表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

60/80

60話:次の段階

朝は、完全に明けていた。


中央街道に差し込む陽光は、昨日までの濁った熱を帯びていない。高く澄み渡った空から降り注ぐ光は、残酷なほどに清冽だ。吹き抜ける風も穏やかで、まるでここが数千の命を飲み込んだ戦場であったことなど、世界そのものが忘れてしまったかのような静寂があった。


だが、地面は変わらない。


抉られた土は重く沈み、乾ききらぬ血の跡が黒ずんだ斑点となって大地にこびりついている。そして何より、街道の脇に一分子の乱れもなく整然と並べられた白い布の列が、そこにある「結果」を無言で突きつけ続けていた。


戦いは終わった。

だが、その傷跡は消えない。消してはならないのだ。


「――やあ、みんな! 朝一番のミーティングを始めようか。昨日は最高の結果を出せた。でもね、僕たちのタクトはまだ止まっちゃいけないんだ!」


アルト・フェルディスの声は、清々しい朝の空気を震わせるほどに明るかった。彼はいつものように気さくな足取りで、修復されたばかりの指揮机へと歩み寄る。その手元には、すでに新しい防衛計画が記された羊皮紙が広げられていた。


「ここを基点に再編するよ。勝利の余韻に浸るのもいいけど、一分子の時間も無駄にしたくないからね。さあ、ペンを持って! 新しい線を引くよ」


アルトの指先が地図の上を軽やかに踊る。

補給路の確保、前線の再設定、予備兵力のローテーション。

彼の頭脳はすでに「昨日」を過去のデータとして処理し、次なる「最適解」へと向かって高速回転を始めていた。


「東側、三日で持ち直すよ。中央の余剰人員をあっちに振り分けちゃって。……エルディア、君の部隊から何人か出せるかな?」


エルディアが腕を組み、冷徹な目で地図を射抜いた。

「……可能だ。負傷者を除いても、戦う意志のある者は残っている。三日あれば形にはなるだろう」

即答。軍事的な合理に基づいた、淀みのない返答。


「西側は?」


「あはは、あそこはちょっと手間がかかるね。構造がガタガタだ。でも、放棄はしないよ。一分子の資源も無駄にしたくないからね」

短く、しかし確実な方針。アルトの声には、未来を完全に掌握している者の自信が満ちていた。


アンジェリカは、少し離れた位置で腕を組み、そのやり取りを見守っていた。

泥に汚れたドレスを翻すこともせず、彼女の鋭い視線は、地図とアルトの横顔を交互に行き来する。

「……相変わらず、無駄がないわね。あなたの頭の中は、一体どういう構造になっているのかしら」

小さく、吐き出すような言葉。だが、そこには否定しようのない敬意が混じっていた。


アルトは反応しない。

彼にとって賞賛も批判も、計算を左右しないノイズに過ぎない。


「……」


その背後で。

リュミエラは、静かに立っていた。


昨日までの、ただ震えて立ち尽くしていた少女ではない。

彼女の足は、泥にまみれた大地をしっかりと捉え、一分子の揺らぎもなくそこにあった。


「……」


彼女の視線は地図へと注がれ、そして、陽気にタクトを振るアルトの横顔へと移る。

まだ、分からないことは多い。

彼の冷徹な合理を、心から肯定できたわけでもない。

切り捨てられた命の沈黙が、今も耳の奥で鳴り止まない。


だが。


「……」


彼女は、逃げなかった。

自分の弱さからも、アルトの「正しさ」からも。

一歩。

リュミエラは、自らの意志で、アルトの立つ場所へと踏み出した。


誰も止めない。誰も促さない。

ただ、彼女自身の魂が、その足を前へと動かした。


「……」


アルトの横に立つ。

少しの距離。完全に肩を並べるには、まだ彼女の「重み」が足りない。

それでも、彼女はそこにいた。


アルトは、視線を動かさない。

彼女がそこにいることを、彼は空気のわずかな揺らぎだけで察知している。

気づいているが、何も言わない。無用な言葉で彼女の決意を汚さない。それが、彼という男の流儀だった。


「……」


リュミエラは、地図を見つめた。

