幕間 カージョナ滞在記④ ~ぴーぴんぐ~ seen2
花香る店通りを挟んで見下ろす先には、星天の薄亭の羽目板の外壁がある。
四角くくり抜かれた出窓のカーテンは両端でまとめられ、窓枠の中には日に照らされる床と、ベッドの上でシーツに包まる寝坊助が確認できた。
かんしいちにちめ、あさ。
「一日目もなにも……今日だけだろ」
オレンジの瓦が並ぶ足元。
屋根にしては傾斜が緩くバランスは取りやすい。
悠太はどこか猫っぽい雰囲気の幼女が魔導書のメモ欄に書いた文字に目を落とし、思わずぼやいた。
幼女はフッと笑う。
「これだから素人は困るのにゃ。気分は大事なのにゃ」
「玄人はそんなこと言わん」
つつがない休日を過ごすはずであった少年は眉間に皺を寄せて溜め息を吐いた。
彼はつい先ほどできた弱みに付け込まれ、本日一日はシーツの中で寝息を立てているだろう少女の監視役、の補佐をすることとなった。
「あ、お部屋のベッドに動きがにゃ!」
現在、悠太とサマーニャは薄亭の向かい、三階建て住宅のオレンジ屋根にスナイパーよろしく跪いてネピテルの部屋に視線を向けていた。
サマーニャは「監視の必需品!」と言って取り出した単眼鏡の筒を覗きご満悦である。
なお、通りを挟んだだけの距離なので悠太の裸眼でも十分に部屋を覗くことはできる。
「……やっぱ気乗りしねぇなぁ」
窓枠の向こうでもぞもぞするベッドのシーツから視線を逸らし、独り言を呟いた。
監視という名目があるにはあるが、傍から見ればただの覗き行為にしか見えない自覚はあった。
後ろめたくないはずもなく、ひとまずサマーニャに付き合うだけ付き合って、自分は極力覗かないようにしようと心に決めていた。
「あ、起きたにゃ」
されとてそう言われれば横目の視線が向かってしまうのが人情というもので。
時刻は十時ほど、日が昇ってかなり経過している。
糸目の鬼店主がいない朝、黒髪の少女はかなり遅い時間まで睡眠を楽しんでいたようである。
ベッドの上でむくりと起きた黒い塊は、白い包帯の腕を万歳させて伸びをした後、目を擦りながら這い出る。
絡まないように枕元に投げ出されていた長髪が、ベッドの裾へと引きずられて身体を追った。
服装はいつもの黒いシャツに短パンであった。
加えて手足には包帯が巻いてあるまま。
つまり、そこにはいつも通りの姿のネピテル・ワイズチャーチがいた。
「あいつ……服あれしか持ってねぇのか?」
「あ、でも着替えるみたいにゃ」
窓の側、少女は欠伸しながらもぞもぞとシャツに手をかける。
――グワンと、悠太少年の良心が顔を明後日の方向へとねじ曲げた。
勢いのせいで少し痛んだ首筋を撫でながら、悠太は背を向け青空を見上げて言った。
「終わったら言ってくれ」
「おー、ヤマダ紳士にゃ。ご褒美に生着替えの生レビューしてあげるにゃ」
「それは褒美ではなく生殺しというのでは……いや違うな忘れて」
生殺しなどと言ったら自分が相棒の着替えを見たいようではないか。
「今パンツ一丁にゃ」
「ぶふっ」
本当に実況を始めた幼女の倫理観に絶望しつつ、悠太は身体と顔の向きを頑なにしつつ、更に目をきつく縛った。
「そのまま窓の近くで屈んで……何か漁ってるにゃ」
着替えの服でも出すのだろう。
「おー、双剣が出てきたにゃ」
「何でだ!」
天空に叫ぶ。
パンツ一丁の人間が手に取るべき素材は布地一択だろうに。
「黒い剣にゃ、かっこいいにゃ」
正直、向き直って姿を見てツッコミたかったが、コンプライアンスがそれを許さなかった。
「で、そのまま……剣を構えたにゃ。両手を広げて、片足立ちで」
曰く功夫映画の中でしか見ないようなポーズとのこと。
「……その流れって」
「難しい顔で首傾げてるにゃ。なんか違うにゃーって感じにゃ」
どうやら少女は少年と同様に同種の病を患っているようであった。
少年は上を向いたまま眉間を揉んだ。
羞恥が耳まで熱し、背にじわりと嫌な汗が滲んだ。
「次は両腕を交差させて腰を落として……しっくりこなかったみたいにゃ。それで、今度は剣を逆手に持って……」
「先生、それをあの子は、あの子はパンツ一丁でやってるんですか……」
