⑩3000円負け
子どもたちは帰り、海老名は職員室に戻った。この日はドッヂボールクラブの活動もない。教材を入れたカゴをゆっくりと整理し、インスタントコーヒーを淹れた。
パソコンを立ち上げ、昨日遅くまで残って仕上げた運動会のプログラムに再び目を通す。作っている時は気になって仕方がなかったレイアウトの細かなズレは、1日置いてから見ると、なんてことなかった。
酒井のもとにプログラムを持っていく。酒井はパソコンの画面を凝視し、何かを必死に打ち込んでいる。ギョロっと開いた目が恐ろしく、デスクの前で立ち止まっていると、酒井が話しかけてきた。
「ん、どうしました?あー!プログラムね!ありがとうございます」
酒井にプログラムを手渡す。
「うん。良いですね!ありがとうございます。これで全員分印刷してください。保護者用も必要ですね」
B4用紙の両面を素早く確認すると、いつもの長ったらしいフィードバックはせず、用紙を海老名に返して自分の仕事に戻った。
逆に拍子抜けした海老名は酒井の前で立ち尽くす。
印刷室に移動し、プログラムを印刷する。
シュー、シュー、シュー、
印刷機が紙を吐き出すたびに、紙の擦れる音が響く。
(なんか今日は良いぞ。授業の反応も良かったし、プログラムの案もすぐOKされたし。でも、)
シュー、シュー
1クラス分の束が印刷できると、排紙トレイから取り出し、台に置く。
(子どもたちには、パチンカスってバレちゃったのかな。わからないけど適当に「次は勝ってね」って言ってるだけなのかな)
(まあ、いずれにせよ軽蔑はされてなさそうだし、良いのかな?)
シュー、シュー
印刷機は動き続けている。束の先頭に付箋を貼ってから次の束を重ねる。
(今までも、ヤバいと思ったけどなんとかなったことがたくさんあったな。帰りの会で連絡を忘れて、俺のクラスの子だけ絵の具セットを持ってこなかった時)
シュー、シュー、シュー
(ドッヂボールクラブの市内大会の申し込みを忘れて、教頭が謝罪の電話をした時。教室で子どもたちが喧嘩をしているのに気づかず、怪我に発展してクレームが来た時)
(職員室で校長の悪口で盛り上がっていたのを聞かれたこともあったな)
(でも、なんやかんや、子どもとも、保護者とも、同僚とも、上司ともなんとかうまくやってきたのか)
(明日の授業はなんだっけ。算数、国語に体育、、、)
(もうプリントは出来上がってるから、準備OKだな)
気がつくと、印刷機の音が止んでいた。820枚のプログラムの山ができていた。
時計を見るとまだ17:30。今日はクラスでも問題が起きず、明日の授業準備も終わっている。久しぶりに早く帰れる。
(あれ、もしかして、スロットを打ちに行けるんじゃないか?退勤後に行くのは何年ぶりだろう)
17:50。ベテラン教員たちの退勤する群れに混じって、海老名もタイムカードを切る。
「お疲れ様です」
隠れるような声で言った。
学校の最寄駅の、学校と反対側の出口には小さなパチンコ屋がある。左右後ろを振り返り、知り合いがいないこと確認すると足早に入店した。
スロット台は6割ほど埋まっている。
(ハイエナチャーンス)
データカウンター、液晶画面で台の状況を見る。スロット台には天井が設定されているため、他人が育てた台の恩恵に預かることができる。
700ゲーム回され、やめられている台を発見した。
(この台の天井は1500ゲームだから、けっこう良いな)
着席し、1万円を投入。ATMに寄らなかったので、財布には1万4000円しか入っていない。
100ゲーム回しても当たらない。レア役を全然引けないのだ。
200ゲーム。投入した1万円はすでに半分以上溶けていた。
1万円がちょうど溶ける頃、チャンスゾーンを引いた。成功率は52%
ここは絶対に通せる気がした。根拠はない。
子役を引けず5ゲームを消化。まだ自信はある。
次ゲームでリプレイ。海老名は一息ついた。心臓がバクバク鳴っている。子どもたちへのパチンカスバレを心配していた時と同じくらいの強い鼓動を感じる。
次のゲームで子役を引くと当たりだ。
シュイーン
画面が赤くなる。
トン
第一停止ボタンを押すと左リールにチェリーが止まった。弱チェリーだ。
チャンスゾーンを成功させ、ATに入る。
ここで500枚以上出せば捲りだ。上位ATに入れば期待枚数は3600枚だ。
「センセー!10万負けでも落ち込まないで!次は勝ってね!」
子どもたちの声が脳内再生された。
(ここで勝って、明日もまた頑張ろう)
いつもより強めにレバーを叩く。
(レア役、来い!チャン目!強チェ!)
ATの34ゲームで、強チェリーを引いて100枚上乗せた。
(よし!来た!やっぱり今日はイケる日だ)
追加の上乗せチャンスは引けなかった。ATが終わりに近づく。
(やばい、今日ダメな日?まだ捲ってないんだけど)
持ちメダルが350枚になったところで、ATを消化し終わった。19:15だった。
返却ボタンを押し、ICカードを取り出す。海老名の350枚は特殊景品の板に変わった。店の前の買取所で7000円に換え、3000円負けが確定した。
(まあ、こんなものか)
明日の授業のことを考えながら駅前のスーパーに向かう。半額で340円の唐揚げ弁当を一つ買い、帰路に着く。
(ごめんな、今日も勝てなかった)
海老名の頭の中には子どもたちがいた。
完