そこに引かれた青い線。赤い点。冷徹な数字。

昨日までは「死の宣告」に見えていたそれらが、今は別の形を帯びて見え始めていた。

完全ではない。だが、拒絶という名の壁は、もうそこにはなかった。


「……ここ」


リュミエラは、指を動かした。

西側の、まだ瓦礫に埋もれたままの小さな点。

「……まだ、人がいます。隠れ、生き延びている人たちが」


確認。感情の爆発ではない。状況の提示。


「いるな。僕の計算でも、生存確率はゼロじゃない」

アルトは即答した。顔を上げず、ペンを走らせたまま。


「……助けられますか」

問い。逃げのない、真っ直ぐな瞳。


「条件次第だ。戦力、時間、位置……それらが勝利の数式の中に収まるなら、僕は一分子の躊躇もなく彼らを『救済』へ振り分けるよ。あはは、僕を誰だと思ってるんだい?」


アルトは、いつものように気さくに笑った。

感情で動くことはない。だが、条件が揃えば「救う」という選択肢を、彼は決して否定しない。


「……」


リュミエラは、深く、静かに頷いた。

理解する。全部ではない。けれど、彼が戦う「土俵」がどこにあるのかを、ようやく視界に捉え始めた。


しばらくの間、二人は何も言わなかった。

ただ、同じ地図を見つめていた。

同じ瓦礫の荒野を。同じ血の跡を。

そして、その先にあるはずの未来を。


リュミエラは、口を開いた。

小さく。だが、はっきりと。


「……私、まだ分かってません。あなたの考えも、その正しさも。……一分子も納得していません。多分、これからも一生、しないでしょう」


正直な告白。

アルトは、何も言わない。ただ、耳を傾けていた。


「……でも。……あなたの隣で、考えます。あなたの引く線の隣で、私が救いたい人たちをどうすればその線の中に入れられるのか。それを、探し続けます」


その一言。

それは、折れた聖女が再生し、新しい自分という「形」でアルトと向き合うための、最初の契約だった。

逃げではない。追従でもない。

対等な「機能」としての、宣戦布告に近い同行。


「……」


空気が、わずかに動いた。

アンジェリカが、微かに口角を上げた。

「……ふふ、面白くなってきたわね。聖女様が、合理の怪物の飼い主になろうっていうのかしら」

独り言のような皮肉。だが、その声には確かな期待が宿っていた。


エルディアは、何も言わずに大剣の柄を叩いた。

変化を受け入れる。その変化が勝利への確率を上げるなら、彼女に否を唱える理由はない。


アルトは、ようやくペンを置き、リュミエラを正面から見た。

その瞳は、朝の陽光を受けて、いつものように陽気に、しかしわずかな「輝き」を伴って輝いていた。


「それでいいんだよ、リュミエラちゃん! あはは、最高のリソースだ! 納得なんてしなくていい。君のその『揺らぎ』こそが、僕の計算機に欠けていた最後のピースかもしれないんだからね!」


アルトは気さくに笑い飛ばし、再び地図へと指を向けた。

肯定。彼女という存在の、新しい形への承認。


「さあ! 立ち止まってる暇はないよ。次の工程に移ろう! みんな、僕とリュミエラちゃんのタクトに合わせて、最高にハッピーな再建を始めようじゃないか!」


アルトは再び指を動かし、新しい線を引いた。

次の戦いへ。次の救済へ。

彼の歩みは、止まらない。


「……」


リュミエラは、その隣に並び立った。

同じ地図を見る。同じ過酷な現実を見つめる。

まだ迷いもあり、涙の跡も消えてはいない。

それでも。

彼女はもう、立ち止まってはいなかった。


理解は未完。納得は遠い。

それでも、隣にいる。

それが、今の彼女が出した、最高に「不合理」で「強固」な答え。


風が吹く。

戦場の跡を撫で、四人の男女を包み込み、そして未来へと吹き抜けていく。


第60話、次の段階。

合理の支配者が奏でる旋律に、聖女という名の新しい調律が加わり、物語は、より複雑で、より力強い「再生」のステップへと加速し始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