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異端の白球使い  作者: R.D
県大会 一回戦

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タイムアウト

 セットカウント 静寂 2 - 0 高橋


 コートチェンジを終え、私は再び卓球台の前に立つ。2セットを連取し、勝利まであと1セット。


 しかし、私の心に油断や慢心といったノイズは存在しない。


 目の前の相手、高橋選手は、確かに私の「異端」な戦術に翻弄され、動揺している。


 だが、彼女の瞳の奥には、まだ闘志の火が消えずに残っているのが見て取れた。昨年度県ベスト8の実力者が、このまま簡単に崩れるとは思えない。


 …彼女は、必ず何かを変えてくる。戦術、あるいは精神面。次のセットの序盤が、この試合の流れを決定づける重要な局面となるだろう。


 高橋選手のサーブから第3セットが始まった。


 彼女は、これまでの2セットとは明らかに異なる、強い決意を込めた表情でサーブの構えに入る。


 そして、放たれたのは、私のフォア側へ、非常に速く、そして回転量の読みにくい、横回転が混じったようなロングサーブだった。


 これまで彼女が見せてこなかった種類の、リスクを冒した攻撃的なサーブだ。


「!」


 私の反応が一瞬遅れる。そのサーブに対し、咄嗟に裏ソフトでドライブをかけようとしたが、ボールの微妙な揺れとスピードにラケット面が合わず、打球はネットを越えなかった。


 静寂 0 - 1 高橋


 …やはり、変えてきた。サーブの種類、そしてコース。


 私のレシーブのパターンを分析し、その裏をかこうという意図か。


 高橋選手は、ポイントを取ったことで、わずかに硬さが取れたように見えた。


 彼女も、先ほどまでの混乱を抜け出し、再び闘志が強くなっている気がする。


 続く彼女のサーブ。


 今度は私のバックサイドへ、同じように速く、しかし今度は強い下回転のかかったロングサーブ。


 私は、これをスーパーアンチで低くブロックしようとしたが、回転量が多く、ボールがわずかに浮いてしまった。


「そこっ!」


 高橋選手は、その甘い返球を見逃さず、フォアハンドで強烈なドライブを私のフォアサイド深くに叩き込んできた。


 静寂 0 - 2 高橋


 …まずい。流れが、完全に相手に傾いている。そして、私の思考のノイズ…これが、私の判断を鈍らせている。


「部長の名字バレ事件」の残像。


 部長の、あの珍しく狼狽した表情。三島さんの、私を気遣うような、しかしどこか面白がるような視線。


 それらが、卓球台の向こうの高橋選手の姿と、不協和音を奏でるように重なり、私の集中を蝕む。


 …感情はノイズだ。排除しろ。勝利のためには、それ以外の全てを切り捨てろ。


 私は、自分に強く命令する。


 私のサーブ。ここで流れを断ち切らなければならない。


 私は、裏ソフトの面を使い、彼女のフォア側へ、短く、しかし強烈な下回転をかけたサーブを送り込んだ。


 私の最も基本的な、しかし質の高いサーブの一つ。


 高橋選手は、それを冷静に見極め、安定したツッツキで私のバックサイド深くに返してきた。


 回転量の多い、いやらしいボールだ。


 私は、そのボールに対し、ラケットをスーパーアンチの面に持ち替え、彼女のフォア前に短く、低く止まる「デッドストップ」を狙った。


 しかし、ほんのわずかにインパクトが甘く、ボールはネットを越えたものの、少し浮いてしまった。


「そこだ!」


 高橋選手は、その甘いボールを見逃さなかった。鋭い踏み込みから、フォアハンドで強烈なドライブを私のフォアサイド深くに叩き込んできた!


