第1探索ねこ 地図が雑なら、作ればいい!
「……あれ?」
少女はスマートフォンの画面を見つめた。
「ここ、右に曲がる道があるはずなんだけど……」
画面には、現在探索しているダンジョンの情報が表示されている。
『南町公園ダンジョン』
難易度は初級。地下三階層まで存在する、すでに踏破済みのダンジョンだ。
ところが、アプリに掲載されている地図には、目の前にある通路が描かれていなかった。
「うーん……」
少女は顔を上げる。
右を見る。
左を見る。
もう一度スマートフォンを見る。
「……やっぱり載ってない」
その少女の名前は、朝倉こはる。
高校一年生。
少し小柄で、肩まで伸びた髪を後ろでひとつにまとめている。
薄い緑色の探索用ジャケットに、丈夫なブーツ。背負った黒いリュックには、小さな白猫のワッペンが付いていた。
頭には淡い水色のヘルメット。
いかにも本格的な探索者というほどではないが、装備はきちんと整えている。
そして彼女は今、たった一人でダンジョンを探索していた。
「まあ、いっか」
こはるはスマートフォンをポケットにしまう。
「こっちも行ってみよっと」
そう言って、地図に載っていない通路へ歩き始めた。
この世界には、ダンジョンがある。
それも、世界各地に。
山の中や森の奥だけではない。
公園の地下。
商業施設の地下。
時には、街のスーパーの地下に突然発生することだってある。
ダンジョンは魔素と呼ばれる特殊なエネルギーが集まることで形成されると考えられており、内部には魔物が自然発生する。
魔法もスキルも、現代社会では珍しいものではない。
そしてダンジョンからは、魔石や特殊な素材、時には古代文明の武器や魔道具が発見される。
そのため、ダンジョンは危険な場所であると同時に、貴重な資源を生み出す場所でもあった。
大きなダンジョンの周辺には街が発展することもある。
最近では、不動産広告に『ダンジョン付き物件!』などという宣伝文句が載っているほどだ。
もちろん、誰でも好き勝手に探索できるわけではない。
探索者登録や、難易度に応じた入場資格などの制度も整備されている。
こはるが今日訪れている南町公園ダンジョンも、その一つだった。
公園の一角に専用の入口があり、受付で探索者証を提示すれば入場できる。
料金は一回五百円。
初心者向けのダンジョンとして、休日には学生や家族連れの探索者で賑わっていた。
そして、朝倉こはるはダンジョン探索が大好きだった。
理由は単純。
知らない場所を歩くのが楽しいから。
曲がり角の先には何があるのか。
この階段はどこにつながっているのか。
あの扉の向こうには、どんな部屋があるのか。
それを確かめることが、何より好きだった。
「おっ、行き止まり」
こはるは通路の突き当たりに到着した。
そこには、小さな石造りの部屋があった。
何もない。
壁にも床にも、特別なものは見当たらない。
「ふむふむ」
彼女は満足そうにうなずいた。
普通の冒険者なら、がっかりするかもしれない。
宝箱もない。
珍しい魔物もいない。
ただの行き止まり。
しかし、こはるにとっては違った。
「この部屋、地図に載ってないんだよね〜」
再びスマートフォンを取り出す。
公式ダンジョンアプリには、この階層の大まかな情報が掲載されていた。
『地下二階。北側に大広間あり。東側の階段から地下三階へ』
それだけ。
地図もあるにはあるが、通路を何本かの線で表した簡単なものだった。
「これじゃ、初めて来た人は迷うよね」
こはるは呟いた。
そして、ふと思いつく。
「……自分で描いてみようかな?」
彼女はリュックを下ろすと、小さなノートを取り出した。
普段から探索中に気になったことを書き留めている、愛用のノートだ。
ページを開き、ペンを握る。
「えーっと、まずここが入口で……」
通路の位置を思い出しながら、線を引いていく。
しかし、すぐに手が止まった。
「あれ? こことここ、どのくらい離れてたっけ?」
適当に描くのは簡単だ。
でも、それでは今使っている地図と変わらない。
「……よし」
こはるはノートを閉じた。
「ちゃんと調べよう!」
彼女は壁に近づき、右手を伸ばす。
「《スキャン》」
淡い光が、手元からふわりと広がった。
光が届く範囲は、およそ一メートル。
目の前の壁や床の構造が、こはるの感覚に流れ込んでくる。
壁の厚み。
床の傾斜。
石材の継ぎ目。
《スキャン》はシーフ系の探索スキルだ。
本来は罠の発見や、宝箱の中身を調べるためなどに使われる。
しかし、こはるはこのスキルがとても得意だった。
