幕間 Break time① ~マギ君とスプリちゃんの場合~
――生憎の曇天、緑の大地を馳せる風に乗って。
円形の首都南方の平原には各地へと通ずる街道が伸びており、街道は更に南下すると豊かな森林に入る。
森の中の道を横に外れれば、魔物も潜む紺碧の闇がどこまでもどこまでも広がっている。
さて、人の立ち入らない木陰で息を潜めるのは――総勢三十人の白いローブを頭まですっぽり被った集団。
布生地のローブには泥や草露が付着し、環境の色に染まりつつある。
森の中の彼らは誰もが沈黙して俯き、誰一人として微動だにしない。
そうして静止していること実に九日。
幼少からの徹底された訓練の賜物――彼らの生業は暗殺者であった。
ジョークもユーモアも通じないこの空気が苦手で、同じ衣装に身を包む少年――マギは同僚の少女を連れ出し距離を置いた。
開けた小高い丘まで出てくるとマギは両手を曇り空に向けて伸びをした。
「うへぇ、マジ何なのあの陰キャ集団、全員死んでんじゃねーの」
フードを脱ぐと、軽薄そうな声に似つかわしい襟足の伸びた茶髪が、風に靡いた。
顔立ちは既に青年と表して差し支えなく、整った顔や人を嘲ったような目付きは暗殺者というより遊び人という表現が似合う。
そんな彼も与えられた使命は他の暗殺者たちと同じであり、今は隠密任務の最中である。
折角部隊が森に影を潜めているにも関わらず、開けた場所に身を晒すことが好ましくないのは自覚していた。
そしてまだ戻るつもりはない。
軽率さが目立つ行動に痺れを切らして、言われるがままについてきた少女が進言する。
白いフードから伸びた水色の長髪が揺れる。
「マ、マギ君……! 戻ろうよ、こんな開けたとこ、空から見つかっちゃうかもだよ、さっきも怒られたばっかなのに……!」
今朝のことを思い出し、マギは一瞬だけ不機嫌に舌打ちをしたが、直後にはお茶らけた雰囲気を取り戻し、馴れ馴れしく少女の肩を抱き、乱暴に頭を撫でる。
「スプリちゃんは相変わらず真面目過ぎ!
これはそう、本番に向けたリフレッシュタイムってやつ。リフレッシュしなきゃやってらんねって。あの牛尾さ、折角こっちが『さーせん』っつって謝ってやってるのにネチネチとうぜぇし」
「あう、やう、あ、頭、撫でちゃダメ」
少女は照れたような戸惑いで「やだやめて」なんて言うが、本気で抵抗されたことはない。
押しに弱いのか面食いで惚れっぽいのか、いずれにしろ相変わらずチョロいななどと思いながら、マギは首都の方角に視線を向ける。
そして白フードの少女をぐしゃぐしゃと掻き撫でながら、昨晩から今朝にかけてのことを思い出す。
全ては、昨晩に始まった。
始めざるを得なくなった。
首都の南南西部、確か七時街と呼ばれていた区画。
――その月下に聳えたのは緑光の柱。
柱の正体はこの世界の大気中に漂うマナと呼ばれる精霊たちである。
街を丸ごと照らすほどの粒子の奔流を呼び出せる者について、マギは知識を有していた。
彼らはこの世界にいる限られた存在――『天使』と呼ばれる異常集歌効率者である。
魔法が存在するこの世界において、『天使』の力は国のパワーバランスに直結する。
マギが新人として加入した牛尾師団を始めとした今回の編制部隊は、その『天使』の力を我が物にするべく遥か東の地から送り込まれていた。
本来は万全に仕込んだ上、所在を絞り込み、完全なる不意打ちで確保する予定であった。
その計画は昨晩の力の発動により、変更を余儀なくされる。
昨晩の光をマギは潜伏した街の一角で眺めていた。
街の反応として、首都の中心『逢王宮』が慌ただしく騒ぎ出したことを確認している。
『天使』が既にカージョンの手中に収まっているわけではなかったことは朗報。
『天使』を手中に収めるべくカージョンが動き出すであろうことは悲報。
「あの、マギ君……ん」
いつの間にか腕の中で大人しくなっている少女が、撫でるのを催促するように頭を押し付けてくる。
マギは慣れた手つきであやすように頭や背中を擦ってやる。
気持ちよさそうに脱力する姿は、先程までの生真面目さから大分かけ離れている。
お堅い性格ほどほぐしてやった時の快楽に弱い。
そこら辺は所変わっても変わらないなんて思いながら、少年は再び思考に浸り出す。
「加えて厄介なのが――」
思い出されるのは、赤髪に白い軍服、鞭を操る女。
首都には十二のギルドが存在し、それぞれを束ねるギルドマスターという人間がいる。
今朝、マギが行おうとした実行犯の口封じは、そのギルドマスターの女によって阻止された。
実行犯が口を割れば、計画はある程度看破されてしまうであろう。
だからマギたち襲撃者は、首都の防御体制が出来上がる前――この夕刻、計画を発動する。
「まあぶっちゃけそれはどうでもいいとして……」
なお、マギ個人はこの作戦については成功しようが失敗しようがどうでもいいと考えていた。
彼がそれよりも気になっていたのは、もう一人、口封じの妨害に加わった少年のことであった。
その少年さえいなければ、口封じは完遂でき、嫌いな上司に折檻を食らわなくても良かったのである。
戻って報告を告げたマギに対して、彼の師団長である牛尾という老兵は延々と駄目出しを続けた。
それはもう、午前中をフルに消費してぶっ続けた。
軟弱な点を指摘した上で経験に基づく改善案とは名ばかりの根性論を強要し、自分がそれを学んだ逸話を披露すると言いながら昔のちょい悪エピソードしか出てこず、昔の良かった点と若者の駄目な点をあげつらえ最初に戻る。
酒も入っていないのによくまあそんなに舌が回るなと辟易しながら時折「聞いておるか」と額を小突かれる。
「マギ君そろそろ……あ、にゃん」
あの不快な時間の無駄を取り戻すように、マギは引き上げようとする少女の耳に息を吹きかけた。
愛玩動物のように大人しくなる少女をまた心中でチョロいなと思いつつ、将来悪い男に引っ掛けられるんだろうなと憐れんだ。
――少年にとっては、全てがどうでも良かった。
国の命運を握る作戦も、自分を向かい入れた師団長も、腕の中の少女も。
とりあえず今ご執心なのは、あの少年だけである。
「さて、ユウタちゃん――ちゃんと復帰してよね」
マギはそう呟くと、折檻の拳骨によりたんこぶのできた頭を摩るのであった。
彼の腕の中、愛撫を続けられる少女はすっかり恍惚の表情で、襲撃前だというのに睡魔に屈してしまっていた。
――曇天の下の癒しの時間。
彼らが師団長に見つかり、二人揃って正座させられた上で長い長い説教を喰らうまで七分を切っている。





