4-29 アカツキトーク
宵闇は未明に差しかかり、やがて東の空が白み始める。
時計盤を模した首都カージョナの北端の区画、『零時街』は白塗りの診療所が並ぶ医療区画となっている。
うす暗い病室は灯具の揺れる火に照らされ、病床に寝かされたネピテル・ワイズチャーチは、規則正しく寝息を立てている。
漆喰の壁際には、丸椅子に腰かけた山田悠太とブラン・シルヴァが共に俯いて黙りこくっていた。
――キリグイとの死闘の後。
ネピテルを運ぶ二人に、駆けつけた赤髪の調教師ギルドマスターが雲鼠を貸してくれた。
「知り合いの診療所に連れて行くよう調教してある」とのことだったので、乗せられるままに首都を縦断し、一際大きな建物へと連れてきてもらった。
移動中、悠太とブランは互いに詮索するような会話を交わすことはなかった。
病院の主は、深紫の長髪をシニヨンにくくった眼鏡に白衣姿の女性で、名を『イズナ』といった。
彼女は悠太の話にきっちり問診票を書くと手際よくネピテルの身体の数ヵ所に触れ、「問題ありませんね」と病室を貸してくれた。
安堵が忘れていた疲れを呼び戻して、崩れ落ちるように腰掛けた。
――悠太は横目に、俯いた銀髪の様子を伺う。
本当は尋ねたいことが沢山ある。
彼は本当は何者なのか、あの力は何なのか、『ジナス』という言葉はどのような意味なのか。
しかしブランがそれらを今までひた隠しにしていたことは明白で……彼の性格からすれば隠すだけの理由があることも明白で。
少年はそこに踏み込んで良いものかを悩んでいた。
――コチコチと時計の音、少女の寝息と、長い沈黙。
しばらく考えた悠太は、ぽつりと言葉を落とした。
「……ありがとな、ブラン。ネピテル助けてくれて」
それはどの道、いつかは伝えるべき言葉であった。
俯く前髪に隠された赤い瞳が、絞られて震えた。
「余、は……」
か細い声は今にも泣き出しそうで、膝の上に置かれた褐色の手は震えていた。
「余さえ行かなければ……」
後悔はやはり少女に向けてであった。
彼女はブランを庇い、今こうして寝息を立てていることが不思議なほどの大怪我を負った。
「……言いっこなしだよ。
正直、ジリ貧だったんだ……ブランのおかげで、状況を変えられた」
「たまたま上手くいっただけだ! 危うく……危うくネピテル殿が」
「んなこと言うなって!」
少年が強めた口調に、ブランはようやく顔を上げて、同じように不安そうに揺れる黒い瞳と視線を合わせた。
悠太はトーンを落として、胸中の恐怖を一つ一つ言葉にしていく。
「俺、今凄くホッとしてんだ……この世界って時々さ、凄く呆気なく、残酷に……助けたかった人を連れてっちゃう、時があってさ。
そんなの見たくないから頑張ったりするんだけど、その、手遅れ、だったり、力不足、だったり……」
死の概念が遠い世界にいた少年は、この世界に来てからずっと、手の届く全員を助けたいと思っている。
しかし現実は無情で、目前で零れ落ちていく命がこれまでにもいくつかあって、その度に心は傷ついていた。
それでも少年の心が折れなかったのは、呑気で賑やかな日常を与えてくれる人たちがいたからであった。
その内の一人が、黒髪の少女であったから――
「だから、そもそもだなんて話は関係ない。ネピテルも、ブランも……友達を失わなかっただけで、それだけでありがとうなんだよ」
言葉尻を震わせる吐露に、銀髪の青年の鼓動が跳ねあがった。
「……友、達」
――この少年はいつも、人の欲しかった言葉をいとも簡単にくれる。
自分の心を深く察してくれる。
きっと生来の心根と、困難ととことん葛藤できる勇気から来るものなのであろう。
彼の周りに人が集まる理由がわかった気がして……青年は誠意に応えるしかなくなった。
