4-12 BAKÉMON
▼やまだゆうた。
▼レベル36。
▼開放済機能、ステータス画面、イクイップ画面。
▼所持品、大蔦豚の篭手、詰襟の学ラン、補修されたスニーカー。
▼使用可能魔法、治癒、火ノ玉、帰還、氷ノ鍛冶師・盾・短剣、炎ノ槍、風ノ弾丸。
――▼修得イベント発生――使用解放魔法、調教。
◇◇◇◇◇
「見事自分の調教を上書きしてみせよ」
軍服女の許しを得た馬頭の巨体が、咆哮と共に夜空を舞い、悠太たちに跳びかかる。
――絶叫した三人が三方向に散った。
馬面の魔物をけしかけたサーバは、かぶる軍帽の鍔を後頭部に回し、思い切り叫ぶ。
「行けっ! ピリカ獣! 十万馬力だ!」
魔物と絆を結んでバトルに挑もう! みたいなゲームを思い出しながら悠太は草っぱらを駆ける。
「いきなり意味わかんねぇ! ちょっと待てって!」
最初の標的は少年であった。
巨体は着地の一撃を避けられた後も、牧草地を逃げ回る彼の足跡を白い拳で叩き潰しながら追いかける。
「くっそ、やるしかないのか……! というか、『調教』なんて魔法まだ……!」
悪態を付きながら悠太は身を翻して魔物に対峙する。
ようは先程サーバが手本を見せたように、襲い掛かってくる魔物を魔法で従わせろということであろうが、悠太はステータス画面に記載された魔法しか使えない。
魔導符があれば一応誰でも魔法を行使できるこの世界のルールから、彼だけが外れていた。
しかしどうすれば良いかを考える余裕を、白馬の魔物はくれなかった。
悠太はまっすぐ繰り出される拳に向かって手の平をかざし、ステータス画面を念じて浮かべる。
画面には、不可視だが触れることはでき、浮かんだ場所から絶対に動かず、絶対に壊れない特性があった。
拳は不可視の盾にぶち当たり、手の平の先15センチ程の迫力で止まる。
すると、すっかり盾としての扱いが定着していたステータス画面が、本来の機能を思い出させようとしているかのように、ポコンとウィンドウを追加で浮かべ、メッセージを表示した。
「何だよええと……修得イベント発生――使用解放魔法……『調教』?」
それは通常のレベルアップで覚える魔法とは別の一覧に表示されていた。
悠太はあまりにもタイムリーなメッセージに、苛立ち交じりの笑みを浮かべる。
「っとに都合がいい……!」
少年はステータス画面が時折浮かべるこのメッセージが大嫌いであった。
全てはこのステータス画面がプログラムされていた時には決まっていたことで、今こうして拳を交えている魔物も、そう指示した軍服の女も虚構の存在なのではと勘繰らせるからである。
しかしそんなことはお構いなしに――謎の壁に拳を阻まれた馬面が、口を大きく開き咆哮した。
鼓膜が破れそうな痛み、ビリビリと空気を伝う音圧。
それらは悠太の命にも届きうる本物の感触だと思うから、彼はこの世界が虚構ではないと確信していた。
「まあいいや、とりあえず『調教』は使えるんだな! 確か……『気高き尊よ』!」
悠太の集歌に緑のマナがぶわりと舞った。
どうやらレベルが上がれば集歌効率も上がるようだと、いつか赤毛の少女が拗ねながら教えてくれた。
ワンフレーズで先ほどのサーバ同様にハンドボール大のマナが揃ったので、彼は集歌を切り上げて略令歌を唱えた。
「コール『調教』!」
マナは渦巻いて淡い緑光の玉となり、宙に漂っている。
「……えっと? こっから?」
そして記憶が尽きた。
確かこの後、サーバは鞭の先端に緑の光を付与させていたと思い出したのと同時――ステータス画面が食い止めていた巨拳が空色にざわめいて、竜巻状の衝撃波を撃ち放った。
「嘘だろマジか!」
ステータス画面が防ぐことができるのはその面積分の攻撃のみである。
