異端者と熱血漢
今日の部活動が始まる前、体育館の隅で一人、壁に打ち付けられた得点表の数字の羅列を眺め、次の大会での対戦相手の組み合わせパターンを思考していた時だった。背後から、やけに大きな声と共に、床を強く踏みしめるような足音が近づいてきた。振り返るまでもなく、声の主は特定可能だ。
「静寂!こんなところで油を売ってる場合じゃないぞ!さあ、練習だ!今日は俺がみっちりお前のその『イリュージョンブロック』とやらを打ち砕いてやる!」
やはり、部長だった。彼は、額に汗を滲ませながら、その大きな瞳を爛々と輝かせ、私を指差している。彼の周囲の空気は、常に彼自身の熱量で揺らいでいるように錯覚する。他の部員たちが彼に対して向ける視線には、畏敬と、ほんの少しの諦観が混じっているのを私は知っている。
私は、静かに彼の方へ向き直る。
「…部長。ウォーミングアップは各自で行うようにと、先日顧問からも指示がありましたが。」
私の声は平坦で、感情の起伏はない。事実を述べただけだ。しかし、彼はそんなことで怯む人間ではない。
「なーにを堅苦しいことを言ってるんだ、静寂!アップだろうが本番だろうが、全力でぶつかってこそ意味があるだろうが!それに、お前はもっと実戦形式の練習を積むべきだ。一人での練習だけでは見えないものがある!俺がそれを教えてやる!」
彼は、ぐっと胸を張り、有無を言わせぬ迫力で言い切る。彼の論理は、常に情熱によって裏打ちされている。そして、その情熱は、時として周囲を巻き込み、状況を動かす力を持つことを、私はこの1ヶ月で学習していた。
「…練習自体に異論はありません。ただ、部長自身の練習時間は、それで問題ないのですか。あなたは主将として、全体の指導やチーム練習の統率も必要なのでは。」
私は、再び事実に基づいた疑問を提示する。彼の熱意は理解できるが、それがチーム全体にとって最適かどうかは別の問題だ。彼の「若干しつこい」とも言える私への関心は、彼のリーダーシップの一環なのか、あるいは単なる個人的な興味なのか。まだ分析しきれていない。
部長は、私の言葉に一瞬考えるそぶりを見せたが、すぐにニカッと歯を見せて笑った。
「はっはっは!静寂、お前は本当に頭が固いな!だが、そこがいい!俺の心配か?それなら無用だ!部長としての務めも、一人の選手としての鍛錬も、俺は一切手を抜かん!そして、お前というチームの『秘密兵器』を磨き上げるのも、部長の大事な仕事の一つだからな!」
彼は、自信満々にそう言い放つ。彼の言葉には、嘘や誤魔化しは感じられない。純粋な、そしてある意味では厄介なほどの真っ直ぐさ。他の部員なら、この勢いに押されて彼の提案を受け入れるのだろう。
…「部長」という役職名は、彼のような人物のためにあるのかもしれない。
私は、内心でそう結論づけた。彼が「部長」と呼ばれることに、何の違和感もない。むしろ、それ以外の呼び方が想像できないほどだ。彼の言動、行動、その全てが「部長」という役割を体現しているように見える。
「…分かりました。では、短い時間でお願いします。」
私は、小さくため息をつくような素振りは見せず、彼の提案を受け入れた。彼との練習は、確かに実戦経験の少ない私にとって、得るものがないわけではない。彼のパワフルなドライブ、諦めない精神力は、私のスーパーアンチラバーの特性を試す良い機会となる。
「よしきた静寂!そうこなくっちゃな!さあ、ラケットを持て!お前の『シャドウドライブ』とやらも、俺には通用せんぞ!」
彼は、すでに自分のラケットを握りしめ、やる気に満ち溢れた表情で卓球台の向こう側に立っている。その姿は、まるでこれから決戦にでも臨むかのようだ。
私は、静かに自分のラケットケースからラケットを取り出した。彼が言う「シャドウドライブ」という技名は、彼自身が名付けたものの一つだ。そのネーミングセンスについては、私には評価する言葉がない。
この部長は前回の市町村大会の決勝で、全てデュースのフルセット、それも最終マッチは24対26での激闘を演じたらしい、私は見ていなかったが。
…その戦い方を、私は知りたいのかもしれない。
私は、彼との打ち合いを前に、冷静に思考を巡らせた。彼の熱血と、私の静寂。その対比は、この卓球部において、すでに日常の一つの風景となりつつあった。