4-28 始夜
少女の人生には、悔いが多かった。
魔王の侵略の最前線に位置する国に生まれ、幼い頃から兵となるべく育てられた。
一つ目の悔いは、魔法の素質がなかったこと。
集められるマナの量が基準値に満たないことから、後方支援と武術の教育を受けた。
魔法の素質のある同い年たちは、早々に戦場に駆り出され、戻ってこなかった。
――自分が魔法さえちゃんと使えたら、あの子たちを守れたのに。
二つ目の悔いは、身体も大きく育たなかったこと。
魔王討伐のために編成された四人組の遊撃部隊。
剣士と魔導師と武術家……優しく頼もしい仲間に恵まれていながら、自分は薬箱を背負ってついていくことしかできなくて、その薬箱すらも時々担いでもらって、戦闘では欠片も役に立たない。
――自分に立派な身体があれば、もっと成長が早ければ、彼らの力になれたのに。
三つ目の悔いは、思慮深さも持ち合わせていなかったこと。
魔王を撃ち滅ぼし凱旋する道中は浮かれきっていて、その後のことをまるで考えていなかった。
まだ十一の娘を戦場に出す国の異常さ、王族でもない自分たちが、魔王を滅ぼす力も持って帰った時、王は何を危ぶむか。
他の三人と違って戦いに加われなかったのだから、その時間を使って考えれば良かったのに。
――自分がもっと疑い深ければ、先見の明を持っていれば……三人の仲間が自分たちの国に貶められ、殺されることはなかったのに。
守ってもらってばかりの役立たず。
そんなままで人生を終えたくはなかった。
だからせめて三人の無念を晴らそうと復讐に燃えた。
だから、この街で新しく組むことになった能天気でお人好しで間抜けな異世界の少年に、沢山世話を焼いてやった。
自分も、かつて旅したあの三人のように、その少年のように――誰かを、何かを守りたかった。
だからもう、これ以上目の前で仲間を失うことは絶対に許されなかった。
――ズプリと、猛烈な熱さと異物感が腹部を襲った。
視界が明滅して、目下の白い大狼の顔が赤く染まっていく。
――ネピテル殿! 何故! どうして!
遠く守りたかった者の悲鳴が聞こえて、少女は満足げに口端を上げた。
――ネピテル……?
遠く頼れる相棒の困惑が聞こえて、少女は両腕に残りの力を入れた。
「……ぶら、ん、ナイス、だよ」
逆手に振り上げた漆黒の双剣、力を振り絞りキリグイの両目に突き立てる。
何やら暴れているような気もするが、もう視界はほとんど輪郭を失っていた。
それでもはっきりと見えるのは、黒い雷の塊。
憎しみの相手であり、連れ添った力であり、出会いのきっかけであった腐れ縁の雷。
その雷は、仲間を傷つける敵を撃ち滅ぼす力を持っていた。
「ほら最期だ……げはっ、くた、ばれよ――『砲雷』」
ぼやけた視界で赤黒い光が増大していき、遠い轟音と埃の匂いだけを残して――キリグイも何もかも、視界に映るもの全てを消し去った。
◇◇◇◇◇
――何だこれは。
見開かれたブランの赤い目の前で、少女が氷角に貫かれた。
――何だこれは。
彼女が突き立てた双剣に黒い電流が走ると、それはキリグイを丸ごと覆う雷の奔流となって敵を撃ち滅ぼした。
――何だこれは。
月下、あれだけ躍動していた少女の背中が、まるで力を失って砂利道に落ちた。
――何なんだこれは。
砂利道に際限なく赤が広がっていく。
「ネ……ネピテル?」
頼れる少年は一言呟くと、次の瞬間には少女の名を絶叫して駆け寄った。
彼は勢いのまま、ぐったりした少女の身体を抱き寄せ、腕が、学ランが血に染まるのも気にせず呼びかけた。
