幕間 カージョナ滞在記③ ~スピリット~ 急
「……わんが、ヒューム、小僧、以下」
芝生で体育座りの獣人が俯いたままぶつくさいじけている。
公園の立ち退きを賭けた「スピリット」の三番勝負は現在、一勝一敗。
大将戦に悠太を送り出すピンク髪のサキュバスが耳打ちした。
「凄いショック受けてるみたいね」
「あれで結構繊細なんすよ」
住み込みで働いている食堂では、よく糸目の店主に怒られてしょげていたりする。
「正直後の士気に影響するから大口叩いて負けるの止めてほしいわ」
「それ絶対本人に言っちゃ駄目ですよ」
「……デスプードル族の、聴力、ヒュームの、実に十倍……」
小声が筒抜けていた。
なおも小声でティカが取り繕う。
「やだ聞こえてるわよ。ますますどんよりしたわ」
「マーロンごめんって。お前のおかげでルールわかったし、俺、ちゃんと勝ってくるから」
ひそひそ話のミーティングは老婆の一括で中断することとなった。
「こりゃ次いくよ! 大将は早く円の中に入りんしゃい!」
「あ、はい!」
慌てて悠太は円内に駆け出すが、腕を取られて立ち止まる。
「はい、忘れ物」
差し出されたのは、バスケットボール大の球。
受け取るとそれは想定よりもズシリと重い。
「頑張ってね」
紫の瞳は手慣れたウインクを寄こして、悠太の頬を人差し指で押して送り出した。
駆け出しの競技者、悠太はボールを小脇にフィールドへと進む。
最初は歩行と同じ感覚だった鼓動が速く、速くなっていった。
ルールは把握した。
なれどそれで不安も緊張もすっきり解消とは行かない。
なんだかんだ人間の身体は一度やってみなければ慣れないのである。
ゴクリと唾を呑んで、悠太は境界の線を跨いだ。
――決戦の芝生で待ち構えるのは、マントを脱ぎ捨て、長剣を手放した軽装鎧の男。
長身の足元にボールを置いて、短髪を風に揺らし、瞼は瞑想のためか伏せられている。
「――来たか」
スカーフでくぐもった声は渋く響いた。
ぎろりと鋭い双眸が開く。
藍色の瞳は猛禽類のように獲物を見据えている。
「イワザ兄ー! 頑張ってくださいー!」
「兄者! そんな奴はフルボッコにしてやってくだされ!」
声援にガッツポーズの背中で返すと、イワザはボールを両手で拾い上げ、まっすぐ胸の前に構える。
悠太も小脇のボールをバシッと両掌に収め、肩幅に脚を開く。
「……いざ」
呟かれた言葉は、悠太に向けられていた。
悠太は彼と「ギルド入団祭」の路地裏でも対峙したが、次男のように一泡喰わせたわけでも、三男のようにがっつり戦ったわけでもない。
故に印象はあまり残っていないが……ただあの対峙の中、彼に隙が全くなかったことだけは鮮明に覚えている。
「ええ、正々堂々戦いましょう」
学ランの少年が静かに答えて、時間いっぱい。
「ではの、この土地の立ち退きを賭けた三番勝負、最終戦を始めるぞい」
そう言えばそんな名目であった。
「二人とも良いな? レディ――」
青空の下、若草色の上、最終戦の幕は上がった。
「スピリット!」
先に動いたのは悠太であった。
思ったより重いボールを両手で持ち続けるのは意外と二の腕が疲れる。
初心者が戦略を考えていても仕方ないと、レベルによって強化された己の身体能力を信じて突っ込む。
まっすぐ放った蹴り上げは、流石に見切られ横ステップで交わされた。
「……疾っ!」
返しの蹴りは鋭い閃光のようであった。
悠太は寸でのところで身を捻り、ボールを死守する。
蹴りは勢いのままに肘に当たり、痛みが悠太とイワザの顔を歪める。
その時、公園に笛の音が響き立った。
「禁則愚行! 赤チーム『ツイスト』じゃ! 『罪咎』一つ目!」
「な、何だ!?」
突然の老婆の金切り声に固まる悠太の前で、イワザが膝をつく。
「……くっ」
