第30話 ただ手を上げるだけ
帝国公安には、
全部で九つの尋問室があった。
反体制派や
怪しい者たちを捕らえて閉じ込め、
自白を引き出す場所だった。
第一尋問室から第三尋問室までは、
貴族用の尋問室だった。
それなりに整えられており、
拷問もなかった。
だが。
第四尋問室からは
違った。
そこからは、
拷問が始まる。
数字が上がるほど、
その苛烈さも増していった。
特に第九尋問室は、
悪名高かった。
あらゆる道具が揃っていた。
人々はそこで、
肉も骨も剥がされるのだと
囁き合っていた。
ところが今。
デモクラシゲンの組織員たちが
大量に護送されてきたことで、
すべての尋問室が満杯になっていた。
上層部には、
第九尋問室に収容中だと報告していた。
だが実際には、
場所が足りず、
すべての尋問室を使っていた。
そして今。
本来なら拷問など行われないはずの
第一尋問室の中でさえ、
地獄のような光景が広がっていた。
「あああっ!
助けてくれ!」
悲鳴が
部屋の中を満たした。
中央の炉では、
真っ赤な炎がごうごうと燃えていた。
上半身裸の屈強な男たちが、
顔に黒い覆面をつけたまま、
長い鉄棒の先に熱した焼き印をはめていた。
そして拷問台に縛られた男の脇腹へ、
それを押し当てた。
じゅうっ。
「うああああっ!」
肉の焼ける臭いが、
部屋の中に広がった。
その光景をすぐ後ろで見せつけられながら、
両手を固く縛られ、
順番を待っている者たちは
顔面蒼白になっていた。
ここは、
入れば半ば廃人になって出てくると噂される、
帝国公安の悪名高い尋問室。
まして自分たちは、
デモクラシゲンの組織員だった。
帝国が定めた
反逆者だった。
「ははは!」
拷問官たちは、
まるでこの仕事を楽しんでいるかのように
大きく笑った。
「やめろ」
そのとき、
銀の仮面をつけた男が
手を上げて彼らを止めた。
彼は拷問台に縛られた男と、
その後ろに膝をついている者たちを
ゆっくりと見回した。
「組織について話す気のある者は、
右手を上げろ」
部屋の中が静まり返った。
銀の仮面は、
やわらかく言葉を続けた。
「協力するなら、
隣の部屋へ送ってやる」
そして。
「そこで食事と飲み物を与えられながら、
調書を書くだけでいい」
その言葉に、
何人かの目が揺れた。
銀の仮面は、
その変化を見逃さなかった。
「そしてほかの協力者の調書と照らし合わせ、
本物の情報だと認められれば」
彼は指で
扉のほうを示した。
「五体満足で
ここを出られる」
その言葉に、
人々の目つきが変わった。
銀の仮面は
その変化を見て、低く笑った。
「何をためらっている?」
その声が、
甘く沈んだ。
「ただ手を上げるだけだ」
そして。
「機会は多くない」
銀の仮面の声が、
少し冷たくなった。
「ほかの者にお前の機会を奪われる前に、
早く手を上げろ」
人々は互いに様子をうかがった。
揺れる目。
乾いた唾。
固く結ばれた唇。
だが、簡単に手を上げる者は
いなかった。
銀の仮面が舌打ちした。
「頭の悪い連中だ」
彼はゆっくりと席を立った。
「もっと痛めつけられなければ、
目が覚めないか?」
銀の仮面は書類をめくった。
そして一人を
指で示した。
「あいつだ。
連れてこい」
覆面をつけた拷問官が二人、
指名された男を引きずり出した。
「助けてくれ!
頼む、助けてくれ!」
男は屠殺場へ引かれていく家畜のように、
銀の仮面の前へ投げ出された。
銀の仮面が
書類を見ながらつぶやいた。
「ヤサク・レノン。
アレディン地方の自営業者」
そこで
口元を上げた。
「ケルト一族だな」
その言葉が出た瞬間、
覆面の奥の目が
ぎらりと光った。
引きずり出された男は、
激しく首を振った。
「違います!
