うっかり王女様を助けてしまった
王都の外れに位置するブルーム男爵領は、穏やかな田園風景が広がる小さな領地だった。
古びた石造りの館は、貴族の家系としては控えめで、庭園には季節の花々が咲き乱れ、遠くから見れば絵画のような美しさを持っていた。
しかし、その内部では、家族の微妙な力関係が常に空気を張りつめさせていた。
リグゼ=ブルームは、男爵家の三男として生まれた。
長男は家督を継ぐための教育を受け、次男は軍人としての道を歩み始めていた。
一方、リグゼは「ハズレ三男」と陰で呼ばれ、家族からも期待されていなかった。
魔法の才能が乏しく、頭脳も平凡。
剣術すらろくに扱えないという触れ込みで、17年間を過ごしてきた。
実際、俺は館の裏庭でぼんやりと過ごすか、近所の村で適当に手伝いをする程度の生活を送っていた。
スローライフ、と心の中でそれを称していた。
誰にも干渉されず、穏やかに生きる。
それが俺の理想だった。
その日、父に執務室に呼び出された。
部屋は重厚なオークの机と書棚が並び、窓から差し込む午後の陽光が埃を舞わせていた。
男爵、ガルド=ブルームは、厳つい髭を蓄え、年齢を感じさせる皺が刻まれた顔で息子の俺を見つめていた。
彼の目はいつも俺を見る時、微かな失望を湛えていたが、今日は違った。
少し興奮したような輝きがあった。
「リグゼ、良い話がある。お前に婚約の話が持ち込まれたのだ」
父の声は低く、抑揚を抑えていたが、喜びが滲み出ていた。
俺は椅子に座ったまま、ゆっくりと目を瞬かせた。
内心でため息をつきながら、いつものようにぼんやりとした表情を浮かべた。
「婚約……ですか? 僕に?」
「そうだ。相手は隣領の女男爵家の一人娘、ミリア=ヴェルトだ。彼女は家督を継ぐ立場だが、未婚のままでな。うちのような小さな男爵家との縁組は、互いに利がある。お前のような才能のない三男でも、受け入れてくれるとは奇跡だ」
父の言葉には、棘があった。
俺はそれを無視し、ただ頷くだけにした。
実際、自分の「才能のなさ」を演じきっていた。
生まれながらに魔法の才能が突出していることを悟った幼少期から、魔力を抑える術を身につけ、周囲にバレないよう振る舞ってきた。
なぜなら、この世界で目立つことは、面倒ごとを呼び込むだけだと知っていたからだ。
「父上、それは嬉しい話ですね。でも、相手の方はどんな人なんですか?」
俺の質問に、ガルドは少し顔をしかめた。
「まあ、性格は少しきついかもしれないが、美人だぞ。ヴェルト家は古い血筋で、魔法の素養も高い。お前なんかにはもったいない相手だ。明日、顔合わせをセッティングした。しっかり振る舞えよ」
…さて、どうやって破談させようかとしか俺は考えていなかった。
翌日、ブルーム家の応接室で顔合わせが行われた。
部屋は絨毯が敷かれ、暖炉の火がぱちぱちと音を立てていた。
ルーズ=ヴェルトは、黒髪を厳しく結い上げ、鋭い目つきの女性だった。
年齢は同じ17歳。
ドレスは上品だが、彼女の態度はそれを台無しにしていた。
入室するなり、彼女は俺を上から下まで値踏みするように眺め、鼻で笑った。
「あなたがリグゼ=ブルームね。噂通り、ぱっとしないわね。何の才能がないって本当? それでこのヴェルト家の一人娘と結婚するなんて、身の程知らずじゃないの?」
彼女の声は高く、刺々しかった。
俺は内心で舌打ちした。
顔は整っているが、性格が最悪だ。
口が悪く、態度も傲慢。
こんな女と一生を共にするなんて、想像しただけで吐き気がした。
だが、いつものようにぼんやりと微笑み、頭を下げた。
「初めまして、ミリア様。おっしゃる通り、僕は何の取り柄もない男です。でも、折角の機会ですからお話だけでもよろしくお願いします」
ミリアはさらに眉をひそめ、父に向かって言った。
「男爵様、この男で本当にいいの? せめて私の護衛くらいはできるわよね?」
父は苦笑し、フォローした。
「リグゼは穏やかな性格だ。護衛としては役に立たないかもしれないが、ミリア様の補佐役として、きっと役立つはずだ」
そうして、喧々とした雰囲気のまま顔合わせはぎこちなく終わった。
ミリアは去り際に俺を睨みつけ、「期待外れね」と吐き捨てた。
リグゼは部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。窓から見える夕陽が、部屋を赤く染めていた。
…よし!!大成功!!
