↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫が隠した星 〜楽園に行く前に、片付けることがある人たち〜  作者: Junbi
本編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/33

第三幕 向こうで待ってますよ

 救済の扉を開けたあと、カヂルグミは、だれもいなくなった通りを歩いていた。


 星がひとつ救われたあとの道は、たいていこうなる。だから、パチンコ屋の喫煙スペースにひとりの男が入っていくのは、すこしだけ目立った。


 なんとも、くたびれた男だった。


 若くもなければ、老人というほどでもない。二十年くらいの洗濯と日常にだまって耐えつづけた服は、もう、かんしゃくを起こす寸前だった。


 はねた髪は、寝ぐせなのか、くせ毛なのか見分けがつかない。どちらであっても、あまり見栄えはよくなかった。


 カヂルグミは、男のあとを追って喫煙スペースに入った。

 

 男は、入ってきたカヂルグミをちらりと見た。


 そのとき、男の目にどんな姿が映っていたのかは分からない。


 カヂルグミの外見は、見る者によって違った。知っている顔だったり、知らない顔だったり、むかつく顔だったり、好きな顔だったりした。


 そもそも、人の姿に見えるとは限らない。ピエロだったり、しゃべる牛だったり、まんま宇宙人だったりすることもあった。


 それでも、胸についた名札だけは、だれの目にも同じものとして見えた。


『ぶらざぁ・かぢるぐみ』


 男は、その目立つ名札にも目をやった。


 それでも、自分と同じ負け犬を見る目をしていた。


 カヂルグミは、いぶかしげな顔をした。そんな目で見られたことが不服だったわけではない。ただ、その名札なら、つい先ほどまで地球中の人間が見ていたはずだった。


 にもかかわらず、男は、まったく知らぬ存ぜぬという顔をしていた。


 なにも言わずにタバコを一本吸った。

 

 二本目を吸った。


 三本目まで吸うと、吸いがらを灰皿に押しつけ、ホールの方へ戻っていった。

 

 カヂルグミも、そのあとについていった。


 従業員は、どこにもいなかった。景品カウンターにも人はいない。呼び出しランプは、もうだれも呼ばないための赤い光になっていた。


 それでも台は光り、玉は流れ、ごちゃ混ぜの音楽は律儀につづいていた。


 救済の入り口を開け忘れた可能性は、すぐに否定できた。


 ホールの奥、男が戻った台からそう遠くない通路に、曇りガラスの自動ドアが立っていた。左右に壁はなく、天井から電源が伸びているわけでもない。それでも、人が近づくと律儀に開いた。


 男が前を通ると、ドアは音もなく左右に分かれた。


 男は、そのあいだをくぐらなかった。


 開いたドアの手前を横切り、当たり前のようにパチンコ台の前へ座った。

 

 男が離れると、自動ドアは静かに閉じた。


 これは、おかしい。


 カヂルグミはそう思った。


 男は救済を目前にして、本当にパチンコをはじめている。


 カヂルグミは、男の真後ろに立った。


 玉が流れる。

 光が跳ねる。

 大げさな音が鳴る。


 当たりなのか外れなのか、カヂルグミにはよく分からなかった。ただ、男の顔を見るかぎり、少なくとも幸福ではなさそうだった。


「あの」


 声をかけたが、男は振り返らなかった。


「扉は、目の前にありますよ。通れます」

 

「ああ」


 男は、顔だけをすこしこちらへ向けて答えた。


 しゃべることはできるらしい。

 

 カヂルグミは、ひとまずほっとした。


「向こうにも、遊技施設は用意できます」

 

「遊技施設って?」

 

「パチンコ屋です」

 

「用意できるの?」

 

「必要であれば」


 男は無表情のまま、視線を台へ戻した。


「いや、いいよ」

 

「いい?」

 

「俺は、いいよ」


 いいとは、どういう意味か。


 カヂルグミは、すこしだけ考えた。


 考えうるかぎりの幸福は、あと数歩の位置にある。トイレや喫煙スペースまで歩くよりも少ない手間で、男は必要なものを、ほとんどすべて手に入れられる。


 それ以上にパチンコをしたいというのなら、ひとまず扉をくぐって、向こうに用意される好みの台で打てばよかった。


「この店では、パチンコは成立していません」


 カヂルグミは言った。


「成立?」


 男は、感情のない目を台へ向けたままだった。


「景品と交換できません」

 

