第15話 異端に惹かれる/忌む物語
Episode :日向 葵 変わり果てた半身
あの日。
私が知らない時に、しおりが市町村大会の決勝という舞台に立っていた、その夕方。
私は、重いバッグを肩にかけ、自宅の玄関をくぐった。
「ただいま……」
声に覇気がない。体は心地よい疲労感に包まれているはずなのに、心だけがざらついていた。
私は今日、自分の住む地区の市町村大会に出場していた。
結果は、予選突破。
なんとか勝ち進み、次のステージである「県大会」への出場権を手にした。
でも、勝っても勝っても、胸の奥にある空洞は埋まらなかった。
(しおりは今、どうしてるかな……)
ラケットを片付け、リビングのソファに倒れ込む。
あの日、私を突き放して消えた親友。
彼女がいない卓球は、ただの球打ち作業のようで、少しも楽しくなかった。
それでも私は、卓球というものを捨てることが出来なかった、しおりとの繋がりが完全になくなっちゃう気がして、怖かった。
ぼんやりとテレビをつける。
ローカル局の夕方のニュース。各地区で行われた中体連の結果が流れている。
「続いては卓球、柊地区大会の模様ををお伝えします」
聞き慣れた地名に、私は弾かれたように顔を上げた。
あそこは……しおりが一人で暮らしている祖父母の家の地区だ。
画面に映し出されたのは、見慣れた市民体育館の映像。
そして。
「女子シングルス決勝。注目は、無名の新星、中学一年生の……」
私の心臓が、早鐘を打った。
画面の中。
小柄な少女が、無表情でラケットを構えている。
中学一年生にしては小さすぎる背中。
「……しおり……!」
名前を呼ぶ声が震えた。
やっぱり、出ていたんだ。しおりも、戦っていたんだ。
安堵で胸が熱くなる。
でも、次の瞬間。
その熱は、急速に冷めていった。
(……え?)
画面の中で、ラリーが始まる。
相手の強烈なドライブに対し、しおりは下がらない。
ラケットを一瞬で反転させ、アンチラバーで真っ向からブロックする。
ボールが死んだように止まり、相手コートへ落ちる。
アナウンサーが「魔法のようなプレイ」「変幻自在」と叫ぶ。
会場がどよめいている。
でも、私には違って見えた。
楽しそうじゃ、ない。
全く、楽しそうじゃないんだ。
かつてのしおりは、もっと……ボールと会話するように打っていたはずだ。
でも、画面の中の彼女はまるで「精密機械」だった。
相手の困惑を冷静に観察し、一番嫌がるコースへ、一番打ちにくい球質で、淡々と流し込む。
そこには「感情」というものが一切存在しなかった。
(どうして……そんな、冷たい目をしてるの?)
画面の中のしおりが、反転からのスマッシュを決める。
優勝が決まった瞬間。
周囲が歓声を上げ、拍手が湧き起こる中。
しおりだけが、無機質だった。
笑顔一つ見せず、ガッツポーズもせず。
ただ深く、相手に一礼をする。
それは礼儀正しいというより、プログラムされた動作のように見えた。
その姿を見た瞬間。
私の背筋に、冷たいものが走った。
……あの子は、卓球をしているんじゃない。
「作業」をしているんだ。
生きるために。自分の居場所を確保するために。
感情を殺して、心を凍らせて、ただ勝利という結果だけを吐き出すマシーンになろうとしている。
「……しおり……」
涙がこぼれた。
嬉し涙じゃなかった。
あまりにも痛々しくて、悲しくて、見ていられなかった。
私がそばにいない間に、彼女はあんなにも冷たい「氷の鎧」を纏ってしまった。
(私が……私が、行かなきゃ)
私は涙を拭い、拳を強く握りしめた。
このままじゃ、しおりは壊れてしまう。
勝利という名の孤独に押しつぶされてしまう。
私だって、今日、チケットを手に入れたんだ。
次のステージ――県大会への切符を。
(私は行くよ、しおり。県大会へ)
(そしてブロック大会まで進む、そこでなら会えるよね)
(その氷を溶かせるのは、私しかいないんだから!)
