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異端の白球使い  作者: R.D
県大会 一回戦

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熱血漢の意地

 試合の興奮と体育館の熱気は、高橋選手との一戦を終えた後も、私の中で静かな分析対象として処理され続けていた。


 控え場所に戻ると、部長のどこか複雑な表情と、三島さんの純粋な称賛が私を迎えた。


 彼らの言葉は、周囲の観客たちが私に向ける、理解しがたいものを見るような、あるいは少しばかりの恐怖を滲ませた冷ややかな視線とは対照的だった。


 勝利という結果は得た。


 しかし、その過程で私の「異端」なスタイルが他者に与えた印象は、決して好意的なものばかりではない。それもまた、収集すべきデータの一つだった。


「静寂、次の試合まで少し時間がある。軽くクールダウンしておけ。それと…さっきの試合、お前のあの『何でもあり』の卓球、他の学校のやつらもかなり見てたぞ。次からはもっと警戒されると思え。」


 部長は、ペットボトルの水を飲みながら、私にそう告げた。


 その言葉には、忠告と、そしてどこか私の次の戦い方への期待が混じっているように感じられた。


「…はい。分析し、対応します。」


 私は短く答える。感情の起伏は見せない。それが、私の戦い方だ。


 あかねさんは、興奮冷めやらぬ様子でノートに何かを書き込みながら、時折私に質問を投げかけてくる。


「しおりさん、あの最後のスマッシュ、部長先輩のドライブに本当にそっくりだったけど、いつの間にあんな…? あと、高橋選手のサーブを模倣した時、どんなことを考えていたの?」


 彼女の純粋な好奇心は、私にとっては分析対象の言動ではあるが、不快ではない。


 私は、彼女の質問に対し、必要最低限の情報を、感情を排して答えた。彼女は、それでも満足そうに頷き、再びペンを走らせている。


 私たちは、体育館の隅にある、自分たちの学校の控えスペースで、次の試合を待っていた。


 私は、他のコートで行われている試合に目を向け、選手たちの動き、プレースタイルを観察し、データを収集していた。


 私にとって、試合会場全体が分析対象だ。


 その時だった。


「なあ、あれ、静寂とかいう一年だろ?」「なんか、打ち方キモくね?」「つーか、相手、泣かしてたらしいぜ」「うわ、性格悪そ…」


 少し離れた場所から、他の学校の男子生徒らしき数人のグループの、嘲るような声が、私の耳に届いた。


 声のトーンは低く、明らかにこちらに聞こえることを意図している。彼らの視線が、面白半分といった感じで私に突き刺さる。


 …敵意。軽蔑。そして、無知に基づく短絡的な評価。…どうでもいい、勝つために必要ないものだ。


 私の思考は、瞬時に情報を処理する。


 感情は動かない。少なくとも、表面上は。


 しかし、心の奥底、あの「小学三年生のあの日」から続く冷たい領域が、微かに反応したのを感じた。


 それは、かつて向けられた悪意の音と、同質の響きを持っていた。


 部長が、その声に気づき、不快そうに眉をひそめてそちらを睨みつけようとした。あかねさんも、不安そうな顔で私と男子生徒たちを交互に見ている。


「…部長、あかねさん。気にする必要はありません。彼らの発言は、私の戦術や結果に影響を与える変数ではありません。」


 私は、二人を制するように、静かに、しかしはっきりと言った。


 私の声は平坦で、感情の揺らぎはない。


 部長は、私のその言葉と表情を見て、何かを言いたげな顔をしたが、やがて小さくため息をつく。


「…まあ、お前がそう言うならな。だが、ああいう輩はどこにでもいる。いちいち気にしてたらキリがねえぞ。」


 とだけ言った。


 あかねさんは、まだ心配そうな顔をしていたが、私が気にしていない(ように見える)ことを確認すると、少しだけ安堵したように頷いた。


 私は、再び他のコートへと視線を戻す。


 しかし、思考のバックグラウンドでは、先ほどの男子生徒たちの声、表情、そして彼らが放っていた悪意のデータが、過去のトラウマのデータと紐付けられ、新たな分析対象として記録されていく。


