第01話 良い夢を
「さて……。終わったか?」
遠くで絶え間なく響いていた剣戟が、ようやく止んだ。
煙をゆっくりと吐き出す。
煙草を灰皿へともみ消し、ソファーから立ち上がった。
赤絨毯が真っすぐに伸びる、長い廊下を歩く。
壁には、先ほど出てきた部屋の扉が一つあるだけ。
ほかに出入り口は見当たらない。
やがて、突き当たりに黒い厚幕が見えてきた。
両脇に控えていたメイドが、無言で幕を左右へ開く。
「おー……。派手にやったなー」
やたら背もたれの高い玉座の脇に立ち、広間を見渡す。
広大な空間には、激戦の爪痕が生々しく刻まれていた。
石造りの床には、剣が刻んだ傷、砕け散った跡、魔法で焼き焦がされた痕が幾重にも残っていた。
「焦るな、と言ったんだがな」
そして、倒れ伏す四人の若い男女。
「でも、まあ……。無謀も若さの特権か」
誰一人として身じろぎせず、虚ろな瞳は天井を映したまま。
足元には血溜まりが静かに広がっている。
「あーあ……。また宰相に説教されるな」
天井を見上げると、大穴が開いていた。
今日は、満月か。
月明かりを浴びる彼女は、いつもと変わらず美しかった。
玉座に腰掛け、気だるそうに頬杖をついている。
「我が麗しの魔王様は、ご不満かな?」
気障な台詞だとは思う。
だが、これくらい言わないと、彼女はすぐに拗ねる。
「強くはあった。
しかし、それだけだ」
俺はため息を堪えて、後頭部をぼりぼりとかく。
どうやら、今代の勇者様もお気に召さなかったようだ。
「結構、世間の評判はよかったぜ。
歴代最高なんて言われてたんだけどな」
「お前が最高だ! ダントツだ!」
肘置きを勢いよく叩き、彼女は立ち上がった。
漆黒のドレスがふわりと揺れる。
先ほどまで勇者を冷たく見下ろしていた瞳は、今では子どものように輝いていた。
俺は困ったように笑い、両手を前へ差し出す。
「ははっ、光栄だな。
でも、無茶をしたんだろ?
しばらく眠ることになるんじゃないか?」
その言葉に、彼女はぴたりと動きを止めた。
わずかに眉を寄せ、小さく唇を尖らせる。
「むぅ……。ならば、せめて良い夢を頼む」
拗ねたような声だった。
世界最強の魔王とは思えない。
俺は肩をすくめ、苦笑を浮かべる。
「任せろ。天国みたいな夢を見せてやるよ」
その瞬間。
彼女の白い頬が、みるみる朱に染まっていく。
「……バ、バカモノ」
視線を逸らし、胸の前で腕を組む。
人差し指同士をこすり合わせた。
やはり、世界最強の魔王とは思えないほど、恥ずかしそうな顔だった。
やがて、小さく咳払いを一つ。
観念したように俺の前まで歩いてくる。
「お前だけ……。お前だけだぞ?」
俺は小さく肩を震わし、腰を落とした。
彼女の背中と膝裏へ腕を回す。
「光栄だな」
驚くほど軽い身体を抱き上げる。
彼女はそっと俺の首へ腕を回し、安心しきったように身を預けた。
これが、彼女の眠りにつく前の習慣だった。
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「……今回は長そうだな」
ベルトを締め直し、脱ぎ捨てていた上着を羽織る。
シーツの向こうでは、全裸の彼女が安らかな寝顔を見せていた。
あれほど気高い魔王が、眠っている今だけは無防備な一人の女だった。
「やれやれ……。罪な女だよ。
次は、三十年……。いや、四十年。
五十年だけは、ごめんだぞ?」
シガーケースを開き、一本取り出す。
人差し指の先に小さな火を灯し、煙草へ移した。
紫煙が部屋をゆっくりとたゆたう。
一本目。
二本目。
三本目。
それでも、部屋を出る気にはなれなかった。
四本目へ手を伸ばしかけるが、止めた。
これ以上は、未練がましい。
シガーケースを閉じ、胸元に収める。
「じゃ……。行ってくる」
眠る彼女の額へ、そっと口づけを落とす。
振り返ることなく、扉を閉めた。
「さて……。
次の勇者は、どうだろうな」
今度こそ、彼女を少しでも楽しませられる逸材だといいが。




