4-17 思い馳せるは遠き影
時は数刻さかのぼる。
――おぉい、助けてくれ!
水晶林に木霊する悲鳴を突き止めるため、悠太は林道の先へ先へとスニーカーを運ぶ。
奥地へと踏み入るほどに日の光は届きづらくなり、周囲は薄暗く、水晶は青みを増していく。
暗さに比例して水晶樹たちは根本から透き通るようになり、風景はより幻想的となっていった。
辿り着いたのは、奈落へと繋がる斜面。
枯れかけた水晶樹が頼りない光を朧げに反射して、まるで幽界にでも繋がっていそうなおどろおどろしさを醸し出している。
「この下か……おーい! 誰かいますかー!?」
いますかーいますかーと反響して数秒、反応があった。
「助けてくれぇ。足をくじいちまったぁ」
目下の闇から響いたのは、助けを求めていた男の声であった。
悠太は動けない事情を理解して顔をしかめると、傍らの木の幹が丈夫そうであることを確認し、奈落の斜面に足を踏み出した。
腰を落とし、スニーカーを枯れ葉と枯れ枝、砂利の上に滑らせ、ズザザと滑り降りていく。
そして、まだ昼だというのに日没くらいの明るさしかないどん底に降り立った。
そこは、水晶樹の墓場のような場所であった。
「大丈夫ですか!?」
叫んだ正面には誰もいない。
折れて腐った倒木たちが重なっているだけである。
「どこですか!?」
右を向いて、誰もいない。
毒々しい柄のキノコが斜面に密集していた。
「無事で……」
左を向いて、いた。
ギョロギョロと両目を動かすカメレオン。
「ちょおわぁ!?」
飛び退きざまに木の根につまずいて尻もちをつく。
視界には、小さなカメレオンを頭に乗せた口髭のおっさんがいた。
おっさんは枯れ木を杖に、片足を庇うようにして立っている。
鼓動の弾みが収まらない悠太に、彼は太い眉を申し訳なさそうに下げて声をかけた。
「おお、すまない、子カメレオンが驚かせちまったな」
「いえお構いなく……って、ええ、あれ?」
とりあえず相手が普通の人間で、カメレオンも鏡遠影サイズではないことに安堵するが、男の顔を確認した悠太は、首を傾げる。
どうも話したこともないこの男の顔を、少年は知っている気がしたのである。
「おじさんどっかで……」
男の頭上のカメレオンが呑気なあくびをしたことで、記憶の扉は開いた。
鏡遠影ファフニーナの胴体に映り込んでいた映像、その一つがこの男の顔であった。
「おじさん、ファフニーナに映ってた……」
知れず呟くと、男は目をくわっと開けて、痛めた足を引きずり一歩前に出た。
「おお! 坊やファフニーナを知っておるのか!? するとさっきまで上で騒々しくしていたのは密猟者ではなく君か!?」
「み、密猟者? 落ち着いてください。ええと、俺は悠太、山田悠太って言います。
その、冒険者ギルドに所属してて……首都で起きてる事件のためにファフニーナの力を借りたくて、調教しに来たんです」
自己紹介をしつつ、学ランの襟に付けた銅のギルドタグを見せる。
どこか警戒色を強めた様子の男は、頭上のカメレオンに触りながら悠太の全身を舐めるように観察した。
「……テイムだ? 坊や……密猟者の仲間では、ないんだろうね?」
「だから密猟者って何ですか。俺たちは普通に、林の管理人さんたちに通してもらって……」
管理人という単語のあたりで、男の血相が変わった。
「管理に……くそあいつらそういうことか! 坊や! 君の会った管理人、二人組のノッポとチビの親父どもだったかい!?」
もの凄い剣幕に押されつつ、少年は首を縦にカクカク振った。
「いいかい、そいつらは汚い方法でファフニーナを連れ去る密猟者だ! 坊や、ファフニーナとやり合って無事な腕前を買って頼みたい! 力を貸してくれ!」
「わ、わかった! 訳ありなん、ですよね? で、おじさんは一体……」
話の理解に忙しい頭を整理したくて尋ねると、男は斜面の上に険しい視線を向けたまま口髭を撫でた。
「俺は『マイク・ファレスタ』……この林の管理人をしてるもんだ」
◇◇◇◇◇
――マイク・ファレスタの人生は、こと金銭に関してはずっと下り坂であった。
生まれは医療士ギルドの名家の一人息子。
専属の執事に望めば手に入らないものはなかった……両親との時間を除いては。
きっと一人息子を不自由させないために死に物狂いで働いていたであろうことは、大人になるまで受け入れられなかった。
誕生日の日も大鯨祭の日も、両親は家に帰ってきてくれなかった。
たまに戻ってきたと思えば、せせこましくクローゼットを漁り、忙しなく衣替えをしてすぐに出かけていくのである。
「ごめんね」
「ごめんな」
そう言って出かける親の背中に手を振るのが日常。
ついには揃って過労死などという理由で両親との時間は永遠に取り上げられてしまった。
マイクが十二歳の時であった。
自分と執事だけしかいなかった屋敷に見たこともない親戚たちが出入りして、あっという間に全部がなくなった。
執事も、最後に深々と礼をして去っていった。