顔をしかめる様子から、悠太の肘を蹴った足の甲が痛むらしい。
「あの、大丈夫で……」
声かけを遮って敵陣が沸いた。
「ぶふぁ! 卑怯ですぞ! ツイストは相手の足を壊しかねない反則行為! それを何の躊躇いもなく……恐ろしい奴ですな!」
反則行為との言葉に悠太は背筋の冷たさを感じた。
そりゃ競技なら反則の規定もあろう。
だが、それを自分は把握していない。
ルールすらたった今知ったのである。
確かに今まで腕でボールを守った奴はいなかったが、それが反則だと、誰が予想できようか。
「え、と、あの、すみません……」
とりあえず謝ると、イワザは片膝で震えたまま、片手を上げて無事を伝えてくれた。
「……さ、最初は、仕方ない」
反応が普通に良い人で申し訳なさが募る。
「ユータ君、反則は三つで負けになっちゃうから気を付けてね!」
「それ今言います!?」
「頑張って!」
他の反則を教えてほしい。
「両者良いな? 再開するぞい!」
その暇はないらしい。
終始テンションの高い老婆に促され、最終戦は再開される。
反則に慎重になる悠太に向かって、今度はイワザが戸惑いなく仕掛けた。
俊足の蹴り上げ、身を引いて躱すと、足をそのまま振り上げて遠心力を使い、後ろ回し蹴りに派生させる。
崩れた体勢のままでは避け切れないと判断した悠太は、腕を上げてボールを頭上へと逃し、海老反りに避ける。
そして笛が鳴った。
「禁則愚行じゃあ! 赤チーム『フェイスアップ』! 罪咎二つ目ぇ!」
「またかよ!? 危ないことしてないぞ!」
訴えはどうやら周囲の理解を得られない。
場外からオレンジ髪の少年が腕を振り上げる。
「卑怯ですよお兄さん! 顔より上にボールを上げるのは最も汚い消極的行為です!
戦う意思を継いできた全ての『スピリッター』への冒涜です! 償ってください!」
そこまで言われなくてはならないことであろうか。
「ユータ君……嘘、よね? 君がそんな、フェイスアップなんて卑怯なこと……」
そこまで言われなければならないことらしい。
「……許されないこともある」
わりと寛容であった対戦相手からも手厳しいご指摘を受ける。
さっきの危険行為より随分と当たりが強い。
「赤チームは後一回の禁則愚行で負けてしまうぞい。ふん、今回も立ち退きはせんで良さそうじゃの」
老婆はニヤついた目でティカを見やる。
言葉を返せない彼女は悠太に発破をかけるしかできなかった。
「くぅ、ユータ君! もう反則はダメよ! 正々堂々勝って!」
「だから無茶だって! 反則を教えてくれ!」
「では再開じゃ!」
間髪入れない再開に悪態をついて再びボールを挟み胸の前に構える。
もう反則はできない。
なのに何が反則かわからない。
二つの事実が彼の動きを大きく制限した。
当然、イワザには対戦相手の頭が整理されるのを待つ義理はなく、早々に間合いを詰めに踏み込む。
「ちょと、ちょっと待っ……!」
迫る蹴り上げ。
――これ、脚でなら防いでいいんだっけ。
ボールって胸に付けていいんだっけ、バックステップしていいんだっけ、背を向けて逃げていいんだっけ等々、ぐるぐると回る頭がかえって思考を停止させる。
結果――眼前に迫る猛禽類のような眼光に、身じろぎの一つもできなかった。
手元に衝撃が走る。
イワザの皮ブーツがボールを捉え、それは悠太の手をすり抜けて真上に高々と飛ばされる。
青空へと吸い込まれていくボール。
――やっちまった。
その時少年が最初に気になったのは、「ゲームセットの掛け声は何だろう」であった。
立ち尽くした悠太にティカの焦った声が届いたのは、ボールがかなり天高く達した頃だである。
「ユータ君まだよ! 最後の『カラミティタイム』があるわ!」
「カラ……何て!?」
まだ新しいルールあるの?