流動する炎や水、風による攻撃は防ぐことができない。
暴風の刃が少年の頬を傷つけて、堪えていた両足を地面から浮かせて吹っ飛ばした。
回転しながら飛んだ悠太は木の柵をぶち破って道端に積み上げられていた樽と藁の山に突っ込む。
「げほ、くっそ……」
忌々し気に視線を上げると、魔物の前には未だステータス画面とテイムの光が残っていた。
――ふよふよ浮遊するテイムの光に横から触れたのは、赤黒い双剣であった。
「よっと、確かあの馬鹿鞭はこうしてたよね」
魔物の注意は目前を横切ったネピテルへと注がれ、拳が再度振りかぶられた。
黒髪の少女が構える双剣には、しっかりと緑の光がエンチャントされている。
魔物の肘が暴風を爆発させ、凄まじい速度の拳を打ち出した。
「はんっ、甘い!」
掛け声と共に、少女は反転して地面を蹴り、石柱のような腕の紙一重の距離をすれ違う。
そしてすれ違いざまに、緑に光る黒剣を斬り上げて斬撃を与えた。
白い魔物から赤い血飛沫が飛ぶ。
くるくると竹とんぼのように回って着地したネピテルは、斬り傷をつけられた腕を抑える魔物に剣を向け、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「どぉだデカブツ。これでお前はボクのもんだ」
もの凄くわかりやすく調子に乗る少女に一抹の不安を覚え、悠太は魔物を見やった。
『調教』を付与した攻撃による傷は淡く緑に光り、点滅はしている。
しかし、今も馬頭の額に浮かんでいる紋章のような形にはならなかった。
「さーて忠実なる下僕よ! 主君たるボクの命を聞け! お手! おかわり! おちんち……」
「ネピテル危ない!」
叫んだ時には遅かった。
怒りの剛腕が薙ぎ払った平手打ちが、少女の全身を捉えた。
「なん……っで!」
バチンと良い音を立てて吹っ飛ばされる身体の先には、震えて縮こまる銀髪のエルフがいる。
「ひっ、何故こっちに吹っ飛ばさゴフっ!」
少女の胴が顔面にヒットして、青年はダウンした。
どうやら緩衝材のおかげで意識を保てたらしい少女は、哀れな青年を踏んづけていることにも気づかずに立ち上がる。
ふらふらの少女に魔物の追撃がかかる直前――悠太が急いで唱えていた魔法の準備が整う。
「『宴、ふざけど中道を』――コール『火ノ玉』!」
ステータス画面を手元に浮かべなおし、透明な画面越しに馬面の横っ面を狙う。
火球は見事に着弾し、追撃を止めさせる程度には身体をぐらつかせた。
だが、少年は気を抜くことなく、緑のマナを集める歌を間髪入れずに唱え始めた。
観察するに、ダメージはほぼ入っていない。
顔面に入ったファイアボールも白い短毛を煤けさせた程度、ネピテルが付けた腕の斬り傷も、どうやら既にかさぶたとなって止血済みのようである。
その様子にようやくふらつきから立ち直った少女が悪態をつく。
「くっそ、こんなの詐欺だろ。ちゃんとボク緑の攻撃入れたのに!」
ご尤もな意見で、サーバと同じようにやったのに、魔物を手懐けられる気がしない。
違いがあったとすれば……それは攻撃を加える部位であろうか。
「そうか――コール『調教』」
再び唱え、手元に緑光の玉を浮かべる。
光に右の拳を当て、緑光を付与する。
魔物の標的は、火球を当てた悠太に再び向いていた。
少年は左腕を猛進してくる魔物に向けて、魔導具『大蔦豚の篭手』に宿った技の名を呼んだ。
「行くぞ――『四蔦縛』!」
――魔導具は、決められた技名を叫ぶことで魔法のような超常現象を引き起こす。
左の篭手表面から撃ち出された四本のツタは、一直線に伸びて白い片腕に巻き付いた。
『四蔦縛』はツタで捕らえたものを悠太の前まで引き寄せる技。
