本戦 許す勇気の挿話
あの日フェアウェルパーティでピアノを弾いてたおっさんリビングデッドを、リアンは2秒ではっ倒した。
というのは控えめな言い方で、より正確を期すなら、おっさんの頭をバールでかち割って脳漿と脳みそと骨片を撒き散らした。
クロイドン・エッジハウスの中は、控えめに言って遺体損壊罪祭会場だった。子供達が作っただろう紙の鎖やペーパーフラワー、パパママの似顔絵なんかはむしり取られるか血を吸わされて、ほぼ全てが赤黒くぼったり膨らみ点々としずくを滴らせている。血を吸ってあまり時間が経っていない証拠だ。廊下は埋めるようにぎっしり人間の手足はらわた眼球歯列が並べられている反面、部屋の中ではところどころをなくしたボディが、むしり取られた箇所を求めるように乱雑に転がって、所々折り重なっている。建物内は漿液と血と吐瀉物の臭いが混ざり合って鼻呼吸をしたくない。温暖化対策で最新のクーラーが導入されているのはさすが貴族がバックについてるクロイドン・エッジ・ハウスだが、クーラーを効かせるため、全ての窓は閉じてある。現場保存のため、窓を開けてまわるわけにもいかない。ことが終わったら、ここはスプリーキル現場として警察が入る。
そんな中、嗅覚がないんだろう死者が数名、臓物を引きずり、血や漿液をたらしながら、何かを探すように歩き回っている。
問題は、
「あ……あ、……どうして……きみは退職して……私はピアノを弾いて…………友達だと」
「私だって友達だと思ってましたよ、ジェイク。あなたのピアノに何度慰められたか」
頭をかち割っても相手が立って歩いて話して、表情も歪めるのに、
「左腕が……ないんだ……痛みもない……何が……起こっているんだ……?」
「あなたは祟りに巻き込まれて、亡くなって、ネクロマンサーが遺体を利用し、て!」
ジェイクが振り下ろした非常用設備の斧を、リアンは跳びかわした。
「私を殺す殺傷人形にされてるんです、レヴィン!」
俺は返事の代わりに、改造ワルサーの引き金を引いた。銀の弾丸が飛び出し、ジェイクの額に刻まれた魔法陣を破壊する。
ジェイクが膝から崩れ落ち、沈黙した。
「ジェイク。一撃で逝かせてあげられなくてごめんなさい。必ず腕のいいエンバーマーを呼ぶから」
リアンが表情の落ち切った顔で、ジェイクの横に片膝をついた。そのまま、祈るように手を組む。
『ジェイクの神様。彼の素晴らしいピアノをあなたの元で奏でることをお許しください。どうか慈悲を』
「リアン。早く離れろ。いつまた襲ってくるか」
「……魔法陣が壊れたら、ネクロマンサーとの契約は終わる。もう…………………………動かない」
リアンは、見開いたままのジェイクの瞼をそっと下ろす。
ネクロマンサーと契約した魂は、輪廻の輪に戻れない。その代わりというか都合がいいことにというか、我らが国教会に生まれ変わりの概念はない。人は死んだら神の元へ行き、永遠を神の国で過ごす。リアンが言霊をこめて神に念を押すのは、同僚の魂が死んでまで迷子にならないようにとの、力ない人間のせめてもの抵抗だ。
リアンにとっては、つい数時間前にフェアウェルパーティで別れたばかりの相手だ。
「やっぱり。お袋が来てる」
俺たちはリズの病室直通のリフトに向かう廊下で、数人のリビングデッドに襲われていた。ゾンビなのに脳の働きがしっかりしている遺体は、皆リアンの顔見知りで例外なくリアンを標的に襲撃してきた。ある者は消火器を振り回し、ある者はメスを投げ、ある者は危険薬品をかけ、ジェイクは斧を持ち出している。
標的のリアンが前衛、俺が後衛になったのは、ほとんど自然の流れだった。
「ネクロマンサーのお袋さんか」
「ネクロマンサーはベースの魔法陣から個々人の魔法陣に発展させて、一番支配しやすい魔法陣を編み出す。ジェイクの額にあんのも、さっき戦ったシンディの額にあったのも、お袋の魔法陣。見覚えある」
前衛後衛の間には、数歩分の距離がある。俺はこの距離を埋めて、ティーネィジャーの背中を直接支えてやれたらと思う。
母親に命を狙われるって、どんな気分?