「ネピテル! おい、どうして……! 早く、『治癒』……! 『治癒』は――『気高き尊よ』!」
酷く錯乱した様子で集歌を叫ぶ少年。
しかし、治癒に必要な緑の光は、無情にもちらほらと舞う程度にしか集まらない。
到底、少女の致命傷を治すには足りない。
悠太の瞳孔が絶望に絞られた。
「なん、で……気高き尊よ! コール! ヒール! ヒールだってば!」
『集歌減退』。
マナは飽き性である。
短時間に何度も魔法に使用されれば、徐々に使用者への興味を失っていく。
キリグイとの戦闘中、自身にも少女にも『治癒』を使っていた悠太は、もはや今宵、その魔法を行使することはできない。
それを知らずか、知っていて尚か、少年はただひたすら無意味な令歌を叫び続けた。
いつも頼もしく見えた彼だが、聞けばまだ年齢は十と七、こんな状況に対応する精神力はないであろう。
――情けなく尻もちをついた自分の姿が、酷く滑稽であった。
視線を逸らせば、すぐ傍には褐色の手に握られた鎖かけの魔導書がある。
力は、使えない。
使えば、制御が効かない。
残った少年をも危険に晒すかもしれない。
この力を狙う輩に感づかれるかもしれない。
自分にできることは、何もない。
――そう、自分はまたも、間違えたのである。
「……間違え、だと?」
己の口からこぼれた声には、今まで発したこともない怒気が込められていた。
魔導書を地面に置き、四つん這いに目を落とす。
鼓動がうるさい。
この雁字搦めにされた魔導書には、少女を救う力がある。
息が、苦しい。
――次の瞬間、青年は本を両手で掴み、鎖へと力いっぱいに額を打ちつけた。
「間違えたで済むものか!」
横たわる少女は、役立たずの自分も守り、叱り、諭してくれた恩人である。
目の前で泣き叫ぶ少年は、役立たずの自分を気にして、必要とし、笑いかけてくれた恩人である。
――首元のチョーカーを引きちぎる。擦れた首の皮が一緒にめくれた。
「臆病も大概にしろ! 余は……!」
――もう一度、力の限り大馬鹿者の額を魔導書に打ちつけた。
すると、なんと集歌もなしに鎖へと緑の光が宿り、さらに額に滲んだ鮮血の一滴を受けると……粉々に砕け散った。
深緑の装丁の魔導書が、その1ページを激しく発光させながら開く。
突如として星空から、豪雨のように緑の粒子が降り注いだ。
「……ブラ、ン?」
絶望に染まった顔の少年が見ている。
「余は……余は、友人を守らねばならぬのだ!」
――『気高き尊よ』!
たった一言の集歌であった。
それだけで一面の緑が渦巻き、躍動した。
まるで王の鼓舞に沸き立つ一万の兵士のように、王の戴冠に歓喜する百万の民衆のように。
「コール! 『王命治癒』!」
今かと待ちわびた命に従い、緑の奔流は魔導書を中心に弾け、荒れ狂う竜巻となった。
激しく発光する粒子の柱が、夜の首都を昼間のように照らし出す。
竜巻の内側は激しい風が吹き荒ぶ一方で……血まみれの砂利道や半壊した畜舎に若葉を芽生えさせる。
暴風に顔を覆う悠太の傷が、みるみる塞がっていく。
その傍らで力なく横たわる少女の腹部に空いた赤い穴も、照らし出されてみるみるうちに塞がっていく。
「……ブラン、君は……!?」
驚愕の眼差しを向ける少年が次に感じたのは、荒々しい地鳴りであった。
若葉の香る地面を突き破って、何本もの巨大な樹の根が、月にかかるほどに聳え立った。
「鎮まれ……!」
荒ぶる根たちはのたうち回るように近辺の大地を叩きつけ、折角芽生えた若葉を圧し潰し、咲いた花を蹴散らす。
散ったその瞬間より新芽が芽生え、竜巻の内側は破壊と再生を繰り返す混沌へと様相を変えた。