 …完全に読まれている?それもあるだろうが、恐らく、私の精度が落ちている。


 反応が、コンマ数秒遅れる。ボールは、私のラケットを弾き、コートの外へと消えていく。


 静寂 0 - 3 高橋


「静寂!一本集中だ!まだ勝負は捨ててねえぞ!」


 コートの外から、部長の大きな檄が飛んでくる。その声には、焦りよりも、私を信じようとする強い意志が感じられた。


 あかねさんの、祈るような視線も感じる。


 …彼らの声。それは、ノイズではない。今の私にとっては…。


 私は、深く息を吸い込み、そして、ゆっくりと吐き出した。


 大丈夫だ。私は、静寂しおり。


 …勝利のために全てを捨てた、異端者。


 思考をクリアにする。目の前の相手、高橋選手の分析を、もう一度、ゼロから始める。


 彼女の今の精神状態。自信に満ちている。だが、それ故の「隙」も生まれるはずだ。


 …これぐらいじゃないと面白くない。


 私から、悪夢にも似た気配と共に、私らしくない思考が蘇る、


 そして私は、タイムアウトの意思を示す、T時のモーションを審判に示した


「――タイムアウト、お願いします。」


 その言葉は、体育館の喧騒の中で、意外なほどはっきりと響いた。


 高橋選手が、少し驚いたように私を見る。おそらく、私がこの劣勢でタイムアウトを取るとは思っていなかったのだろう。


 控え場所の部長とあかねさんも、一瞬目を見合わせた後、すぐに私の元へと駆け寄ってきた。


 ベンチに戻り、タオルで顔の汗を拭う。心臓の鼓動が、耳の奥でドクドクと大きく鳴っている。


「静寂! どうした、らしくねえぞ! お前のあの変幻自在の卓球はどこ行ったんだ!」


 部長が、いつものように大きな声で、しかしその表情には焦りと心配の色を浮かべて話しかけてくる。


「しおりさん、大丈夫ですか…? 顔色が…」


 あかねさんも、私の顔を覗き込みながら、不安そうな声を出す。


 彼女の手には、いつものようにノートとペンが握られているが、今はそれを開く余裕もなさそうだ。


 私は、二人の言葉にすぐには答えず、一度深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。思考をクリアにする。感情をリセットする。


「…部長。あかねさん。ありがとうございます」


 ようやく、私は落ち着いた声で言った。


「少し、思考にノイズが混じっていました。相手の戦術変更への対応が、後手に回っています。そして何より、私自身の集中力が、散漫になっている。」


「ノイズ…?」


 部長は、怪訝な顔をする。


「はい。卓球以外の、余計な情報が、私の判断を鈍らせています。」


 私は、「部長の名字バレ事件」のことや、三島さんの言葉を思い浮かべながら、しかしそれを直接口には出さなかった。


 それは、この場で共有すべき情報ではない。


「そうか…まあ、お前も人間だってことだな。」


 部長は、意外にもあっさりとそう言うと、腕を組んで少し考え込むような素振りを見せた。


「だがな、静寂。お前は、その『ノイズ』とやらを、自分の力で排除できるはずだ。お前のその、常人離れした集中力は、伊達じゃねえだろ?」


 彼の言葉は、単純だが、妙な説得力があった。彼は、私の「異端」な部分だけでなく、その根底にある「強さ」を信じている。


「それに、相手の高橋って選手だが…確かに、今は勢いに乗ってる。だが、お前のあの『マルチプル・ストップ戦略』や『反転ブロック』は、まだ完全に見切られたわけじゃねえはずだ。もう一度、原点に立ち返ってみろ。お前の卓球は、相手の予測の『外』から仕掛けるもんだろうが。」


 部長の言葉は、熱血的でありながらも、的確に私の戦術の核心を突いていた。


「…部長先輩の言う通りです、しおりさん!」


 あかねさんが、力強く頷いた。


「しおりさんの卓球は、誰にも真似できない、しおりさんだけのもの、大丈夫!信じてるから!」


 彼女の瞳には、一点の曇りもない、純粋な信頼の光が宿っている。


 …私の、卓球。原点。相手の予測の外。そして、彼らの、信頼。


 彼らの言葉が、私の心の中で反響する。


 思考のノイズが、完全に消え去ったわけではない。


 だが、そのノイズを、無理に排除しようとするのではなく、それもまた私の一部として受け入れ、そして、それでもなお、目の前の戦いに集中する。


 …そうだ。私は、静寂しおり。勝利のために、最も合理的な手段を選択する。


 そして、今の私にとって最も合理的な手段は、彼らの言葉を信じ、そして、私の「異端」を、再び研ぎ澄ますことだ。


 私は、顔を上げた。その瞳には、先ほどまでの揺らぎは消え、再び冷徹な、しかし確かな闘志の光が戻っていた。


「…ありがとうございます、部長、あかねさん。少し、見えました。」


「おう!それでこそ静寂だ!」


 部長が、満足そうに私の肩を叩く。


「頑張って、しおりさん!」


 あかねさんが、力強く微笑む。


 タイムアウトの終了を告げるブザーが鳴る。


 私は、深呼吸を一つし、再びコートへと向かった。


「…部長、あなたのサーブ、借りますね。」


 後ろから大きな声が飛んで来る。


「ああ!存分にかましてやれ!」


 まだ、試合は終わっていない。私の「異端の白球」は、ここから再び、その真価を発揮するのだ。

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