「おかーたま、カナンに憑かれて、ここまで来たんだろな。TGV通ってる時代に幽霊なら国境渡れねぇだろってタカくくってた私が甘かった。フランスに避難してたお袋が憑かれることは想定してなかった。くそ」
リアンが立ち上がり、廊下に並んだ人間だったものを丁寧にどけながら進む。その表情は見えない。戦闘終了のたびに片膝をついて祈るリアンは、膝から下が血まみれだ。ファイアがいるから細かい傷は瞬時に治るが、へばりつく血糊は妖精の魔法じゃどうにもならない。
その血の一滴一滴が、リアンにとってはかつての同僚だ。
「星条会にもみ消してもらうが、ご遺族は納得しねぇよな。MIにも族長にも借りができる」
「星条会? アメリカの一族がイギリスの事件を消せるか?」
「お国柄だよ。不可能が嫌いなアメリカは、カナンの打倒と克服を支持してくれてる。私の後援だ」
「そのわりに、人員はよこさないって?」
「カナンが絡めば、生きてる人間と刃傷沙汰にもなんだ。異国人が絡んだら国際問題になんだろ。5年前だって、私が誰一人傷つけずに済んだと思うか?」
俺は答えられなかった。
悪霊の退散方法は今世紀になっても体系化されず、悪魔祓いは時に傷害罪となって、法廷で是非を問われる。
「リアン。大丈夫か」
「私よりリズが心配だ」
リビングデッドの中には「逃げて!」と言いながら攻撃してくるものがあった。意識のクリア具合は個体により様々みたいだ。クロイドン・エッジ・ハウスにいる大人は誰かを救いたくてここにいたんだろうに、英国人の皮肉好きはすぐブラックジョークになるから困る。
俺たちが建物に入ったプレイルームからリズの病室直通リフトまで、25m程度しかないはずなのに、随所にいるリビングデッドのおかげで、その道程が長い。やっと十数m進めたところだ。廊下が損壊遺体で歩きにくいせいもあるし、辺りを警戒しながら歩いているせいもある。
「星条会だって、まさか今年カナンの封印が破れるとは思ってなかっただろうしな」
「じゃあなんでお前はわかったんだよ」
俺は、今までタイミングがなくて聞けなかった問いをぶつけてみた。
初めて会った日、リアンはカナンとの戦闘を予期していた。カナンを始末するつもりで、英国を守るものの衣装を戦闘服に、カナンの到来に備えていた。
うちの社長も確実に見えないながら予期していた。近々、リアンはカナンとぶつかると。だからあの日、俺は派遣されて、上空からリアンを見ることができた。
リアンは思案するように少し沈黙したが、やがて早口で話し始めた。
「……始め。カナンは師匠が自らの血に封印した。私がカナンに負けて取り込まれたのを。無理やり引き剥がしたんだ。すごい魔法だった。でも、私の出血が多かったから」
俺は、わりと最近聞いたショージ・シンタローの死に様を思い出した。
ショージ・シンタローは傷からドラゴンの形をした血を生成し、ドラゴンはトリアージで打つ手なしと判断されたリアンの傷口から、彼女の中に入って行った。
「師匠がカナンごと私にその血を移した。師匠の最期に関しちゃ私ぁ話聞いただけだけだから、実際のとこどうか、確定的な話をしたのは星条会の遠見だ。シドみたいのが、一族にもいてな。自分を始末すりゃカナンは消えるだろうかと思ったこともあったが、確証がなさすぎて選べなかったな。
カナンが私通じて情報得るかも知れないとも思った。それで自家中毒みたいになったこともあったけど、最終、師匠の封印信じることで克服した。
それがブレグジット投票の話が出た途端、騒ぎ始めた。血が騒ぐ、をどう表現すりゃいいだろな。まず、寝つけなくなる。横になっても体が落ち着かねーの。イライラしてすぐ体を起こしたくなる。ファイアにリラックスさせてもらって、ようやく眠れる感じだった。最初はPTSDかなにかだと思った」
