今度こそ、守りきる
…そうか。静寂にちょっかい出したってだけでも許せねえが、スポーツマンシップにも欠ける野郎が俺の相手か。
静寂の見立てだと挑発やラフプレイもありそうだ、卓球で、どっちが上か、きっちり教えてやる。もう仲間を絶対に傷つけさせない、今度こそ俺は、絶対に仲間を守る…!
程なくして、部長の一回戦のコールがかかった。相手は、やはり先ほどの男子生徒、鬼塚だ。
その仲間たちが、相手側のベンチ近くから、部長の入場に合わせてヤジを飛ばし始めた。
「おいおい、あんなチビの使いっ走りかよー!ずいぶんコキ使われてんじゃねえの?」
「一年女子に泣きつかれて、代わりに試合とか?ダッセー!」
「静寂ちゃーん、あんなんで大丈夫ー?もっとマシな先輩いなかったのー?」
下品な笑い声と共に、明らかに私を、そして私を守ろうとする部長を嘲る言葉が投げつけられる。
部長の肩が、ピクリと戦慄した。
額に青筋が浮かび、握りしめたラケットがミシミシと音を立てそうだ。
その全身から、抑えきれない怒りのオーラが立ち昇っているのが、私にもはっきりと感じ取れた。
…私の分析は、彼の精神状態への強い懸念を示す。
試合開始。第一ゲーム。
部長は、その怒りを爆発させるかのように、凄まじい勢いでポイントを重ねた。
サーブは獣のような唸りを上げて相手コートに突き刺さり、レシーブは全て強打。
鬼塚は、その圧倒的なパワーと気迫に完全に押され、なすすべなくラケットを振るだけだった。ボールが目で追えない。反応すらできない。
まさに蹂躙。11-3。あっという間に部長が先取した。
「見たか、この野郎!」とばかりに相手を睨みつける部長。
ヤジを飛ばしていた取り巻きたちも、一瞬静まり返る。
しかし、第二ゲーム。
鬼塚は、第一ゲームでの一方的な敗北から何かを学習したのか、あるいは開き直ったのか、煽る為だけに手加減をしていたのか、戦術を明確に変えてきた。
ヤジを飛ばす仲間たちと呼応するように、彼自身もネット際での小競り合いを誘い、得点すれば大げさにガッツポーズを見せる。
部長のミスにはあからさまに舌打ちをするなど、徹底的に部長の神経を逆撫でするプレイに終始した。
そして、その矛先は、的確に部長の「仲間を想う心」
特に私への庇護意識に向けられ始めた。
「おいおい、さっきの威勢はどうしたんだ?あの一年の女、お前の無様な試合見て泣いてんじゃねえの?」
「静寂ちゃーん!あんな先輩で大丈夫ー?俺っちが慰めてやろうかー?」
下劣な言葉と嘲笑が、ピンポイントで部長の逆鱗に触れた。
「うっっっせえんだよ、おらあああぁぁっ!!」
相手のサーブが甘く浮いた絶好のチャンスボールに対し、怒りで完全に我を忘れた部長のフォアハンドドライブは、力みすぎたためにボールの芯を捉えきれず、無情にもサイドラインを大きく割っていった。
ラケットを握りしめ、肩で息をしながら相手を食い入るように睨みつける部長の姿は、もはや冷静さを完全に失っていた。
部長 4 - 9 鬼塚
その瞬間、体育館の喧騒を切り裂くように、静かで、しかし凛とした声が響いた。
「――タイムアウト、お願いします。」
私だった。
審判と、そして何より激昂している部長自身に向けて、はっきりと告げた。
ベンチに戻ってきた部長は、まるで檻の中の猛獣だった。タオルを叩きつけ、ペットボトルを握りつぶさんばかりの勢いで水を呷り、その目は怒りと屈辱で血走っている。
「くそっ!くそっ!アイツら、ぜってぇ許さねえ…!」
「部長先輩、落ち着いて…!」
あかねさんが怯えたように声をかけるが、今の部長には届いていない。
「部長」
私は、いつもの平坦な、しかし有無を言わせぬ強い意志を込めた声で呼びかけた。
「相手の目的は、あなたのその感情的反応そのものです。彼らは、あなたの卓球技術ではなく、あなたの精神の脆弱性を攻撃対象としています。現時点でのあなたのプレイは、彼らの術中に完全に嵌っていると言わざるを得ません」
氷のように冷たい分析。部長は、ハッと息を呑み、私を睨みつけた。その目に「お前に何が分かる!」という反発の色が浮かぶ。
「さらに、審判が注意もしないとなると、恐らくあの審判もぐるなのでしょう」
私は、その視線を真正面から受け止め、さらに言葉を続けた。今度は、ほんの少しだけ、口の端に皮肉な笑みの残滓を乗せて。
「部長。あなたは、私とあれだけ練習を重ねてきた。私のマルチプル・ストップ戦略や、意表を突くコース取り、そして何より、あのストップ・サイドスピンの球筋を、誰よりも間近で体感してきたはずです」
私は、そこで一度言葉を切り、彼の瞳の奥を射抜くように見つめた。
「…私の『決め球』の一つや二つ、既に盗んで自分のものにしているのではないのですか?この程度の、精神的揺さぶりしか脳の無い相手に、それを見せるまでもないと、そう判断しているのですか?」
私の言葉は挑発であり、同時に、彼への信頼と期待の裏返しでもあった。
彼の卓球選手としての矜持と、そして私との練習の中で培われたであろう新たな可能性への、問いかけ。
部長は、私のその言葉に、一瞬、怒りの表情が凍り付いたかのように動きを止めた。
そして、次の瞬間、その口元がぐにゃりと歪み、それはやがて、いつもの彼の豪快な、しかし今はどこか吹っ切れたような笑みに変わった。
「…はっ、ははは!しおり…お前、言うじゃねえか!ああ、そうだな!お前のあの変態的ないやらしい球、何度も何度も受けさせられて、盗んでねえわけがねえだろうが!」
彼は、大きく息を吐き出し、そして、ニカッと歯を見せて笑った。
