冤罪(えんざい)
そう。これは冤罪だ。
俺にそんなつもりが無いことも、仮につもりがあったところで物理的に二百パーセント無理なことはこの距離と俺の両手が荷物で塞がっている事を見ても明らかだ。
それなのに三メートル程前にいるクレイジーな女は俺に向かってこう言い放った。
「今、私のお尻触りましたよね?更に固い棒状のものを押し付けて何しようとしたんですか!この人、痴漢です!」
しかし周囲の人間も流石にそれは無理があると思ったのか、即座に取り押さえられるような事態にはなっていない。
いないのだが男にとってはやっていようがいまいが、言われただけで死刑宣告されるのと同義なのだ。
何故なら『やっていないことの証明』と言うのはほぼ不可能だからだ。
そして痴漢と言う『結果ありき』で第三者は見るので、どうしたって男の方の分が悪い。
モチロン痴漢は犯罪であり許される行為ではないのだが、やっていないことをやったと言い張るのも立派な犯罪である。
どうも最近自分は悪くないと思い込むやつが増えているのは気のせいじゃないはずだ。
「あのですね……」
先程から何度か試みている状況説明を再度試みるも、
「やめてください!そうやって言葉巧みにか弱い女の子を言いくるめて自宅に誘い込み、監禁して周囲の状況がまったくわからない状況で『助けは来ない。俺の言うことを聞けば痛くはしない。むしろ気持ちよくしてやるぞ?』なんて言いながら私の事を調教するつもりなんでしょう!この人、痴漢です」
この通りの有り様で予想だにしない内容を次から次へとぶちまけてくれるので何事かとどんどん人が集まってくる。
言った本人は両肩を腕で抱きいやいやと体全体を左右に振っている。
このまま無限(∞)の軌跡を描きながらデンプシーロールに移行するんじゃないかと言う勢いで俺から更に遠ざかりながら。
というか超余裕だなコイツ。
その内、正義と言う名の自己満足と英雄気取りで勘違いしたやつが俺を取り押さえに飛び掛かって来ないとも限らない。
最初から事のなり行きを見ていた人たちの中には既に面白がって撮影しているやつらまでいる。それ、個人情報だからアップとかしちゃだめですよ?
「あー埒があかない……」
「ら、拉致!日本人は顔つきや外見が幼いからと言って海外の○リコン粗チン豚野郎にか弱い私の事を売り払うつもりね!?しかも売り払う前に味見と品質管理だとか言って私の身体を散々 弄んでから、飽きたらもう用済みとばかりにはした金で売り払われるんだわ!この人、痴漢です!」
よくもまぁ一つの単語からこれだけベラベラと妄想出来るもんだと感心してしまうが、このままでは俺がここから動けない。いっそ警察でも来てもらった方が早いんだが一向に来る気配がない。お巡りさんこの人ですよ。
というか、拉致されるなら痴漢じゃなくて誘拐じゃないのか。もはや痴漢と言いたいだけなんじゃないかコイツ。
なぜこんなところで被害妄想全開のクレイジーな女に絡まれる羽目になったかと言うと、先日の話の続きを聞こうと《天職之神殿》の深緑所長を訪ねるべくバス停へ来たら運悪く遭遇してしまったのだ。
容姿だけ見れば悪くはないはずだが第一印象が最悪だったため、このクレイジーな女を可愛いとかそういう目では見れない。
困り果てていたところに正に神の使いとばかりに通り掛かった深緑所長。
騒ぎを聞いて様子見に来たようだったが、騒動の中心に俺を見つけると最初に驚き、次に呆れ、最終的に目で(何やってるんですか)と問いかけてきた。
俺は目で(助けてくれ)と訴え、深緑所長と数秒見つめあった。その後に所長は盛大なため息をついてから
「ちょっと通してください。すいません。」
と言いながら人垣を縫って俺の傍らまで来てくれた。
そして目で(それで?)と問いかけられる。いや、声に出して話してくれていいんですよ?
「みての通り痴漢の冤罪が発生する瞬間を身をもって体験しているところです」
ありのままの今の状況を説明する。
「はっ!?仲間が!仲間を喚んだのね!?しかも女性の共犯者を用意することで『あぁ私一人じゃないなら大丈夫よね』と心理的に被害者側が自己完結することでその場からの連れ去りを容易にするつもりね!?連れていってしまえばどうとでもなるって思っているんだわ!この人、痴漢です!」
なんでそんなに連れ去りに関して詳しいんだコイツ。むしろお前は常習犯なんじゃないか?そんなことを考えていると所長が一歩前に出て言う。あ、近付くと噛まれますよ?
「内藤さん!またあなたですか!そういうことをやっていると本当に痴漢にあった時に信じてもらえなくなりますよ?さぁ深呼吸して落ち着いてください」
あれ?もしかしないでもお知り合いですか?しかも「また」ってことはやっぱりこの人常習犯ですか。なんか俺以外みんな知ってた雰囲気で解散してバスに乗っていきますけどトゥルーマン・ショーですかコレ。
「スーハー……スーハー……あら?深緑所長こんにちは。こんなところでなにされてるんですか?おやおや、そちらの男性は彼氏さんですか?」
今までのクレイジーな言動からは真逆の落ち着いた雰囲気で今までの痴漢騒動なんてなく、さも町中で偶然会ったかのような雰囲気で話始める。おいおいマジですか。スゲーな。
「『また!』痴漢騒動を起こしたんですよ!そろそろ庇いきれないですからね?」
所長の発言内容から察するにやはり常習犯のようだ。
もうあれだ隔離施設とかに送り込んだ方がいいと思うぞ。
まともな社会生活送れないだろうコレじゃ。と《自宅警備員》の俺が申しております。
「え?痴漢!どこですか?痴漢は女の敵ですからね!あることないことばら蒔いて社会的に抹殺しましょう!」
ムン!と両腕でガッツポーズをとり鼻息荒くそう声高に叫ぶ内藤さん(仮)。
「無いことはダメですし私刑は違法です。そろそろ【if】の規約覚えてください。慣れてください。守ってください」
はぁ。と本日何度目か分からないため息をついていう。
「警告出しておきますからきちんと講習受けてくださいね」
そう言う所長のピンと立てた人差し指の周りに魔方陣が現れ、内藤さん(仮)の額に指を当てるとそのまま吸い込まれるように消えていった。
「んん?内藤さんってもしかして……」
先はあえて言わない。
「そうです。あなたと同じ《造物》ですよ。」
な、なんだってぇー!
うーんいよいよ本格的になってきたなコレは。
痴漢は犯罪です。えぇ紛れもなくそうです。
ただ、気に入らないことがあったからと言ってやってもいない痴漢行為をでっち上げるのも立派な犯罪です。
公共交通機関を使う際にはパーソナルスペースを堅持しようとしないで、一声かけて一歩詰めるなど譲り合う気持ちを持ちましょう。
これ、まいくーはんからのお願いですm(__)m