「……まず、やはり謝らせてほしい、すまなかった」
声は相変わらず涙ぐんでいるが、濡れた瞳には力強さも見て取れたから、悠太は口をつぐんだ。
「そして聞いてほしい、言わせてほしいのだ。
余がユータ殿やネピテル殿に、大切な友人たちに隠していたことを。余の間違いだらけの経緯を……」
◇◇◇◇◇
ブラン・シルヴァは全てを話した。
自分の本名が『ブラウーノ・グリーナ・グリューネ・ユグドール・エルナ・エルタナ・エルタルナ』であること。
東北東、エルフの国である『エルタルナ王国』の第五王子であること。
自らの浅慮によりジナスの力を暴走させ、王宮を破壊し、国から逃げ出してきたこと。
迫る敵国の追っ手を振り切る過程で従者が命を呈して守ってくれたこと。
今までの「間違いだらけの物語」を全て口にして打ち明けた。
「……そんな、ことが……」
「その、荒唐無稽で、すぐには信じられぬだろうが……」
「いや信じる」
二つ返事であった。
「俺を信じて打ち明けてくれたんだ。俺も応えなきゃ。
それに、実際あんな凄ぇ力見ちゃったしな」
ブランは頭を振って身に染みる優しさを振り払った。
――この街は本当にいい街である。
彼らはこれからもこの場所で、時にぶつかりあい、学びあい、笑いあいながら成長していくことであろう。
その場所を壊してはいけないと思った。
「ユータ殿は、優しすぎる。だが……」
数泊の沈黙の後、ブランは名残惜しむように立ち上がった。
「先刻の力の発動は、追っ手たちにも見られていたかも知れない。
つまり余がこの街に潜伏していることを把握された可能性がある……」
言いながら青年は悠太に背を向け、一人病室の出口へと向かう。
「おいブラン……」
「余は、今すぐにでも……この街を去らねばならない」
追っ手は非情な暗殺者。
誰がどんな被害に遭うかわからない。
振り返らず、そのまま街を出ようと思っていた青年の手首が取られる。
「ユータ、殿……?」
「……断る」
怒っているような、迷っているかのような、怯えているかのような……低く押し殺した声であった。
手首を握る力は今まで差し伸べてくれたどの時より強く、ブランは戸惑った。
「こ、断る……とは、何を?」
「街、出てくんだろ? 俺らに迷惑かかるから」
見詰めてくる瞳からは少し拗ねたような年相応な不機嫌さも伺えた。
視線に気圧されつつ、ブランは意味を飲み下せないまま頷きを返した。
「じゃあそれ、断る」
「断……なんだその無茶苦茶な!? 余の意思なのだが!?」
どうやら少年の主張は、寝入っている少女の普段の言動ばりに理不尽であった。
しかし彼は至極真面目に言葉を続けて、手首を握る力を強めた。
「自分のせいだとか間違えたとか、さも自分が悪いような風に喋るからいまいちわかんなかったけどよ……全部聞いてわかった。お前何も悪くないじゃんか」
「なっ」
「悪いのはブランの力狙ってる奴らだろ? ああもう、言ってたら俺が腹立ってきた」
少年はまるで自分事のようにわななき、ブランの手首を解放すると拳を握った。
「なあブラン。俺、ネピテルほどじゃねぇけどさ……今自分がどうありたいかくらいはわかってるよ」
「……どう、ありたいか」
「俺は、友達が困ってんなら力になりたい。戦うことになってもだ」
争いとは無縁の世界にいた少年は、この世界で立ち向かうことの大切さを知った。
自分本位だろうと自分なりに大団円を目指して進むこと、そうでないと目まぐるしく襲い来る悲劇たちはあっという間に命や幸せを奪い去ってしまう。
「だから、だからお前だけが全部抱えて逃げるのは却下! 断る!」
「ユータ殿……」
「それにこのまま逃げてたって、また逃げた先で同じことになるんだ。
いつかは立ち向かわなきゃいけないんじゃねぇの?