逆に固定物や悠太より重いものを捕えた場合、縮むツタは少年の身体をそのものの場所まで運ぶ。
夜空に学ランをはためかせ、少年の身体はピリカ獣の頭上まで飛んだ。
頭上は生物共通の死角、反応が遅れると考えた。
悠太は右拳に宿した緑光を振りかぶり、額に渾身の一撃を与えようとした。
――ギョロリと、魔物の目が上を向いた。
「いっ!?」
馬っ面がカパリと口を開け、歯並びの良いその奥に、空色のマナを集めた。
何か撃ってくる。
千載一遇のチャンスに水を差す反撃がある。
それを止めたのは少女の声であった。
「――『傀儡界雷』!」
地上近く、黒雷を纏った双剣が魔物の太腿に突き立てられた。
剣から迸った黒い雷は、魔物の全身を伝い、馬っ面はロボットダンスのようなぎこちなさで標的を少女へと変更した。
少女の持つ魔導具、『魔王の双剣』の技の一つ――『傀儡界雷』。
本来は雷の走った身体を自由自在に操ることのできる技であるが、魔王から死してなおも恨まれるネピテルが使うと効果を十分に発揮できない。
傀儡は全員彼女の命を狙うようになるのである。
「ほらナイスアシストだろ!」
叫ぶのと同時、馬の口から風の砲弾が撃ち出され、少女を再び吹っ飛ばす。
しかし今度打ち付けられる先は……固い地面であった。
「ネピっ……」
慌てる悠太の視界の端から、銀髪が駆け込んだ。
少女の落下位置に身を投げ出す彼を見届けて、少年は目前に集中することができた。
ツタを引き寄せ、緑光が宿る拳に力を込める。
「これで……どうだ!」
緑の拳が、白い額に叩きこまれた。
白目を向き、舌を噛んだ魔物の脳裏に、テイムの効果による情報が流れ込んでくる。
流れ込む情報は、拳を入れた少年のこれまでの姿であった。
――その少年は、見慣れない四角い世界で猪のような鉄塊に轢かれ、森でゴブリンと対峙し、数多のウルフやバットを葬り、ツタを自在に操る豚の王と戦い、素早い少年とも、黒雷を纏う少女とも激闘を演じてきたようである。
未だ戦いの中で下らない葛藤を抱えることもあるようだが、それも段々と薄れてきているらしい。
白馬の魔物は思った――この少年となら、血沸き肉躍る戦いに身を投じられるのではないか、と。
――白い巨体がうつ伏せに沈み、揺れる地面に悠太は降り立った。
遠く、目をぐるぐるとさせ伸びた少女と潰された青年がピクピク痙攣しつつも唸っていることを確認し、ほっと安堵の息を吐く。
その間に魔物は両腕で身を起こした。
悠太は身構え、彼を見上げる。
馬っ面の額には、サーバの付けたものとは異なる緑の紋章が刻まれていた。
ピリカ獣は腰を落とし胡坐をかくと、その巨大な拳を悠太に向かって差し出した。
あれだけ激しく纏っていた風は解かれ、敵意は感じられない。
悠太が恐る恐る腕を伸ばし、拳を合わせると……特に何も起こらないが確かな絆を感じたような気がした。
この瞬間、悠太とピリカ獣は、戦友となった。
夜中の牧草地に拍手が響く。
「見事、調教成功だ。筋は悪くない」
牧歌的な背景に全くそぐわない軍服を夜風にたなびかせ、サーバは祝辞を述べた。
「なんか、想像したやり方と違いました……」
もっと魔法の力で簡単に操ることを考えていたのは事実だ。
「唱えるだけで意のままに操れる……そういうのが好みか?」
だが今、悠太は首を縦に振る気になれなかった。
たった今できた戦友と拳を交えた時間に、意味を持たせたかったからである。
「魔物だろうと何だろうと、日々接していれば絆を結ぶことは可能だ。
『調教』はそれにかかる月日を省略する魔法と考えろ。
狙うのは頭だ。脳に自分という確かな存在を叩き込め。後は相手が全てを判断する」