――かつてはねだれば一声で手に入った物たちを再び手にするためには、多大な労力が必要なのだと知った。
走って転んで起きて、売って買って預かって壊して、頭を使って頭を下げて、働くということは本当に大変であった。
ただ一方で、色んな人との出会いはそれまでの人生では得たことのない刺激であったから、少年は笑顔で日常を送っていた。
やがて、調教師ギルドに雲鼠の畜舎を建てた男は、颯爽と雲鼠を駆るそばかすの女性と出会った。
それまでの出会いで得たこのとなかった稲妻のような衝撃であったから、男と女は一緒になった。
――子宝には四人も恵まれた。
その宝を守るため、毎日死に物狂いで働いた。
多忙の中、すくすく育つ子供たちを食べさせるにはより多くの働く時間が必要であった。
「ごめんな」
いつか言われた言葉を、今度は自らが口にすることとなった。
不満げな顔の子供たちに手を振るのが新しい日常となった。
休む時間がなくて。
ついには倒れて――なんと十数年、意識を失っていたという。
次に目を覚ました時には、子供たちは大人になって街を出ておりーー愛した妻は、この世を去っていた。
夫の穴埋めのため、死に物狂いで働き、子の世話をし、過労で倒れたという。
マイクは再び、家族との時間を取り上げられてしまった。
それぞれの人生に旅立つ子供たちに賛辞も送れず、愛する妻の別れにも立ち会えず、自分という人間が手にしたかったものが不鮮明になっていった。
――七時街の片隅、廃業した畜舎にいつまでも蹲っているみすぼらしい親父。
男の淀んだ視線が死の未来なんてものを見据え始めた頃、目の前に軍靴がカッと仁王立ちした。
白の軍服、紅蓮の糸のような長髪。
紫檀色の瞳が高圧的に見下ろして、白い歯を覗かせた。
「自分の街に敗者はいらん。消えろ、相応しい場所を用意してある」
――紹介された仕事は、辺境の水晶林の管理人であった。
小屋に一人、浮雲を数える日々であった。
見目に美しい水晶の樹林は、痩せた土地の象徴らしく、美しさの割りに人足は少ない。
住まう魔物は穏やかな気性故、下手を打たなければ襲ってくることはないという。
――無為な毎日を過ごす中で、水場に現れた彼女に出会った。
ギョロリとした目玉、寸胴な図体、表情の読めない顔。
お世辞にも美しいとは言えない風体であったが、子供を周囲に寄せ集め大切に扱う様子に男は惹かれた。
観察を続ける内に、その身体に子供たちの視界を投影することで親の役目を果たしているのだと知って、男は更にその魔物について知りたくなった。
ゆっくりと、男の時計の針が動き始めた。
知りたくて、近づきたくて、触れたくて、抱き上げたくて。
追い返されて、追い回されて、襲われて、見逃されて。
怪我をした子ファフニーナを介抱したことをかわぎりに、男は鏡遠影たちと心を通わせられるようになった。
水辺の特等席で、その魔物を眺めることが男の日常となった。
特に、成長盛りの子供が少しずつ行動範囲を広げ、親元から距離を置く時期が大好きであった。
親の身体に映し出される子供たちの視界に、男も自分の息子娘の視界を重ねていた。
――穏やかな日々を暮らす中、ある日、二人組の中年男がやって来た。
揃いのデニム生地のオーバーオールに団子っ鼻。
彼らは鏡遠影を調教したいと気さくに言った。
大変耳触りの良い理由を並びたてられたと思う。
鏡遠影の素晴らしさを広めることに異論はなかったし、自らもテイムで畜舎の雲鼠と絆を結んだことがある。
案内して、広場に一家族を集めた。
見舞われたのは、後頭部への一撃と、子供たちを捕らえる網であった。
鏡遠影は家族を愛しむ魔物である。
子を盾にされた親はろくな抵抗もできないまま、四肢に杭を打たれ、全身を縛り付けられ、子供もろとも連れ去られた。
マイクはまたも、家族との時間を奪い取られた。
――どうやら鏡遠影は密猟者どものお眼鏡に叶ったようで、二人組が再び水晶林を訪れたのは昨日のことであった。
男は一矢報いるため、怯えた演技で、腰低く二人組を林の奥に案内し、言葉巧みに分断し……背後から殴りかかった。
しかし力及ばず、男は奈落に叩き落される。
斜面の上から見下ろす密猟者は、這い上がろうともがく男を指をさして大笑いした。
◇◇◇◇◇
「いいか? そこで俺はこう言ってやったんだ――マイクお前そりゃモンキーゴブリンの真似か? ってなぁ!」
「ギャハハ! 兄貴何度聞いても傑作だ! 俺も見たかったぜあいつの落ちてく時の間抜けな顔!」
不愉快が服を着て歩いているような二人の馬鹿話に、ネピテル・ワイズチャーチは苛立たし気な溜め息を吐いた。
用語設定
『鏡遠影の水晶林』
カージョン地方の西武、荒野と切り立った山岳地帯に挟まれた針葉樹林。
海風が運ぶ塩分と荒野の乾いた風に挟まれ、生物にとっては過酷な土壌となっている。
その為、植物の種を運ぶ小動物がほとんどおらず、樹々は密集して生息している。
代表的な植物は『水晶樹』であり、密集しながら幼木まで日光を当てる為、幹や枝を水晶のように透き通らせている。





