4-18 プリズムプリズン
「そん時のマイクの顔ったらよ、情けねぇったらねぇんだ!」
――耳障りな嘲笑が、あがりきった呼吸の邪魔であった。
針葉樹林に囲まれた広場には、二人と一頭を閉じ込める巨大な水晶のドームが鎮座している。
ドーム外側の特等席では、共にデニムのオーバーオールに身を包み、片やまさかりに体重を預けるチビの中年男、片や透明の軍配をうちわにするノッポの中年男がいた。
「ぎゃははは! 兄貴! 兄貴その顔真似はいけねぇ! それじゃまるでオークにケツ掘られたモンキーゴブリンだ!」
不愉快が服を着て歩いているようなその兄弟の馬鹿話は、かれこれ十数分も続いていた。
閉じ込められた黒髪の少女、ネピテル・ワイズチャーチは苛立たし気に血と汗の滲んだ腕の包帯を咥え、ギュッと縛り直す。
どうやら、この水晶林の本物の管理人を陥れた時の話がいたくお気に入りらしい。
「不快だなぁ……」
魔導具の力に呑まれた者たちの、下種な笑い。
しかしぼやきは、彼らの笑い声にだけ向けられたものではない。
かつて、魔王の剣の力に呑まれた自分の姿が重なる。
目的のために弱者を虐げ、嬲り、笑って追い詰めたことがある点では、少女も同じ穴の貉である。
同族嫌悪――だからこそ、とても聞いていたい笑い声ではなかった。
舌打ちした少女を目がけ、巨大なカメレオンの魔物がその砲弾のような舌先を撃ちこんだ。
身を低く躱した少女の瞳と、怒気を孕んだ魔物目玉が交錯し、攻防は再開された。
――硬質な水晶のドームに囚われ、ネピテルとブランは鏡遠影ファフニーナとの闘いから逃げられない。
閉じ込めた張本人たちは高みの見物を決め込み、下衆な話をしながら少女と魔物が力尽きるのを待っている。
舌に続けて、ファフニーナの大口からは連弾の火球が撃ち出された。
すれすれで回避し続けながら、少女は黒の双剣を持つ両腕をぶらりと脱力し、気休めに二の腕の回復を狙う。
肩を上下させて弾ませる息の音が、ヒュッヒュッと掠れてきた。
「かふっ、あー……『界雷』切れかけてんな……かけなおさないと、ね」
ぼやきながら一振りの剣先を巨大なカメレオンの魔物に向ける。
その双剣は、魔物の敵意を少女にのみ向けることができる御技を有している。
そうやって少女が庇い続けることで、同じドーム内に捕らわれた非力なエルフの青年は、強力な魔物の猛攻を浴びずにいられた。
だからこそ青年――ブラン・シルヴァは張り裂けそうな声で叫んだ。
「もうよい! 止めてくれネピテル殿! そうやってお主だけ標的になっていては身が持たん!
余だって、余だって逃げ回ることくらいはできる!」
「うっさい黙ってろい」
少女は聞くに値しない懇願を右から左へ受け流す。
事実、『傀儡界雷』でファフニーナの狙いを自分に絞ったほうが対応は楽であった。
「見てみなよ……あいつの胴体、さっきまであんだけ映ってた子の視界が、今はもう全然映ってない……休みなしの攻めを強いられて疲れてきてるのさ」
少女が指摘する通り、鏡遠影の胴は本来の緑の皮膚に興奮の赤を含んだ色に統一され、特徴を失っている。
「もうちょいでボクの勝ちだ……だから指くわえて待ってなよ」
勝利の確信などないし、疲れで皮膚の色が戻るという前情報もない。
口から出まかせの建前であった。
本音は――この逃げ場のないドームの中で、武器も魔法も持たない木偶の坊を庇いながら戦える気がしないというだけ。
――そう思われていることを察せないほど青年は愚かではなかったが、だから何もしなくていいと開き直れるほど冷淡でもなかった。
悠太とネピテルは、見ず知らずであった自分のために良くしてくれている。
こんな無能を旅先から連れ帰るメリットもなかっただろうに、こんな役立たずの働き先などどうでも良かっただろうに、こんな非力な自分をクエストに同行させる必要もなかっただろうに。
それでも一緒にいてくれる、手伝ってくれる。
「余は……」
褐色の指が首元のチョーカーに触れる。
ここで少女を助けなければ、自分はとんだ薄情者である。
首輪を破り、力を解放すれば、自らも戦えることは知っていた。
「余はっ……」
同時に青年の頭に過るのは、氾濫した巨木たちと崩落した王宮と怪我をした従者。
チョーカーにかけた指が震えた。
力を解放して、また間違えたらどうする。
今度は助けてくれる爺やもいない。
――残念、間違い。
呪いのような言葉が鼓動を囃し立て、わずかに芽生えていた勇気をすぼませた。
「よ、余は……今まで、全て、間違えて、きたから……」
チョーカーから指を離した。
数々の武勇伝を語ったネピテルが黙ってろと言うのである。
間違えだらけの自分の判断などより、その言葉のほうが正しいのではないか。
だから、今はじっと見守っているだけでいい、そうではないのか。
「おいおい兄ちゃんの方は震えてるだけか!?」
「こんなちみっちゃい子だけ戦わせてとんだ役立たずだなぁ!」
悪人の煽り声にブランの泣きそうな顔が俯く。
加虐心をそそるその反応をもっと見たいらしい兄弟は、わざわざドームの外側をブランの近くまで回ってきて、バンバンと水晶の壁を叩いて笑った。
ブランは拳を握るだけで、ひたすら唇を噛んで視線すら返さなかった。
