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異端の白球使い  作者: R.D
県大会 三回戦

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冒涜者 vs 正統派

 静寂 6 - 6 高坂


 体育館の一角が、一瞬の完全な静寂の後、理解を超えたプレーに対する大きなどよめきと、興奮した囁き声に包まれた。


 高坂選手は、信じられないといった表情で、ボールが落ちたネット際の床を凝視している。


 その冷静沈着な彼女が、驚愕と混乱で激しく揺らいでいるのが、私にははっきりと見て取れた。


 …ネットイン。


 確率的偶発事象。しかし、相手の心理状態への影響は甚大。この『幸運』も、私の戦術データの一つとして利用する価値はある。


 私は、卓球のマナーとして、軽く手を挙げ、高坂選手に向かって会釈をした。


 ネットインに対する、形式的な謝罪のジェスチャー。


 しかし、その時、私の口元には、自分でも意識しないうちに、ほんのわずかな――しかし、相手にとっては十分に読み取れるであろう――皮肉とも、あるいは全てを見通しているかのような、薄ら寒い笑みが浮かんでいた。


「…失礼しました」


 声のトーンは、いつも通り平坦。だが、その言葉とは裏腹な表情の歪みは、高坂選手の動揺をさらに深めるには十分だっただろう。彼女の眉が、微かにひきつったのが見えた。


 そして、次の私のサーブ。


 高坂選手は、先ほどの不可解なネットインの残像と、私の不気味な笑みによって、完全に思考の迷路に迷い込んでいるようだった。


 彼女の意識は、私が次にどのような「異端」なサーブを繰り出すのか、その一点に集中している。アンチか、強烈な下回転か、あるいは…。


 私は、そんな彼女の混乱を、冷静に観察しながら、ゆっくりとサーブの構えに入った。そして、放ったのは。


 驚くべきことに、それは私のこれまでのどのサーブとも、そして部長や高橋選手、後藤選手の模倣サーブとも異なる、高坂選手自身の、あの質の高いハーフロングサーブの完璧な模倣だった。


 つい先程、私が何度も受けてきた、あの滑らかなフォームから放たれる、回転量の多くスピードもある、バックサイドぎりぎりを狙うサーブ。


 その軌道、回転、タイミング、全てを模倣することはできなかったが、彼女から見れば全てが再現されているように見えたことだろう。


「なっ…!?」


 高坂選手の目が、今度こそ驚愕に見開かれた。


 先ほどのネットインは「ありえない幸運」として処理できたかもしれない。


 しかし、これは違う。自分の得意とするサーブを、目の前で、いとも簡単に、模倣される。


 それは、彼女のプライドと、卓球選手としてのアイデンティティそのものを揺るがすような、まさに「冒涜的」な行為だった。


 彼女は、反射的にラケットを出そうとしたが、それは自分のサーブでありながら、自分ではない人間が打ったサーブであるという強烈な違和感と混乱によって、反応がコンマ数秒遅れた。


 そして、そのボールは、彼女のラケットのフレームを掠め、力なくサイドネットへと逸れていった。


 静寂 7 - 6 高坂


 エース。


 しかも、相手の得意サーブの模倣によるエース。


 体育館のどよめきは、もはや熱狂に近いものへと変わっていた。


「おい、今の…高坂のサーブじゃねえか?」「うそだろ、あの一年、何でもありかよ!」「相手の技、見て盗んで、その場ですぐ使うとか…人間じゃねえ…」


 控え場所の部長も、さすがに呆気にとられたような顔で私を見ている。


 あかねさんは、ノートを持つ手が震え、口をあんぐりと開けたまま固まっていた。


 高坂選手は、その場に立ち尽くし、自分の手と、私のラケットを交互に見ている。その表情からは、血の気が引き、もはや混乱を通り越して、何か得体の知れないものに対する「恐怖」の色さえ浮かんでいた。


 …模倣サーブ、成功。相手の思考ルーチンへの介入、最大。精神的優位性の確立。ここが、このセットの分岐点。


 私の「異端」は、相手の技術を分析し、その裏をかくだけではない。


 時には、相手の最も得意とするものを奪い取り、それを突きつけることで、相手の心を直接的に「折る」という、冷徹な選択肢をも内包している。


 そして、その「冒涜的」とも言える戦術を、私は一切の躊躇なく実行する。


 高坂選手は、その場に立ち尽くし、自分の手と、私のラケットを交互に見ている。


 その表情からは、血の気が引き、もはや混乱を通り越して、何か得体の知れないものに対する「恐怖」の色さえ浮かんでいた。


 彼女の「正統派」の卓球の常識が、私の「異端」によって、今まさに目の前で破壊されようとしているのだ。


 だが油断はできない。


 …同じ手は二度と通用しないと考えるべき。


 さらに予測不能な一手で、相手の思考のループを断ち切る。


 次の私のサーブ。


 高坂選手は、先ほどの衝撃からまだ立ち直れていないのか、あるいは、私が次に何を仕掛けてくるのか、極度の警戒心で身構えているのか、その動きは硬い。


 私は、ゆっくりとサーブの構えに入る。


 そして、ボールをトスする直前、ふと、視線を控え場所の部長へと向けた。


 彼は、私の意図を瞬時に察したのだろうか、あるいは、先ほどの私の模倣サーブに何かを感じ取ったのか、私と目が合うと、ほんのわずかに驚いたような表情を見せた後、しかしすぐに、ニヤリと、いつもの不敵な笑みを浮かべ、力強く一度だけ、頷いた。


 それは、「やれるもんならやってみろ、そして、必ず決めろ」という、彼からの無言の激励であり、信頼の証だった。


 その短いアイコンタクトで、私の思考は完全に定まった。


 …部長のサーブ。


 パワー、回転量、そして何よりも、あの威圧感。今の高坂選手の精神状態ならば、効果は最大化されるはず。


 私は、再び高坂選手に向き直り、脳内で部長の、あのダイナミックで力強いサーブフォームを完璧にトレースする。


 体を深く沈み込ませ、身体をバネのようにし力を最大限引き出す、そしてラケットを大きく振りかぶる。


 そして、放たれたのは――部長、部長猛の、あの獣のような唸りを上げる下回転サーブの模倣だった。


 シュルルルッ!という、これまでの私のサーブとは明らかに質の異なる、重く、そして鋭い回転音が体育館に響き渡る。


 ボールは、低い弾道で、高坂選手のフォアサイド深くに、まるで突き刺さるかのように飛んでいく!


「なっ…今度は、あの男子部長のサーブ…!?」

「フォームまでそっくりだ…あの子、一体何者なんだ…!」


 観客席から、再び驚愕の声が上がる。


 高坂選手は、先ほどの自身のサーブの模倣に続き、今度は明らかに男子選手のものである、パワーと回転を兼ね備えたサーブが繰り出されたことに、完全に虚を突かれた。


 彼女の体は、その予期せぬ球質と威力に反応できず、金縛りにあったかのように動けない。


 彼女のラケットは、ボールに触れることすらできず、虚しく空を切った。


 静寂 8 - 6 高坂


 …模倣サーブ、連続成功。相手の思考の混乱、継続中。


 この流れを、一気に。


 私の「異端」は、もはや変化球やラバーの特性だけに留まらない。


 それは、他者の「力」すらも取り込み、自身の武器として昇華させる、まさに「冒涜的」とも言える進化の形。


 そして、その進化は、仲間からの信頼と、私自身の勝利への渇望によって、さらに加速していく。


 高坂選手の瞳から、光が急速に失われていくのを、私は冷静に観察していた。

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