「うん」

 

「景品係がいませんし、景品を補充する者もいません」

 

「ああ、そうだな」

 

「換金する者もいません」

 

「分かってるよ」

 

「掃除をする者もいません」

 

「それは見れば分かるだろ」


 カヂルグミは、男がまだ分かっていないと思った。


「あなたは、ゲームをしに来たわけではなく、ギャンブルをしに来ているのでは?」

 

「そうだけど」

 

「では、条件のよい場所へ移動できます」

 

「いいって。俺は、この店でいいよ」


 男はハンドルを握ったまま答えた。


 カヂルグミには、その違いが分からなかった。


 設備だけを比べれば、向こうの方がいいに決まっている。音も光も望みどおりに調整できる。酒もタバコも出せる。


 負けたときに、ちょうどよく悪態をつける隣の客も用意できる。好みの顔をした店員も置ける。望むなら、負けた日の帰り道まで用意できる。


 わざわざ、こちら側の台で打つ理由は、ひとつもないはずだった。


「どうしてですか?」


 カヂルグミはたずねた。


「うーん」


 男は、答えるのも面倒だという顔をした。


「そのうち、みんな戻ってくるんだろ?」

 

「戻ることはできます」

 

「じゃあ、戻ってくるだろ」

 

「まだ、だれも戻ってきていません。しばらくは戻らないと思います」

 

「いいよ」


 男は、あっさりと言った。


「待ってる。どうせ打つなら、この店がいいんだ」


 この男には、からめ手が必要だった。


「扉の向こうでは、お金を配っています」

 

「金?」


 男は、そこではじめて興味を示した。


「いくら?」

 

「必要なだけです」

 

「好きなだけってことか」

 

「はい」

 

「だったら、いらねえよ」


 男は、しゃらくさい顔をした。


「俺はギャンブルがしたいだけで、金が欲しいわけじゃないからさ」

 

「なるほど」


 カヂルグミはうなずいた。


「損失感がなくなることを心配されているんですね」

 

「損失感?」

 

「大丈夫です。向こうでも、賭けの形式を保ったまま、勝敗と損失感を再現できます」

 

「さっきから、なにを言ってんだよ」


 男は不機嫌に言った。


「よく分かんねえよ」


 カヂルグミは、つかみ損ねた感触にこだわらず、別の条件を提示した。


「パチンコをしながら、酒やタバコも楽しみたくはありませんか?」


 遊技台に貼られたステッカーを指さした。


「それは、まあ」

 

「向こうの店なら、遊技中の飲酒と喫煙ができます」

 

「ほう」

 

「健康被害もありません」

 

「健康被害」

 

「パチンコをしながら寿司を食べたくないですか」

 

「寿司は、寿司で食いたいな」

 

「パチンコをしながら性的なサービスを受ける予定は」

 

「お前、一回座れよ。そこに黙って座ってろよ」


 男がそう言うので、カヂルグミは、おとなしく隣の遊技台の前に座った。


 座れと言ったからには、なにかしらあるのかと思ったが、男はそれ以上なにも言わなかった。押し黙ったまま、ひとりで玉を打ちつづけている。


 手持ちぶさたになって、カヂルグミも玉を打ちはじめた。


 玉の飛ばし方は、すぐに分かった。

 

 勝ち方は、よく分からなかった。


 ハンドルを握ると玉が飛ぶ。玉が飛ぶと、台の中で光が動く。光が動くと、なにかが起こりそうになる。なにかが起こりそうになって、たいていなにも起こらない。


 ずいぶん地球人らしい遊びだと、カヂルグミは思った。


 しばらくすると男が立ち上がり、喫煙スペースへ向かった。

 

 カヂルグミもついていった。


 男は、さきほどとまったく同じ場所に腰かけると、自分のタバコを一本差し出した。


 カヂルグミは、すこし迷ってから受け取った。

 