昔からずっと、馬鹿にされた時はそうして相手が興味を失うのを待つことしかできなかった。
ずっとずっと、父にも兄弟にも兵士たちにも、反論できずに馬鹿にされ続けて生きてきた。
――だから、予想外の少女から反論がなされたことに驚いた。
「は、黙れよ」
褐色の顔を上げると、それは息の上がった少女が絞り出した声であった。
「確かに、ブランはさ、役立たずで……足手まといで、無力で、無能で、木偶の坊だよ……」
「おうおう酷ぇ良いようだな仲良くしなきゃダメだろう?」
兄から漏れた愉悦の声がブランの立場を更に不憫にした。
しかし兄弟は次の瞬間、浸っていた愉悦から引きずり降ろされることとなる。
「けど、どんな役立たずもさ」
ゾクリと――男たち全身に鳥肌が立った。
「……裏切り者よかマシなんだよ」
金の瞳は、憎悪に淀み切っていた。
ただで殺してくれる眼差しではなかった。
繰り返し苦痛を与え、千切れるところを全て千切ってゴミのように捨てる。
単なる怒りでは済まない迫力が、ブランと兄弟の身を射すくめる。
年端もいかない少女が出すプレッシャーではなかった。
「どれ、ほどの……」
どれほどの憎しみと怒りを普段隠しているのか。
ある種「力を隠す」という裏切り行為をしているブランも、少女の本気の眼に慄いて膝を折る。
壁の外の兄弟は一歩二歩と圧倒され、強がって恫喝した。
「ふ、ふん、いくら強がろうとてめぇは檻の中! 死ぬまで鏡遠影と戦うんだよ!」
言われたネピテルはおもむろに眼を伏せて……いつもの悪戯っぽい瞳に戻って疲れた笑みを浮かべた。
「そうでもなさそうだ――やっとこさ来たね」
どこか穏やかささえ覗かせる柔らかな視線は、ブランと兄弟の更に奥。
――林の奥地からこの広場へと戻ってきた学ランの少年に注がれていた。
「ったく遅いんだよ馬鹿」
「ユータ殿!」
振り向いたブランの視線の先。
「うい!」
元気よく返事した黒髪の少年の顔には――子カメレオンが貼り付いていた。
「……ユータ殿?」
「遅くなって悪かったな」
そして肩にも、胴体にも足にもカメレオンがくっついている。
挙句、背には見知らぬおっさんをおぶっていた。
「……何と? 何故? 誰だ?」
もはやどういう感情で語りかければよいのかわからなくなって、銀髪の青年は思考を停止した。
悠太のおぶっている男が語り出して、更に頭は混乱した。
「ポー、チャーズ……! 貴様らまた愚かな真似を!
しかも今度は関係のない人を……そんな小さな少女と弱そうな青年を巻き込んだのか! 恥を知れ!」
「……余、一目で?」
初対面で辛辣な言葉を浴びせられ耳を下げる青年の一方、水晶の壁に手をつき余裕綽々の兄弟が黄ばんだ歯を覗かせた。
「おいおいおいおい、誰かと思えばマイクじゃねぇか久しぶりだな、元気だったか?」
「そこのガキに助けてもらったわけだな、運がいいねぇお前も」
まるで旧友にでも再会したかのような馴れ馴れしさで腕を広げる兄弟。
視界を塞がれた悠太はその不快な声の方に向かって歩き出した。
「しかもよく見りゃ鏡遠影のガキ共も連れてきてくれてるじゃねぇか!」
「何だよやっとわかってくれたのか! そうだよな魔物なんざ利用したほうが利口なんだ、俺たちのために集めて持ってきてくれたんだろう?」
一歩、一歩、少年は水晶のドームに近寄ってくる。
「賢いビジネスパートナーなら大歓迎だ! 俺たちゃ今機嫌がいい!
どうだ一緒にこのデスマッチを観戦しながら酒でも飲まねぇか!」
「そこのガキ! お前も賢いんならここは一緒に楽しんどけな?
なぁに、ランク2程度の生意気娘と木偶の坊がおっ死んだところで代わりの人員くらいすぐ見つかるさ!」
無言で水晶のドームにたどり着いた少年は、水晶の壁に手をついて言う。
「おっさん、これ取って」
しっかり聞き取った背中のマイク・ファレスタが、悠太の顔についたカメレオンを両手で優しく剥がした。
「ぼ、坊や、何をするつもりだ?」
黒髪と黒目、無個性な輪郭と顔のパーツが、頼もしく、そして不敵な笑みをドームの中のネピテルとブランに向けた。
それを見て密猟者の兄弟はやれやれと首を振る。
「おいおいここにはお頭の弱い奴しかいないのか? ガキ、その壁は鏡遠影の攻撃も耐える最硬の壁だぜ?」
「何する気か知らねぇが。お前みたいな低ランクのガキじゃ傷一つ……」
「待たせたなブラン――」
悠太は穏やかな視線と白い歯を見せ、手の平を光らせた。
「――ステータス・オープン」
水晶の壁は、ドラゴンの吐息にも耐える強靭さを有していた。
それはそれとして、壁にひびが入る。
そのステータス画面はかざした手の平から十五センチ程の位置に出現する。
この距離は絶対で、既にその位置に存在するものがあれば、例えそれがどんなものであろうと切り裂き、破壊してでも――定位置に出現する。
ピシピシピシピシ、走り回る亀裂が連なって、ドーム全体に広がっていく。
そして――「馬鹿な」との呟きを最後に、ドームはパァンと弾けて消え去った。
マナに戻って舞い散る橙色の光の中。
山田悠太は傍らで度肝を抜かれ尻もちをつく兄弟に、こう言ってやった。
「ええと……おいおいどうした? モンキーゴブリンがオークに遭ったような顔してるぜ?」