「……それって、結構不確実だったってこと?」
「自分は失敗したことがないが、時折失敗して逆に嫌われる調教師はいるな。
さっき事件の次第を話したドリマンがいただろう。あいつは『調教』が下手でな、いつも雲鼠に蹴り飛ばされている」
「俺もそうなってたかも知れないってことじゃないですか」
それも相手は雲鼠でなくこの怪物である。
受け入れてくれて良かったと巨体を見あげた。
すると――馬っ面の魔物の身体が緑に輝いた。
「え」
「『魔魂種牢』の効果が切れるな」
少年はピリカ獣が顕現した時のことを思い出す。
彼の心臓は魔導具『蝮女樹の呪珠』に囚われていて、身体は全てマナで形成されている。
「こいつは調教の練習台だ。用が済んだら消えてもらう」
えらく事務的な言い方に、悠太は不安を覚えた。
「あの……また、会えますよね?」
「充填時間が過ぎればな。まぁ、その時には今回の記憶などすっぱり忘れた野性の状態だが」
「そんな……」
折角友達になれそうなのに、という表情は切れ長の眼に見透かされていた。
「情に絆されるな。
今はともかく、こいつは貴様が思っているような気持ちのいい魔物ではない。
貴様が今しているような懇願の眼差しを向けていた何人何十人もの人間を容赦なく血祭に上げてきた戦闘狂だ」
言い淀む。
彼の過去を言われて、そういう過去があり得る世界だとわかっていて、彼だけ特別扱いしろと掴みかかることはできなかった。
それだけの想いを募らせる時間を悠太は彼と共に歩んでいなかった。
身体が緑に解けていき、その馬っ面もパラパラと散っていく際、魔物は自分を見上げる少年の眼に涙を見つけ――穏やかな気持ちと共に消えていった。
「これは懲罰でもある。あの魔物のな」
絆を結んでは消し去られ、それを繰り返す。
きっと数多の村を襲い、数多の絆を引きちぎってきた彼に相応しい罰と考えられたのであろう。
宙から落ちてきた禍々しい魔導具をパシッと掴み、サーバは胸の谷間にそれを仕舞った。
「それでもこいつを憐れむなら、今しがたの出会いを活かせ。
こいつが関わった経験を人の役に立たせろ。そうすれば、減刑も考えてやろう」
涼し気に言うサーバの言葉を噛みしめて、悠太はもういない彼を殴った右手をギュッと握る。
「……ああ、わかりましたよ。それで、次に俺は誰を『調教』すればいいんですか? 事件解決のために魔物の力を借りる必要があるんですよね?」
「ああそうだ。『ぼうはんカメラ』、だったか? 貴様の世界の魔導具のことだ」
魔導具ではないが。
「恐らく似たことをできる魔物が西――『鏡遠影の水晶林』に生息している」
つまりそいつを調教してくる必要があるということであろう。
「クエストは貴様らを指名して出しておく。冒険者ギルドで受けてこい」
そして紅の長髪を指で弄ること数秒、サーバはにやりと微笑んだ。
「クエスト名はそうだな……――『水晶林の傾奇者』だ」
用語設定
『馬鬼ピリカ獣』
カージョン地方の北端、豪雪の山岳地帯に生息していた魔物。
ピリカとは民族に伝わる呼び名で「純白の」「気高い」という意味である。
かつては穏やかな山の神として多くの山岳民族から崇められていたが、大人しくしていたのは人間が己の闘争本能を満たす者とはなりえないとの認識からであった。
時代が進むと人間の中に彼を狩ろうとする者が現れた。
その者を虫けらのように返り討ちにすると、今度は更に腕の立つ者が挑んでくるようになった。
人間は、殺せば殺すほど強い個体を呼んでくる。
そう認識した獣は彼を崇拝していた周辺民族及び小村を襲撃し、その白い拳を血で染め上げた。
――やがてその血よりも紅い髪を持つ強者が現れて、彼の欲望は満たされた。





