本戦
サンルームから庭に続く、ガラス張りのスライドウインドウ。
ウインドウには、誰のものとも知れない内臓が張り付き、血飛沫が飛んで、血や繊維が垂れ流れた筋があった。
リアンの後に続いて走る俺は、思わず吐きそうになる。
(これが、カナンのやり方)
ガラスの向こうには、引きちぎったと思しき手足がごろごろ転がっている。
建物に近づくほど、臭いがひどくなる。血。臓物。糞尿。滲出液。
俺の足の下で、ぱき、と音が鳴る。
ぎくりと止まって、思わず足を引き上げた。地面に、歯茎がまだらに付着した小さな歯が散らばっている。
「ノア! お前」
リアンの、常にない悲壮な声が俺の顔を上げさせる。
リアンは、スライドドアに拳をついて、ずる、と膝から崩れ落ちそうになるのを、どうにか踏みとどまった。
俺は駆け寄りながら、眉間のシワが深くなっていく。
スライドドアを挟んでリアンと向かい合うノアは、開胸手術の途中そのものといった有様で、裸の上半身では、胸骨が切開されて、左右に広げられた状態で固定されていた。心膜が裂かれ、ピンで器具に留められている。心臓があるはずの位置に、リアンの贈ったどう考えても的外れなプレゼント・壊れた化粧品ケースの残骸が血まみれで置かれ、ほのかな光を放っている。
(カナンの、やり方)
俺は戦慄を押し殺した。
人間を凄惨に壊し、こちらの戦意を抉る。
怨霊のやり方。わかっていたことだ。
「リアン。俺、今日、手術で。だから多分、これ、麻酔が見せてる夢、だよな?」
血の通わないノアが、麻酔でうつろになった目で、どこか幸せそうに、リアンを見る。
「ガキっぽい夢なんだ。ゾンビがさ……中にいんだよ。みんなを殺して回ってる。俺もさっき襲われそうになったんだけど、リアンにもらった魔女アイテム、あったじゃん。プラスチックの」
リアンが二日前、ノアに手渡したメイク道具の外れた蓋、俺から見たらゴミ。渡す時に、言霊による加護を祈願したものだ。
リアンは憔悴したように俯き、うん、と頷いた。
「ゾンビが襲ってきたら、リアンにもらったアレが、スッゲェ光って。そしたらゾンビの奴、逃げてったんだ」
「……そうか」
「そしたら女の子が来て」
リアンが顔を上げた。目に、凶暴な色が光る。しかし目元に薄く、薄く涙の幕が張っている。
「女の子? どんな?」
「巻き毛で、そばかすの、ショートヘアの子。俺と同じか少し年上だと思う」
「カナンか」
「知り合い?」
「腐れ縁。そいつが?」
「大事なものは大事なとこに入れとけ、ていうから。俺、ここに魔女アイテム、しまったんだ」
ノアは見せつけるように切開中の胸を張った。めくられた心膜が、ぬら、とひかる。リアンの贈ったゴミが、胸骨固定具にひっかけるようにしてのせてある。心臓は、ない。
俺は痛ましさを顔に出さないようにするので、精一杯だった。
リアンの目が怒りで見開かれる。
「その女の子は、どこ行った?」
「知らね。気づいたら消えてた。それより、リアン」
「うん」
「戻って来いよ。クロイドン・エッジ・ハウスにさ。夢だから言うけど。俺リアンのこと魔女って呼ぶの、本当は本気じゃないんだ」
リアンがガラスのドアにキュッと爪を立てる。
「……知ってるよ」
ノアは力なく、はは、と笑った。苦しそうにも、幸せそうにも見える笑いだった。
スライドドアのガラスを挟んで、リアンの握り拳にノアが額を押し付ける。
「でも魔女って呼んだら、あんた振り向くから。特別な呼び方みたいで悪くないとも思ってた」
「褒められたこっちゃない。他の奴にはやんなよ」
「やらない。リアンにしか、俺」
不意に、ノアが顔を引き締めた。リアンをまっすぐ見る。
「俺。この手術越えて、生き延びられたらあんたに言うことある」
リアンが、叶わない願いを聞いて少しだけ目を見開いた。その拍子に、薄く張っていた涙が一筋こぼれる。
「今言えば」
「夢ん中で言ったって。泣いてんの?」
「夢だよ。なぁちょっとそっち行っていいか。鍵、開けてくんね?」
ノアは首を振った。
「中はゾンビだらけだ。リアンは逃げろよ。あと警察に知らせて。俺は友達を探す」
そう言って、果敢にもノアはふいと去ってしまう。
リアンがこちらを見て、「Shot」と口を動かす。
撃ち殺せっていうのか!? 相手はすでに死んでいるはずだが。あるべき場所に心臓がないのだから。
「カナンに憑かれた、ネクロマンサーが来てる。一度に複数体操れるか、一気に術かけて放置してる手合いが」
「だからって、ノア撃つことないだろ」
「悪い夢は、覚ましてやった方がいい。ゾンビになった友達に襲われるよりは」
しかしノアの姿はもうサンルームから見えない。
リアンはサンルーム前の石畳を一つ外す。4センチ四方の小さな石畳。その下には、土に埋もれるように、ドアの取手がある。
「カナンらしい開戦だ」
言いながら取手を引くと、土を盛り上げて金属扉が開いた。
リアンは迷いなく内部に手を伸ばし、中からバールを引っ張りだす。
「お前こんな子供の多いとこに武器隠してんの?」
「武器じゃない。工具」
「子供が触ったら危ないだろ」
「ここにリズがいる限り、戦場になる可能性は常にあった」
ここでようやく、俺はシドの未来予知に思い至る。
数日後、白い壁の場所に、リアンはいる。
それがクロイドン・エッジ・ハウスかも知れないこと。
勘づいていながら今の今まで言いそびれていた。
「念の為確認するけど。来ないって選択肢もレヴィンにはあんだぜ」
「オメーにない選択肢は俺にもねーよ」
「トラウマになったらカウンセリング代はうちにツケて」
リアンはため息まじりに吐き出すと、バールで別の石畳をコンコン、とノックする。
ぶわ、と石畳から魔法陣が広がる。巨大な陣は泉が湧くように石畳の下から溢れると、遠くホスピスの端まで泳いでいく。
「結界だ。通報はされてんのか知らんけど、一時的にここは異階に隔離する。警察はここを見つけられない」
「それ、中に生存者がいた場合は?」
リアンは昏い瞳で「いると思ってんのか」と語ったあと、
「戦闘が早く終わるよう祈ってもらおう」俺に背を向けて、スライドウインドウ鍵のあたりを叩き割った。