「お母さん気を確かににゃ。思春期であれば誰もが通る道にゃ」
ついさっき通っていた道なのが心情的に辛かった。
「あ」
「どう、しました?」
「適当に振った剣がすっぽ抜けて床に刺さったにゃ。凄い冷静になってるにゃ。じっと佇んでるにゃ」
ネピテル越しに悠太の黒歴史をも抉ってくる幼女の言葉に、少年は悶えるしかなかった。
「双剣仕舞ったにゃ」
「口笛吹きながら?」
「なんでわかるにゃ?」
「そう、だな。俺でもそうするから、かな」
物事をなかったことにするには状況証拠を隠蔽する必要がある。
そうしないと自分の脳が今しがたの事実を忘れられないのである。
誰に見られていなくともそれはやらなくてはならない――少なくとも、自分自身が目撃者なのだから。
「上辺だけ取り繕っても自分の過ちが清算されるわけではないのに、にゃ」
「やめてくれ……人は皆、その取り繕った上辺を足場に踏ん張ってるんだ」
朝から覗きをしながら哲学する二人に、近くを飛ぶカラスが馬鹿にした様子で鳴きかけた。
「にゃ、部屋の奥の方に行って……お洋服を持ってきたにゃ」
やっと服を着てくれるらしい。
「ベッドの上にお洋服広げて……今日の一着に悩んでるのにゃ」
「ほー、あいつにお洒落する感覚あんのか。いつもの黒い一張羅だけじゃないんだな」
感心した悠太のいつもの一張羅を、くいくいとサマーニャが引いた。
「もう大丈夫にゃ。ネピネピ服着たにゃ」
「じゃあまあ、お洒落着くらいは見てやろうかね……」
わざわざベッドに服を広げておめかしとは、ボーイフレンドでもできたのであろうか。
覗きの罪悪感が薄れてきた悠太が再び窓に目を向けると、そこには肩掛けの皮バッグで出掛ける支度をする少女がいる。
服装は、黒いシャツ、黒い短パン、手足の包帯。
なおベッドの上には同じ服のセットがいくつか広げられている。
「……何に迷ったんだよ」
「あ、お出かけみたいにゃ」
◇◇◇◇◇
――少女は『星天の薄亭』の勝手口から通りに出て、快晴の空に向かって伸びをした。
本日は冒険の準備日、見方によれば休日である。
しかも、馬車馬のようにこき使われることのない真の休日ときた。
「んあー、最っ高だね。特にあの妖怪糸目鬼婆がいないあたりが」
はばかりなく暴言を吐くと少女は弾む足で石とオレンジの瓦の街に繰り出した。
つま先が向いたのは北、冒険者が集うギルドのある『一時街』であった。
少女は冒険者である。
階級は1。
ランク決めを兼ねた入団試験の際、卑怯にも不意打ちを食らい、不本意ながら最低ランクでの門出となってしまった。
結果に物申したくはあったが、というか物申したが、結局聞き入れられることはなかった。
なので今はしぶしぶと、目的のため少しでも早く冒険者ランクを上げようとしている。
「とりあえずは明日の哨戒の資料でも取りにギルド行って……」
失敗で時間を無駄にはしたくなかった。
クエストを受ける際のギルドの原則は二人組であるが、パートナーの少年は朴念仁というかお人好しというか間抜けというか馬鹿正直の馬鹿野郎で、少々頼りない。
故にクエストに挑むにあたって少女は自分がしっかりしなければと誓いを立てていた。
ふんすと鼻息荒く、歩幅を広め、気持ちをクエストに向けたところで、彼女は呼び止められる。
声は店通りの端からかかった。
「おーぅい、ネピ公じゃねぇか」
庇の影に銀色の鮮魚を広げるねじり鉢巻きの禿げ頭が陽気に笑う。
「む、魚屋」
気安く話しかけてくる禿げ男に、少女は隠しもせずに嫌な顔をした。
元来馴れ馴れしい輩は嫌いであるが、この魚屋には何か最近嫌な目に合わされた気がしている。
「またイトネンさんに掃除サボって買い出しさせられてるのかー?」
「うっさいな違うよ……つーか、思い出した! この前よくもボクを魚泥棒にしてくれたな!」
掃除をサボって買い出しさせられていた時の記憶が蘇り、少女は向き直って指さした。
にやけ面の男は両手を広げて済んだことだと主張する。
「おいおいそれはもう謝ったろう。子持ちのどら猫も捕まえてくれたし、お礼に魚もやったじゃねぇか?」
「あの後大変だったんだぞ! 一尾まるまる寄こす奴があるか!