これなら縁談は成立しないだろう!と、そう思っていた。
◇
俺の人生は、実はこの世界で始まったものではなかった。
前世の世界で俺は腕利きの弁護士として活躍していた。
法廷で数々の勝利を収め、金と名声を手に入れたが、それが仇となった。
ある事件で加害者家族の恨みを買い、暗い路地で刺殺された。
次に目覚めた時、彼は異世界の男爵家三男として転生していた。
この世界は魔法が存在するファンタジー世界だった。
剣と魔法が日常的に使われ、王国は貴族と平民の階級社会で成り立っていた。
俺は生まれて間もなく、自分の魔力が周囲の人間を遥かに上回っていることに気づいた。
乳児の頃から、空気中のマナを操り、簡単な浮遊魔法を無意識に発動させてしまったのだ。だが、前世の経験から、すぐに悟った。
目立つ才能は、争いや利用を呼び込む。
平凡に生きるために、力を隠す必要がある。
そこで、俺は魔力を抑える特殊な術を自力で開発した。
体内に「封印の鎖」と呼ぶイメージを張り巡らせ、魔力を最小限に制限することにした。
そのおかげで外見上は、魔法の才能がゼロの凡人として振る舞うことができた。
魔法学院に入学した時も、わざと失敗を繰り返し、「ハズレ三男」の烙印を押させた。
しかし、学院生活はそれなりに楽しかった。
友達は少なく、目立たない存在として、自由な時間を満喫した。
そして、夜は分身魔法で寝室に偽の自分を置き、城外の森を散策するのが日課だった。
星空の下、風に揺れる木々が、心を落ち着かせてくれた。
その夜も、俺は分身を寝室に残し、森へ向かった。
婚約の件で疲れていたのだり
ミリアの顔が浮かび、苛立ちが募る。
あの女、性格が悪すぎる。
結婚なんて冗談じゃない。
月明かりが木々の間を照らす中、俺はゆっくりと歩いた。
森は静かで、時折フクロウの鳴き声が響く。だが、突然、荒い息遣いの音と足音が聞こえてきた。
「あっちに行ったぞ! 追え!」
男たちの怒声。
俺は素早く木陰に身を隠し、息を潜めた。
視界に、フードを深く被った人物が駆け抜けるのが見えた。
女…か?
後を追うのは、5人の屈強な男たち。
黒いマントを纏い、剣や短剣を携えている。
明らかに人攫いか、暗殺者だ。
すると、その女は木の根に躓き、転倒した。男たちが彼女を取り囲む。
「おいおい、逃げても無駄だぜ。素直に捕まれよ」
男の一人が嘲笑う。
俺は眉をひそめた。
面倒ごとだ。
関わりたくない。
「…どうする?あいつらに渡す前に傷物にしちゃうか?」と、ニヤッと笑う。
「確かに悪くないかもな。王女様とやれる機会なんてそうそうないしな。どんな名器をお持ちか確認するのもありだな」
「えー、6Pかー。なら、処女は俺がもらうからな!」
「んじゃ、俺は口でお相手してもらうか」
「いいねいいね!やろうぜ!」と、男達が続く。
そっと後退しようとしたが、足元の小枝がパキッと音を立てた。
「誰だ!」
男たちが一斉に振り向き、魔法の光球を放ってこちらを照らした。
顔がばっちり見られてしまった。
くそ、運が悪い……。仕方ない、やるか。
俺はため息をつき、立ち上がった。
魔力を制限したまま、基本的な体術と基礎魔法で対応する。
男たちは予想以上に強かった。
剣術が洗練され、連携も抜群。
制限下では苦戦を強いられ、時間を食う。
これ以上はまずい。仕方ない…全開だ。
こうして、封印を解き放つ。
魔力が爆発的に膨れ上がり、周囲の空気が震えた。
一瞬で男たちを圧倒した。
風の刃で首を刎ね、炎の矢で心臓を貫く。
5人全員を瞬殺した。
血の臭いが森に広がる。
そして、死体を隠すために魔法で埋めようとした時、助けた子が震える声で言った。
「あの……ありがとうございました……」
しまった、この子がいた。
姿を見られた。始末するか……?
俺は冷徹に考えたが、少女がフードを外した。
青いの髪が月光に輝き、青い瞳が涙で濡れていた。
それは、大国クラム王国の第三王女、ラルフ=クラムだった。
舞踏会で一度見た顔だ。
「……初めまして……いえ、一度舞踏会でお会いしたことがありましたよね……。また助けられてしまいましたね」
彼女の言葉に、俺は凍りついた。
17年間隠してきた力が、露呈した瞬間だった。
それも王女を殺すわけにはいかない。
そして、この出会いが、彼の成り上がり人生の始まりとなることを、まだ彼は知らなかった。




