転生者
校長への報告を終えたあと、俺はラルフ様の部屋へと戻っていた。
夜はすでに深く、窓の外には月明かりが静かに差し込んでいる。
だが、その静けさはどこか張りつめていて、ただの安らぎとは違う種類のものに思えた。
「最近は随分とお疲れのようですね」と、そう言われた。
ラルフ様もここ数日、外交の関係で城を離れており、多忙な日々を送っていた。
「そうですね…色々忙しくて。とりあえず、ここ数日のことまとめてお話しいたします」
そうして、報告を終えると、ベッドの上に腰掛けたラルフ様が、足を組みながらこちらを見上げる。
その仕草は優雅そのものだが、瞳の奥にはわずかな疑問が宿っていた。
「…そうですか。それは大変でしたね。けど、まさか学園に刺客が現れるなんて…。あの校長の結界をすり抜けることができるんでしょうか?」
「…俺にはできないですね。恐らくラプラスに似た何かそういう存在がいるのは間違いないですが、それ以外にも内部に協力者がいる可能性が高く、今はそれをシュナと共に調査しているのですが…」
いや、犯人には心当たりがある。
心当たりはあるが…。
「容疑者は絞れているんですか?」
「まだ確定じゃないですけど…ロエナ・クローネはかなり怪しいかと思います」
「……名前は聞いたことがあるわ。けど、そんなことをする理由がよくわからないわね」
ラルフ様の目が、わずかに細くなる。
「何らかのメリットがあるんでしょうけど、今はさっぱり…。拘束しようにもあの異次元に現れる能力があれば拘束も意味をなさないかもしれないですし」
軽く笑ってから、俺はベッドに体を預けた。疲労がじわりと体に広がる。
戦闘だけじゃない。
ここ最近は情報の整理、推測、警戒——思った以上に神経を使っている。
「今日は早く寝てた方が良いですね…」と、少し残念そうに呟く。
「…そうですね。ラルフ様もお疲れですよね?」
「私はそこまでは…」
そんなことを言いながらも、疲れていたのか、ラルフ様はすぐに眠りについた。
そうして、部屋の灯りを落とすと、月明かりだけが薄く室内を照らす。
静寂。
ラルフ様の呼吸の音だけが、かすかに響く。
そして——
その寝顔を見ながら、少し目を足しで意識が、ゆっくりと沈み始めた…そのときだった。
夢に落ちる直前、現実と境界が曖昧になるあの瞬間。
普段ならそのまま意識を手放すはずのところで、わずかに“ズレ”が生じたような感覚があった。
『……起きろ』
ラプラスの声が響く。
それは冗談でも軽口でもない、明確な警告だった。
次の瞬間、意識が一気に引き戻される。
目を開ける。
暗闇に慣れた視界の中で、ゆっくりと状況を確認する。ラルフ様は隣で静かに眠っている。
異常は——ない。
……いや。
ある。
部屋の奥。
窓際でも扉でもない、“何もないはずの空間”に、わずかな歪みが生まれていた。
空気の密度がそこだけ違うような、視線を向けると焦点がわずかにずれるような、そんな歪み。
そして、それはゆっくりと形を成していく。
水面から人影が浮かび上がるように、輪郭が現れ、色が宿り、やがて一人の少女の姿になる。
「……こんばんは」
静かな声だった。
ロエナ・クローネが、そこに立っていた。
まるで最初から部屋の中にいたかのような自然さで、彼女は一歩、こちらへ歩み寄る。
「……不法侵入だぞ」
俺は体を起こしながら、小さく呟く。
「ええ、そうですね。この国は法治国家なのですか?」と、ロエナはくすりと笑う。
感情の温度が感じられない。
軽く身構えていると、一歩一歩近づく。
「それ以上近づいたら…」
「近づいたら?」
「…敵対行為と見做して戦闘を開始する」
「では、ここでお話をしましょう」
それから彼女は窓際に行き、話を始める。
「…ここに来たのはあることを確認したかったからです。あなたも転生者なんですよね?」と、そう言われた。
あなた…も?
ということは…と、思考が巡った瞬間、ロエナの攻撃が飛んでくる。
それを受け止めるが、空いた手でラルフ様に手を出そうとする未来が見えたため、魔法でそれを阻止する。
「…答える気はないですか?」
ロエナがわずかに首を傾げる。
ラプラスの予測が、脳内で展開される。
彼女の魔力の流れ、その発生点、収束点、発動タイミング——すべてが、既に“終わった後の情報”として知覚される。
結果だけをなぞるように、体が動く。
ロエナの手が振り抜かれるその直前、俺はわずかに位置をずらした。
放たれるはずだった空間干渉の刃は、そもそも“当たる座標”に対象が存在しないことで、意味を失う。
歪みは発生しかけたまま、霧のように散った。
「……え?」
ロエナの表情が、ほんのわずかに崩れる。
空間を捻じ曲げて距離を詰める——その起点に、先に手を伸ばす。
干渉が成立する前に、魔力の流れそのものを乱す。
結果、彼女の能力は“発動できない”。
「……何それ」と、小さく、驚きの声が漏れる。
そのまま、片手を押さえて床に抑える。
「別に大したことじゃない。ただ、お前の次の動きが分かるだけだ」
「……そう。ということはあの子からラプラスを奪ったのはやはりあなたなのですね」
ロエナの目が、はっきりと細められる。
先ほどまでの余裕が、わずかに揺らいでいた。
だが、その口元は——笑っていた。
「何が目的だ?」
「こちらの質問に答えていただけますか?あなたは転生者で、ラプラスを奪ったのはあなたですか?」
「質問できる立場にいると思うか?」
次の瞬間、彼女の抑えた両手とは別に真っ黒な手が俺の手を触る。
すると、手形が呪いのように刻まれて、思わず手を離す。
「……今日はここまでにしておきます」
すると、彼女はゆっくりと立ち上がる。
「君は一体…」
「私はあなたの仲間ですよ」
最後にそう囁いて、彼女は音もなく消えた。
残されたのは、静寂だけだった。
「……はぁ」
深く息を吐く。
心臓は落ち着いている。だが、神経は完全に覚醒していた。
天井を見上げながら、目を細める。
ロエナ・クローネ。
あいつは——間違いなく、この事件の核心にいる。
ただ、それだけじゃない、下手すればこの世界について何かを知っているようなそんな気がした。