 私の「異端の白球使い」としての戦いは、卓球台の上だけではない。


 この、悪意が満ちる世界そのものが、私の戦場だ。


 そして、その戦いにおいて、私は常に冷静で、冷徹でなければならない。感情というノイズは、勝利への道を曇らせるだけだ。


 私は、静かに息を吐き出し、次の試合への集中力を高めていく。


 新たな「ノイズ」の発生は、私の計算を狂わせるものであってはならないのだから。


 他のコートでは、まだ熱戦が繰り広げられている。


 私は、トーナメント表が張り出されている掲示板の方へ、一人で向かった。


 次の対戦相手と、試合時間を再確認するためだ。


 部長やあかねさんは、次の部長の試合へのサポートと準備で手が離せないようだった。それは私にとっても好都合だった。


 一人で思考を整理する時間が必要だと感じていたからだ。


 掲示板の前で立ち止まり、自分の名前と次の対戦相手の名前を確認する。


 二回戦の相手は、中学校の三年生。確か、安定したカット主戦型の選手だったはずだ。


 私は、トーナメント表を見つめたまま、深く、静かに息を吸い込んだ。


 そして、思考に集中しようとした、その時だった。


 ドン、と背中に軽い衝撃があった。振り返るよりも早く、手に持っていた試合の進行表と、ペンケースが床に散らばる。


「っと、わりぃわりぃ。前見てなかったわ」


 ぶっきらぼうな声。


 見上げると、先ほど私を嘲っていた男子生徒グループの一人が、ニヤニヤと笑いながら立っていた。


 その後ろには、同じグループの仲間たちが、面白そうにこちらを見ている。明らかに故意の衝突だ。


 …物理的接触を伴う悪意。周辺には他の生徒もいるが、彼らは傍観を選択。


 私は、瞬時に状況を分析する。感情は動かさない。ただ、事実を記録する。


「大丈夫かよー、静寂ちゃん?大事なモン、落としちまって」


 別の男子生徒が、わざとらしい心配の声を上げる。その声には、隠しきれない嘲弄の色が滲んでいた。


 私は何も答えず、床に散らばった進行表とペンケースを拾い集めようと屈んだ。


 その瞬間、グループの一人が、私のペンケースを軽く蹴飛ばした。ペンケースは、コロコロと掲示板の足元まで転がっていく。


「あー、また落っこちた。ドジだなー」


 クスクスという笑い声が、周囲から聞こえてくる。


 他の生徒たちは、遠巻きに見ているだけで、誰も助けようとはしない。あるいは、関わり合いになるのを避けている。


 小学三年生の「あの日」の記憶の断片が、ノイズのように思考を掠める。あの時も、最初は些細なことだった。


 そして、誰も助けてはくれなかった。


 私は、ゆっくりと立ち上がり、蹴飛ばされたペンケースの方へ歩き出す。


 表情は変えない。彼らに反応を見せることは、さらなる「データ」を彼らに与えることになる。それは、私の望むところではない。



 ペンケースを拾い上げ、中身が散らばっていないかを確認する。


 幸い、ペンは数本しか入っていない。私は、男子生徒たちを一瞥もせず、再びトーナメント表に視線を戻した。


 彼らの存在を、意識的に「ノイズ」として処理する。


「…ちっ、面白くねえの」


 私の反応のなさに、リーダー格と思しき生徒が、つまらなそうに呟くのが聞こえた。


 彼らは、私が泣き出すか、怒り出すか、あるいは怯えるか、そういった分かりやすい反応を期待していたのだろう。


 私の「静寂」は、彼らの予測の範囲外だった。


 やがて、男子生徒たちのグループは、興味を失ったようにその場を立ち去っていった。


 彼らが放っていた悪意の靄も、少しずつ薄れていく。


 私は、トーナメント表を見つめたまま、深く、静かに息を吸い込んだ。


 心を冷徹に、氷のように冷たくすることを心がける。


