第60話 偽装のヴェール
静寂 5 - 8 高橋
『促進ルール』の適応化で高橋選手にサーブ権が移る、13球防御に成功すれば私の得点になるが、それを成すイメージが湧かない。
――――このままでは負ける。
どうする?手はあるが……。
高橋選手が白球をトスしサーブモーションに入る。
迷っている暇はないか、2回戦まで温存したかったが仕方ない。
私は、バックサイド深くに入ってきたロングサーブを、アンチで押し出すように攻撃的にプッシュする。
『One!』
横からカウントの声が聞こえる、13カウントなんて必要ない。
高橋選手は、攻撃的に入った厳しいプッシュに対応しようとするが、『完全』な無回転には慣れていないのか、レシーブが甘くなる。
バックサイドに再び入ってきた球を私は、裏ソフトに持ち替えて、強烈なトップスピンがかかったバックドライブを放った。
その同じバックから繰り出される真逆の質の回転、高橋選手は対応ができず、あっさり得点を失う。
静寂 6 - 8 高橋
私のサーブ権。今の攻防でもう相手コーチには薄々気付かれただろう、私が情報偽装のためにカットマンを演じていた事を。
サーブの選択、どうするか……、今までどおりショートに出すか、それとも……。
一球位なら情報が漏れても構わないか、ここは私の決め球、エースサーブの一つ、ナックルサーブで決着をつける。
左手で持ったラケットを左肩に担ぎ、頭の影で相手からどちらが表か裏か、見えなくする。
敵の意識を逸らすためにトスを高く高く上げる、敵の視線が白球に入っているのがわかる。
ラケットの角度は180度に近く、私はアンチラバーでスライスするように白球に斬りかかる。
白球は、私のラケットから放たれた直後から、明らかに異常な挙動を示していた。
強烈に斬り下ろしたスイングの風切り音とは裏腹に、アンチラバーの表面を滑るように押し出された。
その球には、一切の回転が掛かっていない。
空気の抵抗すら無視したように、まるで無重力空間を漂うようなフワリとした直線軌道で、ネットをすり抜けていく。
高橋選手の目が、私のスイングから『強烈な下回転』を予測し、鋭く見開かれるのがわかった。
彼女は台の下深くまでラケットを沈み込ませ、重い球を拾い上げるレシーブの体勢に入る。
――だが、白球は彼女の予測した到達点まで、決して伸びてはいかない。
高橋選手のコートに着弾した瞬間。
下回転特有の地を這うような鋭いバウンドは一切なく、白球は推進力を完全に失い、急ブレーキをかけられたようにその場でポコン、と力なく浮き上がった。
「えっ……」
180度に近い角度でスイングすることによる完璧な偽装。
極限状態の彼女の脳が、この絶対的な矛盾を処理しきれずに一瞬フリーズする。
高橋選手のラケットが届かないはずの空間を空切りし、慌てて面を合わせにいった時にはもう遅い。
回転の無い死んだ球は、彼女のラバーに触れた途端、コントロールを失って明後日の方向へと高く、無様に打ち上がった。
静寂 7 - 8 高橋
サーブ権は高橋選手に移る、明らかに彼女は挙動不審だ、チラチラとコーチの方に目線を送っている。
そのときホイッスルが、響いた。
その音の主をみると審判が、高橋選手のベンチにむかってイエローカードを掲げていた。
「ベンチからのアドバイスは反則です。警告します」
主審の冷徹な宣告が、張り詰めた体育館に響き渡る。
私の戦型の豹変に対応が追いつかず、ついコーチにサインで決まっていた方針を教えてもらう意図があったのだろう。
だが、余りにも露骨に見てしまい、コーチもサインらしき手ぶりをしてしまった、それが決定打になりバレてしまったのだろう。
コーチは忌々しげに舌打ちを堪えるような顔をした後、無言で両手を上げ、パイプ椅子の背もたれに深く寄りかかった。
次に少しでもサインを送れば、レッドカードで退場処分となる。
これで彼女たちは、完全に分断された。
盤面に取り残された高橋選手は、すがるような視線をベンチに向けるが、コーチはもう目を合わせようともしない。
いや、できないのだ。イエローカードまでならこの試合が終われば帳消しになる、だが、レッドを受けると退場、次の試合にもベンチに入れなくなる。
大人の不正な戦術は、ルールの防壁によって完全にシャットダウンされたのだ。
促進ルールという13カウントの檻の中。
絶対的なナビゲーターを失い、一人で未知に立ち向かわなければならなくなった高橋選手の顔に、明確な『焦り』と『恐怖』が浮かび上がっていた。
静寂 7 - 8 高橋
スコアの変動はない。だが、次にサーブを打つ彼女が背負う重圧は、先ほどまでとは比較にならないほど重く、歪みきっていた。
彼女のサーブ、意を決したようにロングサーブをフォアに出してきた。
もうカットマンを偽装する必要はない。
私はラケットを翻し、アンチラバーでドライブをかけるようなモーションで返球する。
その視覚と回転が矛盾するボール、トップスピンを予測していた高橋選手には致命的だった。
高橋選手は、私のモーションに反して伸びない白球に、弄ばれるように空振りしてしまう。
静寂 8 - 8 高橋
これで同点。しかし私は追撃の手を緩めなかった。
アンチと回転のかかるモーションを組み合わせ、稀に裏ソフトも使い、理不尽な二択を押し付け続ける。
気がつけばスコアは 11 - 8 で私の勝ちが決まっていた。
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R・D