テレビ画面の中の、背を向けて歩き出す親友。
その背中は、以前よりもずっと小さく、そして脆く見えた。
遠い空の下で響いた雷鳴は、私に「戦え」と告げていた。
再会の舞台への試練、県大会まで、あと少し。
けれども私は、負ける気も、負けるつもりもなかった、ブロック大会まで進まなければ、彼女と向き合うことすら出来ないのだから。
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Episode : 青木玲花 聖女の落日
私は、人が笑っているのを見るのが好きだった。
困っている人がいたら助ける。泣いている人がいたらハンカチを貸す。
それは私にとって呼吸をするのと同じくらい、当たり前のことだった。
「れいかちゃんは優しいね」
「れいかちゃんのおかげで助かったよ」
そう言われるたびに、私の心は温かいもので満たされた。
この世界は美しい。善意で繋がっている。
私は、このクラスという小さな世界を守る「お母さん」のような存在でありたかった。
だから、彼女のことが心配でたまらなかった。
静寂しおりさん。
いつも一人で、誰とも関わろうとしない孤独な生徒。
彼女の周りだけ、色が抜け落ちたように寂しそうに見えた。
「きっと、人付き合いが苦手なだけなんだ」
私はそう思った。
だったら私が架け橋になればいい。
私が彼女の手を引いて、光の中に連れて行ってあげれば、きっと彼女も笑ってくれるはず。
そう信じて疑わなかった。
私は毎日、彼女に声をかけた。
おはよう。教科書見せてあげる。一緒に移動教室行こう。
周りの子が「あの子、暗いから放っておきなよ」と言っても、私は諦めなかった。
「そんなこと言っちゃだめ。静寂さんも仲間でしょ?」と嗜めた。
私は本気だった。彼女を救いたかった。
でもある日。
放課後の教室で、二人きりになった時。
私は、彼女の落とした消しゴムを拾ってあげた。
「はい、静寂さん」
最高の笑顔で手渡した。
彼女は、消しゴムを受け取らなかった。
ただ、私の顔をじっと見つめて、不思議そうに首を傾げたのだ。
「……どうして、そんなに自分を削るんですか?」
─────え?
私は言葉を失った。
「あなたは、みんなの雑用を引き受けて、みんなの機嫌を取って、自分の時間は何一つない。……数値で見れば、あなたの行動は損失ばかりです」
彼女の声は、心配しているわけでも、馬鹿にしているわけでもなかった。
ただの「事実」として、私の痛いところを突き刺してきた。
「見ているだけで、息苦しくなります。……そんなに無理をして『イイコ』を演じないと、自分の価値が保てないのですか?」
――プツン。
私の中で、何かが切れる音がした。
違う。
私は、演じているわけじゃない。
私はみんなが好きで、みんなのために……!
でも、彼女の瞳は、私の心の奥底にある「恐怖」を映し出していた。
『誰からも必要とされなくなることへの恐怖』
『愛されなくなることへの恐怖』
私が必死に隠してきた、聖女の仮面の下の、醜いエゴ。
彼女は、それを見透かした上で、こう言ったのだ。
「あなたの親切は、私には『重荷』です。……放っておいてください」
善意が、否定された。
愛が、拒絶された。
救おうとした手が、振り払われた。
その瞬間、私の視界が真っ赤に染まった。
どうして?
私はこんなに頑張っているのに。
私はこんなに、あなたのことを想っているのに!
分からせてあげなきゃ。
この子は、病気なんだ。
心が壊れているから、私の愛が分からないんだ。
なら、私が治してあげなきゃ。
どんな手を使ってでも。
たとえ、痛みを与えてでも。
それが、彼女のためなんだから。
私は震える手で、彼女の筆箱を掴んだ。
そして、それをゴミ箱へと放り投げた。
ガシャン、という音が、教室に響く。
ああ、ごめんね、静寂さん。
でも、これは「教育」なの。
あなたが、私の愛を理解できる人間になるための、必要な痛み。
私は聖女のまま、悪魔になった。
彼女を救うために、彼女を壊すことを決めたのだ。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
まだまだ長い道のりとなる本作ですが、もしよろしければ【ブックマーク】や、画面下の星マーク【☆☆☆☆☆】で応援していただけませんか?
皆様からの反応が、次の一話を書き上げる最高のエネルギーになります。引き続き、ご自身のペースでゆっくり楽しんでいってください。
R・D