「……く、致し方なし!」
吐き捨てるように言ってイワザが自らのボールも天高く放り投げた。
「何で!?」
やっとわかりかけてきたのに。
「兄者もカラミティタイムに応じましたな!」
「行けぇイワザ兄! ぶっ飛ばしてください!」
物騒な声援にイワザを見ると、なんと拳を振りかぶって悠太に殴りかかって来ているではないか。
「……勝負!」
「何の!?」
普通のスポーツだと思ったのに。
悠太の思考回路が焼き切れた。
もうどうでも良くなった身体は、声援にただただ答えるのみであった。
「やれ小僧! 『カラミティアタック』だ!」
「ユータ君! ぶん殴って『カラミティフィニッシュ』よ!」
まだ新しいのが出てくる。
「――だ、か、ら」
顔面に迫る拳を仰け反って躱す、と同時に拳を振りかぶった。
攻撃を見切られて前のめりにバランスを崩す顔面に向け、悠太は本日の理不尽を全てぶつけることにした。
「誰かルール教えろぉ!」
叩きつけられた渾身の一撃がスカーフに覆われた頬を凹ませ――次の瞬間には、イワザの身体が低空を飛び、円の境界を越え、芝生をズザザと滑り、木の根元に打ち付けられた。
二つのボールがテン、テンと芝生に落ちる頃、円の中に残っていたのは、肩で息をする少年のみであった。
「……ぐ、無念」
場の沈黙は、木の根元に横たわる震える手がパタリと力尽きると笛の音で切り裂かれる。
「ゲーム終了! カラミティアタック成立じゃ! カラミティフィニッシュ! 勝者……赤チーム!」
老婆が悠太たちに向けて軍配を上げる。
もはや勝敗すらどうでも良くなっていた少年は、ゲーム終了の合図だけ捻りのない「ゲーム終了」だったことに更なる苛立ちを感じるのであった。
◇◇◇◇◇
――疲れ切った表情で円を出る。
振り返って見ると、芝生の奥、よろよろと立ち上がる長男を次男が支え、三男が笑いながらアイシングする微笑ましい光景があった。
割りと本気で殴ったので大事がなくて良かったと思う。
ようやく勝利の余韻というものが自覚できて、少しだけ、ほんの少しだけ気持ちのいい高揚感を覚える。
「ふん、まあ良くやった方だ」
いつの間にか立ち直った藍色の腕とハイタッチをして、
「お疲れ様! 凄いわぁん!」
ピンク髪の妖艶なハグは避けた。
ティカは「ちぇ」と一瞬いじけて指をわきわきさせた後、咳払いをして姿勢を正した。
「――さて、じゃあ早速、勝負はあたしたちの勝ちみたいだ、け、ど」
人差し指を立てて愉悦交じりに言うティカは、当初の目的を果たすため、老婆の立ち位置へと流し目を送る。
「約束通り立ち退き……」
得意げに言い放った言葉の先に……老婆はいなかった。
彼女のいた場所には、一本の杖が突き立ち、ボールを入れていたバスケットが残されるのみであった。
「……あら」
風に揺れる芝生を、ティカはただただ神妙な眼差しで見詰める。
「もう立ち退いたか」
「いや早くない?」
呆然と立ち尽くす競技者たちの頭に、不意に皺枯れた声が響いた。
――ほっほっほ。
それは今しがたまでレフェリーを務めていた老婆の声であった。
「お婆さん……どこにいるのかしらん。立ち退きの承諾書にサインしてほしいのだけど?」
えらく事務的な要求は、至極落ち着いて言い放たれた。
腕を組むティカ以外は皆、虚空からのテレパシーにキョロキョロと首を回している。
ティカの問いに返答はなく、代わりに寄こされたのは、ある種の謝辞であった。
――久々に、楽しかったよ。
穏やかな声であった。
――この公園がまだ大きかった頃はね、よく近所の子らが遊びに来ていた。
一番遊ばれていたのが、スピリットじゃった。