EU離脱の国民投票実施が発表されたのは、2016年。キャンペーン自体は2015年から始まっている。つまり、3年前からリアンは不眠と戦っており、カナンは結論、情報を得ていたのだ。
リアンの具体的な周辺情報かはわからないが、少なくとも英国民の不安という情報は得ていた。
「それから、蕁麻疹。人面の。それが足やら腹やら背中やらに出始めた。マリアに見せないようにするのに苦労した。こりゃもしかしてと思って、星条会に相談した。遠見がみてくれて、カナンの封印がとけかかってることがわかった。だからマリアの元を離れた。いつかこういう日が来るとは思ってたから、隠れ家の準備はしてあった。
マリアが狙われる前に討とうと思った。カナンが恋を理解していたら、必ずマリアの元に行くと思ってるから。
今もそれだけ、警戒している」
恋を理解していたら。
カナンは十四歳で死んだ。
当時の恋がどういうものだったかはわからないが、十四歳なら理解していてもおかしくない。
「拠点を変えて二日くらいした日、カナンの意思を感じたんだ。ものすごい恨み言と、必ず復讐するって意思と、少しの恐怖。逃げ出したい、みたいな……ただテレパシーっていうには具体性がなくて、エンパシーていうには私に影響がなかった。
感じたのはものの数秒、それからスッと何かが抜けてく感触があって、蕁麻疹が消えた。ファイアが傷治すみたいな消え方だった。
それでわかった。カナンの封印がとけたって。あとは毎日臨戦態勢でいた。
封印がとけたところで、英国にダヌバンディアは私しかいない。封印とけたばっかでくそ元気な幽霊てのもそういない。弱体化した状態ならいちかバチかで私を狙ってくるだろうと思った。そういう単純性を、5年前の戦いで知ってた」
「でもそこに、翼を持った俺がいて、半分憑かれかけたわけだ」
「そう。憑かれかけた状態から自力でカナン追い出す奴見んのぁ二度目だ。初見は師匠。あの人は我も強かったが、
魔法もそれはそれはお強かった。あんたも強いもんな」
「いや、それは多分」
言いさしたところで、俺は迷った。
(この情報は、今ここで開示していい情報か?)
知り合いをバールで砕くハメになって、消耗してるだろうにそうは気取らせない背中に。
俺が憑かれた状態から取り込まれずリカバリできたのはーー俺の持っているこの情報は、余計な負荷になるどころか、一転、せっかくまとまり出した俺らを敵対させやしないだろうかーー直通リフトのあるつきあたりの部屋、扉のない職員控室の中が見えてくる。
「レヴィン」
リアンの声は、こころなし、覇気が削がれて聞こえる。
言霊師の声がこれでは。
「なに」
「最悪のお知らせ。トイレ行きてぇ」
リアンが今日イチの真顔で振り向く。
どうりで声に覇気がなかったはずだ。俺はジェイクさながら、膝から崩れそうになる。
「状況わかってんのか!?」
「よく考えよう。フェアウェルパーティで飲み食いした。リズの病室でも茶ぁ飲んだ。んで異階行った。その間トイレ行ってねんだよ、やべくね」
「やべーのはオメーの膀胱だわ」
「そう。だからトイレ行きたいつってる」
決定的な戦闘を前に、相棒が尿意をもよおしたらどうすればいいのか。
敵だらけの、別行動をとったら瞬時に死ぬホラームービーみたいな状況で。
俺は警戒も忘れて頭をガリガリかいた。
「……トイレどこだよ!」
「プレイルーム越えて反対側」
俺は後ろを振り返って確認した。
確かに、トイレの案内板が奥を指してプレイルーム天井にぶら下がっている。
小さく、案内板の奥に、トイレを示す表示板が突き出しているのが見えた。
その時、トイレを意識したせいか、モデルという職業で炭水化物を食った罰なのか、俺の腹がゴロゴロなり、ぎゅっと収縮したような痛みを発する。
「……下痢止めとか持ってる?」
「薬品室にある。トイレのはす向かい、もうちょっと奥」
OK,30mは後退だ。