魚屋が馬鹿デカい声で泥棒だの叫ぶから奥様ネットワーク伝って糸目の耳に入ってさ!
あんたに貰った魚のせいで言い訳もできなくて、無実の噂が広まってくるまで皿洗い地獄だよ!」
それこそ猫のようにシャーっと威嚇する少女に気圧される様子もなく、魚屋は豪快に笑った。
少女はアルバイターでもある。
順当な罪で多額の借金を背負わされ、本業のクエストの報酬も全てその返済に費やされる。
それでは生活できまいという余計なお世話のせいで、宿屋兼食堂に住み込みで働きながら置いてもらうことになったのである。
しかし店主は鬼のように厳しく、少女は事あるごとに叱られ、皿を洗い、床を磨き、買い出しに行かされる日々を送っていた。
――遠くで「普段サボりまくってるから自業自得なんだけどな」と聞こえた気がした。
イトネンにどやされ買い出しを命令される少女の図は、そう時間をかけずにすっかり二時街お馴染みの光景となっていた。
通りがかりの奥様方も魚屋と少女の対峙を目を細めて通り過ぎていく。
「悪かったって、じゃあ今日はこれやるから勘弁してくれぃ」
放り投げたのは大きな二枚貝であった。
「は、ちょっと!? ねぇ行くとこあるから困るってこれ、生臭っ!?
ボクこれから出かけんの! くれるなら帰りに頂戴よ!」
「返品不可で頼むわ、廃棄品なんだ」
「じゃあそもそもいらんわ!」
ギャーギャーと喚く街角で、少女は歩を進めるごとに「ネピテルちゃん」「嬢ちゃん」「ちっちゃいの」と呼び止められては食べ物を貰っていく。
人間不信であった少女は最初こそ拒否していたが、その頑なな態度がかえって下町気質な面々の人情に火をつけた。
「だぁもう馬鹿か! これから出かけるって言ってんのにぃ!」
度重なる餌付けに屈した少女は、両手いっぱいの食料を抱え、それらを少しずつ頬張りながら逃げ出すのであった。
◇◇◇◇◇
「どうしたにゃ? いつも間抜けな顔してるにゃ」
単なる悪口は聞き流して。
「いや、あいつ……結構人気あるんだなって」
悠太は口の端をわずかに上げた。
少女は、復讐者でもあった。
遠く北の国で、RPGの勇者パーティのような小隊に属して魔王と戦い、討った。
国のために討ったと聞いている。
そんな勇者たちの凱旋に待ち受けていたのは、聞くに堪えない残虐な仕打ちで、生き残ったのは少女だけであったという。
彼女は自暴自棄に陥り、復讐に身を焦がし、剣呑な眼で首都に流れ着いていた。
少年とは剣と魔法とステータス画面をぶつけ合い、一時的に復讐を手伝うことを許された仲だが、過去が過去なのでその他の人々と人間関係を上手く築けるかが心配であった。
「多分、もともとは人懐っこいんだろうな」
どうやら心配は杞憂に終わりそうだと楽観視をして、少年は店通りを弾む黒髪を追った。