それならさ……友達と一緒に立ち向かった方が心強いだろ?」
ブランはハッとして、真っすぐ頼もしく見据えてくる悠太を見開いた目で見返した。
一緒に立ち向かうという方法は、自ずからでは図々しすぎて絶対に求められない発想であった。
しかしずっと、ずっと本心では願っていた。
力を狙う追っ手を返り討ちにして、自分の力をきちんと制御して、父や兄弟にも毅然と向かい合うこと。
自分だけでは叶えられないそんな願いも、彼らとなら叶えられる気がする。
自然と、ブランは長身の頭を下げ、悠太とネピテルに礼をした。
「……かたじけない。迷惑をかける。図々しいのは承知している――そして、お願いさせてほしい。
余は、追っ手に捕まりとうない。この力を、スー・フェイに渡したくもない。
だが余は一人では立ち向かえないから、そのように強くないから……だからどうか、一緒に立ち向かってほしい」
独りでは無理だから手伝ってほしい。
いたって普通な友人の頼み。
返す言葉は特に迷う必要もないと――悠太は拳を掌に打ち付けて笑った。
「任せろ」
当たり前のように答えた少年に、ブランは緩んだ涙腺から零れる涙を床に落とし、「ありがとう」と彼がそうしたように友人間では当たり前の言葉で返した。
「よっし、じゃあもう暗いのはなしだな」
それから二人は、再び壁際に並んで座って、他愛のない話をぽつぽつと始めた。
「さて、と、具体的なとこはネピテル起きてから話し合うとして、今はそうだな……追っ手ってのをおっぱらった後のことでも考えようぜ」
「む……はは、その後のことか、ずっと追われる身と思っていて、考えたことがなかったな」
「イトネンさんに聞いたんだけどさ、これから季節は暖かくなってくるらしいんだ。したらさ、色んなイベントがあるらしいんだよな、海行ったり、祭も行ったり!」
「ユータ殿……元の世界に戻りたかったのでは?」
「それは……まぁそっちも探しながら楽しむ!」
「……ふ、だが余は筋金入りのインドア派だ、海に行っても読書しかできぬな」
「いやそこは一緒に遊べよ。何でもやってみれば気に入ったりするもんだって。俺も初異世界だけど何とか慣れてきたし」
「お主の話はスケールがデカいのだ!」
◇◇◇◇◇
病室の窓に朝日が射し込んだ頃。
ベッドには寝相の悪さを取り戻したネピテル。
傍らの壁にもたれるのは、幾分か表情を柔らかにした寝顔のブラン。
その隣の悠太は――ブランが寝入るのを見届けた後も寝付けずにいた。
しっかり身体は疲れていて、瞼はとても重たいのに、胸の奥で何かが突っかかっており、燻っている。
少年は少年でキリグイとの戦いに後悔を覚えていた。
相棒のネピテルにむざむざ重傷を負わせたこと、それを救うこともブラン頼りであったこと。
自分だけが何もできなかった……その想いが心の奥底でメラメラと燃え続けている。
だから、病室の扉が無遠慮に開かれた時、即座に顔を上げることができた。
「起きよ貴様ら」
病室に高らかな声を響かせるのは真紅の長髪を靡かせる軍服の女性。
「さ、サーバさん?」
「一声で起きたのか貴様だけか。たるんどるな」
元から起きていただけである。
「では残りの寝坊共を……」
言いながら手をかけたのは腰元の鞭。
もしかしなくても彼女が鞭を振るって起こそうとしていることは明白であった。
悠太は慌てて起点の手首に飛びつき止める。
「待って! 待って一人怪我人! もう一人も疲れ果ててるから!」
「む、呑気だな、こんな時間に転寝など。畜舎では朝の給餌の準備を始める頃合いというのに」
「一般的には皆寝静まってる時間です! つーかさっきキリグイとの戦いあったの伝えましたよね!」
「そうだったか。ならば仕方あるまい」
何が仕方ないのか。
相も変わらず一般人とはかけ離れた価値観の言動が目立つ女に、悠太は疲れを募らせた。
「では貴様のみ連れて行くこととしよう」
そしてまた突拍子もないことを言う。
「え、どこに?」
「何だ乗り気ではないのか?」
「そりゃ……どこに何しに行くのかもわからないんじゃ……」
「なら乗り気にしてやろう。何やら暴れたりなさそうな貴様にはうってつけだ」
切れ長な眼で見下ろすサーバは口端を吊り上げ、特徴的な邪悪な笑みを浮かべる。
「これから、霧喰事件の真相を確かめに行く」
そういう彼女の胸元から、ぴょこんとカメレオンが顔を出した。





