第八話
ももちゃんが友達を見送っていたから、その友達の気配がなくなるまで待った。親切な子だったな。路地で会ったときは本部の正確な場所を教えてくれたし、さっきは頭の細工についても教えてくれた。あの子は礼だと言ってたけど、今度俺からも何かお返しをしたほうがいいだろう。
さて。そろそろいいかと小さな背中に声をかける。
「……ももちゃん」
「っ」
ひくりと動いた筋肉から察するに聞こえているようだけど、返事はなく彼女はドアの方を向いたままだった。
勝手に追いかけてきたのはよくなかったんだろうか。不意に実家を見られたようで気まずいのかもしれない。
「……心配した」
まあ、いいか。聞いてくれていれば。
「またねも言わないで出てくから」
「……」
少し待っていたら、姿勢はそのままに彼女が口を開いた。
「……あたしが何やってるか知ってた?」
ああ、最初に調べたやつ。
裏でいろいろな依頼を受けて動いている以上、恨みもすぐ買うし口封じに狙われることもある。尾けられているのに気づいたら何もせず放置とはいかない。
「うん」
この子は今いるここが本部のナセストという団体に所属していて、暗殺をメインに請け負うグループの人員。指令の詳細まではわからなくても、そこまで調べがつけば大方目的は俺の命だろうと見当がついた。
「それで、ほっといてた」
「うん」
「なんで?」
彼女はこちらを見ないし、俯いている。ゆるい襟から覗く首の付け根に骨が連なって浮かんでいる。
「なんで彼女とかって、殺しに来たやつなんか殺しちゃえばよかったのに」
そんなの、簡単なことだ。
「かわいかったから」
「……。……!?」
ももちゃんは少し考えた後、声も出さずにばっと顔を上げた。
かわいいって気持ちがわかって、かわいいからもっと見ていたいと思った。それ以外に説明できる動機は特に思い当たらない。彼女になれるかと言われたときは予想外だった。
もし俺にこんな感情がなくても、今回の場合調べたあとは実際に襲ってくるまで放っておいたかもしれないし。殺し合いになったとして”苔桃”と俺ならまず間違いなく俺に軍配が上がる。それに。
「途中からは、好きな子にならいいかなって」
ももちゃんが決めた通りになるといいなと思った。それも本当。
「すきなこ」
相当びっくりしているのか、鸚鵡返しでかわいい。
「そうだよ」
「好き、なの」
「そうだってば」
「うう」
どうして驚いてるのかな。隠してはいなかったと思うけど。
「もーもーちゃん……こっち向いて」
後ろ姿もかわいいけど、そろそろ顔が見たくて念を押してみる。
すると、「んん゛〜〜……」とうなりながら渋々振り向いてくれた。
「あ……ふ、真っ赤だ。かぁいい」
指に汚れがないことを確認してそっと頬をつついたら、ももちゃんは目元を歪めた。いつも広く見えている白目がきゅうと狭まって、口の端はむずむずと上がるか上がらないかを繰り返している。おお、見たことない表情。かわいい。じっと眺めていたら余っている袖で鼻から下を隠してしまった。
「甘すぎる……」
「イヤ?」
「ううん、でも正直まだ整理できてな、はぅ」
最初がちゃんと否定だったから、あとはあまり気にしなかった。両耳のあたりを泡に触れるくらいにやわらかく手で包んで、視線を合わせた。ももちゃんが息をのんで上ずった声が途切れる。
せっかくだし教えてもらおう。訊きたかったこと。
「わるい親玉が死んで、組織がなくなったら」
「……ぅ、ん」
「ももちゃんは”俺の彼女”だよね」
熟したスモモみたいになっているももちゃんが、容量オーバーといわんばかりにぷるぷると震えて呼吸も浅くなっている。こわくないよ。
「か、…………そう、……です……」
「やった」
明らかに困っているけど、困ったまま俺の目を見ている。かわいい。
「キスしていい?」
「……」
彼女はしばらく逡巡して手をおろし、きゅっと唇を結んだ。くりくりの荒んでいた目が泳ぐ。
「あの、さ」
「うん」
「あたし咲くんのこと、殺せなかった。できないしやんないって初めて思った」
さっきの、家を出ていく前のことだろう。
「結局、自分で苔桃もやめちゃった」
「……」
「だから、いいよ、全部」
ももちゃんはそれだけ言って、ふっと力を抜いて瞼を伏せた。骨っぽい顔が掌に乗る感覚。
伺うように親指で皮膚の薄い目の下をなぞったら、ももちゃんはなんの抵抗もなく受け入れた。……うーん。全部ね。なんか違う。
とりあえず前髪に軽く口づけて、そのまま抱きしめる。胸板あたりにももちゃんの顔がきて、後頭部を撫でたらおずおずと服をつかんできた。
「やっぱりやめた」
「……なんで?」
「ももちゃんがしたいときに、したいことをしよう」
「出た、」
「俺はそれがいい」
身じろぎして不満げに呻いた彼女は、それでも腕の中から出ようとはしなかった。かわいい。
「そういうの、いっつもわかんないんだって……」
そうかな。ただそうしたいって思うだけだよ。
あれ、そういえばわかんないって初めて言ってくれたかも。ちょっと気になって、離して見下ろしたらももちゃんもこっちを見ていた。
「ももちゃんは?」
「あたしは、……咲くんに死んでほしくない」
「死なないよ」
「ん、それがいい」
腰に腕が回ってくる。ももちゃんはちょっとだけ笑って、ご機嫌だった。じゃあ、これでいっか。
めでたしってことで。
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