違うんです!」
彼は泣き叫ぶように訴えた。
「誓って、私は
ケルト一族ではありません!」
頭が半ば禿げ上がった
小柄な中年男は、
年も忘れたように泣きながら否定した。
銀の仮面が
指を軽く動かした。
拷問官たちが
いやらしく笑った。
そして男の肩をつかみ、
乱暴に確認を始めた。
「ああっ!
な、何を……!」
「ケルト一族かどうかは、
見ればすぐにわかる」
しばらくして。
男の顔が
一瞬で真っ赤になった。
羞恥のためか。
正体が露見した恐怖のためか。
あるいは、その両方か。
彼はそのまま
涙をぼろぼろこぼした。
銀の仮面が
あざ笑うように言った。
「痕跡があるな」
彼は書類を軽く振った。
「ケルト一族で間違いない。
それなのに、なぜ違うと言い張る?」
銀の仮面の声が、
冷たく落ちた。
「ヤサク・レノン」
ケルト一族には、
独特の風習があった。
生まれたばかりの男児の体に、
一族だけの印を残す風習。
多くのマテドニア人は、
それを未開だと嘲笑した。
そしてその風習こそが、
ケルト一族を見分ける
もっとも簡単な印になっていた。
「おい」
銀の仮面が
再び手を振った。
拷問官の一人が、
ヤサク・レノンの体を乱暴につかんだ。
「ぐっ……!
く、くうっ!」
男は息の詰まるような声を漏らしながら、
体を震わせた。
拷問官は面白がるように、
さらに力を込めた。
「がはっ!」
ヤサク・レノンは、
そのまま意識を失った。
拷問官は
汚いものに触れたというように手を拭き、
再び命令を待った。
銀の仮面は、
部屋の中の者たちを見回して言った。
「書類を見れば、
すべてわかる」
彼はまた
書類をめくった。
「ここにはケルト一族が
ほかにも何人かいるようだな」
人々の目が
揺れた。
銀の仮面は、
その隙を見逃さなかった。
「ケルト一族が抜け目ないことは、
誰でも知っているだろう?」
彼はゆっくりと言った。
「こいつらが先に吐く前に、
お前たちが先に口を開いたほうがいい」
その言葉に、
部屋の空気がまた揺れた。
どうせ暴かれる秘密を、
自分一人だけ抱え込んだまま
死ぬのではないか。
人々の心の中に、
そんな考えが流れ始めていた。
銀の仮面は、
ゆったりと椅子に身を預けた。
(もう少しで、
全員が自白するな)
だが、その空気は
一人の声によって破られた。
「何を馬鹿なことを言っている!」
中央あたりで膝をついていた若い男が、
勢いよく立ち上がって叫んだ。
「ケルト一族は、
信用を何より重んじる一族だ!」
その声が
尋問室に響いた。
「一族の名誉にかけて、
貴様らの甘言などには
乗らない!」
平均より少し小柄な体。
青い髪。
そして強い目。
その一人のせいで、
動きかけていた空気が
また凍りついた。
銀の仮面は
書類を探った。
「どれ」
彼は一つの名前を見つけた。
「メグナン・パンソタ。
ガハントロ医科大学の学生か」
銀の仮面は書類をめくりながら、
興味深そうに顔を上げた。
「ほう」
そして口元を上げた。
「お前もケルト一族だな」
銀の仮面が手を振ると、
拷問官たちがメグナンを引き出した。
だがメグナンは、
怯える様子もなく
自ら歩いてきた。
そして銀の仮面の前に立った。
「はは」
銀の仮面は、
静かに笑った。
「何のつもりかは知らんが、
たいした度胸だ」
彼は最も苛烈な拷問を用意させた。
「お前がその態度を
いつまで保てるのか」
銀の仮面の声が、
冷たく沈んだ。
「見せてもらおう」
並べられた拷問道具を見て、
そこでようやくメグナンの表情が
少しずつ変わり始めた。
ぎいっ。
そのとき。
扉が開いた。
暗い尋問室の中へ、
光が斜めに差し込んだ。




