表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異端の白球使い  作者: R.D
前哨戦

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/694

実験練習

 夜の孤独な練習部屋での「マルチプル・ストップ戦略」の深化。


 あの、ほんのわずかな「コツ」を掴んだ感覚は、確かに私の手に残っていた。


 しかし、マシン相手の反復練習だけでは、どうしても限界がある。相手のサーブの微妙な癖、ラリー中の予測不能な動き、そして何よりも、人間の心理的な駆け引き。


 これらは、生身の人間を相手にして初めて、真の意味で検証できるものだ。


 …県大会まで、あと数日。この「マルチプル・ストップ戦略」を、実戦で使えるレベルにまで引き上げるには、より質の高い、そして多様な「データ」が必要だ。


 特に、相手のサーブに対するレシーブとしてのストップの精度と、そこからの展開。


 翌日の放課後。部活動の全体練習が終わり、他の部員たちが片付けを始めている中、私は静かに部長「部長 猛」先輩の元へと歩み寄った。


 彼は、いつものように汗だくになりながらも、まだ息を切らして自主的に素振りを繰り返している。


 その隣では、三島あかねさんが、彼の動きを見ながら何かをノートに書き留めていた。


「部長」


 私が声をかけると、彼は素振りの手を止め、額の汗を拭いながらこちらを向いた。その瞳には、私の来意を測るような、鋭い光が宿っている。


「おう、静寂。どうした?まさか、また俺に『実験台』になってくれとでも言うつもりか?」


 彼の言葉には、からかいと、そしてほんの少しの期待が混じっている。


 先日の、私の常識外れの「実験練習」は、彼にとっても強烈な体験だったのだろう。


「…はい。その通りです」


 私は、ストレートに本題を切り出した。


「先日、あなたが協力してくださった『ストップ』の練習。あれを、さらに洗練させたい。特に、あなたのサーブに対して、私がどれだけ多様な質のストップを、同じモーションから打ち分けられるか。そのデータを収集し、精度を高めたいのです」


 私の言葉に、部長は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにニヤリと笑った。


「はっはっは!やっぱりそう来たか!お前ってやつは、本当に卓球のことしか頭にねえんだな!だが、面白い!いいぜ、今回もとことん付き合ってやる!お前のその『見えないストップ』とやらが、俺のサーブにどこまで通用するか、試してやろうじゃねえか!」


 ……見えないストップは盛りすぎだと思う。


 彼は、ラケットを握り直し、再び闘志を燃やし始めている。


 彼のこの、挑戦を恐れない、むしろ楽しむかのような姿勢は、私にとって非常に好都合な「実験環境」を提供してくれる。


「ありがとうございます」


 私が短く礼を述べると、あかねさんが心配そうに、しかしどこかワクワクした表情で割って入ってきた。


「しおりさん、またあのすごいストップの練習するの!? 私、今度こそ全部記録するから! 部長先輩、お手柔らかにお願いしますよ!」


 彼女は、すっかりこの特異な練習の「記録係」としての役割を確立しているようだ。


 こうして、再び、体育館の片隅で、私と部長、そしてそれを記録する三島さんという、奇妙なトライアングルによる「実験練習」が始まった。


 部長は、下回転、横回転、ナックル、ロング、ショート…ありとあらゆる種類のサーブを、正確なコントロールで私に打ち込んでくる。


 私は、それら一本一本に対して、モーションの共通化を意識しながら、インパクトの瞬間にラケットを持ち替え、あるいは同じラバー面でも打球点を変え、異なる質のストップを繰り出す。


 裏ソフトでの、鋭い下回転ストップ。 ボールはネット際に突き刺さり、部長の強打を封じる。


 スーパーアンチでの、回転のないデッドストップ。 ボールはネット白帯をかすめ、相手コートに力なく落ち、部長のタイミングを狂わせる。


 裏ソフトでの、横に滑るようなサイドスピンストップ。 部長のラケットの端をかすめ、コート外へと消えていく。


 スーパーアンチでの、わずかに揺れるナックルプッシュ。


  部長は、その予測不能な揺れに、思わず「うおっ!?」と声を上げる。


 もちろん、全てが成功するわけではない。


 持ち替えのタイミングがわずかにずれれば、ボールはネットにかかる。


 ラバー面の選択を誤れば、相手にとって絶好のチャンスボールとなる。


 インパクトの角度が数ミリ違えば、意図しない変化が生まれ、コントロールを失う。


「静寂!今のストップ、完全に浮いてるぞ!そんなんじゃ、県大会の奴らには一発で叩かれる!」


「今の持ち替え、少しモーションが大きかったな!俺にはバレバレだぜ!」


 部長は、私の失敗を的確に指摘し、時にはわざと厳しいコースに打ち込んできて、私の限界を探ろうとする。


 彼のその容赦ないフィードバックが、私の技術をさらに研ぎ澄ませていく。


 あかねさんは、息をのむようにして私たちのラリー(というよりは、サーブとレシーブの攻防)を見守り、私が成功するたびに小さくガッツポーズをし、失敗するたびに心配そうな表情を浮かべ、そしてその全てを詳細にノートに記録している。


 …掴めてきた、モーションの共通化。


 インパクト直前でのラバー選択と打球点の最適化。そして、それぞれのラバーの特性を最大限に引き出すための、ボールへの「触れ方」


 この「マルチプル・ストップ戦略」は、私の異端の卓球を、さらに予測不能なものにする。


 私は、失敗の度に冷静に原因を分析し、次のプレーに修正を加えていく。


 そのストイックなまでの反復練習の中で、私の指先の感覚は、かつてないほど鋭敏になっていた。まるで、ラケットとボールが、私自身の神経の延長になったかのように。


 西日が体育館の床に長い影を落とし、練習の終わりを告げる時間が近づいている。


 私の体は疲労困憊だったが、その頭脳は、かつてないほどクリアに冴え渡っていた。


「マルチプル・ストップ戦略」


 この、相手の思考を停止させる静かなる武器は、確実に私のものになりつつあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