反女王派
ふと、――――目が覚めた。
目を瞬かせた後、ぐるりと周りを見る。
背中にある幹の感触。見上げると白夜が、木の上に座って本を読んでいた。落ちる桜の花弁が、鼻端を擽った。
…………ああ、そうか。そう言えば、真桐に出会って、そのままずっと光聖歌の中庭にいたんだっけ、か。
耳にかけた銀髪と細めた碧眼に色気があり、つい白夜に凝視してしまったかと思うと、見られていることに気付いた――いや、今気付いたフリをした白夜が声をかけてきた。私の【五陀】が、隠そうともしない視線に気づかないはずがない。
「よお、よく眠れたか?」
「うん。――ひなつは?」
「飲み物買いに行った。お前と俺と凛音と、あとお前の隣で寝ている奴と自分のを」
そう言われて横を見ると、中庭で少しだけ話していたアタリもとい真桐が、堂々と熟睡していた。本を読んでいる途中に睡魔が来たんだろう、本に挟んでいる指の所為でページに皺が寄りそうだったから、本をそっと手の内から離した。
真桐は、まだ起きない。
――――後ろで、気配がした。
「若君。勝手ながら飲物をお持ちしましたが」
「……ああ、そう言えばそうだったね。貰おう。オレンジはある?」
「はい。――どうぞ」
「流石、【五陀】だね。好みも把握しているとは、びっくりだよ」
ひなつくんならオレンジを受け取りながら、言う。頭上で白夜の笑い声がした。
「お前ッ、その髪色でッ、オレンジてッ!」
「髪色は関係ないじゃないか。君は練乳でもがぶ飲みしていたらどうだい?」
「俺はどっちかって言うと、ハチミツの方が好きなんだけどな」
「じゃあ、金髪に染めたまえ。せいぜい、蜜音とキャラがかぶらないようにしなよ」
「お前の兄さんとはかぶらねえよ。俺はシスコンじゃねえ。そもそも妹がいねえよ」
笑いあう。
どうやら、白夜から見ても僕の兄はシスコンらしい。一緒にされたくないほどの。
隣で小さく呻き声が聞こえた。腰あたりに何か感触があると思えば、真桐が寝返りをうった時に、腕が当たったようだった。
その様子を見て、ひなつくんが彼の額に缶を当て、叩き起こす。
「…………う、ん?」
「やあ、おはよう、真桐。よく眠れたようだね」
「…………………………」
まだ寝ぼけているらしい真桐は、体を起こさないまま真上にいる白夜をじっと見つめる。そして、何かに引っ張られたように、勢いよく起きる。
「……今、何時だ?」
「さあ?」
「丁度お昼を過ぎました。――若君、川島凛音ことですが」
「ああ、授業も終わったし、そろそろ会いに行こうかなあ」
オレンジを一度床に置いて、大きく伸びをする。真桐は目を擦って、本がどこにいったか探しているようだった。ひなつくんが此処ですよ、と渡したが、それまで僕はキョロキョロと目を動かす真桐を傍観し、場所を知っているのに教えなかった。だって、面白いじゃあないか。ちょっと睨まれたけど。誰にって、真桐にオマケでひなつくんまで。白夜は私と同じで真桐の反応を楽しんでいた。
さて、行こうか。
そう言って立つと、真桐が案内してやろうか、と言ってきたが丁寧にお断りした。だって、用があるのは凛音のいる教室だけだから。他の場所を案内されても、ただいらない情報だからね。
「――――それはいいけど、お前」
「うん?」
「気をつけろよ?」
何に、を聞く前に、真桐は走って校内へと戻った。
まるで、これから危機が訪れるようではないか?
