回か見た、この世界の夢やビジョン。そして、先生の、前世の生い立ち。
いろいろなピースが組み合わさって、ひとつの解に辿りつく。先生の前世での剣の師匠は、この源次郎さんだ。そして、先生が前世で可愛がっていた少女は、私。この旅の目的地である彦佐さんの故郷は、先生が生まれ育った隠れ里。
私は、源次郎さんの剣を学びたい。存分に動くこの身体で、先生から学んだ剣を、もっと高めたい――渇望に似た情熱が湧き上がってくる。
そして……
私のこの世界での人生は、このままだと誰かに殺されて終わる。私だけではない、きっと、源次郎さんも、彦佐さんも。夢やビジョンで見た、廃墟と化した里の光景を思い出す。
そんなことはさせない。
生きて、生きて、生き抜いてやる。
強くなって、源次郎さんも彦佐さんも、みんなで生き残るんだ。
ろくでもない運命なんて糞くらえ、だ。
両手で源次郎さんの大刀の鞘を握り、その顔をまっすぐに見つめる。
――私は、あなたについていく。
そう目で訴え、両手に力を込めた。
急に、源次郎さんが左の腕で私を強く抱き寄せたので、一瞬息がつまる。
「よし、俺と来い。俺の子として、生きろ」
源次郎さんの顔を見上げる。彫りの深い端正な顔に、優しい笑みが浮かんでいる。
ついさっき、人を斬ったばかりの人が、こういう表情を浮かべることができるんだ。平和な時代の日本にいた私には、ちょっと不思議な気がする。でも、源次郎さんたちにとってはこれが日常で……一刻一刻を凝縮して生きている。その生き方を、私は愛おしく思う。
私はこの世界でせいいっぱい、生き抜くよ。この人達とともに。