「横幅は……うん、これくらい」
ノートに数字を書き込む。
そして数歩移動する。
「《スキャン》」
また記録する。
さらに数歩。
「《スキャン》」
「おお〜、この壁、ちょっと斜めになってる!」
誰も気にしないような小さな違いに、こはるは目を輝かせた。
彼女の《スキャン》は、決して遠くまで届くわけではない。
壁の向こう側も見えない。
だからこそ、自分の足で歩いて確かめる必要がある。
でも、それが楽しい。
「これ、思ったより面白いかも!」
こはるは夢中になって通路を調べ始めた。
「グルル……」
しばらくすると、通路の向こうから低い唸り声が聞こえた。
こはるが顔を上げる。
曲がり角の先に、一匹のゴブリンがいた。
小柄で、木の棒を持った初級ダンジョンによく出現する魔物だ。
「おっと」
こはるは足を止めた。
ゴブリンはまだこちらに気づいていない。
「……《気配遮断》」
こはるの気配が、すっと薄くなった。
彼女は壁際に身を寄せると、ゴブリンの様子を観察した。
ゴブリンは鼻を鳴らしながら通路を歩いていく。
そのまま、別の曲がり角へ消えていった。
「よしよし」
こはるは小さくうなずいた。
実は彼女、戦闘がそれほど得意ではない。
一応、護身用の短剣は持っている。
だが、剣を振り回して魔物と戦うより、見つからずに通り抜ける方がずっと得意だった。
《気配遮断》。
《忍び足》。
《危険察知》。
そして《スキャン》。
シーフ系のスキルに関しては、同年代の探索者とは比較にならないほど高い技術を持っている。
ただし、本人にその自覚はあまりなかった。
「さて、続き続き」
こはるは何事もなかったようにノートを開く。
彼女にとって、魔物を倒すことより、目の前の通路の形を調べる方が重要だった。
それから二時間。
「……お腹すいた」
こはるは安全を確認した休憩所のベンチに座り、リュックからおにぎりを取り出した。
コンビニで買った鮭おにぎり。
それから麦茶。
「いただきまーす」
ぱくり。
「ん〜、おいしい」
探索中に食べるおにぎりは、なぜか普段よりおいしく感じる。
こはるはスマートフォンで時間を確認した。
午後一時を少し過ぎている。
「そろそろ帰ろうかな」
ノートには、地下二階の通路や部屋の情報がびっしりと書き込まれていた。
最初は少しだけ修正するつもりだったのに、気づけばほとんどの通路を調べ直していた。
「帰ったら清書しよっと」
こはるはおにぎりの最後の一口を食べる。
そして、ふと思い出した。
「そういえば……地図って、アプリに投稿できるんだっけ?」
公式ダンジョンアプリ。
国内の探索者なら、ほとんどの人が利用しているサービスだ。
ダンジョンの位置、難易度、出現する魔物、入場料金などを確認できる。
さらに、登録された探索者が情報を投稿する機能もあった。
地図データの投稿も可能だ。
ただし、地図作成には手間も危険も伴うため、詳しい地図を投稿する人はあまり多くない。
「……ちょっと調べてみよう」
こはるはスマートフォンを操作した。
『マップ投稿者募集』
『審査を通過した地図には基本報酬を支給』
『閲覧実績に応じた追加報酬あり』
「……へえ」
指が止まる。
「……えっ?」
もう一度読む。
「地図って、お金もらえるの!?」
こはるは目を丸くした。
もちろん、アプリは月額制のサービスだ。
利用者が支払う料金の一部が、地図の制作者にも分配される仕組みになっている。
「……ほほう」
こはるはにやりと笑った。
「これは……ちょっと頑張っちゃおうかな!」
その日の夕方。
自宅の机に向かって、こはるはパソコンを操作していた。
ノートを横に置き、ダンジョンの地図を描いていく。
通路の幅。
部屋の形。
階段の位置。
行き止まり。
曲がり角。
調べた情報を一つずつ入力していく。
「……おお」
画面の中に、少しずつダンジョンの形が現れてきた。
「すごい。ちゃんと地図になってる!」
こはるは嬉しそうに笑った。
ただの線だった通路が、実際の幅を持つ道になる。
適当に描かれていた広間が、正確な形になる。
階段の位置も、入口からの経路も一目で分かる。
何より、実際に自分の足で歩いた場所が、一枚の地図になっていく。
それが楽しかった。
「……よし、完成!」
気づけば、外はすっかり暗くなっていた。
完成したのは、南町公園ダンジョン地下二階の詳細マップ。
こはるは満足そうに画面を眺めた。
「我ながら、なかなかいい出来じゃない?」
そして公式アプリの投稿ページを開く。
ダンジョン名。