「………………まあ、いいか。行こうか、二人とも」
「はい」
「ほーい」
「あ、ひなつくん、目立つから白夜と一緒に隠れて着いてきた」
「はい。了解致しました、若君」
瞬きするほんの少しの時間で、いなくなる自身の従者。そして、現れる時には、また瞬きする間に出てくるんだろう。ああ、怖いよ。それ以上によくできるな、と面白みもあるけど。
昼休みの時間だろう。教室前の廊下で話し出す女子に、下駄箱の場所を使ってまでする鬼ごっこで駆け回る男子。――ああ、何も知らなかったら、私もこんな風景に仲間入りしていたかもしれない。それもそれで、ゾッとするけど。
凛音の教室は、一年一組。
階段を上がって右を曲がり、一番の奥にある部屋。
そこで凛音は一人、自分の席に座って静止し、群がる女子を無視していた。明らかにイジメの現場であろうそれを見ても、クラスメイトの誰も反応しない。
何を話しているのか、傍から見ても脅迫をしようとしている場面にしか見えない。いや、もしかしたら本当にそうなのかもしれないけどね。
「凛音」
そこかで見守っている雪月らの視線が、鋭く突き刺さる。あちらは友人だろうがなんだろうが、厄介事にツッコまないでほしいのだろう。……面白くないからお断りだけど。
「それらは、お友達かい?」
それ呼ばわりされた凛音のクラスメイトが、眦をつり上げてこちらを振り返る。そして、これでもか思うほどの厚化粧と長くした睫毛を、最大限まで開ける。金色と目が合うと、後ろめたいことがありますと言わんばかりに、真っ青になって固まった。
一方、凛音はいるはずのない友人の登場に、焦燥していた。彼女は僕にイジメのことを言ってなかったから、やばいと思ったんだろう。………それでも、黙っていたことに拗ねちゃった愛佳ちゃんは見逃してやらないけどねッ。
「……愛佳…………何故、ここに」
「君の転入手続きをしにきたんだ」
「――――は?」
先程までの焦りが一転、今度は嫌な予感がすると呟いて軽く睨んできた。失礼な。僕が会いに来たら、それか。酷い話だ。まったくだよ。自覚はしているけどね。
でもどうやら、言葉の意味がのみ込めないらしいので、もう一回。
「うん、君の転入手続き」
「――――は」
とうとう疑問符がなくなった。
「どうして愛佳がそんなことを? どういうことだ、聞いてないぞ!」
「今言ったじゃないか」
「さては貴様、五分前行動ができないやつだろうッ!」
むしろ十分前行動ができるさ。
「だって、ねえ?」
ギャアギャアグアグア言っている凛音から、クラスメイトの女子に目を向ける。ビクッと体を震わせるも、彼女たちは僕と凛音が親しそうにしている方が、驚きらしい。信じられない、と顔に書いてある。
「――――どうやら、放っておけない理由もできたしね」
イジメにしろ、ゲーム終了の死亡にしろ、ね。本人に困難を乗り越えさせないのか的なことも考えたけど、それじゃあ僕が安心できない。
そんなわけだから、犠牲は必要というわけだよ、凛音。君は尊い犠牲者なのだよ、アッハッハッハッハッ!
「愛佳? 聞きたくないが、転入先はもしや……」
「もしかしなくとも、愛神だ」
「馬鹿野郎!」
野郎じゃないよ、アマだよ。
「……よりによって、どうして愛神なんだ…………ここと愛神以外なら、五校のどれでもいいのに…………」
「いいじゃないか、僕以外に知り合いがいないかもしれないけどさ」
「いや、知り合いはいるんだが……」
「じゃあ、何が問題なんだい」
「お前! わたしのこの髪の色を忘れたかッ!」
黒色。それが髪と目の両方ならば、それは忌み色と同じだ。無能力者のラインであると言われている、〝純血〟が愛神に行けば。
考えなかったわけではないが、ここにいても結果は同じだ。それに、愛神の生徒は光西歌の人間よりも、まだ品がある。無視こそされど、ここまで過度になることはないだろう。ちゃんと後ろ盾として理事長にも校長にも話を通してあるし。言わないけど。
「まあ、今更君がどう言おうと、転入は消せないから。権力万々歳、ってね。家が遠いという理由もあったらしいから、家族が引っ越すまでは僕の家に泊まりがけになるよ。――用意したまえ、凛音。もう、この学校に教科書はいらないよ」
「…………分かった。お前の言うとおりに動こう」
溜息を吐いた。
「だがな、愛佳。――お前が何かを隠していることはよーく分かったぞ」
分かっちゃいましたかね、流石僕の親友様ですよ。
ここまで僕が強引に事を進めるのは、珍しい。いくら何様僕様神様更にリリス・サイナー様な自分でも、珍しいことなのだ。自覚あるって素晴らしい。
それが引っ越しなんだとか学校なんだとか、生活に影響を与えるのなら尚更。
でも理由は言わない。事前に宣言しない。わざわざ学校にまで来る。
ここまでくれば、何を疑われているか、それとも何を隠しているかと思われるのだ。
今の、凛音のように。
まあ、それでも説明してあげないけどね。
「その隠しごとが、分かればいいね?」
「悟らせようとはしないくせにな。……愛佳、お前の所為だ、手伝え」
「はいはい」
金目様になんてご無礼を的な理由でポカーンとしている、さっきのクラスメイトを放って、僕と凛音が荷物を持って教室から去る。
去り際にちょっと捨て台詞をはいておいた。
「関係もないのにちょっかい出してくるのは、おかしいよね」
――――イジメるためにわざわざ、愛神まで来ないよね?
