第40話 情報収集
私のマシン練習は、普段よりも早く切り上げた。
部長の「部室に集合」という言葉が、私の思考ルーチンにおいて優先度の高いタスクとして認識されたからだ。
卓球台を片付け、汗を拭いながら部室の扉を開けると、そこにはすでに部長と三島さんの姿があった。
小さな部室の中央には、ポータブルDVDプレイヤーと、数枚のDVDケースが置かれている。
あかねさんが昼間に集めてくれた、県大会の有力選手たちの試合映像だろう。
「お、静寂、来たか。まあ座れよ」
部長はパイプ椅子を一つ、私の方へ無造作に指し示した。
彼の顔には、まだ練習の熱気が残っているが、その瞳は既に次の戦いへと向けられている。
あかねさんは少し緊張した面持ちで、しかしどこか誇らしげにDVDプレイヤーの準備をしていた。彼女の努力が、こうして形になっているのだ。
「…ありがとうございます」
私は短く礼を述べ、部長の隣の椅子に腰を下ろす。
部室の中は、卓球用具特有のゴムの匂いと、部員たちの汗の匂い、そして古い木の匂いが混じり合った、独特の空気が漂っている。
それは私の「静寂な世界」とは異なる、しかし不快ではない種類の、ある種の「日常」の匂いだった。
しかし、ある違和感が私の思考に纏わりつく。
「あの……、田中先輩は?確か彼も予選を突破したと聞きましたが」
その違和感を声に変換し発する。
「あー田中な、あいつ、分析は俺がやっても上手くいかないからあとで共有してくれだとよ、……全く、自分で考えないその癖がお前の実力にストッパーをかけてるの、いい加減気づけってんだ……」
部長は、もったいなさそうに呟くと、場の空気を変えようとするかのように、切り替えた。
「よし、あかねちゃん、早速だが、まずは…そうだな、あの『常勝学園の青木』ってやつの映像から見せてくれ」
部長が言うと三島さんは頷き、慣れた手つきでDVDをプレイヤーにセットした。
壁に立てかけられたホワイトボードに、プロジェクターで映像が投影される。
画質はそれほど良くないが、選手の動きやボールの軌道は十分に確認できるレベルだ。
画面に映し出されたのは、常勝学園のユニフォームに身を包んだ、長身の女子選手。
右シェークドライブ型の、非常に安定した、そして美しいフォーム。
それが青木 桜。彼女の放つフォアハンドドライブは、コースが厳しく、回転量も豊富だ。
そして何よりも、試合運びがクレバーで、相手の弱点を的確に突いてくる。
……青木れいかの姉と思われる人物だ。
卓球のスタイルは、洗練され、完成度が高い。
正統派のオールラウンダー。
私とは対極に位置する選手だ。
私は、彼女のサーブの種類、レシーブのコース、得意なラリー展開、そして失点パターンなどを、冷静に分析し記憶していく。
「…強いな、この青木って選手。穴らしい穴が見当たらねえ。こりゃあ、静寂、お前にとってもかなりの強敵になるんじゃねえか?」
部長が、腕を組みながら唸るように言った。彼の表情は真剣そのものだ。
「特に、あのバックハンドの安定感。お前のアンチの変化球にも、簡単には崩されねえかもしれんぞ」
「……確かに、高いレベルで安定しています。ですが、得点源となっているのは間違いなくフォアハンドのドライブです、私なら、ミスをしない限り勝機があります」
私は、静かに答える。負けるイメージは今の所わかないからだ。
「しおりさん……でも、青木選手、去年の県大会準優勝って……」
三島さんが、心配そうに声を挟む。彼女は、純粋に私のことを案じているのだろう。
「…結果は、やってみなければ分かりません。データは、あくまで過去のものですから」
私は、彼女の不安を打ち消すように、しかし淡々と告げた。
次に映し出されたのは、「雷鳴館中学・鬼塚 達也」選手の試合映像。
これは、部長が県大会で当たる可能性のある相手だ。
画面の中の鬼塚選手は、まさに「超攻撃型」という言葉がふさわしい、荒々しくも破壊力抜群の卓球を展開している。
サーブからの3球目攻撃は、一撃必殺の威力を秘めていた。
「うおっ、なんだこのパワーは!化け物かよ!」
部長が、思わず声を上げる。彼の額には、再び汗が滲んでいた。
「ラケットがボールで弾かれるの、はじめてみました……」
あかねさんも、驚愕している。
「……だが、面白い!こういう奴と真正面から打ち合ってみてえもんだぜ!」
すぐに闘志を取り戻すあたりは、さすが彼と言うべきか。
…鬼塚選手の卓球は、一点集中型のパワープレイ。
部長の粘り強さと、時折見せる変化球が通用すれば、勝機はある。
だが、一度流れを掴まれると、一気に持っていかれる危険性も高い。
部長のメンタルと、試合運びの冷静さが鍵となるだろう。
「部長先輩なら、きっと大丈夫ですよ! 部長先輩のガッツとパワーは、誰にも負けませんから!」
三島さんが、拳を握りしめて部長を応援する。彼女の言葉は、不思議と説得力があった。
最後に、「月影女学院・謎のカットマン」の映像。
それは、去年の大会の断片的なもので、画質も悪く、選手の顔もはっきりとは分からない。
しかし、その変幻自在なカット、台から大きく離れてもしぶとくボールを拾い、そして時折見せる鋭い攻撃は、確かに不気味なほどの強さを感じさせた。
「…これは、厄介だな」
部長が、低い声で呟いた。
「カットマンってのは、ただでさえ戦いづれえのに、こいつは何か違う。リズムが読めねえし、何をしてくるか分からん。静寂、お前もこういうタイプは苦手なんじゃねえか?」
彼の問いに、私は静かに頷いた。
「……カットマンとの対戦経験は、多くありません。あの変化の質と、私の変化の質、そして攻撃に移るタイミング、どちらが相手の予測を上回るか。心理戦の要素が大きくなりそうです」
映像を見終えた後、部室にはしばしの沈黙が流れた。
それぞれの胸の中に、県大会という舞台で待ち受けるであろう、強敵たちの「影」が、より鮮明な形で刻み込まれたからだ。
「…よし!」
沈黙を破ったのは、やはり部長だった。
「相手が強えってんなら、それ以上に俺たちが強くなりゃいいだけの話だ! あかねちゃん、今日の分析ご苦労さん! 静寂、お前も、今日の映像で何か掴めたか?」
「…はい。いくつかの有効な戦術パターンと、警戒すべきポイントを抽出できました」
私はそう答える。
「いい目だ、静寂」
部長は、満足そうに頷いた。
「県大会まで、あとわずかだ。残りの時間、やれるだけのことは全部やるぞ。そして必ず、全国への切符を掴み取る!」
彼の力強い言葉が、小さな部室に響き渡る。
私は、静かに頷き、クリアファイルに収められたライバルたちの情報へと、再び視線を落とした。
県大会。それは、私の「異端」が試される、最初の大きな関門。
そして、その先に見えるかもしれない「全国」という舞台。
私の戦いは、まだ始まったばかりだ。
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R・D