 しかし、一度感知してしまった悪意の感触と、過去の記憶の共鳴は、私の「静寂な世界」の壁に、見えない、微細な亀裂を入れたのかもしれない。


 それはまだ、私自身も明確には認識できないほどの、小さな変化。


「異端の白球使い」は、ただ卓球台の上だけで戦っているわけではないことを、私は改めて認識させられていた。


 不意に、トーナメント表の別の山――男子シングルスの組み合わせに目が留まった。


 そこには、先ほどの男子生徒グループのリーダー格と思われる名前が、大きく記載されていた。そして、その初戦の対戦相手として記されていたのは。


(…部長)


 私の眉が、ほんの僅かに動いたかもしれない。これは、興味深いデータだ。


 先ほどの「ノイズ」は、間もなく部長の対戦相手という形で、より明確な「分析対象」として私たちの前に現れることになる。彼らの卓球スタイルは不明だが、その精神性の一端は、先ほどの行動で露呈している。


 それは、部長にとって有利に働くか、あるいは…。


 私は、その情報を胸に、静かに部長と三島さんが待つ控え場所へと戻った。


「お、静寂。どうだった?次の相手、分かったか?」


 部長が、いつものように屈託なく声をかけてくる。


「はい。市内の中学校の三年生。カット主戦型の選手です。」


 私は、淡々と次の対戦相手の情報を伝える。そして、一拍置いて付け加えた。


「それと、部長。あなたの一回戦の対戦相手ですが…先ほど、私に若干の物理的接触と、言語による挑発行為を試みてきたグループのリーダー格のようです」


「…なんだと?」


 部長の声のトーンが、明らかに変わった。その瞳に、普段の熱血とは異なる、鋭い光が宿る。


 あかねさんも、心配そうに、そして少し怒ったような顔で私と部長を交互に見た。


「静寂、あいつら、お前に何かしてきたのか!?」


「問題ありません。予測可能な範囲の、低レベルな挑発行為です。私のプレイに影響はありません」


 私は事実だけを述べる。私の感情は、試合の結果には不要なノイズだ。


「それよりも、彼らのあの精神性は、試合において何らかの形で露呈する可能性があります。冷静さを欠く、あるいは、ラフプレーに繋がりやすい、など。部長の戦術分析の一助になればと」


 部長は、私の言葉を聞き、一度ぐっと拳を握りしめたが、やがてニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「…そうかよ。わざわざ教えてくれて、ありがとよ、静寂。おかげで、楽しみが増えたぜ」


 その笑顔は、いつもの彼の快活さとは少し違う、何か闘志の奥に冷たい怒りのようなものを秘めているように見えた。


「よし!あかね、静寂!俺の試合、しっかり見てろよ!ああいう手合いには、卓球で、正々堂々、力の差ってやつを教えてやらねえとな!」


 程なくして、部長の一回戦のコールがかかった。対戦相手は、やはり先ほどの男子生徒のグループのリーダー格とその取り巻きが応援につく形だ。


 彼らは、部長の姿を見ると、再びニヤニヤとした見下すような笑みを浮かべている。


 部長は、そんな彼らの態度を意に介さず、堂々とした足取りで卓球台へと向かう。その背中からは、普段以上の気迫が放たれている。


「しおりさん…部長先輩、大丈夫でしょうか…」


 あかねさんが、不安そうに私の袖を小さく引いた。


「…データ上は、部長が負ける要素は少ないです。ただし、相手の挑発行為や、それに伴う部長自身の精神的な動揺が、勝敗を左右する変数となり得ます。」


 私は冷静に分析する。しかし、その分析の裏で、先ほど自分に向けられた悪意と、それを打ち破ろうとする部長の戦いを、私は静かに、しかし確かな関心を持って見つめ始めていた。


 私の「静寂な世界」の壁に、また一つ、新たな波紋が広がろうとしていた。

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