彼女たちは裏の意味に気付いただろうか。まあ、気付いてもらわなければ逆に僕が困ってしまうよ。それくらいには賢いと信じでいる。びっくりなことに。
手を軽く振ると雪月が降りてくる。二人とも、槍を隠れていたところに置いてくるドジはないらしい。
「白夜」
「命令か?」
「うん。君、今日から凛音の護衛についてね」
「…………お?」
驚きの連続で声すら出なくなった凛音の髪を弄りながら、白夜が予想外に間抜けな声を出す。その横で、ひなつくんが笑顔のまま凛音の荷物を持ってあげていた。おお、なんと優しい。悪戯している白夜とは大違いだよ。
「さっきの会話、どうせ聞いていただろう? 明日から、凛音は愛神に転入する。でも慣れるまでは黒髪絡みでいろんなことが起きるだろうからね。というわけで、よろしく」
「俺はお前の【五陀】だぞ。他につけって、そりゃねえよ」
「じゃあ、これは命令とする。――雪月白夜、君を川島凛音の期限付きの護衛とする」
強調して言えば、白夜は両手をあげて、はいはい、と言って了解した。凛音はいつの間にか自分の持っている荷物が減っていることに気付き、ひなつくんが持っている物に気付いて礼を言っていた。
「あーあ、他のやつらからあーだこーだ言われんの俺なのによー。めっちゃグチグチ言ってくるぜ、絶対。信用がないからだとか、あんな態度をとるからだとか、うぜー」
「それ、本人の前で言ってあげればいいじゃないか?」
「もっとうざくなるだけだ」
「なら、我慢だねえ」
「お前楽しんでんだろ」
「むしろ、それ以外にはどう思っているように見える?」
「…………」
白夜が完全に黙った。軽口は帰ってこないのか少々寂しいね。
校舎を出ると、金目を見ようとしているのか光西歌の生徒が集まっていた。軽く笑顔で手を振ってやると、一気にざわつく。崇拝というより、これじゃあまるでアイドルじゃないか。遊び半分で騒がれるのとか、まじで勘弁。
校門を出ようとすると、その集団がさっと避けて道を開けてきた。そのまま進むのが癪だったため、回れ左して裏門から出ることにした。ドヤアッ!
表情から心の内を読み取ったのか、凛音は呆れていた。最近、この子は溜息が多い気がする。それも私が死ぬまであと三週間とちょっと。不安要素は全て取り払ってあげなければならない。…………まあ、今の呆れ顔とか溜息とは、ほとんどの原因は私なんだけどね。
「さて、家に帰ったら何しようかな。というか、誰で遊ぼうかな」
「誰と、だろう」
「まさか、誰で、だよ」
「候補のうちに俺入ってねえだろうな。やめろよ。俺はからかう側だ」
「じゃあ、ひなつくんだね」
「え」
凛音の指摘も打ち砕く、やだあ、愛佳ちゃんってば最高!
白夜の介入も許さない、ひゃあ、愛佳ちゃんってば至高!
ひなつくんの喚きもスルーする、愛佳ちゃんってば最上!
いろいろ言いながら突っ込みを貰って、裏庭を目の前にすると話題を変えた。
今日会ったアタリくん、真桐について少し、凛音に話しておくべきかと思って。そんなことを考えて、凛音に声をかけようと思って。
それで、振り返った時。
―――――――――何かが横切った。
「ひっ、い」
唯一出せた、凛音の小さな声。それは、悲鳴だった。
白夜が前に出て、ひなつくんが僕と凛音に間に立つ。優先順位はリリス・サイナー。だが、しっかりと凛音を守れるような態勢となっている。
見えたのは、歪な狐面だった。
左半分の目の位置から蜘蛛の巣のように割れていて、無理矢理繋げたようになっている。
それで顔を隠したのは、黒いマント近いコートを身に包んだ、裏門の上に立っている小柄な影だった。
それは、少年か少女かも分からない。
異様な雰囲気は、どう考えても人間ではなくて。それが分かったのは、前にその影との同類に会ったことがあるからだ。
コートの内側に入れていただろうナイフを投げ、影を操り門から降りた際、どこから出したのか青い唐傘を肩にかけた。
投擲されたナイフを避けて、後ろにいったそれをひなつくんが槍で突き落とした。成程、そういうこともできるのか。どうやら、僕の前に立っている銀髪の従者は、それくらいは自分で避けろ主義らしい。へえ。
死体の悪臭が鼻端を掴んで離さない。凛音の声は、もう、聞こえてこなかった。
地上に舞い降りた狐面は、太陽に照らされて伸びた影を動かす。黒色が蠢いたその時、僕は小さく呟いた。
それは、リリス・サイナーから貰った力を使うための、小さな呪文。
瞬きする間に場所が変わり、私たちが立っていたのは樋代家の庭だった。瞬間移動についていけないひなつくんが、ぽけっとしたまま無言で凝視してくる。景色が変わったことに気付いて、凛音がようやく声を出した。
「…………愛佳、今のは……」
「一つしか、ないよね」
赤目を庇護する意味で、リリス・サイナーは赤い唐傘を持つことを義務付けられる。それは、忌み子への慈しみを持っていることを示す、表徴の色。
それの反対の唐傘は、とある文献にて読んだ、この世の異端のこと。
「あれが〝反女王派〟だ――」
リリス・サイナーの敵が、どうやら動き出したらしい。
まったく、ゲームの中で一体何をさせるつもりなのかな、白き神は。