「ああ見てろよ、しおり!お前の技、見せつけてやるぜ!ついでに、アイツらにもな!」
その瞳には、先ほどまでの短絡的な怒りではなく、冷静な闘志と、そして新たな戦術への好奇心のような光が宿っていた。
タイムアウトが明け、部長はコートに戻る。その足取りは、先ほどまでの重苦しさが嘘のように軽やかだ。
「可愛い後輩に泣きつくなんて、情けないやつだな、このまま蹂躙して情けないところを後輩ちゃんにみせてやるよ」
部長は安い挑発に乗る気配はない、その目は私の目と似ていた、あの目は勝ちへのルートを冷徹に計算している目だ。
相手のサーブ。
下回転のロングサーブ、先ほどの様に、打ち合いからの自滅を狙った手だろう。
部長は、それを冷静にレシーブし、ラリーに持ち込む。
そして、数回の打ち合いの後、相手がフォアハンドで強打を仕掛けてきた、その瞬間。
部長は、強打を予測して後方に下がろうとしていた相手の動きを見極め、ほんのわずかに体勢を沈めると、コンパクトなスイングで、ボールの威力を殺すようにラケット面を合わせた。
それは、私の「ストップ」を彷彿とさせるような、私のモーションに近い、しかし部長自身のパワーと回転の理解が加わった、ネット際に低く、短く、そして絶妙に相手の逆を突く返球だった。
私のサイドスピンストップには遠く及ばないものの、相手の予測を完全に裏切る、意表を突いたネット際の返球。
「なっ…!?」
相手選手は、完全に虚を突かれ、慌てて前に踏み込もうとするが、ボールは既にツーバウンドしていた。
部長5-9鬼塚
体育館の一角が、どよめいた。今の、あの熱血漢の部長からは想像もつかないような、技巧的なショット。
部長は、してやったり、とばかりに不敵な笑みを浮かべる。
そのプレーを皮切りに、部長は息を吹き返した。持ち前のパワープレイに、時折、異端を彷彿とさせるような、相手の意表を突く短いストップや、コースを読んだカウンターを織り交ぜ始めたのだ。
相手選手は、部長の突然の戦術変更に完全に翻弄され、ミスを連発する。
第二ゲーム、デュースにもつれ込むことなく、部長が逆転で奪い返した。
そして、第三セット。完全に流れを掴んだ部長の勢いはもう誰にも止められない。
パワーで押し、変化で揺さぶり、そして何よりも、精神的な優位を確立した部長は、相手に付け入る隙を一切与えなかった。
マッチポイント。部長が力強いフォアハンドドライブを相手コートに叩き込むと、鬼塚のラケットはボールにかすりもしない、彼の戦意は完全に断たれたようだった。
パーフェクトゲームだ。
部長 11 - 0 鬼塚
セットカウント 部長 3 - 0 鬼塚
部長は、汗を拭いもせず、ラケットを握りしめたまま、相手コートで呆然と立ち尽くす鬼塚を、そしてその仲間たちを、冷徹なまでに威圧するように見据えている。
その時。私は無意識に、控え場所から、しかし体育館のその一角にいる誰もが聞き取れるであろう、静かで、しかし明瞭な声で呟いていた。
「…これほどの実力で、よく県大会まで駒を進められたものですね。対戦相手のレベルによっては、運も重要な要素となる、という興味深いデータが得られました」
私の声には、感情の起伏はない。
ただ、事実を分析し、口にしただけだ。しかし、その言葉の内容と、試合展開との間には、誰が聞いても明らかな皮肉が込められていた。
あかねさんが、隣で「えっ、し、しおりさん…?」と、私の突然の発言に戸惑い、顔を赤らめているのが分かった。
鬼塚とその仲間たちは、私の言葉が耳に入ったのだろう、悔しさと怒りで顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけてくる。
しかし、完膚なきまでに打ちのめされた後では、もはや反論する気力も残っていないようだった。
私の言葉を聞いた部長は、一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにニヤリと、まさに悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
そして、わざとらしく大きな声で、相手に聞こえよがしに言った。
「はっはっは!しおり、お前、たまには核心を突くじゃねえか!全くだな、今日の相手は、よっぽどクジ運に恵まれてここまで来たんだろうよ!なあ、お前ら!」
部長は、勝ち誇ったように胸を張る。その言葉と態度は、私の皮肉に完璧に調子を合わせた、追い打ちそのものだった。
「ぶ、部長先輩まで…!」三島さんの小さな悲鳴が聞こえたが、もう遅い。
鬼塚のスポーツマンシップの感じられない他の選手たちも思うことがあったのだろう、部長の話から連鎖して全くその通りだと、同調する意見で、ざわざわと騒ぎはじめた。
鬼塚は、唇を噛みしめ、何も言い返せずに俯いてしまった。彼の仲間たちも、蜘蛛の子を散らすように目を逸らし、そそくさと退散の準備を始めている。
彼らにとって、この試合は、技術的な敗北以上に、精神的な屈辱として刻まれたことだろう。
「どうだ、しおり!俺の完璧な勝利と、お前の完璧な援護射撃!なかなか良いコンビじゃねえか?」
部長は拳を差しだしてくる。
その顔は、自信と、そして私という「異端」な後輩に対する、新たな興味と面白さで輝いていた。
「……私は無意識でいっただけですし、本当の事しか言ってませんよ」
そう言いながらも私は、拳を握り部長に差しだし、軽く部長の拳をつついた。
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