「鎮まれ、今だけで良い! 余に従ってくれ!」
大樹の化け物となった根は、勢いよくしなるそれを少年と少女に振り下ろした。
かつて、同じように大樹の化け物は青年の故郷の王宮を破壊した。
再生を上回る被害を出した。
――ブランがどうありたいかは、決まっていた。
青年は力強く魔導書を掴み、喉が張り裂けんほどに叫ぶ。
「従え! 余は『天使』の力を持つ者! マナを統べる王である!」
涙と鼻水にまみれた、王の威厳など欠片もない顔であった。
しかしその声は、今この時この世界で、最も必死な声であった。
「余の友人に手を出すことだけはまかりならん!」
呼応するように、魔導書が一瞬だけ一層輝いた。
――のたうち回る木の根たちが、ピタリと動きを止める。
一帯に渦巻いていた緑の竜巻は、次第に遠心力に従って解けていく。
粒子たちははしゃぎ回る子供のように散り散りに、天へと昇って消えていった。
夜が、夜の暗さを取り戻した。
七時街の郊外に残されたのは、若草の大地と、苔むした畜舎の残骸、放たれた家畜たち。
そして呆気に取られっぱなしの悠太と、涙に濡れたまま肩を上げ下げするブラン。
仕切り直された静寂の中――やがて、黒髪の少女は寝息を立て始めた。
◇◇◇◇◇
月夜に現れた緑に輝く柱。
その中で荒れ狂う大樹の化け物。
真昼のように照らされた首都に住まう者たちは――赤毛の少女を始めに――皆一様に扉や窓から身を乗り出し、七時街の方角を見ていた。
「……ユータ?」
夢と認識した者は翌日、現実と捉えた者は即日、逢王宮に問い合わせに走り、事情を知らぬ兵士にはぐらかされることとなる。
◇◇◇◇◇
首都の中心、逢王宮に住まう者たちは、その夜の内に血相を変えて調査団を招集した。
慌ただしく明かりを灯した王宮を、その周りを囲む十二の街から十二の双眸が見上げている。
その中の糸目の眼差しが、厨房の入り口に控えるプードル顔の獣人に言葉を向ける。
「……勘も当たるものね……犬、またちょっと連絡に走ってもらえるかしら」
「御意……わんも、気になる気配を感じたので、それについても調べてこよう」
◇◇◇◇◇
そして――首都の緑は、距離を置いた丘山の頂上からも確認されていた。
野営するは白装束の暗殺者たちと、四名の統率者たち。
片眼鏡に黒の燕尾服で決めた男が楽しそうに目を細めた。
「これはこれは、思ってもいない段階であぶり出せましたね……試運転の良いデータも取れたことですし、そろそろ頃合いですか」
反応したのは黄土色のローブで顔を隠し、足元に斧を突き立てる女であった。
「予定より早いようだが、貴様の計画、抜かりはないだろうな?」
それを鼻で笑うのは、同じく黄土色のローブから伸びる顎髭をなぞる老人。
「はっ、そのような者の力を借りずとも……やはり標的はかの街におるとわかったのじゃ。既に向かわせた儂の偵察兵が戻り次第、行動開始としようではないか」
最後に、黒髪を後頭部でくくり、功夫服にローブを羽織る粗暴そうな男が欠伸をする。
「『鹿角』がもう潜伏してんだろ。無駄に偵察行かせることもねぇんじゃねぇの。行ったのも爺んとこのあの『マギ』とかいうガキだろ。あいつ、何か気に喰わねぇ」
それぞれが別の事柄を口走りながらも、その瞳には揃いの獰猛な光を宿している。
◇◇◇◇◇
――もう一人、森の中から緑の柱を見ていた赤いローブの男が、詰まらなそうに鼻を鳴らして歩を進めた。
この夜――全てが動き出した。
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