対象階層。
調査日。
地図データ。
必要事項を入力していく。
最後に表示されたのは、投稿者名の登録画面だった。
『公開クリエイター名を入力してください』
「名前かぁ……」
こはるは少し考えた。
本名を使うのは、なんとなく恥ずかしい。
かといって、格好いい名前を考えるのも難しい。
「うーん……」
机の横に置いてあるリュックが目に入る。
そこには、小さな白猫のワッペン。
「……ねこ」
こはるは呟いた。
「探索……ねこ?」
キーボードを叩く。
『探索ねこ』
画面に表示された文字を眺める。
「……かわいいかも」
思わず笑みがこぼれた。
「よし、これにしよう!」
確認画面を開く。
投稿者名:探索ねこ。
投稿マップ:南町公園ダンジョン・地下二階詳細図。
「それじゃ……」
こはるはマウスをクリックした。
『投稿を受け付けました。審査結果をお待ちください』
「……できた!」
初めての地図投稿。
こうして、匿名の地図クリエイター『探索ねこ』が誕生した。
三日後。
学校から帰ってきたこはるは、ベッドに寝転がりながらスマートフォンを操作していた。
「……あれ?」
通知が一件。
公式ダンジョンアプリからだった。
『投稿されたマップが審査を通過しました』
「おっ!」
こはるは勢いよく起き上がった。
「やった! 採用された!」
さらに画面を確認する。
『基本報酬:800円』
「……八百円!」
思わず声が大きくなる。
「すごい! 地図描いただけで八百円もらえた!」
もちろん、実際には何時間もダンジョンを歩いている。
入場料も払っている。
それでも、自分で作った地図がお金になったのは初めてだった。
「えへへ……」
こはるは嬉しそうにスマートフォンを抱えた。
そして、その日の夜。
もう一度アプリを確認すると、地図に評価が付いていた。
『通路の位置が正確で分かりやすいです!』
『今までの地図よりずっと見やすい!』
『初めての地下二階でしたが、迷わず階段まで行けました!』
「……おお」
こはるは画面をじっと見つめた。
「使ってくれた人、いるんだ……」
知らない誰かが、自分の作った地図を使っている。
あの通路を歩いて。
あの階段を下りて。
あの広間を通っている。
「……なんか、嬉しいな」
こはるは小さく笑った。
さらに翌週。
アプリの収益画面には、地図の閲覧実績に応じた報酬が少しずつ加算されていた。
「お〜! また増えてる!」
こはるはベッドの上で足をぱたぱたさせた。
「これ、ほかのダンジョンも描いたらどうなるんだろ?」
スマートフォンを操作し、近隣のダンジョン一覧を開く。
『東駅前ビルダンジョン』
『桜ヶ丘公園ダンジョン』
『北町ショッピングセンター地下迷宮』
どれも、すでに踏破された初級ダンジョンだ。
地図を確認してみる。
「……あ」
どれも、かなり大ざっぱだった。
「ふふふ……」
こはるは思わず笑ってしまった。
「これは……描きがいがあるなぁ」
そのまま、週末に行くダンジョンを探し始める。
次はどんな通路があるだろう。
どんな部屋があるだろう。
まだ誰も気づいていない道が、残っているかもしれない。
そう考えるだけで、わくわくしてくる。
「よーし! 次は桜ヶ丘公園にしよう!」
ベッドから飛び起き、机に向かう。
そして愛用のノートに、新しいページを作った。
そこには、少し丸みを帯びた字で、こう書かれていた。
『探索ねこのダンジョン地図作成記録』
その下に、小さな猫の顔を描き加える。
「……よし、かわいい!」
こはるは満足そうにうなずいた。
ただ探索が好きだった少女。
地図が分かりにくいから、自分で描いてみただけ。
それが、思いがけず誰かの役に立った。
しかも、ちょっとだけお金にもなった。
だから、もう一枚。
もう一枚だけ、描いてみたくなった。
その小さな思いつきが、やがて多くの探索者に知られる地図クリエイター『探索ねこ』の始まりになる。
そして、まだ彼女は知らない。
同じ学校に通う少女たちとの出会いが、これまで一人で楽しんできたダンジョン探索を、もっと賑やかなものに変えていくことを。
もっとも、今のこはるの頭の中にあるのは、そんな未来のことではなかった。
「……あ、そうだ」
スマートフォンで桜ヶ丘公園までの交通費を調べる。
「電車代、往復で六百円かぁ……」
少し考えてから、彼女はにっこり笑った。
「……地図の報酬で行けちゃうじゃん!」
新しい地図を作るため、初めて稼いだお金で次のダンジョンへ。
朝倉こはるの、小さな地図屋生活が始まった。
第1話 完




