表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

76/100

76話:前線の女

風が低く唸る。


それは、ただの自然現象ではない。圧縮され、指向性を持たされた空気の奔流。戦場という名の盤面の上を滑る、制御された力の気配だ。


前線は、不気味なほどに静かだった。

だが、それは断じて「平穏」ではない。嵐が吹き荒れる直前、すべての空気が真空へと引き絞られるかのような「整えられた」静寂。


その中心に、彼女は立っていた。


エルディア・ヴァレンティナ・グラディウス。

武門侯爵家の血を引き、百年もの間、王国の最前線で「盾」と「剣」を担ってきた血統。その重圧を、彼女は一分子の揺らぎもなく背負い、荒野を射抜くような眼差しで前方に据えている。


「距離、維持。一分子の隙も作るな」


短い声が響く。

無駄がない。

低く、冷静なその響きは、喧騒に満ちたはずの戦場にあって、驚くほど正確に兵士たちの鼓膜を叩いた。


「前衛、二列。間隔を詰めるな。密着すれば、それはただの『動けない壁』に成り下がる」


指示が飛ぶたび、バラバラだった個の動きが、一つの巨大な「機構」へと組み上がっていく。

「右翼、三歩下げろ。……遅い、今だ。一分子の遅れが致命傷になるぞ」


即座の修正。

そこには一切の妥協も、情け容赦もない。だが、その冷徹なまでの「正解」に、異を唱える者は一人もいない。彼女の言葉が、そのまま「生存」に直結することを、兵士たちは本能で理解していた。


「……来る」


エルディアの目が、前方の暗がりを射抜いた。

森の深淵。揺れる影。

「……群れ、か」


数は多い。

小型のウルフ型が主体だが、その後方には空気の密度を歪めるほどの重い気配が潜んでいる。


「……混成。誘導されているな。一分子の淀みもなく、プラン通りに処理するぞ」


一瞬での把握。

「中央、開けるな。左右で包囲し、中心点に向けて圧力をかけろ。一気に潰す」


即断。

迷いは、どこにもない。

「……動け」


命令が落ちた瞬間、戦場という名の機械が咆哮を上げた。

揃えられた足音。崩れぬ隊列。

エルディア自身は、まだ動かない。


狼型の魔物が、弾丸のような速度で飛び出した。

速い。

だが。


「左、受けるな。流せ」


前衛が半歩、機械的にずれる。

突進の慣性が空を切り、狼の体勢がわずかに泳ぐ。


「右、刈り取れ」


風が走った。

不可視の刃。

横腹を抉るような鋭い一撃が、狼の命を断ち切る。


「……甘いな」


エルディアが、ついに一歩を踏み出した。


「……そこだ」


剣が閃く。

一分子の虚飾もない、最短距離の斬撃。

急所だけを、精密に断つ。

一撃。

それで終わり。


「……」


彼女は間を置かない。返り血を拭うことさえ、リソースの無駄だと言わんばかりに。

「次だ」


戦場は、淀みなく流れている。

滞り。躊躇。混乱。それら一切の不純物を排除した、高効率な「処理」。


次いで、ボア型の巨体が地響きを立てて突進してくる。

数百キロの質量と、すべてを粉砕する突破力。

「……受けるな」


指示は同じ。だが、細部が違う。

「中央、半歩引け」


一瞬の空白が、死地へと誘う。

突進が空振った瞬間を、彼女は見逃さない。

「左右、挟み込め」


瞬時にかかる圧力。

逃げ道が消え、空間が縮小していく。

「……潰せ」


土が隆起し、ボアの足元を強制的に固定する。

風の刃が叩き込まれ、厚い皮を貫き、首を断つ。


「……」


流れが、崩れない。

それはかつて、アルト・フェルディスが見せた、あの中央街道での「再現」だった。


だが、完全に同じではない。

エルディアの中で、それは一度解体され、再構築されている。

「なぜ、ここで引くのか」「なぜ、この間隔が必要なのか」。

アルトが気さくに提示した「構造」を、彼女は自らの血肉として咀嚼した。

理解した上での、自発的な「選択」。


だから、速い。

アルトの指示を待つ必要さえない。


「……来たか」


空気が、物理的に重くなる。

森の奥から、山のような影が這い出してきた。

上位種。

凄まじい威圧感。

だが、エルディアの口角が、わずかに、本当にわずかに上がった。


「前衛、下がれ。ここからは『効率』が変わる」


迷わず、兵を引かせる。

「後衛、維持。一分子の魔力も干渉させるな。ここは、私だ」


完全に切り分ける。

一歩、前へ。

剣を構える。呼吸は、深く、一定。


魔物が跳ぶ。

爆ぜるような音と共に、巨体が空を舞う。


「……」


エルディアは動かない。

最後の、一分子の瞬間まで。


「……今だ」


踏み込み。

敵の突進と逆方向へ、滑るような機動。

「……遅い」


斬撃が走る。

だが、肉の厚みが刃を押し返す。


「……硬いか。なら」


即座の理解。

二撃目。角度を変える。

肉ではなく、関節。

「……崩れろ」


土の拘束が足元を縛る。

ほんの一瞬。だが、彼女にはそれで十分だった。


「……そこだ」


風。

一点に収束された、超高圧の刃。

断絶。

魔物の巨体が、断ち切られた糸のように沈む。


「……」


静寂が戻る。

エルディアは剣を振り、一分子の残滓も残さぬように血を払った。


「被害」


「軽傷二。他、問題ありません」


「……許容範囲内だ。撤収準備、急げ」


指示が通る。

誰も迷わず、勝鬨さえ上げずに後片付けを始める。

そこに広がっているのは、華々しい「勝利」ではない。

ただの、予定された「処理」の結果だ。


エルディアは、薄暗い空を見上げた。


理解していた。

これは「再現」だ。

あの男、アルト・フェルディスが提示した、感情を排した「最適解」の。


無駄を削り。

優先順位を切り。

全体を、滑らかに回す。

それを、自分の手で、自らの戦場として完遂した。


違和感は、ない。

むしろ。

「……自然だな」


それが、彼女の出した答え。


背後から、軽い足音が近づいてくる。

「あはは! 見事な処理だね、エルディア。一分子の淀みもない、最高にハッピーな盤面だったよ!」


アルト・フェルディスが、いつものように陽気な顔で、だが一歩引いた位置から声をかけてきた。


エルディアは、振り向かなかった。

ただ、視線をわずかに横へ流す。


「……お前のやり方、完全に理解した」


短く。

説明も、装飾も、感謝の言葉さえない。


「あはは、そうかい! なら、これからの戦場はもっと効率的になりそうだ」


「……」


二人の間に、それ以上の言葉は必要なかった。

理解は、すでに終わっている。


戦場のノイズが、風にさらわれて消えていく。

その風の中で、一人の女が、迷いなく前線を見据えていた。


それはもう、誰かの「再現」ではない。

合理と武勇、その二つを一つの芯として統合した、「前線の女」そのものの姿だった。


第76話、前線の女。

新しい時代の風が、彼女の背中を、強く、静かに押し出していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