疲れ果てた子供らにおやつのクッキーと紅茶を差し入れるのが好きだったんだ。
みんなレジーナ婆、レジーナ婆って慕ってくれたものさ。
「お婆さん……」
――周りに家が建って、公園が小さくなって、子供たちも大きくなり、徐々に足を運ぶ者は少なくなっていった。
それでもいつか、この公園さえ残っていれば元気にスピリットで遊ぶ子供たちが戻ってくるんじゃないかってね……寂しかったのさ。
年甲斐もなく、少し、未練がましかったね。
ピンクの、あんたには迷惑かけたよ。
ゆるゆると首を振って、佇むティカは空に語りかける。
「ううん、わかってたよ。お婆さんが地縛霊ってこと」
さらりとまた説明が欲しいことを言う。
「あたしの調査ではこの辺りに住んでる名前でレジーナさんというのは、土地の所有者の二年前に亡くなったご母堂の貴女だけだったもの。
……つまり、最初から腕ずくなんかじゃ立ち退かせることはできなかったのよね」
――ああ、だが、もういいよ。最後に良いもんを見せてもらった。
そこの坊主のカラミティタイム、見事じゃった。
この公園が無くなろうとも、子供たちの心には今も変わらず無邪気で熱い魂が宿っていると確信できた。
これで安心して逝けるよ。
「あらもういいの? 大工ギルドは建てたらお役御免だからね、別に今後も土地に憑いてて構わないわよ。悪ささえしなければ」
――ほっほっほ、それも一興じゃの。
じゃが、まあ地縛霊というのも大変でのう。
時間が経つにつれて魂が汚れていくのがわかるのじゃ。
「お婆さん……」
――じゃから、の、達者でな。
そのテレパシーを最後に、老婆の声は溶けて消えていった。
再び一陣の風が青空に向かって吹き上がり、紫の瞳は顔にかかるピンクの髪を抑えてそれを見送った。
残されたのは、多分オカルトに弱い泡を吹いた獣人と、同じくオカルトに弱いらしいサングラスの少年。
少年に縋りつかれた次男はぐったりした長男を担いで呆気に取られていて、悠太は「なんだこれ」と思った。
「ふぅ……さ、行こっか。ん、どうしたのユータ君?」
「……ティカ姉。ごめん俺混乱してて……今日一日の出来事、説明できますか。
俺、何もわからなくて、もう何にもツッコミたくなくて……!」
声は震えていたと思う。
彼女は少年に寄り添って、細めた目で黒髪を優しく撫でた。
「説明なんか、いらないんじゃない?」
しなやかで細い指が髪の毛を空くようになぞり、意に知れない心地よさをもたらした。
「今日は素敵で楽しくて、ちょっと不思議な一日だった。それ以外……ふふ、説明なんかいらない」
清々しい汗を流した公園の中。
山田悠太はティカの言葉に頬を緩ませる。
そして青空に思いを巡らせるのだ。
――いや要るよ、説明、と。
スピリッター辞典
・山田悠太(スピリット歴0年)
初試合で「カラミティフィニッシュ」を決めた期待のホープ。
・マーロン・ポーチ(スピリット歴5年)
圧倒的腕力による「アセンション」防御率が魅力的なプレイヤー。
・ティカ・オ・ダーユイン(スピリット歴100年)
冷静な観察力と的確な揺さぶりで「コラプション」を狙うベテランプレイヤー。
・テザル3兄弟(スピリット歴6年)
傭兵ギルド代表としてカージョナ大会出場経験を持つ手練れチーム。
・レジーナ(老婆)(スピリット歴50年)
かつてカージョン地方に「紅蓮の右脚」として名を馳せた名プレイヤー。引退後は幸せな家庭を築きながら後進の育成にあたっていた。
人生の最期、段々とスピリットを楽しむ子供たちが少なくなってきていることが気がかりだった。
・スピリット
エルナイン全土で親しまれるボールと篭手を使ったスポーツ!