 男が火を差し出したので、そのまま黙って吸った。


 うまいのか、まずいのか、カヂルグミにはよく分からなかった。燃やした草を吸う行為としては、まあ、こういうものなのだろうと思った。


 次の休憩では、男は小さな缶の酒もよこした。


 これも、うまいのか、まずいのか、カヂルグミにはよく分からなかった。缶に描かれた果物と、中身の味があまり一致していないことだけは分かった。


 はじめのうちは、男はタバコを吸うたびに喫煙スペースへ行った。


 しかし二日目の昼ごろから、台の前で吸うようになった。


 台の脇には、赤い禁煙マークが貼ってあった。そのとなりには、「飲食はご遠慮ください」とも書いてあった。


「喫煙禁止では?」


 カヂルグミはたずねた。


「そのルールは、もうない」


 男は鼻で笑いながら答えた。


「更新されたんですか」

 

「あ? そうだよ。いま、なくなった」

 

「喫煙スペースは、どうなりますか」

 

「どうなる?」


 男は顔をしかめた。


「おかしなことを気にするな」

 

「ゾーニングは解除されたんですか」

 

「ゾーニ……なに?」

 

「喫煙区域の区分です」

 

「解除された。解除されたよ」


 カヂルグミは、店内の表示をもう一度見た。


 禁煙マークは、そのままだった。喫煙スペースも、まだ喫煙スペースとしてそこにあった。


 シールを貼りかえる者も、もういなくなったのだろう。

 

 カヂルグミは、そう納得した。


 それから男は、ハンドルを握ったまま煙を吐いた。

 

 やはり、だれも注意しに来なかった。


 カヂルグミも、すこし遅れて同じようにした。


 台の前で吸うタバコは、喫煙スペースで吸うものと味が変わらなかった。


 男はパチンコをつづけた。ときどき思い出したように立ち上がっては、いつも同じものを外から取ってきた。


 店の外には、まだ動いている自動販売機があったらしい。コンビニの棚にも、酒やタバコが残っていたのだろう。


「いつも同じ銘柄ですね」


 カヂルグミは言った。


「これがいいんだ」


 男は同じタバコを吸い、同じ酒をなめた。

 

 それから、くだらない玉遊びをつづけた。


 カヂルグミは数日、男に付き合った。


 数日である。


 地球の救済者が、歴史的なスピーチの直後に、場末のパチンコ屋で数日を溶かした。


 あとで彼は、そのことを僕の前ですこしだけ恥じた。もっとも、恥じたのは数日を溶かしたことではなく、三日で二十万円負けたことの方だった。


 男の扉は、そのあいだも、ずっと店内にあった。

 

 男は何度も、その前を通った。


 決まった銘柄の酒とタバコを取りに行く。小便をする。自動販売機の前でぼんやりする。腹が減れば、近くのコンビニからなにか持ってくる。たまに、だれもいない道路を見る。


 そのたびに、自動ドアは律儀に開いた。


 男はそれを横目に見て、また同じ台へ戻った。


 カヂルグミは、しだいに、らちが明かないと思いはじめた。


 ほかの通過保留者とは違い、男には、通れない理由が見当たらない。扉は出ている。本人も場所を知っている。危険もない。明確に拒んでいるわけでもない。


 あるのは、台の前から立ち上がるまでの、ほんのわずかな遅れだけだった。


 男が台の前でタバコを差し出してきたとき、カヂルグミは、それを受け取らなかった。


「もう行きます」


 男は、火をつける手を止めた。


 それから、見捨てられたような目でカヂルグミを見た。


「もうちょっと、いてくれよ」


 その顔を見て、カヂルグミはすこし困った。


 パチンコがしたいわけではない。

 

 金が欲しいわけでもない。

 

 楽しい場所へ行きたいわけでもない。

 

 みんなが戻ってくると、本気で信じているわけでもない。


 ただ、もうすこし、だれかと同じ店に座っていたかった。


 それだけだった。


 カヂルグミは、その「それだけ」の扱いを、まだ知らなかった。


「向こうで待っていますよ」


 男は返事をしなかった。

 

 同じタバコの煙だけが、台の前で薄く伸びていた。


 カヂルグミは、パチンコ屋を出た。


 その足で、近くのコンビニと自動販売機をまわった。男がいつも吸っていた銘柄のタバコと、いつも飲んでいた酒を、ほとんど根こそぎ回収した。


 それから、すこしだけ遠いところに置いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。